たこおやじのひとり言^^

ぶつ・・ぶつ・・・ぶつ・・・・

法隆寺!

2009-01-16 04:30:37 | お寺さん・神社めぐり^^

おはようございます!

 

今日は、何の日??]

 

籔入り
住み込みで働く人達が実家へ帰ること。もっとも現在では週休制が当たり前で、この言葉も死語となりつつある。その起源は藪深い里へ帰ることからとか、宿下がりの意味があるとか諸説ある。この日と7月16日だけ実家に帰ることが許されていました。
念仏の口開け
年が明けて初めて、仏様を祀って念仏をする日。 正月の神様(年神様)が念仏が嫌いであるということから、12月16日の「念仏の口止め」からこの日までの正月の間は念仏は唱えないこととされています。
禁酒の日
1920年(大正9年)にアメリカで禁酒法が施行された。清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があった。
晴れの特異日
晴れる確率の高い日。
初閻魔,閻魔賽日,十王詣
正月16日と7月16日の閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)に、寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりすること。 十王とは地獄にいて亡くなった人の罪を裁く10人の判官のことで、特に閻魔王のことを指します。

 

晴れの特異日だそうで・・・

晴れて、冬らしい寒い一日になりそうですね 

 

 

はてさて、今日からは四天王寺さんに続きまして、聖徳太子繋がりで・・・

 

法隆寺

法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。

それによりますと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。

現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。

このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。

 

四天王寺さんは、何回も消失してるけど、法隆寺はなんとか昔のまま現存してる最古の木造建築なんですね。

 

 

 

南大門

<国宝> 室町時代

法隆寺の玄関にあたる総門です。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。

 

 

 

 

中門

国宝 <飛鳥時代>

西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。

 

ここにもいてはりますね~~、仁王はんが^^

 

 

迫力ありますね・・・

 

 

 

 

法隆寺はんの五重塔もええですね~

 

国宝<飛鳥時代>

塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。

この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。

 

 

奥が大講堂!

国宝<平安時代>

このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。

 

 

撮影禁止やったけど、こっそり撮りました

 

こうして見ると、国宝ばっかしでんな^^

 

続く・・・・

 

では、

本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!

 

去年の同日の日記

http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080116