はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

麻なんて山ほどあった

2014年03月18日 | 日記

今は麻は大麻と言ってご法度なのだが、オレの子供の頃は目の前に山ほど麻が自生していた。葉っぱはじゃまだから取り去って、友人と茎でチャンバラをしていた。

自家の前には廃校になった古い小学校の校舎があって、道を挟んでかっての校庭が手つかずに残っていた。木造の校舎の一部は、発足したばかりの商業高校が校舎を建てる前に仮教室としていくつか使っていたのだが、それは一部であり、あとは子供が探検するのに持ってこいの巨大な廃屋となっていた。

3つにわかれた入り口の前には、巨大で虚が幹に生じている柳の木が生えていて、オレの家の脇には小高く築山が作られていて、その上には二宮尊徳の薪を背負って本を読む、あの彫像が置かれていた。

その築山の周りは麻が群生していて、今は田舎の市役所で課長をしているS君などと、チャンバラをして遊んでいたのである。麻の茎は子供がチャンバラをするのに最適の硬度と強度で、思い切り胴体を叩かれても、少し痛いという程度で済んでしまう。

密集した麻の群落は、身を隠すのにも適していて、忍者ごっこなどには最適だったのだ。

ある日突然、釜を持った警官と思しき人たちがやってきて、その麻を根こそぎ刈り取ってしまった。それで麻の茎を利用した、ほとんど全力で相手を叩くチャンバラは終わってしまった。チャンバラができなくなる、と抗議したが撮り合ってもらえなかった記憶がある。

代わりに使おうと思ったのははイタドリという植物だが、これはオレの子供の頃はスカンポなどと呼んでいて、二三度思い切りチャンバラで打ち合いをするとバラバラになってしまうから、結局根曲がり竹という細い竹がチャンバラ道具となる。これは当たると痛いので、相手をめがけてではなく、相手が持っている竹をめがけて思い切り打ち込み、受け払う事になった。

根曲がり竹というのはまっすぐなものが少ない。北海道では筍というとこの根曲がり竹の筍の事なのだが、細いので、農作業などに容易に使えるtめ、筍以上にオレの子供の頃はどこにでも転がっていた。ちょっとした家庭菜園に近いビニールハウスならば、これで十分に間に合う。

つまり、オレなんか麻という植物は知っているし、触ったこともあるのだが、チャンバラの道具というのが初めての体験だったのである。麻という名前も知らなかった。

作家の浅黄斑によると、日本で薬物についての法律が真っ当に出来たのは戦後だという。時代劇などで「ご禁制の阿片」などと言うセリフがあるが、徳川実記などの記録では、阿片に限らずそうしたものが禁制になった記録は無いとの事である。つまり「ご禁制の阿片」がウソなのだ。

そもそも江戸時代の日本の漢方は、相当に協力な作用をする薬草が含まれている。阿片は阿芙蓉などと呼ばれ、麻酔薬としても「使い物にならない」とされていたのだ。

戦国時代、織田信長が最も手を焼いたのが一向一揆である。一向宗が大した武器も持たず、妄信的、狂信的に女子供まで織田軍に攻撃をしかけてくる。死をも厭わない。これは実は一向宗が一揆前にあつまり、ほとんど麻薬的な成分の護摩を炊いて、極楽浄土を目指すという、いわば「薬剤による洗脳」の結果ではないかとも言われる。

もちろんそうした薬剤には副作用があるが、一揆前である。一揆で死ぬのは当たり前と思っているから、副作用などを気にする必要はない。

ベトナム戦争では、米兵が逆に一向宗のような立場に立った。泥沼化する戦争の中で、マリファナは普通のものとなる。他人を意のままに操るための薬剤としては麻薬は最適ではないか。このまま安倍政権が突き進むと、そうした目的故に、マリファナ解禁などと言い始まる可能性もあるわけだ。そこから、更に麻薬・覚醒剤と普及していく。戦後の日本の立ち直りは、挑戦戦争特需と、それを支える過重労働、その過重労働をヒロポンという覚醒剤が支えていた面も否定できない。

原発安全神話が崩壊して、放射能安全神話という誰も信じない虚言を広め始めた。あとは麻薬安全神話が成立したら、警察も手間は省ける。譫妄状態で暴れ始めたら射殺やむなしとなる。強権政治と恐怖政治は等価だし、その恐怖を庶民に認識させないためにも、現在では規制薬物とされている薬品の多くが、名前を変えて安全・安心のもと蔓延するのではないか。


3月17日(月)のつぶやき

2014年03月18日 | 日記

Godfathers of Groove Bernard "Pretty" Purdie,Grant Green Jr,Ruben Wilson...: youtu.be/_ZbWTg8G6eM @YouTubeさんから


たまに聞くと、完成度の高さに驚くんだよなぁ。Tower of Power - Estival Jazz Lugano 2010 Live Full: youtu.be/vG6WMzcZvRk @YouTubeさんから


タワーオブパワーから比べると少しラフ。そのラフが適度だ。楽しい。Chicago and Earth, Wind & Fire - live at greek theatre: youtu.be/0jLKoCY1iHs @YouTubeさんから


アースも良いけど、こっちもね。Kool & The Gang live at the House of Blues (2001-FULL CONCERT): youtu.be/JqntQIt3RbU @YouTubeさんから


十分にばあちゃん世代なのだが・・・凄いね。体型も節制している。 The Pointer Sisters - Live In Montana 2004: youtu.be/lxMlrNE11L4 @YouTubeさんから


原子力ムラはオウム真理教とどこが違う? blog.goo.ne.jp/tamadon1955/e/…

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遠隔操作ウイルス事件続報・検察は何も証明できていない/片山祐輔氏、弁護団会見: youtu.be/unyQjM54nQg @YouTubeさんから


原子力ムラ信仰の変を事実が証明する。 goo.gl/HU9lUv



睡眠障害があるので寝そびれた、そこでポンコツ度を白状する

2014年03月18日 | 日記

現在午前二時半であるが目が覚める。眠くないわけじゃないがこうなると寝付くのが大変だ。睡眠障害である。

元来、集団行動が苦手であり、例えば修学旅行などで相部屋になると、誰よりも最後に寝て、誰よりも早く目覚める。研修なんぞでもそうだった。しかし、眠いのである。頭の中も寝ぼけているのである。当然失敗は起こすし、白日夢なども見る。

車を運転することを諦めたのは、要するにこの睡眠障害があって、時折意識が途切れるからだ。注意力散漫というレベルではない。突如としてほとんど意識がなくなるのである。

子供の頃は良く寝る子だったらしいが、それは逆に言えば「睡眠が浅い」子供だったわけだ。その状態が長じても続く。

40代の半ば過ぎから、体にガタが来て何度か入退院を繰り返している。入院中、消灯後うまく寝付けて目が覚めたら、まだその日のうちだったということが再三ある。再度寝付こうとしても眠れないから、幽鬼のように病棟の廊下を静かに歩く。夜勤の看護師などとは何度も目を合わせる。

ほとんど高血糖性の昏睡一歩手前で入院する羽目になった。空腹時血糖の値が130を超えていれば大いに予備軍なのに、なんとオレは560である。HbA1cの値は正常値が上が6.1とかなのだが、オレは16.2だった。何時高血糖性昏睡で死ぬか分からないほどだったのである。

どうやら、それが現在に至るまでドミノ倒しのようにガタガタとポンコツ度が進んでしまった原因なのだが、定期検診で発見され、緊急入院となった。不思議な事に、今はそれほど血糖値が高くならないし、HbA1cの値も5.8~6.0の間と安定している。数カ月間急激に症状が出たようなのであり、インスリン治療も糖尿病用薬剤の治療も、不思議と今は行っていない。

その入院中、ほとんどの病院で「いつ寝ているの?」と看護師に尋ねられたりもするほど睡眠障害が顕在化してしまった。おかげで昼間に一時間ほど仮眠をとる、というよりも意識を喪失ている時がある。こうなると、最悪である。また夜は同じことの繰り返しとなり、昼間意識を一時間ほど失って、夜は寝付けるのだがすぐに目覚めて・・・。

こうした繰り返しは負担がかかる。これが一週間ほど続くと、ある日はほとんど一日中意識が無い事となる。要するに寝ている姿で倒れているのである。

今は医師に処方された睡眠導入剤を服用しているが、それでも見事に本日のように寝そびれることがある。横になると、寝具の関係からか、膝が痛むことがある。何かにぶつけているわけではない。打撲した時のような痛みなのだが原因は分からない。布団もそれほど乱れていないから、周囲を大きな音を立てて膝蹴りをしているというわけでもなさそうだ。

友人の家で雑魚寝などということがあっても、皆の寝静まった状態を知っているし、寝起きの顔も見ている。合宿とかは人の三倍ほどの疲労感が生まれる。

そう言えば、子供の頃から目覚めがスッキリしていた事が無い。目が覚めちゃったという感じになっていて、目覚めが心地よいものだと思ったことが無い。前日に動きすぎると、その疲れは翌日も翌々日も残る。

体内時計が狂っていて、交感神経と副交感神経の受け渡しが悪いのだろうとは思うが、それがなぜなのか、どうしてそうなってしまうのかは分からない。心療内科でも受診したほうが良いのか。でも、こうした症状は鬱診断されるだけだろうとわかってしまう。

強度のナルコレプシーという睡眠障害の場合は、起きている時に急に寝てしまうから、周囲からは倒れたように見える。オレの場合は、座ってじっとしていると意識が飛ぶのだから、立っているのにいきなり倒れて寝てしまうなどというほどではない。ただ、立っていてもふと我に返ると5分程度の時間が経過している時がある。あれは他人からどう見えるのだろう。

これ以外にも、言葉は聞こえるのだが、意味が消失してしまうという状態にもなる。これは会話の途中で突発的に起きる。そうした時は相手の声は音として聞こえるのだが、言葉の意味が完全に不明になる。

元来、人の名前を覚えるのが苦手である。人の違いは分かるし、会ったことがあるという認識もできるのだが、名前と人物が結びつかない事がある。何度も会っていて、親交がある人物の名前はさすがに分かるのだが、その友人の友人となると、実はその他大勢の中の顔の長い人とか、話が面倒な人、という分類だけが残り、それが名前という表象と結びつかない。結びつけるのが苦手なのだ。

体のほうは腎臓ガタガタだし、脳梗塞で左半身に微妙な麻痺はある。歩くことはできるし早歩きもできるのだが、走れない。全速力がジョギング程度である。

体の左半分に悪い部分が集中している。子供の頃には動脈管開存症という病で、和田寿郎に診察を受け、小松医師に手術の執刀を受けた。あの和田移植の前年である。小松医師は和田のスポークスマンとして、手術を受けた患者の経過などを記者会見で語っていた人物である。

その手術で左の背中からメスを入れられ、その傷跡を境に背中の感覚が右側とは大きく違ってしまった。左手の側もいささか手首などの柔軟性が削がれている。まぁ、それでもギターなどは下手くそだけど弾く。

脳梗塞後は左足が言う事を効かない。走ろうとしても前に出ない。

左目が眼底出血を起こし、最初はレーザー治療だけで回復したが、二度目は硝子体洗浄と、並行して白内障の手術を受ける。全部左半身に不具合が固まっている。唯一右側の方が悪いのが、掌蹠膿疱症の病状が重い右足であるが、左足にだって出ている。

こうした不具合が細かく重なる。腰痛持ちだし、3.11の丁度二ヶ月前に氷結路面で転倒し、右腕を強打したつもりが無いのに痛みが引かず、外科に行ったら亀裂骨折だと判明した。痛み止めを服用しつつ、ギプス固定はせずにいたのだが、3,11の段階では完治していない。高校生ぐらいまでだと一ヶ月で完治するような怪我だったのだが、完治しなかったのである。完治したのは4月である。3月に病院に行くと、担当医がDマットで被災地に飛んでいて、担当医ではない医師に痛み止めの処方をしてもらった。

3.11当日の揺れは、脳梗塞を発症してから普段でもなんとなく微妙に揺れているから、その揺れかと思ったら違った。大いに驚いたものである。

その後胆石からの胆嚢炎で胆嚢切除したのだが、腹腔鏡手術で開けた腹膜の穴が閉じず、二箇所からそれぞれヘルニアを時間を置いて発症して、その手術を行った。2011年は日本全国にとって厄災の年であったが、オレ個人にっても厄災の年である。手術痕からヘルニアが発症したのは、その年の暮れと翌年である。

ほとほと自分のポンコツ度には頭にきているのはある。あの昏睡一歩手前の高血糖時に昏睡になっていれば、そのまま病死として2ヶ月か3ヶ月ごに死体が発見されていたのだなぁ、と考えると、その後の進行する肉体のポンコツ度上昇を考えてみて、果たしてあの時助かって良かったのか悪かったのか、今となっては判断に迷うのである。