はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

未だに信じられているホルミシス効果

2013年09月27日 | 日記

 腎臓に疾患がある。状態を血液検査で見るのだが、その結果状態が悪化していると「腎臓の機能が高まる」数値が血液に顕れる。

 簡単に言えば、人間の体は自動車と同様である。巡航速度を保つのにトップギアで動くわけだが、トップギアに入らぬような場合、セカンドギアに落として、エンジンの回転を高めて速度を維持する。同じ速度を維持するためにギアを下げ、エンジンの回転数を高めることで、当然エンジンに負荷がかかるし、燃費もわるくなる。

 肉体の機能が昂進するのは、つまりは肉体に負荷をかけている状態なのだ。

 宇宙飛行士が宇宙線を浴びて「免疫機能が高まる」という状態となる。これも、肉体的な負荷がかかっている証拠である。病原菌やウィルスなどに感染しない限り、こうした余分な機能向上は、基本的に「有害」な刺激なのである。

 スポーツ選手は、その競技のためにトレーニングをする。トップアスリートともなると、一般人が耐えられないような負荷を体にかける。その負荷がかかった筋肉は、休息によって治癒され、より一層強靭な筋肉となり復活する。

 ここで重要なのはトレーニングと同様の、質の高い休息である。一日40キロを走破するマラソンランナーのトレーニングでも、試合前にはベストコンディションを維持するために、有効な休息を必要とするのである。

 宇宙飛行士の被曝も、こうしたアスリートのトレーニングと似ているだろう。長時間宇宙空間に居たとしても、彼らは宇宙線の影響の劇的に少ない地上へと必ず帰還する。その時間がアスリートの休息と同様になるわけだ。

 内部被曝を考えてみると、このアスリートのトレーニングと同様の事態が、内部被曝では一日24時間365日続くのである。寝ている間も走り続けるマラソンランナーなどは存在しないし、そもそも生きていることすら困難である。

 ラドン温泉で活力を取り戻すというのは、適度な運動としての外部被曝と、そこから離れて旅館の中で食事をしたり寝たりすることによる回復力を与える時間があるからである。ラドン温泉に24時間つかり続けていたら、それが365日続いたら、間違いなく命は無い。

 つまりは内部被曝はそうしたものであるし、外部被曝と内部被曝を同列に扱うなど、本質的な部分で「誤った」理解だと思うのである。

 塩は150gを一度に接取すると、接取した半数の人間が死に至る。ところが、体の外側から一度1Kgの塩を振り撒かれても、人は生きていられる。体内に接取した量と外部からの量は、放射能に限らず差があるわけだ。ちなみに、塩の一日の摂取量は6g程度が良いとされているわけだ。それ以上だと高血圧や成人病、慢性疾患の原因となるといわれている。

 生命活動に必須な物質でさえ、体内に取り込む場合と、体外にある場合では、これほどの違いがあるのである。生命活動に不要な、むしろ生命活動を阻害する要因とも言える「放射性物質」が、体内にある場合と体外にある場合で、同じわけが無い。

 ちなみ放射性カリウム40はバナナなどに多く含まれているし、多くの人間が体内に保持しているものだが、カリウムそのものが体内では必須であるのと同時に、すばやく新陳代謝によって体外にも排出される。しかも、こうした物質が存在する前提で、我々の体は進化してきた。蓄積せずに代謝機能に乗せることで受け流せるように進化してきたわけである。

 対して人工物である人が作った放射性物質の多くは、そうした代謝機能では手に負えないものばかりである。こうした物質特性を無視して、放出される放射線だけを問題にするから、被曝の話はオカシクなるのだ。体内に留まり、代謝のフェーズに乗らない、ストロンチウムやプルトニウム、さらには人間の体を構成する水そのもの形状で存在するトリチウム。人体の内部に入ることで、狭隘な部分に集中的に放射線を浴びせ続けるわけである。これらの人工物が「安全」なワケがない。


小出さんの札幌講演動画

2013年09月19日 | 日記

 小出裕章さんの札幌での講演会の録画がUstream.tvで録画配信されています。上田札幌市長の冒頭の話と講演後の感想。この会の主催者の一人であり、核戦争防止国際医師会議ドイツ支部が著した「チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害 科学的データは何を示している」という書籍を監訳した松崎道幸医師の挨拶。さらには原発出前授業を精力的に北海道で繰り広げている川原茂雄さんの挨拶と盛りだくさん。

 


祖父

2013年09月19日 | 日記

 父方の祖父は、私が小学生の時に、胃癌により亡くなった。

 実は父方の祖父については、殆ど覚えていない。亡くなったのがもう50年近く前であるし、何よりも離れて住んでいたために、殆ど交流した記憶が無い。無愛想だったのだろうが、祖父に抱かれた記憶も無い。覚えているのは、危篤と連絡があったため、小学校から自宅に戻るように連絡があって早退し、病床で臨終寸前の祖父の、なんともやせ衰え、殆ど意識が無い状態の姿である。

 父方の祖母は母と折り合いが悪く、祖父が亡くなり、その家や土地をすべて売却し、祖母が一時逗留していた際には、家に居るのがウンザリするような状態だった。あまり「明るく楽しい」家庭とは言えなかったわけだ。

 テレビドラマのようなニコニコ笑って遠慮なくものが言える家族や家庭というものが、世の中にあるとは信じられなかった子ども時代である。テレビの向こう側の話は、すべて私にとっては御伽噺でしかなかった。

 実は、祖父とのことも同じなのだが、その子どもたち、つまり父方の妹、弟とは、殆ど私は関係を持っていない。唯一、父の弟である叔父とは会って話はできるが、そのほかの父の妹、つまり叔母達は、殆ど消息さえ知らない。同年代の従兄弟がいるのは知っているが、それすら道で遭ってすれ違っても分からないほどである。

 家庭とか家族というものが、それほど重要なものだという意識は無かったし、手術で克服したとはいえ、先天性の欠陥を持って生まれてきているので、自ら家庭を作ろうと思ったことも無い。遺伝するかしないかという丁半博打のような状態で、子どもを持つなどということも考えたこともない。

 叔父や叔母、従兄弟などで親しかったのは母方だけであるし、その母方の縁も、母と伯母や叔父との関係が悪化してしまうと、なんとも「無縁」なものとなる。

 親戚が親戚付き合いしなくなった、という経緯も見知っているだけに、そもそもオレは結婚しようとも思わなくなった。だいいちが人間嫌いである。一人の女性を生涯愛し続けるなんてぇ自信は、爪の先ほども無いし、そんな不正直なことを言う自分がいたら、これはもう耐えられないほどの欺瞞であると思っているわけだ。

 いや、なかには生涯連れ合いと幸せに暮らせる人もいるのだろうが、少なくともオレはそうはなれないだろうし、なれないことにかけては断言できるほどの自信がある。もし仮にオレが父親となって、息子が出来たとする。でも、かなりの確度でオレが金属バットで息子に殴り殺されるか、その前にオレが息子を殺して刑務所行きになっているかだろうと思うのである。

 残念なことにオレは、自分の中にいる悪魔的な部分を、極力他人と関わらないことで押えてきた。暴発はするのだが、発現はしないようにしてきたわけだ。

 そこでふと考えるのである。オレの父方の祖父は、一体何を考えて生きてきたのだろうか。それとも、生きていくことに精一杯の貧しさの中で、逆にそうした事を考えずに済んだのだろうか。

 


小出裕章さん札幌講演会を見て

2013年09月16日 | 日記

 京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの講演会が2013年9月14日、札幌で行われた。原発事故以前から反原発を標榜する原子核工学者である。

 大ホールのキャパシティは1500人なのだが、当日は満員であり、立ち見まで出る始末。札幌市と北海道電力泊原発との距離は、事故を起こした福島第一原発と、そのために大量の放射性物質で汚染された福島県の飯館村との距離に等しいと言う。つまり、泊原発が大事故を起こすと、札幌全市避難という話になる。

 札幌の人口は、現在は約200万人。住民票だと180万人を越える程度なのだが、住民票を移動していない学生などを含めると、現在居住している人間は相当多くなる。
 北海道全体の人口は500万人程度であり、これはそれほど増加してはいないが、札幌市が100万人を突破して政令指定都市になってから、札幌の人口は急増している。北海道の四割の人間が住んでいるという勘定である。

 泊原発で福島第一原発のような事故が起きると、札幌市は避難地域となる。で、何処へ避難するのか。それだけの人口を分散しても保持できるような地域は、北海道には無い。生業を維持できるような経済的基盤も、財政的基盤も、札幌が被曝破綻なんぞをすると、北海道は全部の地域が経済的に破綻するのである。

 小出さんの講演については、特に触れようとは思わない。YouTubeで小出裕章と講演などの文言で検索すると、原発事故発災以前からの、小出さんの精力的な講演活動が分かる。事故が起きて、驚くほどの人が各地で小出さんの話を聞きに集まるのだが、今回は汚染水がマスコミに取り上げられたため、尚更集まりが良かったようである。

 何やら良くわからぬ宗教の人まで「ストロンチウムは危険です」などと言いながら、宗教の勧誘の印刷物も配布していたし、でも、その資料を配布している人は、実は分子生物学レベルでの放射線の危険性などは考えもせず、教祖様の言う通りストロンチウムを体内に摂取すると、白血病や癌になるのだ、というレベルでしか分からないわけでしょう。そうした「妄信」する人は、多分風向きが原発賛成、放射能は怖くない、という世論が主流となれば、簡単に世論に迎合する宗教指導者の姿を模して、同じ口から「放射能は怖くない」「原発賛成」となってしまうわけだ。オレが宗教を信じないのは、こうした霊的なご託宣に拠って教祖が変節しても、その変節を単なる「新たなるステージ」として信者が妄信的に受け止めるからだ。

 早くから会場前に並んでいたために(10番目以内だな)、ホールの最前列の席となった。何故か隣の席が空いていて、そこに原発出前授業を北海道で精力的に行っている川原茂雄さんが座る。いや、久々の有名人である。講演会の最後に川原さんが登壇して、出前の話やら札幌のサウンドデモへの参加を聴衆に訴える。川原氏に頼まれてiPadで写真を撮るハメとなる。Facebookに掲載されている川原氏の正面からの写真は、私が撮影したものだ。

 まぁ、それはともかく、何よりも良かったのは、この講演会で小出さんの前座役を買って出たのが、上田札幌市長だったことである。上田市長は幌延の話がメインである。市長の前は弁護士だったが、弁護士から知事→市長と転じた、どこかの大都市の市長とは決定的に違う。原発訴訟の「敗北」の歴史についても語る。そこから生み出された安全神話への批判も当然出てくる。その中での幌延についての問題。
 核廃棄物の最終処分場として幌延が候補に上がり、現在も試験的と言いながら、500メートルの深度まで掘削が進んでいる。

 幌延といえば、北海道の北、宗谷地方(以前は留萌管内)の町であり、サロベツ原野の南端にあたる。産業は酪農が中心である。近隣の天塩などでは漁業もあるわけだが、人口は確かにまばらである。こうした経済的基盤の弱い地域に、高濃度放射性廃棄物地層処分場が作られようとしているのだが、道東の別海町などと同様に日本としては大規模な酪農が基幹産業であるため、TPPなどによるダメージが大きい地域である。酪農は生き物を扱っているだけに、常に重労働の割りには、牛乳価格の卸値が下がったままであるため、外圧が無くても厳しい経営環境にある。その厳しい経営環境と自然環境の二つの点、後継者の絶対数も不足する過疎の町、という疲弊した地域が更に外圧によって疲弊することは容易に予想できる。その疲弊に、追い討ちを掛けるのが地層処分場である。政府のやっていることは、川に落ちた犬を叩く、ということである。

 地層処分は安全なのか?安全ならば、どうだろう、原発を持つ電力会社の本店地下に大深度の穴を掘って、そこに埋設設備を構築したら良いのである。安全なんだろ?一万年も管理するんだろ?過疎地である現状で、気候も厳しい地域に、継続して常駐するか管理人が確保できるかという問題がある。責任を持った管理人が常駐しない無責任管理なんてありえない危険物なのであるから、本当に「安全管理」が出来て、万一の時にも対応が出来るのならば、管理人が確実に常駐できる各電力会社本店地下に設備を作るのが最適だろうと思うのだが、何か異論が?各電力会社の本店や本店地下は、自前の土地である。田舎に置いていて明らかにたいした安全管理もしなくても大丈夫のものならば、都会に置いても問題無いはずである。

 もはや、原子力マフィアの論理破綻は明らかなのに、この国の政府は再度原子力を使おうとする。これがもはや理解の外である。野田内閣の際、脱原発を閣議決定しようとしたら、米国から圧力がかかったと聞く。立派な内政干渉であるのだが、日本政府は唯々諾々とそれを受け入れた。ここには政治的な圧力に屈した政権の姿はあるが、行為そのものが科学的知見に基づいたものとは言えないのである。

 小出さんの語る言葉は「少欲知足」である。オリンピックでのおもてなし行為が、他文化への無理解でのおもてなしとなる。刺青を一律に禁止する日本の銭湯は、刺青が民族的な伝統や意味を持つ国、あるいは民族がいることを考慮しない。その違いを理解しない。温泉へのアボリジニの人の入浴が拒否されたと聞き、その理由がアボリジニ特有の刺青であったことを聞くに及んで、「日本の常識が世界の常識ではない」ということに思いを致さねば、オリンピックの「おもてなし」なんぞは絵に描いた餅ということになる。

 他者の文化を批判するよりも、「変なことを変」という正直さこそが、この国には必要だ。オリンピック誘致の中で語られる「汚染水はコントロールされている」などと言うウソが日本の「おもてなし」だというのなら、つまりは日本の「おもてなし」は「おもて無し」で「裏ばかり」という話になる。


予見可能性

2013年09月10日 | 日記

 福島原発事故被災者が出した告発は、すべてが起訴に至らないと検察が判断した。ここで問題となるのが予見可能性である。


 予見可能な問題点について、適切な対応をしなかった、いわば未必の故意による業務上傷害致死などを、実は検察は予見性が無いと門前払いにしたのである。


 イタリアでは地震が来ないと断言した科学者が、その責任をとらされて収監される。この違いは何か。


 地震や津波などのフィールドワークを行った学者は、その多くが貞観大地震による津波の危険性を、前もって指摘していた。政府の防災対策指針でも、福島沖でM8.2クラスの地震の可能性に触れ、東電も、その可能性による津波の高さを15メートルを越えると予想していた。


 こうしたフィールドワークの調査結果や、東電自身が行ったシミュレーションがあってもなお、予見可能性が無いと検察は言う。


 オレなんかは、こうしたシミュレーションを行うこと事態が、予見可能性があった証明だと思うのだが、どうやらこの国の検察は、勝手に司法判断して裁判所が無罪とするであろう事例を事前に察知するようである。


 このふざけた対応は、相手が治外法権の東電だからなのか。東電本店に捜査が入り、あのおなじみの証拠品を大量のダンボールで運び出すという姿は、発災以降、残念ながら見にしてもいないし、メディアが報じたという記憶もない。


 単に検察や警察が捜査せず、証拠保全を怠った結果の不起訴としか思えないのである。でもね、被災者は山のように現存していて、その被災者が東電や政府の言う「原発は安全です」「地震や津波では壊れません」という御神託を信じていたわけである。そうした言葉に騙される方が悪いとなると、こうした原発安全詐欺は、日本全国に跳梁跋扈することとなるわけだ。いや、跳梁跋扈しているけどね。


 予見可能性が無い、本当にあったかどうかも分からぬ小沢一郎の括弧付き「犯罪容疑」は、その元秘書の自供そのものが捏造だったという事実からも、自白強要していて、それでも口を割らぬ相手には、調書捏造までして「犯人」を作りだすのに、相手が東電とか経産省だと尻尾を巻いて逃げるわけだ。


 水に落ちた犬だけを叩いていて「巨悪は眠らせない」なんてえ大口を、よく叩けたものだと思うわけですよ。


 この東電の不作為については、発災以前の政府機関と東電との会議でも話題になっていて、議事録まで残っているし、実際に東電はシミュレーションまでしていたわけだ。それなのに「そんな地震は起きない」と断言してしまう。まるで東電=神様のような振る舞いであるし、そうした知見を無視して放置してきたことにこそ、最大の問題、安全を蔑ろにしたということだ。その安全軽視が「福島第一原発事故」として顕在化したわけである。


 つまり、安全を担保するという文化が東電には無いのだ。


 今回の汚染水問題も然りである。小出裕章さんなどが地下遮水壁に言及していたのは、発災直後からではないか。しかも、発災直後の汚染水をタンカーで柏崎・刈羽の原発に運び、そこで稼動している多核種除去装置によって何とかしろ、とまで言っていた。仮設で間に合わせの現地の機器では、早晩破綻するのは目に見えていたし、同時に地下遮水壁による地下水の原発への浸潤を避けろとも言っていた。


 そのためには莫大な金がかかるのだが、実は現在の場当たり的、ツギハギ膏薬処置では、その莫大な費用が永続的に必要となる。目先の金を惜しんで、禍根を残すことになったわけだ。


 そもそも東電の「経営」は、「経営」の名に値しない。殆どの企業、特に中小企業や零細企業の経営は、運転資金の調達と、財務関連の処理ばかりである。経営者の仕事の大半は、事実上帳簿と睨めっこなのだ。総括原価方式という、コストをかければ掛けるほど、その割合に応じて儲けることが出来るという、殆ど経営能力など必要ない、単に関係官庁との根回しだけが仕事である経営者とは、根本的に違うのである。「これだけ発電所建設にかかりました」「はい、電力料金に上乗せしましょう」ということで、話が付いてしまう経営なのである。


 東電などの電力会社が、各地の経済団体で経営能力も不要なのに、大きな顔をしているのは、そうした電力設備の多くが、東芝や日立、三菱などの大手に発注され、それが下請けや孫請けにまで仕事を回すからである。でも、その金の元は、電力利用者が支払う電気料金なのである。つまり、電気を使うひとが居る限り、取りっぱぐれが無いわけだ。だから、どんなにポンスケが経営者になっても、原発事故などを引き起こさなければ潰れることは無い。高をくくっていたのである。


 しかし、ある種天罰である原発事故は、この東電などの電力会社のダメ経営体質をそのままに、原発立地地域である福島に災禍をもたらした。この不公正さはなんだろう。その不公正さを糾すという意味で、今回の告発の多くはなされているのに、司直はそれに蓋をし、不公正な状態を助長する。不公正さは益々この国の深部を歪めるわけだ。