82歳からの旅

私の記録

 ~ 春のお彼岸 ~

2014年03月24日 07時00分50秒 | 転居のための準備
3月23日 日曜日 

 毎年お彼岸にはお墓のお掃除をして、お花をお供えし母の好きなおはぎ餅と父の
好きなお酒をお供えしています。

 今年は妹の婿の33回忌や・娘の親戚の葬儀などあり、23日の日曜日になっ
た。例年朝速く行ってお墓の掃除をします。が今年は九時頃よりお墓に行った。
自宅よりお墓までは車で、約20分位はかかるのです。 途中スーパーによって
供え物の花やおはぎ餅お酒などを買った。

 此の墓地は家内が退職した時に購入し、父母のお骨を分骨し墓を建てたのです。
 
 お墓の有る場所は眼下に有名な巌流島が見え・関門橋も望める高台にあってと
ても眺めの良いところです。
 処が若い元気な」頃は良かったのですが、後期高齢者になってからは急な階段の
上り下りが大変です。一年に3回(春秋のお彼岸とお盆)でまあ頑張ろうと、決
心してお墓を守っているのです。

 






コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

  ~ 私の健康の維持について ~

2014年03月16日 11時36分02秒 | 生活
           3月16日 日曜日 
 私は此の頃健康について、特に留意している事は足腰を強める事です。
当たり前の事ですが足腰の衰えが酷く、日常生活に支障を来す迄衰えて
いるからです。

 5分位の処にあるバス停に行くのに、2~3回途中で呼吸を整えるの
です。そうしないとバス停まで、歩けないのです。
 其れで足腰を強めるために、整骨院の先生の指導を受けて足腰を強める
筋肉の強化に努めているのです。

 其の成果が少しは、出てきている様です。毎日入浴時や寝る前に、足の
筋肉を強化するための運動をしています。又歩く運動もしています。

 私の腰椎の痛いのは、生活習慣病らしきもののようです。其れを治すに
は相当の長い時間がかかります。

 其れに幾つもの筋肉が関連して、其れをほぐし筋肉を強化するのです。
だから整骨院の医師の指導を受けて、私のたゆまぬ努力をしなければ治ら
ないのです。1にも2にも私の努力次第です。

 先生の言葉「私も田さんの腰痛が、軽くなるように一生懸命に努力し
ます。」然し「田さんの努力がなければ、腰痛は軽くは成りませんよ。」
と・・・・・

 然し人間の体には、自分の力で治そうとする力を内在しているのです。
其れを本人の努力によって、目覚めさせる事が肝要です。と

 治すまで少しでも良い、努力して見よう・是が今の私の第一の仕事で
す。・・・  他は全て犠牲にしてでも・・・










コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ~ 父母の50回忌の法要を終えて ~

2014年03月09日 21時12分32秒 | 生活

     3月9日日曜日
 父は 私が35歳の時に亡くなった、その父を追う様にして翌年母も亡く
なった。 あれからもう50年の年月が過ぎ去ったのであるのかと思うと・・・?。
 法要は午後の2時からでした、僧侶の二時間余りのお経が終わってから後
は内わの皆さんでの会食です。

 痴呆で歩くことも十分でない弟も、連れて行く事にしました。弟にとって
此の50回忌の法要が、生まれた家との最後になると思って連れて行きまし
た。

 会食後の懇談に私が準備したのは、田家の家系図でを作る事でした。其
れと新しい田家で父母は、「僅かな田地で6人の子供をどの様に育てきた
か?」。を残された家族の人や、弟妹に是非知らせたいと思ったからでした。

 先ず家系図については、苅田町役場で祖父・祖母に父・母の戸籍などを申
請して用意しました。其れを資料にし現在作れる範囲で家系図を作成しまし
た。残念な事は戸籍法が改正されて、祖父以前の戸籍が破棄されてない事でした。

 もう一つは 現在私が作成中の「自分史の中の一部・私が幼い頃の田家
の様子・・・」母の「家での生活/仕事の様子について」と父の「毎日の生活
や仕事の様子」について纏めたのをプリントしてその席で、参加者に紹介し
ました。
 
 其れが「父母の50回忌の法要の時に出来る」私の役目だと思ったからで
す。ぜひとも今調べて知っている内容は、皆さんに知らせたかったのです。

 其れを父母の墓前に供えて、50回忌の供養の一端にしたいのでした。こ
んな次第です。

 たいした財産もなく平凡な教師で過ごした私に、出来る最大の供養と思っ
て準備致しました。
 
 父は幼少の頃丁稚奉公にいき、其処から中学に行っていました。でも其れに
耐えられずに中退したのです。
 父は其の事を大いに反省し、生涯を生きて来たと思います。悔しくて悔して・
取り返しの出来ない、若い時の行動を悔い、・・、子供にだけはとの思いで父母
ともに生涯を「子供の為に、」生きて来たのだと私は推察しています。
是は私の自分史を纏めていて強く気づいたのです。

  父は其の事が人生の根本にあって、其れで私を育てたとの思いが強くす
るのです。

 内容の一部を要約すると、父は37歳で家を新築したこと.自分の家の
山の木を一本一本切り、家の柱・天井のはり等と考えながら・・・・・

伯父(父の兄で17歳年上)と相談し兄の留守中に6畳の間を8畳にする
などと・・・計画を変えたことなどしたりして。

 其れを製材して建てたこと、私の誕生と合わせて分家して住んだこと等。
其の為に母と協力して寸暇を惜しまずに働いたこと等です。そうして生計
を立てていたのです。
 母は其の父に従って働き、父を助けての毎日であったのでしょう。

 私が幼い頃家の柱に、ひもで繋がれて一人遊びをさせられた事、の意味が
良く解りました。8つ違いの姉が私を学校に連れていったこと、等も良く
解りました。また秋も暮れの頃の事でした。小学生の姉は夕ご飯を炊いて
いました、処がご飯のお釜の割れ目から水が漏れています.姉はどうした
ら良いか解らずに、泣きながらご飯を炊いていました。

 暗くなって遅くに父と母が、お腹をすかせて帰って来ました。姉はひとき
わ大きな声で、泣きました私も泣きました。
 
 父と母は叱る訳にもいかずに、・・・・・そんな笑えない思い出もあり
ました。姉や兄も、父母と一緒に頑張って、田家を守り継いで来たのです。

 お父さんお母さん・そして姉さんにお兄ちゃん・本当にありがとう。
有り難う残された私達は生きている限り、お父さんやお母さんの心を受け継
いで、田家を立派にお守り致します.どうぞご安心下さい。 
   
             ・・・以下省略・・・
                 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

~ 父母の50回忌を迎えて ~

2014年03月02日 11時12分54秒 | 心に栄養を
            3月2日日曜日    

 私の父は私が35歳の時・母は36歳の時になくなりました。今年
は50年めで、今年の3月9日に50回忌の法要を営む事になりました。

 其れで私なりに父母の法要について、考えて準備をしています。

 父母の事について語り合う事は、この機会を置いて他に無いと思い
ます。其処で私の知っている限りの事を、記録に残して仏前に供えた
いと思います。
 其れで調べて行く中に、父の並々ならぬ苦労が解りました。
 
 私が幼い時に悪い事をすると、とても厳しく叱っていました。が中学
高校と進むと、父から叱られた記憶がないのです。父母の事について
纏めていて気付いたのです。どうしてだろうか?と・・・

 農家で猫の子の手も、借りたい。そんな時でも家の手伝いもせずに、
近所の子を集めて野球をしていました。そんな時に母は涙を出して私
に注意しました。でも父は何も言いませんでした。

 こんな事は他にいくらでもあります。農繁休暇で学校が休みの日に
友達と海に行き、地引網で魚を採って夕方家に帰りました。
 帰ってみると親友の岡君がお母さんと一緒に、小倉から手伝いに来て
いました。
 其の時も母は、私を注意しました。でも父は笑いながら、家の子「仕
事で忙しくても手伝いもしないのです。」と・・

 他にもまだ・・・

 その訳も父の生い立ちを調べていく中に、分かりました。其の時に
私の胸は、張り裂けそうに成りました。お父さん御免なさい・お父さん
有り難うと。
 
 父は子供の頃、中学に行く為に、丁稚奉公に行ったのです。朝は速く起
きて部屋や庭の掃除等を済ませて、学校に行っていました。学校から帰っ
てからは、薪割り・お風呂沸かし・お使い等をしてから、自分の時間に
なったのです。自分の遊ぶ暇もなく…耐えかねて中学を退学して家に帰
って来たのです。
  
 其の事について父は、生涯悩み苦しんだ事と思います。37歳で家を建
て6人の、子供を育てるのに・・苦労の連続だったと思います。
 其れなのに我が子には、自分の子供の時の苦労は・・と、子供の遊びた
い気持ちを許したのだと思います。 

 此の事は又、弟妹にも是非知らせたいと思います。又此の機会に他にも
知っていることが有れば知らせ合って、父母の供養にしたいのです。

 もう父母のことについて、皆で話す事もないと思うと、人間の無情を覚え
るのです。私達兄弟がいなくなったときには、父母について全てがなくなる
のです。残るのは甥っ子の家の仏壇の中の位牌と、寺にある過去帳にお墓だ
けです。
 準備が遅れましたし、父母の僅かな一部だけかもしれません。これだけ
でも良い、父母の仏壇に供えて供養にしたいと思います。
 
 今準備している事は、父は3歳で父親を亡くし、6人兄弟のすえっこです。
長男の家で結婚後も3人の子供と37歳まで兄の家に同居していました。

 私の誕生と共に家を建てて、分家しています。其れからは小作人として、農
作業を中心に、多くの困難を乗り越えて6人の子供を育て上げました。

 子供が成長して是から、と言う時に亡くなりました.父の死亡と共に翌年に
は母も亡くなりました。
 
 50回忌に僅かでも良い、父母に、真心の感謝を捧げたいと思います。
お父さんお母さん、本当に有り難うよ・有り難う御座いました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

  
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする