Amazonが6月6日に集計した“開高健に関する書籍の売れ筋ランキング”で『長靴を履いた開高健』が1位になりました。ご報告まで。
また、Amazonで“開高健”を検索すると小説家自身の著作を含めて209作品がヒットしますが、6月9日現在で8位につけています。「夏の闇」や「ベトナム戦記」などにまじっての8位です。光栄です。恐縮です。
※開高健に関する書籍の売れ筋ランキングhttp://www.ne.jp/asahi/jubus/com/author/html/author70.html
Amazonが6月6日に集計した“開高健に関する書籍の売れ筋ランキング”で『長靴を履いた開高健』が1位になりました。ご報告まで。
また、Amazonで“開高健”を検索すると小説家自身の著作を含めて209作品がヒットしますが、6月9日現在で8位につけています。「夏の闇」や「ベトナム戦記」などにまじっての8位です。光栄です。恐縮です。
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小学館『ラピタ』に足掛け3年に渡って連載をしてきた『長靴を履いた開高健』がこのほど小学館から単行本として出版されることになりました。5月20日頃には書店に並ぶことと思います。より多くの方にご覧いただければ幸いです。(滝田誠一郎)
あとがきより
文春文庫版『オーパ!』(81年3月25日初版)の《解説》で菊谷匡祐さんが次のように書いている。《けれど、開高健の意味と価値は誰しも認めながら、その作品とがっぷり四つに組んで論じた批評家がわが国はまだなく、また国文科の大学生が卒業論文で開高健をとりあげることが、ほとんどないとも聞きます。(略)よく読まれつつ論じにくい--開高健とはそんな小説家です。》
当時20代半ばで、駆け出しの物書きで、一開高ファンにすぎなかったわたしは、自分が開高作品とがっぷり四つに組めるとはゆめゆめ思わなかったが、しかし、「いつかそんな仕事をできる自分になりたい・・」と思ったことをいまでもよく覚えている。
30歳半ばになって釣りをはじめた。フライ竿をかついで関東周辺の渓流を歩きまわるようになった。釣師・開高健を身近に感じ、意識するようになったのはこの頃からだ。小説家・開高健を論じることは無理でも、釣師・開高健ならば自分の取材対象になりうるのではないかとぼんやり考えるようになった。企画しだいではアラスカやアマゾン、モンゴルへ行けるかもしれないと皮算用したことも素直に告白すべきか・・。
一方に「まだまだ早い・・」という思いもあったが、少しずつ準備をはじめた。時間のあるときに開高作品を読み返し、そこに登場する人物をリストアップし、手を尽くして連絡先を調べはじめた。リストはじきにできあがったが、それでも「まだまだ早い・・」という思いがあった。物書きとしてもっと熟すのを待つべきだと思った。
リストアップしたうちの1人、「取材をするならばこの人から」と決めていた佐々木栄松画伯(釧路湿原で小説家がイトウを釣ったときの水先案内人役をつとめた釣り名人)に手紙を書いたのは2002年の2月頃。待ちわびた返書は3月半ばになって届いた。毛筆の、達筆で、神経痛のため全身激痛に襲われ臥床の日々であり、はなはだ残念ながら取材には応じられない旨のことが書かれていた。このとき画伯88歳(大正2年10月31日生)。
この返事を受け取って、「まだ早い」などといっていられないと悟った。いまのうちに取材をしておかなければと・・思ったしだいである。
小学館の月刊誌『ラピタ』で《長靴を履いた開高健》の連載がはじまったのは翌03年11月からである。連載は06年4月まで計29回続いた。毎月4頁の誌面を提供し続けてくれた大家正治編集長には感謝するばかりだ。連載をまとめる形でこの本ができあがった。「いつかそんな仕事をできる自分になりたい・・」と思ってから四半世紀が過ぎてしまったが、物書きとしての自分に課した宿題を一つ果たすことができたような気がしている。
ところで。この本には実は続編が存在する。まだ構想段階ではあるが、すでに取材は進めている。いつの日か『続・長靴を履いた開高健』を書き上げることを新たな宿題にしたい。
2006年5月2日 滝田誠一郎