goo blog サービス終了のお知らせ 

くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

小田原城馬上弓くらべ:四之矢「温故知新」

2006年04月05日 | くない卿見聞記
江戸後期,篤農家として世に知られ、小田原を困窮から救った二宮尊徳翁を祀る報徳二宮社が一角に鎮座しますここ、小田原城址公園。
現在、市民公園として、城域には小さいながらもう、動物園に遊園地が設けられ、親しまれている「小田原城」は、徳川家康が関東入封時,大久保七郎右衛門忠世を城主に据えて以来、東海道の要衝(箱根口)として、江戸時代通じて主として大久保家が、政庁として定めた城。
三方を水堀に囲まれたここへは、改修普請中だった馬出門土橋(めがね橋)より進みました。

ちなみに、この先,馬出門は現在「復元」普請中

辺りには、石垣に用いられる“石”に、付箋が付いて置いてありました。

未だ姿を現していない、普請中の門(址)を抜けると、右手に、二の丸御殿址で、今回馬場が設けられた二の丸公園に出ました。

早速、ここで今回,騎射の芸を御披露くださる織部正殿を、陣中訪問。

意気軒昂な織部正殿始め、兵な皆様方にご挨拶をし、この後の、馬上弓くらべでの見事な芸に期待をしつつ、本丸(天守閣)へと向いました。

小田原城天守閣は、江戸時代,大久保家が普請した遺構を参照に、昭和35年に復元されたもの。
その城内は資料館となっていて、2期12代200年に渡って小田原を治めた大久保家や、それ以前,戦国時代に5代100年近くに渡り、ここを武府と定め、関東に覇を唱えた後北条家の事績を、武具・古文書・衣装などで紹介されていました。
中には、江戸後期に実際あった、仇討に関する資料もあり、僅かな時間で足早に見て周りましたが、中々に面白かったです。
また、天守最上層からは四方眺望することが出来るのですが、南に相模湾,北に箱根山と見、なるほど、東海道(箱根口)の要衝だったということを認識しました。

ちなみに、上杉謙信や武田信玄などの戦国勇将が苦杯を舐めた、後北条家の“城址”は、この小田原城址公園では無く、この北,線路の向側の山裾だとか。
なるほど、天嶮を利用した、戦国時代を象徴する場所かと思います。

←←←参之矢「御手本」へ伍之矢へ→→→

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城馬上弓くらべ:参之矢「御手本」

2006年04月04日 | くない卿見聞記
一度は訪れたかった、箱根駅伝所縁の地・往路中継所のメガネスーパー本社前に立って、感動と感慨に浸った後、再び小田原城址と向いました。

雲が多いながらも薄日が差し、暖かな陽気の中,賑わう城址公園からは、堀を隔てた所に鎮座します、報徳二宮神社へまず、参詣しました。

水を満々と湛えた堀脇と、樹木に囲まれた,鎮守の杜に鎮座します御社には、江戸後期,相州二宮出身の篤農家として、また小田原城主大久保家などの勝手向再建を成し遂げ、幕臣として、代官手附などを歴任して地方行政にも辣腕を振るった、二宮尊徳翁を祀っています。
かつては、特に小学校には、薪を背負いながらも読書する勤勉家“二宮金次郎”像として有名だった尊徳翁の、その数々の事績を偲び、詣でた後、正面より登城すべく、堀端の道を進みました。


石垣の僅かな隙間で日向ぼっこをする猫。流石・・・と言う外ありません。


小田原城堀端,旧三の丸付近に聳える、市立三の丸小学校
一見して、立地的にも「旅館かホテル?」かと見紛う程に立派な、およそ(小)学校に見えないこれは、城下町に相応しく、景観に合わせた造りにしたとか。
とても立派な校舎に、ここで学ぶ生徒が、実に羨ましい限りです。

城址公園西口,藤棚交差点側にある校門。これも、ご立派です。


←←弐之矢「大切な繋目」へ四之矢「温故知新」へ→→→→

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城馬上弓くらべ:弐之矢「大事な繋目」

2006年04月03日 | くない卿見聞記
家を出て3時間,新宿からでも1時間40分という、結構な時間を掛けて到着した小田原。
ここは、新幹線停車駅であり、都内への通勤圏内,また、箱根丹沢への玄関口でもあるここは、近年改築されたのか、とても明るくきれいな駅舎でした。
また、そこでは、見事な武者装束を纏った老兵たちが、「馬上弓くらべ」の宣伝を行っていました。
この会場たる、小田原城(二の丸広場)は、ここから西へ歩いて5分ほど。
新幹線より、何度か見たことのあるのですが、今回は初登城。
案内板と人の流れを頼りに、北側から登って行った・・・のですが、その前に、どうしても行って見たかったところがあるので、城内巡覧を後回しにし、また、同じく馬上弓くらべの観覧序に、登城途中であった三浦介星友殿鈴白殿,小典厩殿,将軍太郎殿に石野殿と、すれ違い様にご挨拶をし、急いでそこへ向かいました。
将軍殿は、私の登場が余程意外だったのか、かなり驚いておられました。。。

そこは、城址公園からすぐ,歩いて2~3分のところ、国道1号線沿いにある、メガネスーパー本社前。
ここは、正月早々,血湧き肉踊り、母校心高まる東京箱根間大学駅伝競走通称箱根駅伝の往路,小田原中継所(となるところ)なのです。

今年から、4区と5区との中継所となったここ。
今回は我が母校,駒澤大学は無念の涙を呑んだのですが、様々なドラマを生んだ箱根駅伝
初めてその所縁の地,しかも5区山登りの出発地たるここへこれて、感無量でした。。。

ここから2.5キロ進んだところ,今度は復路(6区→7区)の中継所,風祭の【かまぼこの鈴廣】本店まで、足を伸ばしたかったのですが、時間的余裕が無かったので、残念ながら、再び小田原城址へと向かいました。


壱之矢「小田原道」参之矢「御手本」へ→→→

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城馬上弓くらべ:壱之矢「小田原道」

2006年04月02日 | くない卿見聞記
武士の世,最上の嗜みとして、“棟梁の条件”の一つとされた「弓馬の道」
これを、今の世にて心得ている者の一人,織部正殿が、此度相州小田原に行われる「第4回 小田原城馬上弓くらべ大会」に“参加する”との矢文を給い、3月19日(日),行って参りました。

朝,仕事に行く時間とほぼ同じ時間に起き、出立。
この日もまた、定期を使って飯田橋へ出、ここで総武緩行線に乗換えて新宿に。
そして、ここから小田急にて、小田原へ向かうことにしました。
ただ、当初の予定では、新宿発9時の小田原行き急行電車に乗るはずだったのですが、それぞれの乗継が微妙に合わなかったので乗れず、いっそのこと、ロマンスカーで行こうかな・・・と思ったら、日曜の朝ゆえか,9時30分発は既に満席。よって、次発(9時10分)の箱根湯本行き急行電車にて、のんびりと,1時間40分ほど掛かって向かいました。

ちなみに、この電車も結構混んでいて、町田相模大野までは、ピークを過ぎた通勤電車並みでした。

小田急では、シモキタより先へは行ったことが無かったので、ちょい、新鮮な車窓に目を奪われて、朝早く起きたにも関わらず、小田原まで遂に眠ることが出来ず...途中,江の島線との分離駅,相模大野辺りまでは、街も車内も(結構)混雑していたのですが、ここを過ぎ、途中の海老名本厚木などの駅周辺以外では、家屋の数よりも田畑や木々が目立つ,何処と無く長閑な光景へと移り変わって行きました。
特に、渋沢新松田では、丹沢を源とする四十八瀬川と平行して、緑の溢れる谷間を、縫う様にして走るのには、「随分と遠く来たな・・・」と実感させるほどですが、また、気持ちのいいものでした。

電車は、途中本厚木から各駅に停まり、秦野で乗り損ねた「ロマンスカー」に先を譲り、この新松田で(同駅終点の)後ろ4両を切離し、前6両のみにて箱根湯本を目指します。
しかし、そのお蔭もあってから、車内は結構混んでいましたが、この、長閑な光景は、かつては東海道の,今では交通の要衝,箱根の玄関口、小田原市街に入るまで、変わることはありませんでした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くないカンゲキ(*^▽^ノノ゛☆パチパチ

2006年03月12日 | くない卿見聞記
年に数回、舞台女優となる「蒼龍淵」のし~な殿が、此度、銀座小劇場にて舞台を踏まれると聞き、久しぶりに休日,銀座へやって来ました。

13時半に、銀座松屋前で此度お声掛け下さった哲坊殿と待合せていたので、その前に、昼食を取るべく、東京駅八重洲地下街に在る【くじら軒】に立ち寄り、ラーメンを一杯啜ってから、徒歩にて向いました。

ここから銀座までは意外に近く、5分ほどで到着。
休日の銀座は、中央通りがホコ天になるので、6車線のど真ん中を気持ちよく闊歩してきました。
松屋でちょっと時間を潰し、待合せ時間に出てみると、そこにはまずマコ殿,続いて哲坊殿と落合えました。
しかし、もう1人,待合せていた紋次郎。殿は、起きたのが13時・・・なので、到底間に合わず、この場で待合せた3人で、劇場へと向いました。

松屋より東へ2本向うの路地に在る「銀座小劇場」は、雑居ビルが居並ぶ一角の、これまた年代モノのビルの地階にあります。
この隣には、これまた時代を感じる風俗店・・・って、銀座でもOKなのに驚き^^;
昔は映画館だったそうで、その面影は、座席の配置や最上後部の調光室・・・などから察せられます。
けど、座席は安普請なのか、はたまた老朽化の所為か、終わる頃には腰が^^;・・・
そこに、即席を含めた凡そ100席ほどが設けられており、それらは、開演直前にはもう、満席となっていました。
そして14時,定刻通りに上演開始となりました。

・・して、その内容は・・ 
  一番最初、明かりが舞台を照らした折、中央にはいすに腰掛けたスーツ姿の男性と、
  それを取り囲むように、他の出演者一同が居並んでいました。
  そして、中央の男性は、多重人格者についての解説を始めた,これこそが、この物語を
  楽しむ上で、最も重要な鍵なのです。・・・が、この時は、全くそのことに気づきませんでした。
  物語は、とあるマンションで(新たに)発見された地下室と、そこで発見された住人の
  変死体から展開して行きます。
  住人たちは、(新たに発見された)地下室の探訪と、故人への追悼を兼ねて一同に
  介すのですが、いつの間にかそこは密室となり、また、突然に、住人たちが次々と
  倒れて行くのです。
  動揺する住人たちの前に現れたのは、“イケガミシンジ”と名乗る人物。
  彼こそ、この“事件”の主犯格なのですが・・・実は、このマンションの住人は、全て
  “本体”なる人間の、自己防衛が作り上げた“世界”だったのです。
  イケガミは、この“本体”のカウンセリングを担当している人物で、“本体”が作り上げた
  様々な(個性的な)人間たちを統合DBZ風にフュージョン)する為に遣ってきたのです。
  即ち、最初の“犠牲者”が彼の3人であり、次々と倒れる住人たちも、その結果
  なのです。
  これらの事情を知る“タキガミ”という一人格が、必死に抵抗をしていた、その勢いを
  止める事は出来ず、“タキガミ”自身も他人格と統合され、遂に“本体”の
  人格は一つにまとまった・・・

・・・と、いうものでした。


1時間10分の上演時間は、あっという間に過ぎるほど、とても見応えある、面白いお芝居でした。
入念な準備と稽古,そして、し~な殿が演じられた、“すぐキレる女”役も、イメージにぴったりと合っている...など、バランスのいい配役,出演者(年齢層)が、よりこの芝居を面白くさせていました。
ここに改めて、出演者,脚本家,関係者一同に拍手 キャーゞ(^o^ゝ)≡(/^ー^)/"""パチパチ
次の作品も、実に期待が持てます!

劇場出口(前)で、し~な殿はじめ出演者に労いの一言を述べた後、大遅刻の紋次郎。殿のゴチになる為、夕暮れ前の銀座から有楽町へ、一杯引っ掛けられる“高そうな店”に入るべく、向かいました。



今回のお芝居を見て、なんだかとても不可思議な感じ(気持ち)になりました。。。
ひょっとしたら、、、私も今の“世界”から逃避した気持ちがあるので、私にも、私だけの“世界”があるのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

70年後の2・26事件(下)[魔族入り?!]

2006年02月27日 | くない卿見聞記
定刻となり、新郎新婦が“入場”。
一人一人にシャンパンが用意され、乾杯!を以って、二次会スタート。

会には、定番のビンゴなどイベントなど無く、実にシンプルかつナチュラルに、会話と食事を楽しむというコンセプトだったので、その趣旨に沿って、存分に楽しみました。
その中で(まず)目を惹いたのは、シェフ自ら切り分けていたローストビーフ。

香りよく、柔らかさ,味などは申し分なく美味で、また頂こう♪と行った時にはもう、既に無くなっていました。無念...。

そして、特に私の目を惹いたのは、デザート類の数々♪
垂涎の品々を見つけた途端、もう欣喜躍雀とし、ケーキやら果物やらゼリーやらばバロアやら、もう、皿にはキャパギリッギリに盛って、これを頂きました。
もう、とても美味くて幸せ・・・もう、これ以上“至福のとき”は無い!ってくらい、(私にとっては)感動的で、かつ大満足でした。
けど、これらを一番最初に、一心不乱に食していたので、同席された皆さんには、一様に怪訝な顔つきでしたが(^^ゞ...

二次会には、新郎新婦の友人知人が(見た感じ)100名近くが集まったようで、広々としたカフェ内も、(フロアー部分では)多くの人でごった返していました。
その中には、ニューヨークに住まう雪魔王殿の妹御も居られたのですが、上品な着物に、落ち着きのある立ち振る舞いな細身の美女に、一同驚嘆...

姉さん、ぶれてますよ。もう少し落ち着いてください(--ゞ

そんな、衝撃的な出会いのあと、漸く、我らのテーブルに新郎新婦が来られました。
痛飲すると、手が付けられなくなるほど“自由人”に変心する雪魔王の御主人となられる方は、恰幅のよい温厚(そう)な御仁。
しかも、我々のことをよく“熟知”されているようで、何より、ここが“お気に入り”に入っていることに(一同)驚愕!?

さすが...(最低)二箇所からサイトから“所払い”を受けた方の旦那様。
恐れ入りました<m(__)m>
復権の鍵は、必ずこの方が握って居られるでしょう・・・。
(今日もまた、ここへお越しになっておられるのでしょうか...)
しかも、旦那様のお蔭か、無理かと思われた節酒も敢行中とかで、我らのテーブルでは、ビール一本しか飲んでいませんでした。

このお姿、流石,満面の笑みで、堂に入ってます。
これには驚きでしたが、反面、僭越ながら、この御方ならば、王も安心,そして、我らも一安心・・・かと。

ビンゴなど、二次会では定番は一切居れず、ただひたすら食事に歓談という、とてもシンプルで素晴らしいこの会も、(やはり)残念ながら2時間でお開きとなり、新郎新婦の末永い愛と幸せを確認し、またそれを祝し、我らはお邪魔してはならじ・・・と、“2次会”をすべく、新橋へと向かいました。

御二人とも、どうぞ、末永くお幸せに!( ^^)YY(^^ )

<<<「70年後の2・26事件㊤(魔族の納め時?!)」へ戻る
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

70年後の2.26事件(上)[魔族の納め時?!]

2006年02月26日 | くない卿見聞記
昭和11年2月26日
昭和恐慌により、低迷と混迷の一途を辿る日本と、これに端を発する世情不安を打破すべく、君側の奸を除き、「天皇親政」による「昭和維新」断行を目指した帝国陸軍皇道派将兵,約1,500名が決起。
高橋是清蔵相などの政府高官を殺傷し、首相官邸,国会議事堂などを襲撃,皇居一体を占拠した、その衝撃から70年。

この時、東京には雪が降ったそうですが...70年後のこの日,大安にも関わらず冷たい、結構まとまった雨。。。
その中を、雪魔王殿の“結婚”式の二次会へご招待頂いたので、久しぶりにお台場へと行ってきました。

お台場まで、門前仲町から都バス海01]系統で向かったのですが、このバス、東京ビックサイト行で、運転手に尋ねると、会場最寄のゆりかもめ台場駅は経由しないことが判明。
ゆえに、無念にもその一歩手前,有明一丁目で急遽降りて、徒歩でそこまで向かいました。
バスの停留所なので、直ぐ其処なのかと思いきや、こういうときに限って遠いでやんの...
雨と風の吹きすさぶ中、“海”を越えて隣の島まで、30分近く歩いて、漸く台場駅前に在る【ホテル グランパシフィック・メリディアン】に辿り着きました...。

ロビーにははや、飯綱殿が居たのですが、トイレから帰ってくると、なぜか若がとても忙々と、カメラマンとして“働いて”いました。
後から聞いたところによると、雪魔王殿から、特にご指名受けてのことだったそうなのですが、学校の制服を着込んで働く彼は、はたから見ると、“本当に”労働をしている雰囲気でした。

貫禄あり過ぎです。

二次会には、ほかにも、紋次郎。殿マコ殿,紗霧殿,禅想殿と、総勢7名が御祝いに駆け付けました。
(紋次郎。殿とマコ殿は、この雨の中、見事な和服で来られました。)


70年後の2・26事件㊦(魔族入り?!)」へ続く>>>
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕎麦に惹かれて高尾山詣:下山(仮)

2006年02月19日 | くない卿見聞記
蕎麦に惹かれて高尾山詣:下山
高尾山登頂!と【曙亭】のとろろそばに満足し、登山路の案内板を眺めつつ今後の進路を考え...ここから更に中央線相模湖,藤野へ行く路か、もしくは下山ルートでは稲荷山路か6号路,吊橋に惹かれて4号路・・・とも考えましたが、先月末の雪が途中多くあったことを思い出し、無難な往路を復路にして行くことに決め、まずは一路,薬王院を目指しました。

山頂部から数分,薬王院境内に到着。
最初の奥之院では、20人近くが読経をする、一見不可思議な光景を横目に見つつ、その先の狭隘な階段を、引っ切り無しに山頂部を目指す人々と譲り合いながら下り、貴重な文化財たる諸堂を拝観。
往路では先を急いでいたので、(気持ち的に)おざなりにしてしまった飯綱権現堂とその下,薬王院本堂へ往復路安全や美味蕎麦御礼,諸祈願を・・・行っていると、左手,大本坊より大傘に護られた山主ら数人が本堂へ入って行くのに遭遇。
それにつられて、私も本堂へ入ると、これから御護摩修行が始まるところだったのです。
私は、別段御護摩奉納などしていない、唯の通りすがりで上がりこんだだけなのですが、その場に居た寺家などには呼び止められず・・・なので、御護摩のご利益に預かるべく、一緒にそれを受けました。
最初は合掌の上「南無飯綱大権現」と、寺僧の合図あるまで唱え、続いて、燃え盛る御護摩の裏手に鎮座します諸神仏像へ拝礼...そして、最後に「御守」を賜って、凡そ20分ほどの護摩行が終了しました。
なんだか有難く、身引き締まる思いで本堂,そして薬王院を後にし、再び麓目指して行きました。

復路,一番“無難”なのは往路たる1号路を進むことなのですが、それでは如何にもつまらない・・・ので、折角だからと今回もまた、山道に“ふさわしい”6号路を歩むべく、去年食した【十一丁目茶屋】の在る霞台の口からびわ滝道を通って向かいました。

この道は、未舗装ですがところどころ整備をされており、コンクリ製の階段が設えてあったりするのですが、段差が有り過ぎて容易ではないので、その脇の獣道を常に使って向かいました。
ちなみにこの道、険しいですが急峻な山坂ではなく、履き易い,足に良く合う靴を履いてゆけば、1号路より安易・・・かも知れません。

霞台の口から快調に下り、山間にひっそりとある滝行の場,びわ滝に到着。
どこと無く凛とした、身の引き締まる空間に鎮座します御社に合掌して後、6号路へと入りました。
その道は、山間ゆえに日が照らず、先月末に降った雪も溶けず、返って圧雪して滑り易く、一度は危うく滑りかけました(^^ゞ が、何とかその場は踏ん張り、左を流れるびわ滝川のせせらぎを聞きながら、一歩一歩確実に歩いて行きました。

残雪は、未舗装な6号路の山坂口辺りにはもう無く、舗装された道に出ると、もう終点は清滝駅はもう直ぐそこでした。
昼前,私が山頂を目指した頃と変わりなく賑やかな駅前の一角、道中安全祈願をした御社へ、無事下山の報告を済ませた後、参道の【有喜堂】で高尾饅頭を頂いて往復の疲れを癒し、また高尾山口駅よち京王にて新宿へ出、帰路に着きました。

日頃の運動不足など何程の事あらんや!
以後全く筋肉痛などにならず、自分の体力,筋力などを改めて再確認し、自身の付いた“旅”でもありました。
来年以降もまた、体力の再確認と美味い蕎麦を食すべく、行くやもしれません...。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕎麦に惹かれて高尾山詣:山頂(仮)

2006年02月17日 | くない卿見聞記
(既に中腹篇でも触れましたが)この時季、高尾山へ蕎麦を食べにくるのは今年で3度目になるのですが、その折はいずれも薬王院に詣でて後、帰路についていました。
けど、今回目指す蕎麦屋は山頂にある為、この日初めて薬王院より先へ進みました。

薬王院本堂と、その上に鎮座します飯綱権現堂の脇を通り、その裏手の人一人がやっとの狭さと急峻な階段を上がり、その先にある奥之院不動堂のまた脇を抜けていくと、薬王院境内を出て、再び見慣れた整備された登山道へと出ました。
ただ、頻繁に人が往来しているにも関わらず、先月末の大雪の名残が随所にあり、それが圧雪されてた凍ってか、とても滑りやすく足場は結構悪かったです。
けど、山頂までの道は実に緩やかで、足元さえ気をつければ至って気軽に登れ、しかも案外近く、わずか10分程度で到達しました。
また、この日の陽気にも誘われてか、実に多くの人々が休憩をしていました。
中には、キャンプ用の簡易コンロなど持ち込んで、お湯を沸かして楽しんでいるグループもいて、そこはとても賑やかで、昼下がりの登山の疲れを癒し、また楽しんでいるグループで満ちていました。

その中を一人、目指す蕎麦屋へと向かいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕎麦に惹かれて高尾山詣;中腹(仮)

2006年02月16日 | くない卿見聞記
仕事帰り、自宅最寄駅の改札脇にある掲示板に、二十数杯分のとろろ蕎麦の写真が載っている、見覚えのある一枚のポスターに目が止まりました。
それは、毎年この時季に京王電鉄が企画している“高尾の冬そば”キャンペーンのもので、そのあまりにも美味そうな蕎麦に、今年もまた惹かれてしまいました。

建国記念の日,朝9時過ぎに家を出、毎度のことながら通勤定期をフル活用すべく、飯田橋にてJR中央緩行線に乗り換え、高尾まで道,京王線に乗り換えるべく、新宿に出ました。
ここ新宿駅にて目当ての“冬そば”のチラシを得て、高尾山口駅までの40分ほど,(準特急の車内で)どれにしようかな・・・と悩みに悩んでいました。
それも、高尾山口に着いた時にはもう意を決しており、まずは高尾山の麓,清滝駅(ケーブルカー)へと向かいました。
ここから目指す蕎麦屋まで、幾筋かの登山路があるのですが、今回もまた、唯一舗装され、薬王院までの表参道たる一号路より登頂しました。

先月の大雪の名残が道脇に残るこの路は、舗装された表参道でありながら急峻で、決して車では走りたくないと思うほど。
その最大の難所であり勝負所は全体の序盤、金毘羅台までの路なのです。
しかしその反面、息も絶え絶えに登り切った先に見える景色は抜群で、空気が澄んでいれば尚素晴らしい眺望なのですが・・・この日は残念、暖かな陽気だった所為か、霞がかっていたので視界は良く無かったです...。

金毘羅台から先、右手眼下に中央道を眺めながらも、暫く急峻な道が続くのですが、それも(ケーブルカーの)高尾山駅辺りまでで、そこから先は比較的緩やかな山道になります。
ちなみに、この“駅前”は開けており、眺望が良く休憩処もあって小休止にはもってこい,軒先には焼団子も売っており、思わずそれに誘われてそうだったのですが、そこはグッと堪えて、ただ一息付くべく眺望のみを楽しんで、また薬王院,更に山頂目指して歩き出しました。

高尾山駅から歩いて5分ほど,天然記念物の“蛸杉”を過ぎ浄心門を潜ると、もうそこからは(一応)薬王院境内。なのですが、本堂まではまだまだ先、そこまでの道筋は幾分緩やかで、老若男女誰でも詣でることが出来る山坂とは言え、まだ途中には、煩悩の段数ある男坂(階段)や、その先,本堂の入口である四天王門まで無数に林立する“杉”(季節限定)くらいでした。。。

浄心門から男坂を登り、漸く辿り着いた四天王門前には、薬王院の威勢を示すべく、節分会に参集した“著名人”の木札が(今年も)掲げられており、その中に地元八王子在住のサブちゃんが居ることを確認して、山門を潜って本堂へと進みました。
この日は、例年以上に寒いこの冬の中では比較的暖かく穏やかな陽気で、しかも、改めて感じたのですが、ケーブルカー駅から難なく参詣出来るお陰か、境内は結構多くの人で賑わっていました。
さすが、初詣でも参詣者上位に食い込むわけですよ・・・。
いつもなら、本堂とその上に鎮座します飯綱権現堂を参詣して下山するのですが、今年は目指す蕎麦屋が更に上,山頂部にある為、ここで登りを止める事無く、更に上へと目指して進みました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣

2006年01月04日 | くない卿見聞記
前日,激烈なる箱根駅伝の結果を最後まで見届けた後、伯母が住む栃木へ車で向いました。
往復100キロほどの道のりを全て一般道で、往路は2時間半,途中柏市内で買物渋滞に巻き込まれて難儀しましたが後は上々に、復路は全くそんな事無く、至って順調に,往路よりも凡そ20分ほど早く着きました。
その目的は...
ここ数年、世間一般には“佐野厄除け大師”として有名な惣宗寺,地元では春日岡と呼び親しまれているお寺さんへ初詣を恒例としているため。
更に今年は、後厄たる弟の代参も兼ねての事。
前日は、箱根観戦後に向ったので、伯母宅に着いたのが18時前と、とうに参拝の時間は終えていたので、この日の早くに参詣へ行くこととしていました。
ただ...朝起きたのが8時過ぎで、それから朝食やら身支度やらを整えていたら、結局10時過ぎに出発することとなってしまいました。
春日岡近くに住む(私からは)遠縁宅近くに車を止め、近道である秋山川の土手沿いに向いました。

正月,多くの参詣者で賑う春日岡一帯,特に山門前の道路(一角)はホコ天となり、両脇にはテキヤが所狭しと軒を連ね、それはそれは大変賑やかなものです。

私(と伯母,従弟)は正門より入り、旧年の御札を納めて本年の御札を得るべく、受付と会計を済ませて本堂脇へと向いました。
ここで臨時の巫女さんが(一応)心を込めて丁寧に用意し、頂いた御札を抱いて、御祈祷をしていただくべく、本堂へ案内されるのを待っていました。
・・・それから待つこと20分ほどか,通された本堂には、足の踏み場も無いほど,座るのも一苦労するほどの人が集まっていました。
聞けば、本道内には150人ほど入るらしいのですが、、、意外に感じます。
参拝者が本堂内に入ってから、まず、寺僧からの説明を受け、いよいよ護摩焚が始まります。
宿願が成就となるべく、合掌し祈念...2種の護摩焚,正味20分程の時でした。
この後、護摩壇で焚かれた火を受けるべく、本堂に会した人々が向うのですが、左右双方から受けることが出来るとは言え、本堂にぎっしりと集まった人々がこれを受けるのは容易ではなく、軽く押しつ押されつの暗闘が行われるのですが、私は日頃の鍛錬の賜物か、(後方に座していたので)多少時間は掛かりましたが、比較的余裕を持ってこれを受け、祭壇へ合掌一礼をすることが出来ました。

入ってから1時間して出たそこには、私が着た時とは比べ物にならないほどの参詣者が,十重二十重と長蛇の列を為して居ました。
ホンの少し遅かったら、寒空の下,きっと長時間待たされたでしょうに...こいつは正月早々着いているやも。

この後、もと来た道を歩いて親戚宅まで向ったのですが、その道すがら,“味噌饅頭”なるものを売る店に引かれて覗いてみたのですが、その話は別項に...。

親戚宅を後にして、昼食を(毎度のことながら遠縁の)弓削食堂でラーメンセットといか天を食し、次の目的地へと向いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萌える街

2005年12月15日 | くない卿見聞記
九段下から御茶ノ水の明治大学博物館まで、久しぶりに神保町を散策しながら向い、ここから更に足を伸ばして神田明神湯島聖堂を詣でて帰るつもり・・・だったのですが、駅へ向う道すがら,聖橋を渡っていると、ふとネオン煌く秋葉原の電気街が目に入ったので、ふらふらっ~と、足を伸ばしてみました。

学生時分は、この日歩いたルートでちょくちょくと来ていた秋葉原なのですが、ここ数年,おそらく5年くらいは足が遠のいていました。
ゆえに、秋葉原が“アキバ”として脚光を浴びてからは初めてだったのですが、活気と人ごみは相変わらず・・・でしたが、雰囲気はなんとなく変わった気がします。
どこがどう変わったかは表現し辛いですが・・・。
ただ、(唯一)言えるのが女性,しかもメイドの数。
それが駅前に行けばもっと、3歩も歩けばメイドに出会うほど。
その人たちは一様に、健気に自分たちの“”のチラシを配っていましたが、その配り方たるや技の入った所で、貰ってくれそうな男目掛けて手渡していくのです。
私はその範疇に入らないのか、渡して来なかったのですが、ちょい興味があったので貰って見てみましたが、、、いやはや、中々痛々しくて面白く、こうした店(全般)への関心が一気に高まりました。
後日、筑紫哲也がNEWS23の企画で萌えてました。

久しぶりにやって来たアキバ,折角なので奥深く探求し、帰りはつくばエクスプレスでと思ったのですが、夕方までには家(地元)に帰って床屋へ行くつもりだったので、残念ながら足早に、ただ駅近くのアングラ街だけ見て帰りました。

11時から15時ごろまで、僅か4時間を足早に踏破しましたが、実に内容は濃く、面白かったです。
是非皆さんもお試しになられては・・・。

私は次回、もっとじっくり時間を掛けて踏破するつもりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御茶ノ水界隈

2005年12月14日 | くない卿見聞記
明大博物館にて“江戸時代”を堪能した後、ついでにもうちょっと,折角だから堪能しようと、湯島聖堂へ向いました。
明大前を通る明治通りを北上し、お茶の水橋を渡って突当る外堀通りを渡って東へ向かい、聖橋の手前,地下鉄御茶ノ水駅出入口脇にあった階段を上ると、向かいに湯島聖堂がある・・・のですが、如何せん、本郷通りに阻まれて反対側に渡れず、致し方なく、交通法規を遵守すべく、その先にあった中仙道国道17号線)との交差点より信号を渡って行こうと向うと、そこに何箇所かの行き先表示板があり、その中の一つが江戸総鎮守・神田明神を指していたのですが、距離を見てびっくり,以外にも直ぐ近くだったので、予定を一部変更して、先に神田明神へ向いました。


江戸総鎮守・神田明神が、御茶ノ水界隈,しかも湯島聖堂の(すぐ)裏手とは露知らず、思わぬ発見で妙に嬉しく、短い表参道より境内へと向いました。
すると、どこからか雅楽を奏でる音が聞こえてきましました。
「正月までまだちょっとあるのに・・・」と思いながら、参拝をすべく御手水場にて手口を清めて本殿へ進むと、そこには10人ほどが中の様子を見、写真を撮る人も居ました。
「はてさて?なんだろう・・・」と思って近づいてみると、中では神前結婚式が厳かに執り行われていました。
(雅楽の“音源”もここからでしたf(^ ^;)...)

今にも雪が降り出しそうな、冷え込む曇天の昼下がりでしたが、本殿内だけは華やかに明るく、また厳かな雰囲気に包まれていました。

偶然見つけた神田明神にて参拝を終えた後、当初の目的だった真向かいの湯島聖堂へ、先の過ちを教訓に、聖堂沿いの歩道を進んであった脇門より入りました。

江戸中期,5代将軍綱吉公の厚遇を受けて以後、文道の聖地,昌平坂学問所開所以降は最高学府となったここも、幾度かの災禍に遭ったゆえ、当時の面影は瓦屋根の和風建築様式にのみ見られ、昭和年間に再建された今の聖堂には、建築資材(柱など)に鉄筋などが用いられている為か、どことなく近代的な趣きがあります。
ただ、都会の喧騒の中にあってここだけは、木々に囲まれて別世界のように静まり返っており、聖堂内の香炉の煙もゆったりと流れ、時が経つのを忘れさせるくらいでした。
聖堂にて、更なる学業成就を祈念して後、唯一江戸期の“面影”が残る門を潜って、御茶ノ水駅へ向いました。

その途中、聖橋を渡っている最中、ふと左(東)へ目を転じると、そこにはネオン煌く秋葉原の電気街が。
ちょっと歩けば行ける距離なので、ちょっとふらふら~っと行ってみました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3年半後のけじめ

2005年12月04日 | くない卿見聞記
大学2年次、共に夜間部から昼間部へ、専攻こそ分かれたが上がり、一緒にサークルに入ったやつが入籍から3年目強過ぎたこの日、披露宴を行いました。
けど、資金的な問題から、私は2次会から招待されたいたので、冷たい雨の降りしきる中,久しぶりに表参道へ、エイベックス本社向のイタリア料理店【エチェッソ カバチ】へ行きました。

これに先立って、新郎へ参加表明をした直後に入電があり、「お前に会計任せるから、幹事と連絡とって。」と言い渡されてしてみると、はや私の入る隙は寸分も無く、その代わり後日,受付補佐兼音響担当に任ぜられるも、その展開と訳が判らぬままに出向いた会場では、披露宴から出席していた(2次会の)幹事連中が揃っていました。
ここ最近、サークル連中には不義理にしていた・・・というのもありますが、新婦も同じサークルの2年違いの後輩になるので、(そのいずれもが)久しぶりに会う者ばかりでした。

店に着いて判明した私の任務は、受付補佐=チェキ撮影係,音響=そのまんま,BGMを流す係ですが、司会(後輩)からご丁寧にタイムテーブル(進行表)まで渡され、挙句に幹事長(同期)より「タイミングはくないに任せるよ」という、何とも無謀な・・・結構プレッシャー掛かりました。
チェキ撮影も、店外で後輩(1つ下)と行ったのですが、地階ゆえか、外(気温7度)から冷気が吹き込んで寒い寒い・・・開始30分前,震えながらも、集中した来賓をてんやわんやでこなしての任務でした。

新郎新婦が式場から到着したのは17時半過ぎ,司会の指示した段取りと幹事長のキュー出しで、1曲目,平井堅の「POP STAR」を絶妙なタイミングで流し、出席者のアーチの中を入場して行きました。
その後、暫くは忙々をやりつつ、金勘定に走った幹事(受付)の代わりに受付の留守番してたり・・・と、アウトローに過ごしていました。
ただ、7500円も払ったのに折角の料理を食いっぱぐそうだったので、後輩を呼びつけて、皿に盛らせたり、受付に留守番させて飲み物を取りに行ったりして、何とかこの店の酒食を味わいました。
ただ、ここが次第にアウトローの溜まり場と化してきたので、(ビンゴの折)そのドサクサに紛れてフロアーへと移り、ビンゴを一喜一憂して楽しんでました。が!見事ビンゴをした男性が移動した折、テーぶりにあったグラスを落して、それが私のズボンに掛かるアクシデントが(ーー;)
ただ、これが終わる間際で、CD(曲)の入れ替えするタイミングの為にミキサーの所へ行かねばならず、遂に最後までお詫びごとは言われなかったのですが・・・ついこの間クリーニングを終えて穿き始めたばかりなので、またかぁ・・・と思うと、ちと気鬱になりました。

最大イベントを終えて、続いて新郎新婦を“冷やかす”企画で「タイタニック」を流したり、新婦へ,実母からの手紙で「16小節のラブソング」の曲を流したり・・・との仕事(企画)を終えて最後、新郎新婦の退場に際して(指示された)曲をBGMに、出席者全員で再び手でアーチを作り、その退場を見送り、漸く,ある意味重要な役目から開放されました(^^ゞ

2次会の終わったのが19時半ごろだったので、残った(15)人で向いの「魚民」に入り込んで3次会まで行い、学生時代のコールを久しぶりに受けながら、22時まで居ました。

休日ダイヤだったので、綱渡りな乗継をしながら、何とか日付が変わる前に家に辿り着きました。
けど、翌朝が辛かったです・・・。


今の季節、ここへは来たことが無いのですが、エイベックス本社のクリスマスイルミネーションが凝っていて、結構綺麗でしたよ。
青山通りのイルミネーションが無くなって、ちと寂しさ感じてましたが、それを(ある程度)補えるほどよかったです。

手ぶれ補正が無いデジカメなので、ブレブレです(^^ゞ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はだかの王道

2005年11月27日 | くない卿見聞記
住宅街の一角にあるスーパー銭湯「おふろの王様」は、現在駐車場の片隅で温泉を採掘中。
既に日も落ちた頃に着いたので、暗がりでぬおっと聳える殺風景なボーリング塔から、ただ虚しく一定のリズムで採掘音を轟かせていましたが、なんとなくこれが勿体無く思え、折角ならライトアップか(これからの季節)ツリーにでもすればいいのに・・・と、無為なプランニングをしてみました。
十分な客寄せと名物になる・・・と思うのですが、中に入れば、なんとなくその思考とのギャップに気付きます。
内装が純和風なのです。
“玄関”にて脱いだ靴を下駄箱へ預け、その鍵を持ってカウンターへ。
その折一緒に(カウンター手前にある)券売機にて買い求めた入浴券を差し出すと、脱衣場のロッカーの鍵(指定)を渡されるので、それを持って湯場へと向います。

右手に広がる、どこぞの湯治場かドライブインの様な桟敷席の向にある小橋を渡ると、“男”と“女”に分かれています。
私は勿論男湯の暖簾を潜り、脱衣場で身ぐるみ剥いで体重を量り、掛け湯をしてからいざ!浴場へ。

まず、洗い場で軽く汗を流し・・・てみようとするも、シャワーの調子がおかしく、ボタンを押しっぱなしでないと流れないしくみに・・・結構大変でした。それを終えて、まず浸かったのが  湯。
温泉に近い湯質(らしく)、長く浸かっていると、(発泡しているので)体毛に気泡が付いてきて、なんだか「いい湯に浸かってる(のか)な・・・」って実感します。
その後、大相撲を見ながらサウナに入って一汗かいて、ほか露天などを堪能しながら・・・時刻は18:15ごろ。
(実は)この後“ヒーリングサウナ”なるものを予約していたので、それ専用の浴衣を着、それがある2階へと上がりました。
その待合フロアーにあった“体にいい”水を飲み、時間となって、いざ!係員に誘われて中へと入りました。
暗がりの、気温40℃,湿度70%で抹茶か蓬の香るこの世界は、さながら寝苦しい熱帯夜のよう。
砂利の敷かれた寝床に、入口で渡されたタオルを敷き、耐え寝ること25分・・・
満天の星に擬した照明と、獅子脅しや雷雨・・・などが、いつの間にか浅い眠りへと誘いました。
気付けば終了時間となっていて、室外へ出ると寒さを感じるほどに大量の汗を掻いていたので、再び“体にいい”水を飲み、再び一っ風呂浴び、更なる爽快感を得るべく、桟敷席にてビールを一杯引っ掛けました。これがまた、実に美味かった♪です。

ここで小一時間ほどまどろんでから、またまた一っ風呂を浴びに行きました。
今度は、前二回で入れなかった風呂を中心に入り、「はだかの王様」を存分に堪能し、次に控えるラーメンをより美味く感じるべく、塩分を大量に放出してから上がりました。

我が街のスーパー銭湯と広さなどは同じくらいでいいとこ勝負ですが、来春頃に沸く温泉が今からちと楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする