goo blog サービス終了のお知らせ 

82歳からの旅

私の記録

   ~ 初めての政権交代の意味 ~

2012年12月15日 17時43分27秒 | 生活
12月15日 土曜日       

                 
 明日はいよいよ、46回衆議院議員選挙の投票日です。
処が今回の選挙は今までにない、多くの党の候補者が乱立
したのです。

 前回初めて2大政党による、選挙が行われ永く続いた自
民党一党の政治から、民主党の政権へ交代したのでした。

  
 政治の流れを大局的に見ると、前回は自民党から民主党
政権への交代に大きな意味があったのです。
 民主党の政治の良し悪しよりも、政治と言う権力が自民
党から民主党に移ったのです。

 政治と言う国民生活は、連続しているのですから前の政
治が悪いからと言って急には止められないのです。

 一たび権力の座に就くと其の力を持つ人に、人が群がっ
て来その為に一部の人が其の恩恵を受ける事になります。
だから政権は時に応じて交代するがいいのです。

 民主党は永く続いた自民党政治の、数多くの問題点に当
面し其の処理に奮闘しました。然し解決出来ない問題を残
しました。
 それと自民党が力を入れなかった部分に、力を入れて
治をしたのです。
 
 今度は何党が政権をとるかは、今の処判りません。然し
民主党政治の至らぬ点に目を注ぎ、重点的に政治をすると
思います。
 

 一つの政党があまり長く政権の中心にいる事は、良い
と悪い面とがあるのです。政権が交代することによって、
民主化も進められてくるのです。せめて四~六年位は政
権を、持ち続けて政策を推進して欲しいと思います。、、、、、、

 政権が交代することによって、又多くの問題点も出て
来るのです。  
 
 

















           

 ~ 身の周りの整理を ~

2012年12月14日 21時10分25秒 | 日記
12月14日金曜日   
  今日は随分多く、過去の書類を廃棄した。新聞の切り
抜きやほんの、一部コピーなど。その他に在職中の整理した
書類などである。整理しながら過去のものを、取捨選択する
のである。
 
 かって弟の家の整理に行ったときに、長男が一緒でてき
ぱきと整理してくれたので仕事がはかどった。さて自分のに
ると、そうはいかないのである。
 
  昨晩はとりあえず書類をばらして、それで良しとし
ていたが。いざ捨てるとなるとそうはいかないのである。83歳
を迎えようとしているのに、もう過去は振り返らない。と決心し
て始めたのである。

 一枚の紙切れを捨てるのに、宝を手放す様でさみしかった.
これで良いこれで良い、と自分に言い聞かせて実行した。

 しかしまだ如何ほどにも、整理は出来てないのです。早く
自分を裸にして、残りの人生をいきたいこうとおもいながら。

 現役を退く時に組合員の人から、やめたら一人の伯父さ
んやろうと言われた。のでそうよ私が爺さんにんならずに婆さ
んにはなれないからね。

 そう言って啖呵を切ったものの、ジャンバアーを買った。が
タンスの中には着てない背広が、何枚もあり着ない訳にもいか
ない。

 結局ジャンバーは人に譲り、背広を着る羽目になった。毎
日の生活の中には、多くの無駄が沢山あるのです。

 倉庫の中やタンスの中には、多くの無駄があるのです。然
し其の無駄が私達の、生活をサポートして支えているのです。

 私の身の回りの整理は、まだまだ続きそうです。でも頑張っ
て整理して子供達に、迷惑をかけないようにしようと思います。

 身の周りを整理し軽くすることは、老醜を少しでも無くすことに
成ると思うとこれも事故変革の一つであるのかな?。

  元気を出せ  元気を出せ  そして 
 若者を見習え  よっしゃー やるぞー






人間は「自分の良心をだます事は出来ない」~古き実践より

2012年12月13日 09時23分27秒 | 日記
   12月14日金曜日   
   「 良心をだますことは出来なかった 」
                  6年2組 辻 敏
 5年生の時僕が、朝時計を合わせていると、振り子がカタ
ンと落ちてしまった。1瞬「しまった」と思った。先生に報告すると
先生は,直そうとしていましたがフリコに小さな糸がついている
のを見付けて「 誰かこわした人がいて、糸でひっかけていたん
やね。」と言った。
 
 そうして「もう時計は古い時計だから、仕方がないけれどこん
な時には届出なさい」と皆に言った。
 自分でない事が分かり安心したが、では一体誰がしたのだ
ろうと思った。然し誰も「私がしましたと届け出る人はいなかった」
 
 さあそれからが大変だった、先生は一人一人の目を見て回っ
たり前の日に最後まで教室にいた人を調べたりしてから最後に先
生は「他の人を騙すことは出来ても、自分の良心をだますことは
出来ませんよ」「そして自分の良心から苦しめられる事はきつい
ですよ」と言いました。

 僕は自分が落とす前に、他に落とした人がいるのか
も分からなくなって来た。皆も不安そうな顔をしていた。

 翌日、皆で色々話しあった後、先生が小さな紙
を配ってそれに「丸を書きなさい」と言った。後で調べて見ると
あった、先生は小さく○のついた其の紙を見せてたった一言、な
るべく早く届け出るように言われた。
 
 僕は「 バンザイ・バンザイ 」と言うような
「ヤレ ヤレ」と言うような妙な気もちだが、安心した気持ちに
なった皆も同じ気持ちに違いないと。

 「壊した人を何時どの様にして、知ったのだろうか」
「それとも壊した人が先生に届出たのだろうか」と思った。

 後略 「教育本来の任務は 教え育てる事」であり こんな時に
調べたり、子供一人一人に聞くことが果たして出来るのか?」など
調査の仕方や、取り調べの仕方には色々な制約や、反対意見もあり
現在の教育現場で果たして適用出来るか?分かりません・・

 教育とは対照である人間に、一定の抵抗を与えてそれを乗りこえ
る処に成長があり、その成長が教育のあかしなのです。

 
 問題は「心」でありこれを見抜く事は、多くの実践や経験がない
事にはとても出来る事ではありません。至難の業です真似の出来な
いことです出来ないのです。「児童や生徒の心が見える教師」それ
こそがプロの教師と言えるのです。

 抵抗の度合いがひどく乗り越えきれない時に、児童や保護者に不
満があるのです。でも子供や生徒に抵抗のない、教育はないのでな
いかと思う。


 
 児童や保護者の理解や、信頼がないと本当の教育は出来無いと思
います。児童や生徒の好奇心を掻き立てて、やる気を起こさせ抵抗
を乗り越えさせるのです。未完であり私見もあります、若い時の教
育実践です問題点もあると思いますご批判を乞う・・・

 


                          













                                























         


 ~ 戦争の足音がする ~ 頃のはなし 

2012年12月11日 08時28分50秒 | 日記
         12月11日火曜日    
 


   私は昭和12年に小学校に入学しました。その年の
  7月7日に中国との戦争が始まった。
   それからは中学生になっても、戦争はやまなかった。
  6年生になって12月8日大東亜戦争が勃発,戦線は
  益々拡大していった。

   資源の乏しい日本が戦うのである。大人にとって
  は、大変な事だったと思う。
 
          そんな中でも
 
  サイタ サイタ サクラガ サイタ
  の本から勉強うが 始まった。

  子供心にも、大きな夢を抱いていました。
  大きくなったら、陸軍大将になり

  勲章下げて刀 (けん)さして(さげて) 
  お馬に乗ってハイどうど、そんな夢でした。

  向こうの山に登ったら、山の向こうは村だった。
  続く田圃のその先は 広い広い海だった。

  こんな本を読んだ昔が懐かしい。

  こんな子供時代を思い出すのも年のせいか
  なつかしい
   
  日本は其の頃世界の潮流に乗って、軍備を
  整えて中国朝鮮に足場を気づき ヨーロッパ
  の国々に負けないように、大陸へと国力を発
  揚させて行った。

  その頃のアジアは、殆どが西洋の植民地であ
  った。日本もそれに負けないように、追いつ
  け追い越せと・・・・そして大陸の資源の確
  保に躍起となっていた。

  一億国民は一つ心になって、みな進む方向は
  皆同じであったと思う。

  戦争はしてはいけないが、その頃はヨーロッ
  パを中心にして、世界の国々がそんな風潮で
  あったのです。
  国々が 
















        

即興 ( 創作童話 ) をした思いで について

2012年12月10日 17時11分12秒 | 日記
        12月10日月曜日  
 私が20代の頃よくクラスの子供に、授業の合間に良く即興で
 創作童話をしていました。2~3分の時もありどうかすると
 10分位の時もあった.例えば、
① むかしむかしあるところに 小さいちいさな御家がありました。
 ② そのお家に小さな小さなおじいちゃんとおばあ
   ちゃんが住んでいました。 
 ③ 小さな小さなおじいちゃんがあるとき魚を釣り
   に行きました。
 ④ 小さな小さなおじいちゃんが魚を釣り上げました。
 ⑤ お家に帰っておばあちゃんにその話をしました。
 ⑥ 夕ご飯のおかずにしました。
 ※ ①  には家の傍にはとっても小さな小さな小川が
      流れていもした。
      其の小川にはとっても小さな橋が架かっていました。
      其の小さな小さな橋には小さい立札が書いて立て
      ていました。例 (サッカーの試合があるなど)
     ② ③ ④ ・・も同じようにして 変かさせる 
      児童の創造できない事を付け加えると、何時ものよう
      なマンネリから  
   上学年の児童には「キチョムさんの話」をよくしました 
   内容は下学年の時とあまり変わりませんでした。が知的
   内容をくわえてそれを罠にして、
   話を組み立てると子供は1回はのってきもす。
    例 地球上は赤道を中心にして緯度が北や南に行くほど
      寒くなる。 赤道の近くは暑いのですよ。と話をし
      てでも雪が一杯積もっていたよと言うと ・・・・・
     「 うそ うそ 」と 其処でアフリカのキリマンジャロ
      の山の話をすると 
      …子供は習った事の身近な事はよく覚えているのですが・
      ・此の後何かを決めるときに、よく吟味しないと誤った
      判断をすること
  になることも、教える事もお忘れなく・・・
    漫画の中の話くらいに考えて、授業の「ガス」ぬきに考えて
    こんにちは 塾に通う児童もいますし、テレビ時代に育てられた
    児童には向かないかもしれませんので其処は適切な判断して
    ください 尚行き過ぎると 「先生もう漫談はやめて下さい」
    僕たちの勉強が遅れますよと児童から忠告される?
    反省  中堅の歳になってからは忘れてしまって、殆どし
       ませんでしたので、そんなことの無いように