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くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

エピソードⅡ

2005年11月26日 | くない卿見聞記
不夜城内にある“我が店”のオーナー,紋次郎。殿御推奨であるこの店の噂(話)を前々から伺っていて、いつかは行ってみたい・・・と思っていたら、望外にも殿より「新メニュー追加の為に、是非に食すべし」とのお誘いを受け、土曜なのに仕事を(無理やり)終えて、自宅とは反対方向である西,初めて東上線で朝霞台より先の志木へと向いました。
ここでオーナーと、(この日)共に“試食”に来てくれたマコ殿と落合い、思いっきり塩分と満腹感を抜くべく、(これも)オーナー推薦のスーパー銭湯「おふろの王様」へ行きました。

ちなみに...
職場を出て、ダッシュダッシュで東武東上池袋駅へ向ったのですが、その到着直前,メトロポリタン前の噴水広場にて、スターウォーズエピソードⅢDVD発売記念イベントをやっていたので、(時間が無いにも関らず)ちと見入ってしまいました(^^ゞ
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上野発(/--)<出発進行

2005年11月23日 | くない卿見聞記
この日、飯綱殿所用にて上京されるとのことで、紋次郎。殿禅想殿と昨日に引き続き柿崎殿と上野で落合い、飲むこととなりました。

待合せは15時,上野丸井の前だったのですが、ここへ来るのは久しぶりだったので、早めに着いてちとぶらぶらとしていました。
…のでちと遅れてしまいました。いや、だってアメ横がすんごく混んでいて、入ったら最後,にっちもさっちも行かなくなっちゃって、脱出するの大変でした(--ゞ
禅想殿と柿崎殿が遅れるとのことだったので、先んじて集まった3人で一杯引っ掛けるべく、アメ横と線路を挟んで反対側にある上野駅前通に在った【日本酒Bar 夜行列車】という店に入りました。
長細いカウンター席しかない、いかにも“場末”なその店は、老夫婦と20代くらいのイケメン兄ちゃん切り盛りしているらしい、なんとも不可思議なとこ。
ちなみに、イケメン兄ちゃんが板さんでした。
けど、お通しに馬刺し(熊本産),銀杏に“自慢”の豆腐などを食しましたが、そのどれも中々美味かったです。
また、とりあえずビール(など)を飲んだ後に、“日本酒Bar”という看板を出すくらいで、壁には多くの銘柄が貼りだされていましたが、その中で目に止まったのが“玉紋”なるポン酒。
早速、殿と2人で注文し飲んでみましたが、これもまた、辛口で後味すっきりで、中々美味かったです。
ここで2時間ほどゆっくりとした後、途中、紋次郎。殿の迷案内の末辿り着いた禅想殿がお手配された店,上野仲町通りの【半兵衛】へと移動しました。

店のコンセプトは“昭和30年代”のようで、入口には古めかしい配達用チャリが置いてあり、店内にも日活映画のポスターのようなものからブリキ看板,更にも植木等のスーダラ節やら軍艦マーチなどが流れる一種異様な感じ。
おまけにトイレが懐かしい、タイル張り。
しかも、種々の値段が半端でなく安く、だからといって悪しきモノではなく、ネタもデカくて美味いんです。
けど、こんなところを世間が放って置く訳が無く、入店したの入りは疎らだったので長居できる・・・と思っていたのですが、時が経つほどに店内に活気と賑わいが出てきて、気付けば店員を呼ぶにも一苦労するほどの盛況ぶり。なもんで、入店時の店員の予告通り、2時間経った19時半頃に店を追い出されてしまいました。

男5人で店を、しかも19時半ごろ出たものだから、客引きの格好の餌食となって、これらをなんとか払いのけながら(でも、微妙に後ろ髪惹かれつつ)、見つけて入った3軒目は【上野市場】という店。(飯綱殿は途中退席・・・)
升毅のような店員の案内されたテーブル席で、足掛け3時間半、私は後半殆どウーロン茶ばかりでしたが、あんなことやこんなことを、男4人だけで語りつくしてきました。

店が23時で閉店間際,みなさんの帰宅時間が危うくなったので解散と相成り、それぞれ家路へと着きました。
なお、私は車で来られた柿崎殿と帰る事となったのですが、このまま運転すると逮捕されるので、後輩さんの代行運転で、京成八幡駅までお送りいただきました。
ただ途中、蔵前橋通などは走っている車など数えられる程度なのに、事ある毎に信号に止められ、終電に間に合うか、正直ヤキモキしていました(^^ゞ
これは運が悪いのか、それとも都内の交通行政がなっていないのか・・・ちと、考えさせられる帰り道でした。
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北へ100キロ

2005年11月19日 | くない卿見聞記
栃木県佐野市
県南部,群馬県埼玉県と接するこの地は、かつて秀郷流藤原姓佐野氏が名字の地とした地であり、その居城である唐沢山城は上杉謙信公をも苦しめた天険の要害だったそうです。
その唐沢山から東南に数キロ,東北自動車道佐野藤岡I.C.近くに2年前,忽然と誕生したのが「佐野プレミアム・アウトレット」です。
かつて話題を呼んだ御殿場のアウトレットと同じ系列のここに、初めて行ってきました。・・・といっても、単なる物見遊山で。・・・というのも、ここから更に東,小山方面へ向った地に親戚宅(母の実家)があり、そこへ栃木米を買い取りに来た序でに行ってみただけなのです。

小さい頃からこの地を見知っているのですが、東北道のI.C.が近いということもあって、“佐野新都市”構想の下、宅地造成化された・・・まではよかったのですが、そこにあるのはその看板だけで、長らく塩漬け地が広大に虚しくあったのですが・・・いまや都内から定期バスなどが出る、一大“商業地”と化していました。
親戚宅から車で15分ほど,15時頃着いたのですが、数ある駐車場は満車状態で、誘導員の指示に従って入った立体駐車場内でも、一台分見つけるのに苦労しました(--ゞ

屋外型なのでジャンパーを着込み、寒風吹きすさぶ中巡ったそこには、満車状態を実感するほど多くの人で賑ってました。
100軒ほどあるテナント全てに入って見た訳ではなく、また一切(何も)買ってはいませんが、結構品揃えはあって安かったです。
また、来春オープンに向けて北側に“増床中”でした。
更地の頃を知るものとしては、なんだか不思議な感じがしました。。。

なお、国道50号線バイパス)を挟んで北側にはジャスコの巨艦店もあるのですが、元々佐野市街地にもジャスコ(イオン)がありました。けど、この誕生で閉店した後、この周辺はとても寂しい感じでした。。。
郊外店(巨艦店)誕生で空洞化する市街地・・・という光景を今、この佐野で目の当たりに出来ます。
ただ唯一、正月だけは春日岡の厄除け大師に参詣人が多く集まって、大変賑々しいです。

あっ、あとラーメンか・・・

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藤沢周平の世界展

2005年10月29日 | くない卿見聞記
『漆の実のみのる国』
これは、私の生き方,考え方を変えた!と言っても過言では無い一冊で、名君との誉れ高い羽州米沢城主上杉弾正大弼治憲公(号,鷹山)と、それを支えた家臣,竹俣美作当綱・莅戸九郎兵衛善政らの治績を著した歴史小説です。
これは今から10年ほど前(私が大学2年次),当時のベストセラーとなり、大変な話題を呼んだのですが、これが著者・藤沢周平先生にとって、遺作となってしまったのです。
それからはや、9年の月日が流れた今、世田谷区芦花公園に在る「世田谷文学館」に於いて、“藤沢周平の世界”という特別展が開かれていると聞き、取るものも取敢えず、22日(土)に行ってきました。

ひの新選組祭以外は乗る機会のが無い京王線なので、[各停しか停まらない芦花公園への乗継を見誤り、一つ手前の八幡山にて思わぬ待ち惚けを食らってしまい、新宿からは20分ほど,13時頃に最寄駅に到着しました。

駅改札を出て右,南側に出て、南北に延びる千歳通りを線路を背にして歩くこと5分(500m)ほど,左手にあったスーパーと高塀に囲まれて木々の生い茂った和風豪邸の間を入る道に、矢印付案内板見付け、それに従って・・・ぐるーっと周って、漸く入口に辿り着きました(^^ゞ
この案内板は、館裏手の駐車場入口へ誘導するものだった・・・のかもしれませんね。

持ってきた傘を出入口にあった傘立に収め、正面の受付にて入館料(600円,特・常共通券)を支払い、その案内に従って、階段にて2階の特別展会場へと向いました。

特別展受付でこのチケットを切離し、中へ入ると、そこには大勢の人。(その大半が中年以上の男女。私くらいの人には・・・出会いませんでした(^^ゞ)
まず入って左手には、20年位前か,貴重なインタビュービデオが放映されており、やや高音で掠れた感じあるお声からは、著者から受ける物静かで端正な感じ,“藤沢観”が伝わってきました。インタビュアーからのお土産である駄菓子に、懐かしさと喜びを表しておられたのがなお、印象的でした。
その向,右側には略年譜とそれに纏わるパネルが展示されていて、その生涯を詳しく知りました。
それが、数々の作中に活きていることも。

藤沢周平先生,本名・小菅留治氏は昭和3年に今の山形県鶴岡市にて生まれる。
小・中・師範学校(現大学)へと進学。卒業後は郷里の中学校教諭となるも、その3年後に肺結核を患い休職。翌年にはその治療(手術)の為に上京(今の東村山市)し、ここで6年にも渡る闘病生活を送るのです。
但しこの間、俳誌「海坂」に寄稿したり、海外の、特に推理小説などを読み耽ったりしたそうで、これが後の作家としての素地を養ったとのこと。
退院後は暫く浪人をしていたが、昭和35年,退院から3年後に日本食品加工新聞の記者として入社する。しかしその片手間、作家活動も盛んに行っており、直木賞,吉川栄治賞,山本周五郎賞菊池寛賞・・・など、数多くで受賞を受け、平成7年には紫綬褒章を賜る。
しかしその間、結婚生活僅か4年目,長女誕生直後に妻・悦子氏が死去。その6年後、再婚をする。
昭和49年には、作家業に専念する覚悟を持って勤めていた新聞社を辞め、以後、多くの人を魅了する作品を数多く世に出していく。
司馬遼太郎池波正太郎等と並び称される時代小説家であったが、この2人と違うのは、あくまでも私見ですがとても閑静で、すーっと読め、入れ込める作風なのです。
例えて言うならば・・・慈照寺(銀閣)のような、渋さ,端正さ,暖かさがあるのです。
更には、心ならずも離京した、その無念さ,望郷の念が、強く著者の中に吹き込まれていると思います。その好例は、東北の小藩“海坂”であり、そのモデルは庄内鶴岡城主酒井家なのです。

人を掻き分けて見た略年譜の次には、氏が唯一没頭した囲碁の光景、作家人生の軌跡,映画となった『蝉しぐれ』の紹介などが、パネルや直筆の原稿などと共に展示されていました。
それらを生んだところ、それがこれらに続いて展示されていました。
それは、氏の書斎(再現)です。
和室のほぼ中央に机が、外に向けて据えられており、テレビ,電話,書棚などが配され、実際その場に居る氏の往時の大きな写真と共に展示されていました。
ここから、人々を魅了する多くの作品が発せられたかと思うと、なにやら変ですが感慨深いもの感じました。
合わせてここには、“藤沢周平”の由来についても解説が在りました。
“藤沢”は郷里にある地名,“周”は親戚の名,“平”は何と無く・・・だそうです。


この奥に入ったところには、作中に登場し、氏も愛した庄内の料理がパネルにて紹介されていました。池波氏もそうでしたが、小説などに“食”は欠かせないようですね。
これに続いてあるのは、用心棒シリーズ等に登場する御府内の地の紹介で、床一面に古地図が敷かれており、壁のパネルと古地図の注釈などとリンクしながら、関心気に見てきました。
次に、氏の作品の朗読,および氏のインタビューを収録したCDを聞くブースがあり、その先には、大きくて精巧な“江戸下町長屋”のジオラマが中央に据えられたエリアがありました。
その最初に展示されていたのは、作中の登場人物の名の由来で、これには大変拘ったそうで、原稿用紙に一杯,何蔵・何兵衛などと羅列されていました。
その典拠となったのは、郷里・庄内酒井家の家臣名簿である分限帳や電話帳などだったそうで、(電話帳を)広げて捜す役目は奥様がされていたそうです。
続いて、同じエリア内には歴史小説に纏わる展示があり、その一角に、遺作である『漆の実る国』に関する展示がありました。
歴史小説は、時代―と違って(基本的に)史実に即したものでなければならず、その完成までには数多の史料と調査を重ねていたようで、郷里の高名な詩人の伝記を仕上げるには年譜を作成し、『漆の実―』を執筆するに当たっても、数多の史料を集め、何度と無く米沢に入り、直に調査などをされて仕上げたそうです。
しかし、氏は道半ばにして病魔に冒され、遂にはそれが本復しないうちに逝去されてしまったのです。
享年69歳でした。
そういう状況だったので、未完成のままで・・・と思われたのですが、自宅書斎から最後の原稿6枚が発見され、無事『漆の実―』は完結したのです。其の原稿が今回、ここに展示されていたのです!私はそのことを全く知らなかったので、これを食い入るように見ていました。
通常、氏の原稿には訂正加筆は少ないそうですが、病魔に冒されて、更に季節が夏だったということもあり、体力が特に落ち込んだ中で記されたこれには、正文が読み取れないほどに多くの訂正加筆が為されていました。
また、全盛期の原稿と見比べても、字に強さが無く、その時の体力を窺い知ることが出来、非常に感動的だった半面、なんだか胸詰まる思いでした。。。

特別展でのみどころはまだまだあり、数々の時代小説の基となった郷里・鶴岡城の絵図や、この特別展の監修をもした井上ひさし氏が作った海坂城絵図、生涯にわたって没頭したミステリー小説のコレクションなどなど・・・さほど広くない場内を隈無く、1時間半ほど掛けて見て回りました。

未だ読んだことの無い作品は多いので、読書の秋,手にとって読み耽っていたいです・・・。


特別展でお腹一杯!なったので、常設展は見ずにここを出て、再び芦花公園から電車に乗って一路新宿へと向いました。
その目的は、【麺屋武蔵】にてラーメンを食すこと!でしたが、、、この続きは、別項を以って記します。


追伸:実はご禁制だった品々(展内画像)を仕舞い込んで在ります。ご興味あるお方、ささっ、どうぞ。但し、内密に・・・
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31年ぶり快挙へのホップ!((番外編))

2005年10月11日 | くない卿見聞記
西武相手に2連勝をし、プレーオフ・セカンドステージへ進出を決めた、殊勲のマリーンズナインが引き上げてから球場を後にするも、出口付近は大混雑。
迂回しようにも、そこは西武ナインが引き上げる最中で行けず、致し方なく、渋滞の渦中で、その流れに従うしかなく・・・哲坊殿との待合せ場所,バレンタイン神社に辿り着いたのは、それから20分くらいでした。
ここを含め、2,000人もの人が観たというオーロラビジョンの前には、この後マリーンズの選手がやってくるとかで、多くの人でごった返し、大盛り上がりでした。(けど、このお蔭で出るのに時間が・・・これが無ければ・・・。)
その中には、この日のスタジアムDJを勤めたbayfm78のDJ,KOUSAKUもいました!知ってる人は知ってる有名人です。


この後、禅想殿より(突然の)「飲み」のお誘いを頂き、津田沼へ向かう・・・前に、実はこの日の朝,雨が降っていたので、家から駅まで車を運転して来ていたので、一旦これを家に戻すべく、帰路に着いたのですが、行きと同じでは時間が掛かりすぎるので、南船橋で下車し(哲坊殿とはここで一旦分れ)て、ここから北へ1.5キロほど,京成線船橋競馬場駅から電車に乗って行きました。

駅前のスーパーの駐車場に停めておいた車を家に戻し、今度はチャリで駅まで向かい、JR津田沼駅傍の飲み屋に着いたのは、19時半過ぎでした。
ここで1時間ほど、その後直ぐ裏手の【和民】に移動して1時間ほど、哲坊殿帰宅可能時間ギリギリまで、スタジアムの勢いそのまま持ち込み、大盛り上がりに酒盛りをしていました。
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31年ぶり快挙へのホップ!

2005年10月10日 | くない卿見聞記
プロ野球改革の一手として、パ・リーグにて導入されたプレーオフ。
その初年である昨年は、リーグトップのホークスが、ここでライオンズに負けて優勝をを逃がす“悲劇”がありました。
そして2年目の今年。
ここへ駒を進めることが出来たのは、ホークス・ライオンズに加えて、昨年は“あと一歩”で4位となり、涙を呑んだ千葉ロッテマリーンズ,今年は堂々とリーグ2位で駒を進めました。
そのファーストステージ,マリーンズvsライオンズの第1戦がマリンスタジアムにて行われ、マリーンズが僅差で勝利し、セカンドステージ進出へ“王手”としました。
その祝メールを(ラーメン待の列の最中に)送信し、店内に通されてラーメンが出されるのを待っていると、哲坊殿からケータイに入電が!
メールを送信した直後の予想外の入電に驚きつつも、それに出ると・・・
「今日のマリンスタジアムのチケットが1枚余っているけど、どう?!」とお誘いだったので、二つ返事で行くこととし、最寄駅(待合せ場所)の京葉線海浜幕張駅へと向いました。
ただ、この日はラーメン食べて直ぐ帰るつもりだったので、雨降り残る曇天の中、半袖手ぶらの軽装備。寒さとその後の体調不良を気にしながらでした・・・。

西船橋から南船橋まで出、ここから京葉快速に乗換えて向ったのですが、その車中は結構混雑しており、海浜幕張駅では多くの人が降り、マリンスタジアムへと向ってました。
その距離はおよそ2キロ弱,体を温める意味もあって歩いて向いました。

今シーズン中2回,マリンスタジアムへ観戦に来たのですが、その何れもが3塁側からの入場だったので、正面に辿り着いたのは正直始めてのこと。
そこには、勝利の“男”神を祀る“バレンタイン神社”が鎮座し、向(道路)側には多くの出店が軒を連ねており、そこはさながらお祭騒ぎ。

ここで哲坊殿が缶ビールを下さり、それを飲みながら、入場できなかった人用の大型スクリーンで放映されていたマリーンズの“軌跡”などを見て、楽しんでいました。

出店名物のソーセージタコス(¥350-)。実に美味かったですが、ビールを飲み干した後だったので・・・

試合開始1時間前。
刺激的なM☆Splashを熱心に撮影し、サインまで求めまわる男に苦笑しながら見ていると、正面玄関に西武ナインが到着・・・でも、和田やフェルナンデスなど一部だけ。
この日の午前中は天気がよくなかったゆえ、恐らくは室内練習場などで汗を流して来たんでしょう・・・けど、斯くも間近で選手(の球場入り)を見るのは初めてだったので、ちと感動しました。

この日のチケットを、私は哲坊殿からいただきましたが、哲坊殿は別に友達の友達さんから頂くことになっており、その方と13時に待ち合わせをされていたのですが、それを暫く経っても音沙汰無く心配していると・・・漸くその方から「Dゲート前にて待つ」との連絡が入ったので、ここで分かれて私はAゲートへ向いました。
ここより入って階段を上り、(実質的には2階なのですが)1塁側1階,外野席との境界線近くに私の席はありました。
周りも勿論マリーンズファンだらけ。
見晴らしも十分なここは、外野にも近くて(けど行けないです)熱気は十分。
外野の“指揮官”の下、整然と大歓声で応援するファンに連動して内野の、私の周りの人々も整然と大歓声で応援しだすので、私もそれに引き込まれて、何時しかつられて熱狂的な応援に興じていました!

けど、ちょっと難しくて見よう見まねでした(^^ゞちなみに、対するライオンズファンは球場の2割弱と寂しく小勢。
しかも、前日にはマリーンズファンと外野の席を巡って激しい攻防を繰り広げ、機動隊が出動するまでになったそうで、その影響で、今日はその境界線にバリケードが敷かれていました。なんだかなぁ・・・。



試合は1回,前日とは逆に(いきなり)マリーンズが先制するも、小林(宏)西口の息詰まる投手戦となりましたが、それも6回裏に均衡が破れ、マリーンズが立て続けに追加点を入れ、俄然優位に。
その時の盛り上がりようはもう、誰彼構わず握手したり抱き合ったりで凄かったです!!
特に、斜め前に座っていた男女4人組は熱狂的で、入口で貰った厚紙のボードに“サブロー命”や“初芝中毒”と書き込んで、オーロラビジョンに映るよう“主張”したりして(結果的には映らず・・・)。

その後、西武の中村“おかわり君”が一矢報いる一発を、小勢な西武ファンが入るレフトスタンドへ放ちましたが、あとはマリーンズが藤田小林(雅)と繋いで、見事!セカンドステージ進出を決めました!!
その瞬間、大量の紙吹雪が舞ってそれを祝していました!!!!!!!
私も、もう大興奮,今から20年近く前、ライオンズ球場で見た西武日本一,あの清原がファーストベース上で泣き、辻に慰められたあの瞬間以来の感動でした。
正直、自分が応援するチームが勝つのを久しぶりに直に観たので。
ライオンズファンも祝ってましたよ、マリーンズを。



い~い試合を観戦できて、まずは哲坊殿の大感謝m(_ _)mにございます。
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一課管理官 室井警視正に敬礼(/--)

2005年08月31日 | くない卿見聞記
これは前日の話なのですが...
この間の土曜日に公開された「容疑者 室井慎次」を観に、仕事帰りに途中下車して映画館へ行って来ました。

この大元となっているのは、皆さんご存知「踊る大捜査線」で、連ドラ放映からもう、8年近くの年月経ってますが、(世間と同じく)今だ熱冷めやらず、たまに・・ですが、余さず録画した連ドラおよび番外編含めたスペシャル版、そして、映画も観ます。
映画については、映画館に足を運んで観るということを滅多にしないもので、今年になって、スターウォーズⅢ,亡国のイージスと、珍しく観ていますが、その前に観たのがOD2,その前に観たのもOD1、しかも、就活中の合同セミナーの帰りに友達と観に行きました。
しかも「踊る―」には、大学時代にエキストラのバイトをしていた友達がしっかりと映っており、私にも、実は今回観に行った「室井慎次」のエキストラ要請があったのです、“ネットワーク捜査員”というなの「踊る―」ファンククラブの一員なので。
そんなこんなで、メルマガでも頻繁にプッシュされ、CMとかでも効果的に宣伝されたこの映画、観に行かないわけには行かなかったのです。

公開開始から間もない、ということもあってか、広めのスタジオが当てられ、そこには上映開始時点で4割程度の客入りでした。
なもんで、のびのびと観賞できました。

それでは早速、その感想なのですが...
総体的に、内容,構成が浅い!薄い!甘い!もんで、はっきり言って!期待度が高かったので、さほど面白くなかったです。
例えば、警察庁と警視庁との対立とか...。
も少し深く、濃くやって欲しかったです。
けど、そんな中で奮闘したのは、、、
まずは、室井警視正を追い詰める弁護士・灰島秀樹役の八島智人の怪演。
観ていて、ホントに腹立たしくなり、コテンパにやっつけたくなり、最後、その気勢が折れたときの爽快感・・・思わず拍手を送りたくなる演技でした。
また、反対に室井警視正を弁護する小原久美子役の田中麗奈が、活力ある走りを幾度と無く見たときには、こちらもなんだか力強さ貰った感じで、期待と爽快感のある演技で、気持ちよかったです。
もちろん、主役たる室井警視正の“静”の演技も魅力的でした。
他にも、哀川翔,小木茂光を交えた一世風靡衆の競演とその演技、大和田伸也と津嘉山正種の重厚ある官僚トップ役の演技、、、などなど、ここの俳優陣の演技には、俊逸なものありました。
また、「踊る―」シリーズを全て見知っている人ならば、「あっ、あの人は・・・」といったものもあり、そこでは軽く楽しめました。

けど、、、スリーアミーゴーズの出演などには、面白かったのですが、ちと無理がありました。。。

映画の結末は、なんとか室井警視正も落ち着くべきところに収まり、踊る全体の続編を期待できるところもありましたが、なんとなく、物足りなさが強い映画でした。
けど、CMってホント良く出来てたな~ぁって、思わず感心してしまいました。

それと、、、館内はほどほどの入りだったのに、空調が良く効いていて、その冷えからか、後半は殆ど意識が膀胱へ行っていました(--ゞ
映画終了後、一目散にトイレへ駆け込みましたが、あれはもう、至極幸せな一時でした。

あとは、、、見逃した同じくスピンオフの「交渉人 真下正義」のレンタル開始を待つばかり。。。
なんせ、驚きの事実がこの映画の中で登場したので、その確認をしなければ...。

あっ、そういえば映画の結末を迎えた日=私の誕生日でした。(一応ご報告。)
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上野でオチます

2005年08月22日 | くない卿見聞記
日本の伝統芸能の一つ,落語。
江戸時代前期から起こった落語は、町民文化の成熟と比例する形で発展し、19世紀前期,文化・文政から天保年間に掛けて、落語を含めた演芸場,寄席が爆発的林立して一気に市民権を得、都市生活では欠く事の出来ない“楽しみ”となったのです。しかし天保後期、水野越前守忠邦が幕政を主導してその改革に着手すると、寄席を風紀紊乱の一因と見なしてこれの破却にかかるのですが、時の町奉行で“桜吹雪の金さん”で有名な遠山左衛門尉景元はこれを頑強に反対するも、結果的には御禁制となってその多くが閉鎖に追い込まれる。
しかしそれもホンの一時のこと、水野が幕政から去ると再び、宛ら雨後の筍の如く増加して庶民の“楽しみ”として確固たるものとなったのです。

それから150年程が経過した現在、、、
都内でこれを楽しめるところ(寄席)は新宿浅草など何箇所だけ、、、これから1月ほど前の海の日、その一つ,上野の鈴本演芸場へ行ってきました。
・・・が、最初は土曜日からこの日までの3日間,銀座で行われている「大落語祭」を観に行くつもりで朝、東銀座に降り立って向ったのですが、いずれの場所も閑散とし、シャッターまで下りてる始末。見れば開始は13時過ぎからだったので、一緒に行った高校以来の友達3人と相談の結果、上野の鈴本演芸場へ行くことになったのです。
ただ、ここの開場は12時頃からだったので、それまでの2時間ほど、近くのマックで時間を潰していました。

11時過ぎにマックを出、蒸暑の中を時間調整で上野アメ横界隈を散策後に向うと、チケットは既に開始されており、はや行列が出来ていたのでその最後列に並んでチケット(¥2,800)を買い求め、係員の案内に従って、3階までの直通エスカレーターにて上り、劇場内へ入りました。

入場は12時頃で、この時点で既に6,7割の座席が埋まっていました。
私(達4人)は入って奥,場内左端の席に着席して演目開始を待っていると、予定より15分も早く照明が落ちて緞帳が上がる、1人の紫紺の着物をまとった噺家さん現れました。
演目にも名が無いこの人は、前座さんでした。
演目第1番の人が立つまでの15分間、その目一杯話して高座を去り、<この後この人は、“裏方”としての任務をこなしていました。

さて、正真正銘の壱番手は、三遊亭金兵衛
知り合いの人にどこと無く似ていて、人力車にまつわる噺を、とてもエネルギッシュに話していました。
弐番手は、三遊亭金八
最初の金兵衛とは違って、落ち着いた感じで噺をしました。
参番目は、曲芸師の扇家小花・和助という男女の2人組。
海老一染之介,染太郎ばりの、傘の上でボールや枡を回したりする曲芸を披露していたのですが、時折それをしくじるんです。
それが本当なのかウケ狙いなのか...定かではありませんが、、、まぁまぁでした。
四番手は笑組。ガリガリ男(ボケ)と小太り男(ツッコミ)のお笑いコンビ。
ネタは心霊番組に関するもので、小太りが一生懸命に心霊番組を肯定し、ガリガリが否定するというものだったのですが、最後のオチは...というものでした。
えっ?!オチが知りたい??なら、鈴本演芸場へ行って下さい。

こうしている間にも、人は続々と入ってきて、気付けば立ち見が出るほどの大盛況。
三遊亭歌司師匠は、「今は落語ブームで、この笑いが健康の素」などと噺ていましたが、なるほど...と思いました。
ちなみに、ここでは春風亭一朝師匠が高座に上がるはずだったのですが、体調不良で急遽、代理で上がったそうですが、落語家自身は人の芸(噺)にケチとかつけたくなるので、一番不健康・・・だそうです。
その前に出てきた、柳家喜多八師匠を観れば納得・・・します。
何せ、袖から高座に上がるまでのその歩きの気力に気力が無いこと、、、それが、座布団に着けば変わるのかな...と思いきや、全く変化なし。気力の無いまま、日常を題材にした噺をしましたが、なんだかそれが妙に面白かったです。

林家正雀師匠は、酒を巡る父子間の噺だったのですが、それを噺す中での、酒に関する表現(仕草)で、ぐびぐびと飲む仕草,つまみを食す仕草,だんだんと酔っていく仕草,そのいずれも感嘆するほどに素晴らしく巧く、「本当に(旨そうに)飲んで食って酔っ払っている」と思えるほど俊逸で、“さすがは落語家”という芸でした。

15時頃に中入り(休憩)があっての後、後半は4人が高座に上がりました。
その2番手には、古今亭志ん輔師匠が登場。
懐かしかったです、この人。かつてはNHKの子供番組「おかあさんといっしょ」に出演していて、確か人形と共演していたと思いますが、よく観ていました、小さい頃。
本業は落語家だったんですよね。その噺の内容も、結構面白かったですよ。
そして最後,おおとりは三遊亭小金馬師匠が40分ほど。
さすがはおおとり、名人芸を拝見できました。

落語が終わったのは、16時半頃。
その後、アメ横のとんかつ屋たいまるにて少し早めの晩飯を食して解散しました。

初めての落語で、面白さも半信半疑でしたが、いざ聞いてみると、中々に面白く、またテレビでしか観た事の無いモノばかりだったので、新鮮で感動しました。
ネタの中心は明治・大正で、主人公は基本的にバカでした。
また今度、機会があれば観に行ってみたいですね。

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沈没60年後のスポットライト

2005年08月05日 | くない卿見聞記
   
今年は言わずもがな、かの忌わしき大日本帝国と第2次世界大戦終結から60年。
そのタイミングに合わせてか、「ローレライ」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」や「ヒトラー~最後の12日~」など、戦争関連の映画が次々と公開上映されています。
そんな中、今冬に公開上映される(予定)のが「男たちの大和
その名の通り、当時の最高技術を結集して建造された巨大不沈戦艦「大和」を題材としたもので、その公開に先立って特別展が池袋東武10階催事場にて行われていることを知り、仕事帰りに行って来ました。
何度も行った事のあるところ・・・とはいえ、日本最大級のデパートなもんで階層が入り組んでおり、会場まで行くのに少々悪戦苦闘したのですが、、、会場までアクセスするエスカレーターに乗ると、その会場階脇に人だかりがあり、その中央には、ドデカイ!戦艦大和の1/35模型が展示されていました。
その出来栄えはもう大変精巧で圧巻!
それもそのはず。
実はこれ、上記映画の撮影用として“建造”されたもので、その模様(映画のメーキングビデオ)が直ぐ脇の液晶テレビで流されていました。
なおこの“大和”のお値段は5000万円!するそうですが、これだけ精巧なものであれば、ナットク価格・・・ですね。
ちなみに、これと平行してお手頃サイズの“大和”もショーケースに入って展示されていましたが、こちらはサイズ通りのお手頃価格,1万円ほどでした。けど、安いか高いかの判断は、皆さんの価値観によって違ってくると思いますが、これも中々精巧に“建造”されており、その点からは適正価格・・・かなって思いました。

ここには「大和」以外にも、撮影で使用した制服,望遠鏡,腕時計や水筒,マッチ,キャラメルから出演者のインタビュー,撮影時のパネルから、大和関連のグッズ(プラモ,書籍)などもありましたが、更にその奥に目を転じると、数多くの戦艦,戦闘機の模型が展示されていました・・・が、それというのもこの展示会、実は田宮模型主催の展示会で、かの巨艦大和も映画用に田宮模型が建造したものだったのです。
展示されている軍艦,戦闘機,戦車など、その精巧さはさすが天下の田宮模型!圧巻です。
また更に、田宮模型と言えば“ミニ四駆”!
小6の時に爆発的人気を博して漫画とかアニメになってましたけど、私も何台か持っていましたけど(もうどっかいきました)、もちろんそれも展示,試走,販売されていました。
つい2,3年前にもブームがあったと記憶していますが、なんだか懐かしかったです...。

ちなみに余談ながら...
この同一ホールでは、田宮模型以外にもう一つ、大和展の隣では化石市が開かれていました。
これはこれでまた、(対照的に静かで)面白かったですよ。
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懐かしき雰囲気

2005年06月16日 | くない卿見聞記
この日、出張で中央大学多摩キャンパスへ行ってきました。
自宅から直行を許されたので、いつもよりゆったりと家を出て、交通費をガッポリ頂くべくいつもの通勤ルートである飯田橋で中央緩行線に乗換えて新宿へ出、そこから京王線にて一旦高幡不動まで出ました。
ここから中大までは、モノレールを利用すると簡単なのですが、私は動物園線にて一駅(終点),多摩動物公園駅まで出て、ここから歩くことを選択しました。
単線だが、複線の余地の残る路線を走ること4分ほど、到着は11時ごろでした。
自宅から2時間半・・・ちょっとした旅行ですね。。。
この路線を利用する学生は結構多く見られ、其の人たちと共に、強く降る雨の中、舗装されている山道を登り、最後の隧道を抜けて辿り着くまでに10分ほど掛かりました(^^ゞ

着いた場所と待ち合わせ場所,モノレール駅(中央大学・明星大学)とは東西端。
ちと迷ってしまいましたが、やっとこ見つけて向かっている途中、大学時代に昭和外交史などを教わった先生とすれ違いました。
我が母校を離れてここへ着ている事は、風の噂にて聞いていましたが、、、
先生は恐らく私の顔など知らないと思いますので、お声掛けなどはしませんでしたが、偶然とは恐ろしい・・・。

職場の人2人と合流し、任務を遂行すべくキャンパス内を徘徊。
さすがは6大,総合大学だけあって、規模がデカイ。
しかも、東京郊外にあるので、キャンパス内で全て生活が完結できるよう、スーパー(生協)あり、美容室あり、、、食事も、4階建ての専用棟にマックから和,洋,中,なんでも味わえるようになっています。

ただ、、、
キャンパス全体は山野に囲まれていて、大変に環境の良いところでなのですが、建物は無機質なコンクリート打ちっ放し,外壁は薄いグレーで、なんだか寂しい感じ。
話によると計画当時は、安保闘争の流れでの学生紛争華やかなりし頃だったので、“保安上”都合が良いようになっているらしいです。
しかし、、、山手外とは言え、世田谷の一等地にあって狭い我が母校に比べれば、雲泥の差。
メーンストーリーなどは、“ターミナル駅”の様な雰囲気。
今度、もし学ぶ機会を与えられるならば、中大もその候補に入れて置きます・・・の前に、そこまでの学力、身に付けて置かねば。。。
帰り際、向かい明星大学へもちこっと寄りましたが、学生の雰囲気は全く違って、なんとなく専門学校にでも来ている雰囲気でした。

帰り、職場まではモノレールで多摩センターまで出、京王にて向かいましたが、(久しぶりとは言え)京王稲田堤辺りまで南側には山と崖がそこから先の視界を遮り、「ここは東京だよな・・・」と一瞬錯覚さえしてしまう風景でした。
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YUKI オブ  “joy”トイ

2005年05月20日 | くない卿見聞記
ヤフオクYUKI武道館ライブ“joy”のアリーナ席チケットを2枚,時価の1.4倍で落札した友達から誘いを受けて、この日行ってきました、武道館に。

友達とは18時半に武道館前に待合せていたので、それに間に合う様に最寄駅,九段下で降りて向おうとすると、その歩道は同じく武道館へ行く人達でごった返していました。
そこに露店まで出て更に窮屈になった歩道とダフ屋の間をすり抜けて、漸く辿り着いた感の北の丸公園入口(田安門)には、グッズを買い求める人のものすごくなが~~~~~い列が出来ていました。
その列の先,待ち合わせ場所でもある武道館入口にも同じく大勢の人出で、中にはYUKIのコスプレをしている人もいて、そこにも多くの人が集まっては撮っていたので、落合えたばかりの友達と私も一緒になって記念撮影していました。うん、実にセクシーでした(*´`*)...
その人達に後ろ髪引かれつつ...混雑しているグッズ売り場を尻目に、指定口から武道館内へ、初めて入りました。

まず最初に手荷物検査を受け、デジカメを没収預けてから階段を降り、喫煙所と化した会場までの少し狭い廊下を抜けると、そこにはびっしりと敷き詰められたイス、そして、その正面の仄暗い中に、ドデカイテントのようなものがありました。
時間は開始10分前、人の入りは凡そ7割くらいで、私が座った場所はステージから15列目,角度80,通路側、友達は2列目の角度10,席は通路より5席目でした。
ちと慣れない空間で周りをキョロキョロしながら開始を待っていると、開始予定時間から過ぎること5分ほどして、通路の辻辻に配置される警備関係者。これって、学生バイトの定番なんですよね。会社名は忘れてしまいましたけど。
そして、更に5分後。場内の案内放送があった後、会場内の照明が一斉に消され、中央のドデカイテント(では無く、それはスカートを模したもの)の口からYUKIがひょっこりと出てきました。
会場内大歓声の中、一気に4曲を熱唱!
その後のMCではエロテロリスト,インリン顔負けのM字開脚を披露したり、尊敬する(?!)タモリの“拍手”をしたりして、会場内のボルテージは更に上昇。
このMCの最後は、次の曲「ティンカーベル」の1章を会場全体で熱唱すべくその練習。
2,3度か練習してから“本番”に突入。会場全体、一つになってのYUKIと一緒に大合唱!
自分も音程度外視で、大声張り上げて歌ってました。けど、掻き消されてしまいますが...。
その後も、2,3度の休憩がてらのMCを挟んで、20曲近くを熱唱していました。
けど、今回はアルバム「joy」からばかりだったので良く解らず、YUKIからの“質問”に一切答えませんでした。。。
最後の曲を歌い終わり袖にさがるも、会場で練習した「ティンカーベル」の1章を歌ってアンコール!
会場で15,6回熱唱した後、漸く出てきたYUKIは、翌日の各メディアの芸能情報に出ていましたが、ステージ上でほろっとしていました。それは、ツアー開催直前に遭った実子の突然死。さぞかし辛かっただろうに...その気持ちを抑えて、最後は1曲歌って武道館の、そして全国ツアーのフィナーレでした。

大満足のうち、場内で友達と待ち合わせて退館...の前に、預けていたデジカメを受取りに行こうとしたのですが、そこが一向に見当たらず、関係者に尋ねて、漸く探し当てたのですが、、、YUKIは「楽しんで」とお願いされていたものの、これにはちとご機嫌斜めになりました。
看板が無く、預けたデジカメや他の方のしなものは無造作に置かれており、あれにはかなりゲンナリ...したけど、いまYUKIがコンサートをしているシャンプーの試供品がもらえたので、一応はよしとしましょう。。。

以前、海外のバンドか何かがコンサートをしてた夜、ここの前を通りかかったことがあるのですが、外まで会場内の大音響と地響きが伝わってきました。。。
その時は「何事?!」って思いましたけど、この日行ってみて、大音響の所為で左耳が暫く聞こえませんでした。

帰り、田安門前にはYUKIの雑誌の切り抜きなどを大きく引き伸ばして売っている違法な?!露店商が居て、その前には黒山の人だかりが出来ていました。
友達もその渦中に入って、目ぼしい物を見つけて(2枚)買っていました。
九段下駅へ向かうので出来た“渋滞”を避けるべく、反対側の歩道より入り、家路に着きました。
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