82歳からの旅

私の記録

 ~ 大晦日 ~ 

2012年12月31日 08時34分43秒 | 読書
  12月31日月曜日    
 田舎で育った私は大晦日(年の暮れ)と言えば、子供の頃は一年
の境目であると思っていました。
 どんな境目かと言うと、越えなければならない「多くのものが在っ
て」、それを超えると新しい年になる。
 新しい年の初めのは、新しい履物(下駄)を履いてお宮参りをする。
それからが言うなればハレの日の生活でした。
           ………………省略………………
 それで私の胸の中は、嬉しさで満たされていました。それに反して
周囲の大人はとても忙しそうでした。
 そんな気持ちのするのが、大晦日でした。
 そこで今日は「催事百話」~ムラとイエの年中行事~の中から、大
晦日について改めて調べて見ました。
                   大晦日
 大晦日の夜、神社では年越しのお祓いがある。寺院では除夜の鐘
が百八回鳴らされる。百七回は年内に、最後の一回は新年にと言う
説明もあるが、要するに百八つは人間の煩悩の数だとされている。
 鐘の音が人間のもろもろの悩みを追放してくれると言う仏教の方か
らの説明である。
 この夜、年越しそばを食べる習慣は,縁起かつぎをする江戸商家か
ら始まったといわれる。そばは幸運が永続きするようにとの俗説によ
るが、むしろ以前はハレの御馳走であって、これを祖霊に供えていた
名残になるだろう。

 大晦日の夜の火祭りは神社でしばしば行われる。何れも新しい火と
古い火とが交代する趣旨を込めたものである。

 この日に古い年は追放されるのであり、新年こそは素晴らしい世界
であって欲しい・・・・

 




         
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 ~ 幼馴染みの友の死にあって思った事を ~

2012年12月29日 18時50分33秒 | 生活
    12月30日日曜    
           心の友を失う            
    平成20年12月22日の日記を見て、思った事を其の儘に記す
  
 小学校の友で一年生から一緒に学んだ、幼馴染みの大村信之君がご逝去と
の知らせが田舎に住んでいる妹からありました。50戸ばかりの集落で、た
った一人の同級生の男の友でありました。
 
 小学校の六カ年間と言うものは、何をするにも一緒でした。雨の日も風の日
も学校の行き帰りや、帰ってからの遊びも殆ど何時も一緒でした。
 パッチン遊びやコマ回し、凧揚げにメジロ取り等、夏に成ると水泳に魚取
り・冬になると山に行って、カチ罠をつくりを一緒にしました。
 
 何かを作る時はお互いに教えられたり、教えてあげたりしたものでした。又
近所の生り果物を取った事もありました。考えて見ると私の子供時代と殆どが
一緒であるのです。

 そんな幼馴染みの友でしたが、七〇有余年もの長い間文通もなくたまに、田舎
に帰っ時に会う位でした。
 大村の信ちゃんがいなくなると、心の中に大きな穴が開いた様な気持ちになる
のです。


 人間は皆その様にしてやがては、一人ぽっちになって行くのです。そして年老い
て死んで行く人は、私と同じように思った事と思うのです。

 寂しい心年老いた人の心、そんな心が逆に今生きている人に対する時に優しい
心になって還すのだと思います。縁有ってこの世に生まれてきて、兄弟となり姉妹
となる。
 妻となり友人となる・その人達のお蔭で今私が生きているのです。其の人達に対
して心優しく報いる事が、大事だとつくづく思います。残された人生を悔いのない
様に、生きて行かなければと思う次第であります。
 
         
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 年老いて ~ 生活を四捨五入して生きる事を学びながら ~

2012年12月29日 08時55分52秒 | 生活
12月29日 土曜日   
 
 年末でその上体調もすぐれず、仕事が捗どらない。でも毎日
の生活の中には一定のリズムがあり、これを避けて通る事は出
来ない。 
 其処で体調の悪い事を前向きに受けて、生活して行かなけれ
ばならない。
 体調が悪いからと言っても、最低しなければならない事があ
ります。 
 その中で今自分に出来る事、出来ない事を見分けてして行く
事です。言うなれば生活を,四捨五入してするのです。
  


 今まで私が健康であった為、こんな事にも気づかずにいたの
です。体がだるくて少しの動きで、すぐに疲れるのです。自分
だけに分かることです、家内に心配させない為にもはっきりと
は言えないのです。
 家内に体調が少し悪い事を伝え、正月早々総合病院で診察し
てもらう事にしました。
 
 
 さて年末の整理をしていると、古い記録が出てきました。捨
てるには惜しいので、記録に残す事にしました。

 ~ 昭和58年(1983)9月18日日曜日読売新聞の記事 ~  
        魚のつかみ取りに歓声 
  
 門司区寺内、萩ケ丘小(田武義校長、1300人)のプールで、
17日、水の季節とのお別れの水上カーニバルがあった。PTA
が泳ぎおさめにと毎年開いている。
 同小水泳選手30人が模範水泳を披露した後、高学年は25メ
ートル自由形で、この夏の練習の成果を競い、低学年はボール
送り等を楽しんだ。
 


 フィナーレは、プールに金魚 千匹・ドジョウ1万 5千匹を
放流して行った魚取り。各学年毎に笛を合図にプールに飛び
込み逃げ回る魚を追った。 
 水泳帽で巧みにすくう男子。ヌルヌル滑るドジョウに気味悪
そうな女子、プールの周りは大歓声に包まれ、子供達は行く
夏を惜しんだ。

 
こんな楽しい新聞記事も、ごみの中へと捨て去られるのです。
惜しいのでブログにして残しました。









  
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~ 創作童話をした頃の思い出 ~ 低学年の担任の

2012年12月24日 12時43分56秒 | 教育
、   12月24日月曜日  
 
 楽しく遊びながら学び、学びながら遊ぶ     

 低学年の子供との毎日の勉強は、楽しさ面白さで一杯
です。

 然し時々思わぬ危険も起こります、命を落とすような
危険です。歩いて遠足に行く途中に子供が突然深い溝に
落ち込みました。

 並んで歩いているので子供は安心して、後ろの子供と
話をしていて溝があるのに気付かずに落ちたのです。
 分かり易く言うと、後ろ向きに歩いていたのです。幸
い怪我もなくてすみましたが、大事故に成るかもわかり
ません。
 こんな事もあるので、一瞬の油断も出来ないのです。
でも毎日は愉快であり、楽しさも一杯です。



いきなり黒板に大きく丁寧に,板書して澄ましています。
 Ⅰ+Ⅰ=Ⅰ ?? 児童はインチキ ウソ
 など教室はすぐに騒々しくなります。しばらくして教室
の中を捜してから、粘土を見つけ丸い団子を二つつくり、
おもむろに1つ+1つ=1つ
 どうです先生の答え間違っていますか?・・と・・
是に子供は、エツと「インチキ?」だが 粘土を見て大きい
 答えは大きい大きいとなっても、やはり少し変だなあ
此の変だなあが、やがて分かるようになるんだよ勉強を
しっかりすると、上級生になってからね
               
算数もちゃんとしないと、間違うよお金だって一円もあ
るし10円もある一万円だってあるからね。先生それく
らいしっとるようと・・・・ⅠはⅠでも
  Ⅰ+Ⅰ を馬鹿にしないでね で終わり 要は脱線
しても途中でパット、方向戦時をすることと教材の発展
性についても配慮しておくことなど・・・・

 
 
 ある時間に創作童話を始めました。怖い怖いはなし・
話が進むにつれて怖くて怖くてもう、先生早く助けてー
となる。そう言う仕掛けのおはなしです。聞き手の子供
の方は何とか此の苦境を、と言う時に・・。
・・・そんな時にサッソウト登場してくる「かっこいい
男性」それが何と担任の先生です。だが・・・ちょっと
待ってよ・・・「マンカ本に出て来るポパイだって、あれが
ないと出来ない」でしょう。

 
 かっこいい男先生にもあれがいるんですね、子供達は
困ってしまいます。早く早くと、初めての話の時は教室
の中を探します、「何でもいいんです先生の口に入るも
のなら」それが口に入れば「ポパイの様に馬鹿力が出て
きます。」が二回目からはもう探しません、先生のポケ
ットの中にちゃんと用意しています。
 それも子供達は知っています、が先生は忘れているの
です。

 探す時間が子供達にはもどかしいのです、先生も捜せ
ば1つ位何かポケットに入っているのです。でも大慌て
をして上着を脱いで、ポケットの中を裏返しにしたりし
て捜した事もありまた。

 もうこうなると演劇ですね、こんな様な事をしました
いましたら保護者から、追放されるでしょう。良き時代
に教師をしましたことよ・・。

 
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 ~ バイオリン教室の忘年会で若者から学んだこと ~

2012年12月23日 20時16分43秒 | 心に栄養を
12月23日日曜日  
 22日夜 松本バイオリン教室の忘年会でした、私は夏頃より体調
が勝れない為に暫く休んでいました。
 それなのに80過ぎの此の老いぼれに、案内してくださり「家
内が案内をしてくれたのだから」と進めてくれたので参加する
ことにした。

 会場は小倉北区の魚町銀天街の、一角の魚次郎・鶏次郎と言
う今までの会とは一風変わった会場でした。バイオリンの忘年
会の会場?果と思う男性向きの会場でした。
 今まで女性の幹事がしていましたし、女性会員の参加が多数
でした。処が今回は男性が、幹事でしたので理解出来ました。

 会員は朝日カルチャーセンターの、会員と松本先生の門下生
です。
 参加者は遠くは博多からや山口県の小野田の近く、安川電気
のインドへの派遣社員もいたり、一般家庭の主婦もいると言っ
た構成です。かっては東京からご夫婦で参加された事もありま
した。
 其の訳は指導される松本先生の、人柄が影響しているのです。
そのような会ですので、皆思い思いに自由に話は弾んで盛り上
がりました。
 
 Aさんは右手の親指が演奏中に、麻痺して弾けなくなるのが
悔しいとか。練習に場所を借りてしているとか其の熱心さが
伺えました。
 B氏は小学校の頃聞いた、ダニュウブガワのさざ波は全部暗
譜しているなどさすがは・・・・・・

 外国への派遣社員の話になると、多くの質問が出ていました。
家政婦さんは?とか…住んでいる処からかいしゃまではとか?
お抱え運転手さんはいるのか等々
 その中でインドの社員は知識の面や、日本社員の対応につい
ても色々尋ねていました。
 「貴方は派遣社員と言え貴方を通して、或るときは日本は…
ある時は日本人は・・・・・・、
 貴方はそういう身分ですよ」と私が心配して話すと、良く解
かっています。と答えたので「さすがは素晴らしいオオル日本
の派遣社員です」と賞賛すると拍手・・
 もう一人の韓国専門の詳しい、若い青年の会員もいましたが、
韓国語や韓国語で日本にも通じる言葉なども紹介していて、素
晴らしい忘年会でした。

 私は教養の深い若い青年たちに囲まれて、明るい日本の将来
を垣間見た思いで胸が熱くなりました。
 最後にインドの派遣社員の会員が、帰りのシンガポール航空
から貰った品物を、会員に自由に配ってくれていました。


 松本先生こんな素晴らしい、門下生に囲まれて本当に良かっ
たね。来る年は先生にとっても、バイオリンの門下生にとって
もきっと素晴らしい良い年になりますね。


 二時間余りの忘年会に参加して、会費の何倍も恩恵を受けて
本当に良い忘年会でした。














   
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