はんかくさいんでないかい。

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物書きになりたかった時代がある。

2014年03月07日 | 日記

もう相当オッサンになっていても、物書きになりたかった。それを打ち砕いたのが、筒井康隆さんが主催したパスカル短篇文学新人賞。そこで見たのが、川上弘美の短篇「神様」である。

選考委員は筒井さんと井上ひさしさん。対抗馬は「机上の人」という巧みなレトリックを駆使した技巧的作品。でも、「神様」の持つ文章の力の圧倒的な高さを、筒井さんも井上さんも大絶賛した。翌々年だったか、川上さんは「蛇を踏む」で芥川賞を受賞する。

神の如き無駄の無い、削ぎ取られたが、しかし潤いのある文章は、到底オレなどはたどり着ける境地ではない。この芥川賞受賞時に反対した唯一の選考委員が石原慎太郎である。つまり、石原慎太郎は川上弘美の卓越した文章表現が理解出来なかったわけだ。

風俗作家としての石原慎太郎は、デビュー当時の狂った果実などの、当時の風俗そのものをなぞった作品は出せたが、文章で世界を創作できない人である。このあたりは題材を選択して「評論」を小説風に見せるノンフィクション作家だった猪瀬直樹と似ている。

文章の力で世界を構築するという作家の持つ資質が欠けているから、その構成した世界に入り込めない。だから石原は川上弘美を「評価しない」のではなく、そもそも「評価するための評価軸」を持っていなかっただけである。つまり「わからなかった」のだ。

題材があって、機会があれば、多分猪瀬直樹程度の書籍を出せる人は、この日本には山ほどいる。ところが、文章で物語世界を構成し、構築しながら同時に物語る。しかも簡潔な文章で、となると、これはもう才能というか、凡人の及ぶところではない。

川上弘美を学生時代から知っているというSF仲間が知人にいて、その女子大生の頃からの活動なども少しは聞いているのだが、確かに彼女の小説には、SF的な手法と色彩が時として現れる。世界の見方という点で、石原慎太郎が政治的にしかものを見ないように、川上弘美はこのビッグバンから現在に至る時間軸の中のエピソードを切り取るという形で小説化しているのではないか、などとふと思うのだ。

せいぜい自分の生きている間の事だけを前提に創作する石原と、悠久の時空の流れの中の断片を切り取ろうと創作する川上弘美。石原が川上を理解できないのも当然だろうとは思う。

オレは多分物書きになれたとしても、石原とか猪瀬程度の人にしかなれなかっただろう。題材と機会がマッチしたら世に出られる、という話でしかない。オレ、川上さんとは面識もあるし、酒席も伴にしたことがある。彼女の方が若かったんだけど、正直にいうと怖かったもんなぁ。彼我の差は埋めようもないほど大きいから、気圧されていたというのもあるけど。


3月6日(木)のつぶやき

2014年03月07日 | 日記

"Blue Boo Boo" Blazer & Little Archie Taylor Hey! Bartender (TREND 30-01...: youtu.be/S-Dg-7L2BgM @youtubeさんから


映画「ガレキとラジオ」やらせ報道について。- 2014.03.05: youtu.be/VBFAjKzshPg @youtubeさんから


語り出せる人は、まだいいのだ。語る事すら諦め、語る場にすら関わるのを拒否する被災者は、確実に孤立して存在する。 goo.gl/bMvIsX


除悪と言いながら、自分が最も悪魔的犯行お行う人がいて、その文章が電子情報で残っている。大丈夫か? goo.gl/mhGCkR