goo blog サービス終了のお知らせ 

くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

「アバウツ」タイフーンジェネレーション:一過

2006年10月11日 | くない卿見聞記
14時から20時まで,足掛け6時間近くに渡って行われたOB・OG会。
私が受付をした時点では、、、
「30人来ないと大変なんです」
、、、と、苦労と悲哀が感じられる返事だったのに、いざ!蓋を開けてみたら結構な人数。
更に、次の二次会。
一次会で去った人を補うに余りある人出で、なおも次々と,正体不明な連中が加わってくるのです。
しかも、何故か男女カップル!
・・・なもんで、ついつい「君たちは誰?!自己紹介して。」と、お願いしました。
けど、イマイチ覚えなく、記憶の彼方へと落ちていったようですが...。

18時近くから始まった2次会も、20時頃には強制終了。
チェーン系居酒屋の悲しい性か...
店を事実上追放された一同は、その隣の眼鏡屋の軒先を借りて暫しダラダラと、歓談などしていました。

その内,自然と帰る者と有志で3次会へ行くものへと分かれ、ここで事実上の「解散」となりました。
ちなみに私は、幹事長や今回の「総幹事」と、半ば反省会的な3次会をすべく、斜向かいの居酒屋へと入りました。
そこに入ったのは、5,6人。
さっきまでの、入り乱れて騒々しかった,ある意味、若い飲み会とは打って変わって、静かな会食的飲み会に、一気に様相を改めました。

そう、最近多い飲み会のスタイルになったので、なんだかゆったりと,落ち着いて、これはこれで楽しめました。

ただ...
同期連は、あの喧騒と若いエネルギーにはたじたじだったようですが、私は仕事柄,そういうお年頃の人々(お客さん)と常に接しているので、いつも変わらず、何の苦も無く中々楽しかったです(笑)。

そして...
今回は後輩達との“同窓会”でしたが、これとは別に、先輩たちが開く“同窓会”もあるようで、来年は、これとのコラボを企画しているとか。
この、先輩たちの同窓会は、もう、20年以上前に卒業した、四十路から五十路くらいの人が取り仕切っているとか。
聞けばなるほど,このサークル,発足年などの詳細は不明ながらも、随分と昔からあったようです。
ナルホドナットク,伊達に“研究会”を名乗ってないな・・・とは、思いましたが、結構の歴史があったようで。

今回,後輩連と交流する機会を得られ、とても楽しかったですが、自己紹介や直接話をした中から、我々がやっていた,携っていたことが、今だしっかりと,いや、それ以上に強固に,しっかりと受け継がれていることに、喜びと感動を覚えました。

ちなみに。
今回,ある意味一番衝撃的だったのは、“あの”学祭が無くなった理由。
私が在学時の駒澤は、一部団体がこれを取り仕切っていました。
よって、意味の判らぬスローガンを掲げては、近寄り難い雰囲気を醸成。
一方,参加団体には、資金提供の見返りとして、とても社会勉強となる映画を観せられる(瀧汗)・・・など、様々な弊害を生んでいました。
ところが...
その“親玉”(といっても、吹けば飛ぶようなオヤジサン)が、内ゲバにあって、この世から消されてしまったそうです...。
そんなニュース、全く知らなかったので、ホント,衝撃的でした。
ただ、これによって、(漸く)この頚木から解き放たれた学祭,いまは、オータムフェアと装いを新たにした、一応,大学主導のイベントが開かれているようです。
うむ、これはよかったよかった・・・と、喜んで良い!ものやら(--ゞ


ついしん:
嵐で大荒れだった前日,残念にも中秋の名月でした。
そして、この日は十六夜の月。

自然の功罪相半ばか,強風のお蔭で、とってもきれいな月を見ることが出来ました。
けど、板橋では局地的に停電になっていたとか。
その“被害”に遭っている人からメールがあったのですが、思わず「お月見すれば」と、提案してみました(笑)
昼間の陽気とは打って変わって、ひんやりと肌寒い夜でしたが、それが余計,月を一際輝かせ、美しく見せている・・・のかな、と感じつつ。


「アバウツ」タイフーンジェネレーション≪完≫
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アバウツ」タイフーンジェネレーション:3号

2006年10月10日 | くない卿見聞記
昼下がりから始まった大学時代のサークルのOB・OG会。
今度は会場を、東急田園都市線駒沢大学駅前に在る和民】に移して2次会に。
・・・と、その前に・・・
昔懐かしき駒澤大学駒沢キャンパス立ち寄ってから向かいました。

【和民】に入って通されたのは、2階の桟敷席。
そこにはもう、先行した連中で埋め尽くされていて、かろうじて空いていた同期連中の陣取る席に腰を落ち着け、いざ!“乾杯”
さっきの一次会で、昼間の嬉しさも手伝ってか、散々飲み食いしたので、ここでまた酒食を見るのは、少々きつかったですが(^^ゞ...
それに追い討ちを掛けるように、一気コールが...。

同期連中は、特にこうしたのを作り出しては人をおちょくる盛り上げるのが巧みで、光栄にも、私固有のコールもありました。
それを、久々に何発も上げられ、腹裂けるかと思うほどの酒を飲みました。
幸い、酔狂となることはありませんでしたが、唯一参加した一代上は、周りから完全に“担がれ”て、ノックダウンしてました。
哀れ・・・というか、×××というか・・・。
若い衆の中へ移し、その時は物凄く勢いがあったのですが、、、。

【和民】2階桟敷席では、2テーブルを有して陣取って居たのですが、ほとんどはそれぞれのテーブルに固定してしまって、相互間はあまり見られなかったです。
また、同期連は更に固定化し、陣取ったその場を離れることがありませんでしたが、私は、(敢えて)若い衆の中,酔狂と化した人の間際まで行き(後輩を防波堤に)、交流してきました。
その中には、文歴の後輩,しかも、我が師の弟子=兄弟子の下で私と同じく“日本近世史”を学んでいた子も。
私が在籍していた頃は、文歴生は少なく、その中でもロクなヤツはいなかったので、一抹の寂しさがあったのですが...。
聞けば、今では結構多くの文歴生がいるとのこと。
「なら、いま改めて入り直したい」なぁ~んて思いながら、そろそろ時間となって、【和民】を追放されました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アバウツ」タイフーンジェネレーション:2号

2006年10月09日 | くない卿見聞記
サークルのOB・OG1次会を終えて、2次会への気力ある人は、早速移動。
私もその波に・・・と、思ったら、幹事長からご指名入り、借りて来たホワイトボードの返却に付き合いました。

場所は、会場の隣にあった、平屋建ての施設の会議室。
そこまで、二人でコロコロ転がしながら行ってみると、その一室,畳敷きの広間の一角で、お茶を立てている集団がいました。
私らは、その場を素通りし、ホワイトボードを返して行こう・・・かと思ったのですが、幹事長が...
「お抹茶飲みたい」
...と言ったので、そのご要望にお答えすべく、台所で“炭火を熾していた”メガネを掛けたかわいい女の子に話しかけて交渉してみると...快諾してくれたので、早速,その広間で一服いただきました。

この人たちは、言わずと察せられたか、茶道部の皆様。
この日は、オープンキャンパスの一環で、来貢された皆々様の御持て成しを為さっていたそうです。

実のところ、昔っから茶道に憧憬があって、茶道部も眼中にあったのですが、当時の部室(文連棟)は敷居が高く、結局は入らずじまいで...。
それがまさか、こうした形で体験できるとは思いもよらず、軽くお作法に従って、幹事長と共に一服いただきました。
点ててくれたのは、勿論現役(女子)大学生でしたが、とっても美味しく、先に食べたお菓子の甘さがより引き立ち、より良かったです。

   これはイメージです
私は勢い余って「おかわりは如何ですか?」との打診に、思わず二つ返事でお願いしました。
いやはや、断れない性質なもので...
その見事な点て,作法に感心しつつ、外で痺れを切らした後輩たちに促されて、その席を失礼しました。

久しぶりの駒澤界隈は、その趣を微妙に変えていました。
学生時分にお世話になったコンビニや、美味かった定食屋,サークル帰りに必ず立ち寄った喫茶店などはもう、無くなっていました。
また、駅から大学までの通学路も、住宅街を抜けたところにある東門が閉鎖され、強制的に正門を回るコースに。
なんだか、硬っ苦しくなった感じを抱きつつ、先行したほとんどの連中が立ち寄った「駒沢キャンパス」内に。

この中は、通っていた当時そのまま,何一つ変わり無く。
部室だったそこも、軽音部が練習をしていたので、中をよく見ることは出来ませんでしたが、当時そのままの感じでした。

懐かし序でに、昼や小腹が減った時に世話になった、【パオ】という軽食屋へも立ち寄りました。

雰囲気も、値段も当時そのまま,ただ、あの“名物おばちゃん”は(この時)居らず、見覚えのある男性がレジに立って食札をさばいていました。

私は、無念ながら満腹だったので何も食しませんでしたが、同行した幹事長は、「冷やしコンソメ(スパ)」を注文し、食らっていました。
その味は...
舌が肥えたのか、味が変わったのか、「冷やし中華だ!」と嘆いていました。(幹事長談話)
その時、どこから現れたか、後輩がやってきて「ミートスパ」を食していましたが、それは昔と同じく、美味そうでした....が。

幹事長が冷やしコンソメを食い終わってから、後輩は見捨てて二次会会場へと向かいました。

前日までの嵐を、日本から追い遣るかのような強い西風のお蔭で、この日の暮景はとてもきれいででした。
その、暮色蒼然たる中にある街,駒澤は、1年次の、ちょい苦くも一生懸命だった頃を思い起こさせて、ちと、ノスタルジックな空間にトランスしていました...。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アバウツ」タイフーンジェネレーション:1号

2006年10月08日 | くない卿見聞記
大学時代に所属していたサークルのOB・OG会に招かれ、恩師の退職記念パーティー以来,6年ぶりに訪れた駒澤大学深沢キャンパス
かつては、この前身,三越迎賓館の趣きそのままな格調高き感じだったのが、今ではキャンパス整備事業の一貫か、数棟の校舎が、それを殺いでいる感が。
以前は、駒沢公園通り側に玄関が有ったと思うのですが、その工事の為か、出入は通用口みたいなところ。
なんだか、味気無かったですが...

恩師のパティー会場だった大ホールの前を通過して、会場の小ホールへ。

入口で受付をしていた後輩君達に会費を払うと、お願いされた記帳をする。
その時、今日の内容一切を全く把握していなかったので、たずねて見ると・・・
「30人くらい来ないと、きついんですよね(涙)」な話を聞いてしまった。
そこであたりを見回して見ると、その場にいるのは精々半分,15人程度。
幹事や後輩たちの苦労を思いつつ、先着していた今回の幹事の1人でもある“幹事長”や、通用口であった出会った一代下の女の子と暫し歓談。
けど...
私が会場入りしたのは、開始時間(とされていた)14時。
その時点でこの人数で、この後も続々と現れる状況には、半ば「伝統か・・・」と、妙に感慨深げに納得している自分がいました。
結局、始まったのはそれから30分後。
同期が渋谷からタクシーで乗り着けて会場入りしたところでした。

私は、1年間幹部を務めたので、サークルの“出店”と称する溜まり場や会議(作品)に出入していましたが、4年次はゼミの日くらいしか大学に来ていなかったので、自然と足が遠のいていました。
よって、その場で知っているのは数少なく、受付で記帳中に「あっ!くないさん(仮)、お久しぶりです!!」な~んて声掛けられても、「(え~っと、こいつ誰だっけ・・・)」と、海馬フル回転で記憶を呼び起こす事態に。
けど、結局は他力本願に流れて、それぞれの知りうる情報を交換する始末(^^ゞ
それでも、解らない人だらけですが...

中でも一番解らなかったのが、一代上の先輩が、唯1人参加していたこと。
この人はホント奇妙な人で、うちらが知らない学年にも、なんらしかの足掛かりを作っては人脈を広げる,正に(幹事長曰く)“ゴキブリ”見たいな人。
それにはなるほど!納得だったけど、私的には、この人がずーっと、誰かに似てるな・・・と、思い出すのに必死でした。
けど、その答えは日曜日,ライオンズvsホークス戦で判明しました。
ライオンズの“和田一浩”だったんですよ、似てたの。って、和田には申し訳ないけど(爆)人のこと、散々「老けてる」言ってたけど・・・ねぇ。それも心の中で苦笑しっぱなしでした、ここだけの話。

さて。
会が始まって暫くしてから、自己紹介コーナーに。
年齢の上から下へだったので、「和田似」の先輩に続いて、我々が。
こんな、大勢の前で話をするのは、2週間前の一関唐梅館祭以来。
けど、あっちは台本があったからいいけど、こっちは即興アドリブ。
その辛いのなんのって、「滑ったらどうしよう」という心配から、真正面向けず、シドロモドロで自己紹介を済ませました。
やっぱ、ダメダメですね。。。
その後に出てきた子達も、誰が誰だかよく判らなかった・・・(^^ゞ

ここでは余り積極的な外交活動はせず、昼間から酒が飲める有り難さをしみじみと、つまみを食らいながら、時折ちょこちょこと見知らぬ後輩と話をしながら、味わっていました。
幹事長と副幹事長は、かわい~い女の子と昵懇となるべく、積極的に話していましたが、私とは、どうもパルスパターンが違うようで、早々に撤退しました(/--)

そして...
ここでの1次会は2時間半ほどで終い、次,2次会へ移動すべく、撤収して向かいました。

けど、ちょっと,ちょっとちょっと寄り道したので、その道中記はこの次に。。。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アバウツ」タイフーンジェネレーション:熱低

2006年10月07日 | くない卿見聞記
私は、大学進学率一桁台のしがない三流県立高校へ通っていたわりには、向上心だけは人一倍お高く、現役時代は中の下ランクの大学ばかりを受験しました。
結果,勿論失敗に終わりましたけど、、、。
そして、一年浪人して受験したのは駒澤大学,しかも、一本狙い。
その結果は・・・一部では全て失敗しましたが、奇跡的に二部で引っかかり、見事,目標を達すること出来ました。
しかし、一部,しかも、文学部歴史学科が諦めきれず、入学したその年,1年次に転部試験を受け、遂に!宿願を達すること出来ました。

そして、年度が改まり,晴れて文歴生となった2年次の4月のとある土曜日。
同じく、第二法学部(当時)から一部へと上がった友達と、キャンパス内を巡っていると、数人の男性に突然囲まれ、体育館下にあった談話室へと連行されました。
そこは...
通称「アバウツ」という、(なんちゃって)マスコミ系サークルの出店でした。

この出会いが、その後の大学人生を“大きく左右した”のは間違い在りません。

最初は二の足を踏んで居たのですが、いつの間にか、半身浴程度に浸かりだし、終いには、一緒に入った友達(幹事長)に乞われて、会計職を務めるまでになってしまいました。

あんなこんなそんなことがあった、サークルを含めた大学生活を卒業して、はや6年経ったこの日。
幹事長だった友達や、後輩たちが企画したOB・OG会の招待を受けて、行ってきました。

会場は、駒澤大学深沢キャンパス
東急田園都市線駒沢大学駅から歩いて15分ほど,大学正門から駒沢公園通りを南へ5分ほどのところにあります。
一時,週間誌上を賑わせたそこは、かつて三越迎賓館だったところ。
実はここで今から6年ほど前,“キャンパス”となって間も無い頃の冬,我が師の退職記念パーティーでここに来たことがあるので。
その時は、ゼミ生の有志数人で行き、あまりの盛大さに離れしておらず、少々萎縮しつつも太良腹飲み食いした覚えがあります。
特に、「久保田」との出会いは強烈で、その美味さに惚れ込んだのを、今でもよ~く覚えています。
けど、今では、本年度中の整備完了を目指して、国際センターや研究棟,大学院,仏学生寮(竹友寮)の建設が急ピッチで行われていて、当時の面影何処へやら,その代わりようには、思わずたじろぎ、迷ってしまうほど驚きました...。

工事用フェンスの矢印に従って、まずは深沢キャンパスに。
続いて、会場への入口は・・・と探していると、一本足に貼り付けられた案内紙を発見し、その順路に工事用フェンスの間を進んでいくと、辿り着いたのは通用口らしきところ。
「ここが入口?!」と思っていると、中から一代下の女の子が現れて、「くないさん(仮)こんにちは。」とか言われて、漸く状況を飲み込み、中へと入っていきました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯田橋駅の瀧

2006年10月05日 | くない卿見聞記
先日の、とある連休明けの朝。
通勤途中の地下鉄飯田橋駅で、衝撃的な場に遭遇しました。
その“現場”は、有楽町線新木場方面行きホーム。
この朝も、いつもと変わらず、地下鉄東西線からこれへ乗り換えるべく、階段を下りていると、その先、ホームからは、“バシャバシャ”という音が聞こえてきました。
地下では聞き慣れぬ、その不可思議な音に疑問を感じつつホームに降り立つと、新木場方面行きホームの天井,一箇所から、大量に流れ落ちていました。
それは、さながら瀧のように...
しかも、その直下の排水溝からは、水が勢い良く溢れ出ていました。

多分、地下水脈から流れ出ているものかと思いますが、「この駅,崩落か水没するんじゃないのか?」と、危機感すら覚える程の勢いと量でした。

その場に居合わせ衆人と駅員は、その光景に、ただただ驚嘆し、呆然とするばかり。
ただ、直下に停まった電車から降りてきた人々は、電車の屋根に当った飛沫がどこからのか解らず、不可思議そうに、その場を足早に流れて行ってました。

こんな状況じゃ、遅かれ早かれ有楽町線は止まる・・・と、思ったのですが、案に相違して、通常運転だったようです。
帰りに乗った有楽町線も、何変わる事無く通常運行していました。

そして、地下鉄東西線に乗り換えるべく飯田橋駅で降り、朝の“現場”を見てみると...
水が漏れ出した,滝口の痕跡などは一切見られず、まるで、何事も無かったかの様に、人と電車が行き交っていました。
けど、よくよく見ると...
漏れ出していた“滝口”には、(他のコンクリ天井とは明らかに違って)鉄板で補強されていました。

以前,東京駅地下総武快速・横須賀線ホームが、溢れる地下水の為に“水没”の危機にあり、その工事をした・・・とは聞いたのですが。。。

こんな現象,また、都内の地下駅で見られるかも知れませんよ。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウルトラの余韻

2006年09月20日 | くない卿見聞記
大感激の「ウルトラ兄弟&ウルトラマンメビウス」を観終えて後、蒲田へ移って痛飲すること7時間。
東京南端の蒲田では、私も紋次郎。殿も、帰りが難儀なので、折角の機会,横浜の哲坊殿宅へご厄介になることとなりました。

いつの間にか降りだした小雨の中、電車とタクシーを乗継、コンビニで簡単な酒肴を買い込み、お宅へと伺いました。

お宅に着いてからは、買い込んで来た酒肴をつまみながら、哲坊殿のコレクションを拝見。
まずは、今から20余年前,NHKで放送されていた人形劇「三国志」で“活躍”した関羽雲長の操り人形や、実際に劇中で使用された関羽の“墓”を拝見。

それは、中学の時にやってきた“三国志ブーム”の折、話題となって見ていたもの。
まさか、実際に見ること出来るとは思わず、感激でしたが、“原寸大”のそれは、案外大きく、迫力がありました。

また、今から(同じく)20余年前,TBSで放送された大型時代劇「関が原」のビデオを拝見しました。
これも、以前からレンタルビデオで見ていたので、気にはなっていたのですが、(また)まさか見られるとは思わず、酒肴をつまみながら、豪華キャストなこのドラマを見ていました。
ただ、これは結構な長編なので、酒や肴を太良腹食らった後、有難くも布団までご用意くださった上で見ていると、ついつい意識が・・・・・で、肝心の“決戦”は見る事無く、気付いたら朝を迎えていました。
翌日は“月曜日”だったので、ケータイのめざましアラームが作動,それで一時起きた時には、石田三成(加藤剛)が斬首される場面だった・・・記憶が。

お布団までご用意下さったお陰で、ぐっすり快適に,9時頃に起床しました。
本来ならば、この時間には帰っているつもりだったのですが、もう、手遅れで...
昼頃までまったりと,ウルトラマンのゲームなどしながら過ごしてました。
ちなみにこのゲーム。
初代からコスモス,その他、ゼットンやベムスターまでも選択出来るもの。
ただ、私は大好きなティガを選択して遊んでいたのですが、最初選択した“ミッション形式”は結構難しく、一度も成功を遂げる事無く打ち切って、バトル形式をすることとしました。
そこでは、ミッションでは負けてしまったゼットンや、タロウなどが“敵”として現れましたが、序盤は何とか,だんだん慣れてくることによって、比較的簡単に倒すことが出来ましたV
ところで。
これと合せて、哲坊殿コレクションの“ウルトラマンA”を観た紋次郎。殿が...
「Aは、模様とか肉付きがエロい」とバッサリ。
今まで、そんな風に観たことが無かった・・・のですが、そう言われると、段々と...。(むむむ,いかんいかん・・・)

そんなこんなで...
気付けば昼前でしたが、朝食をとってなかったので、朝昼兼用で食事をとりに、哲坊殿がご自宅近くのファミレスへ行きました。
そこで(また)1時間近くまったりとした後、帰路に着くべく、まずは横浜駅まで、バスで向いました。
なお、哲坊殿ご夫婦とはここで別れました。

観光バスを改造したかのような路線バスに乗り込んで10分程。
横浜駅横須賀線ホームに着くと、ちょうど千葉(船橋)方面行き列車が着いたので、紋次郎。殿より一足お先に乗り込んで行きました。

それから1時間半ほど,ぐっすり寝込んで乗り継いで、帰宅しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都市対抗のアツイ夏!

2006年08月25日 | くない卿見聞記
私の職場は今,ある意味“サマータイム”状態で、日が沈む前に終業となります。
なのでこの日は、謙信公祭で疲れた体を癒すべく、お気に入りの足裏マッサージでも受けに行こうかなぁ・・・
な~んて思っていたら、ケータイに、碧雲斎のマカ(もとい。以後,若)からメールが。
それは、この日開幕した都市対抗野球の観戦券があるので、お暇なら如何でしょう?!というもの。
閑暇ではなかったけど、確かに予定は無かったので、久しぶりの野球観戦もいいかな・・・と思い、行くこととしました。

ところで。
実は、この前の日(朝),職場の人と、偶然にも都市対抗の話をしていたのです。
それは、出勤途中に会った別の課の方から、、、
「くないさん(仮称)は野球好き?」
、、、と質問されたので、「はい」と答えた為,また、都市対抗が翌日開幕するゆえに出た話題だと思うのですが...。
業務上お付き合いのある「ヤマハ」から、以前はこの観戦チケットが提供されていたそうなのですが、今年はまだ着てない...ということ。
私は、、、
「もしあったら、行ってみたいですね」
、、、と、半ば社交辞令的に返したのですが、今回,ひょうなところから、観戦が実現しました。
しかも...
若が持って来た観戦券は、この日「ヤマハ浜松市)」と対戦する「東芝川崎市)」だったのです。

若との連絡後、不覚にも、ケータイのえねるぎーが不足して、十分にコンタクトが取れぬ事態に!
そこを、騙し騙しにえねるぎーを持たせて、何とかコンタクトを取り、飯田橋駅にて待ち合わせて向かいました,東京ドームビッグエッグ)に。

ドームには、18時ごろに到着。
多くの人でごった返す中、「東芝(一塁)側はこっち」という案内に従って向かうと、そこには物凄い列が・・・。
最初は、いといろと楽しみの多い「1階席に行けると」と、若も言っていたですが、、、
そんな期待薄の中、聞こえてきたのは係員の拡声器によるアナウンス。
「本日は、大変多くの方がお見えになっているので、3階席へご案内しています」
、、、とのこと。あ~ぁ...orz
けど、この多さなら致し方なし・・・と諦めつつ、観戦券と交換に頂いたうちわや特製Tシャツを手に、ドームの中へと入って行きました。
ちなみに、この日は3万5千人もの観衆があったとか。

入場時は、試合開始直前。
石原慎太郎東京都知事と、それに続いて東芝副社長と浜松市助役の始球式の後、試合は開始しました。

陣取ったのは、3階席のバックネット裏
プロの公式戦でも座ったことの無い席、中々見晴らしのいいところ。
ここで、試合終了まで、ビールなど片手に観戦していまいた。
またこの時、対戦相手側応援の為に駆けつけていたとあるお方より頂いた、耳寄りな情報を元に、誰が来季以降,我が阪神タイガース優勝の原動力になるか・・・という面でも、観ていました。

ところで。
試合は一進一退の攻防。
初回、いきなり先制本塁打(ソロ)を許してしまうも、3回,私が、ビールや食べ物を買いに出ている間に、2点を取って逆転し、リードする。
しかし、6回に同点に追い付かれ、8回,私が猛烈な睡魔に襲われてシドロモドロになっている頃、一気に4点を奪われてしまう。
その裏、東芝は1点返して、尚も満塁で追加点のチャンス!
なのに、代わったヤマハ投手の前になす術も無く、立て続けに凡退。
9回裏の攻撃も淡白に終わって、“東芝の夏”は終了しました。
トーナメント制ゆえ、致し方ないですが、なんだか、とっても勿体無い気がしますが...。

ちなみに。
この試合に、東芝は社長自ら“動員”を掛けたようで、1類側は、内野から外野まで、3階席まで赤一色,2万人余も集まったそうです。

それはもう、壮観です。
また、それ以上に凄かったのが“応援”。

ベンチ上に設けられた特設ステージ上では、熱烈な、様々な趣向を凝らした“応援”と、艶やかなで魅力的なチアリーダーが、その試合に興と花を添えていました。

応援面でも、ヤマハが一枚上手だったように思えます。
噂には聞いていましたが、その“迫力”と“熱さ”はもう、圧巻でした。
なんとなく、高校や大学野球に雰囲気が似ていましたが...。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乙女心な夏の劇

2006年08月11日 | くない卿見聞記
この日の宵の口。
職場から程近く,東池袋の寺域の一角に在る劇場≪Theater Green≫にて、(13日まで)公演中の「ももいろぞうさん」presents “Hello! Summer Halloween!”を観てきました。
その切欠は...
先日,上野と新橋を梯子した和装な宴
この折に(初めて)お会いしたBOSSYさんが出演されているというのを聞いたが縁。
そして、(同じく)この折お会いした涼さん,みなゆうさん,Diamond(ゆきまおう:ひで)さんとご一緒に、仕事帰りに観に行ってきました。

真新しいこの劇場は、私の知る限り,出来上がって未だ一年ほど。
そこで、同時に2公演行えるようで、1階では、別の劇団が,「ももいろぞうさん」の会場は5階でした。



荷物も運べるように設てある、一般よりも広い空間のエレベータで5階へ。
その左手に有った受付で、和装な宴の折に頂いた割チケを出し、お題を払って中へ。
そこは、劇団の公演場に相応しい,定員100名余の小さな劇場。
その中央,前から2列目に腰掛けて、場内アナウンスのアニメ声に気を取られつつ、開演を、今か今かと待っていました。
そして,開演定刻19:30。
マナーアナウンスの後、場内の照明が一斉に落ち、いよいよ開始。
そのスタートは...
緞帳には、巧みなアニメーションが投影され、今まで観てきた公演には無かった、その新鮮な演出に、より期待とテンションが上がって行きました。

最初,出演者(ほぼ)総出踊った後,本題へ。
その内容は...
端的に言えば、姉妹の失恋を中軸に展開する劇。
笑い大あり,魅了される踊りあり,エロさあり...なこの劇は、今まで観た中では一番に面白かったです。
ああいう場では、笑うのがちと気恥ずかしかったりすのですが...
個性派揃いだったこの劇に於いては、それは無用の様で、抱腹絶倒な場面も何度か。
特に、主人公の姉妹(と友人)が、ひょんなことから入り込んだショーパブ「ナイトメア」の“男性従業員”達の掛け合いがもう、可笑しかった。
その中心的人物=ナイトメアの仕切屋・レンの、巧みな話術には、終始,ある意味魅了されっぱなしでした。
黄色い男性(マルオ?)が、ずーっと、明るい“ヒロシ”に見えてしょうがなく、そこで独り,ツボにハマってました。

ちなみに、BOSSYさんは、この「ナイトメア」の支配人。
その迫力は凄かった!(^^ゞ ですが、踊りもまた、凄かったです。
その、しなやかな動きは、他を圧倒するほどの迫力が。

また、この「ナイトメア」には、女性の踊り子が4人いるいるのですが、その内の1人,看板スターの“アンジェラ”の、その、しなやかで妖艶な踊り,演技には、終始目が離せませんでした。
ちなみに、この“アンジェラ”役の方は、サルサダンスをされているとか。
なるほどです。。。

途中,10分の休憩を入れての2部構成。
公演時間は正味2時間でしたが、上記,今まで観た中では一番面白い劇でした。
時間有れば、また観に行きたいくらいです。

ただ一点,劇場のいすの座り心地を除けば...。


観劇の後,私以外の皆さんが知り合う切欠となった北池袋の【Oasis】へ。

みなゆうさんとひでさん,それに、公演後のBOSSYさんも加わって、1杯(以上),芝居にまつわる話(など)で大盛り上がりしつつ、24時近くまで飲んでました(^^ゞ
あの、緞帳に投影されたアニメーションが、BOSSYさんの“技”と聞き、ますます、その才知の多さを感じました。。。

ちなみに、ここで食した「厚焼き玉子」と「鮭といくらのチャーハン」,「えびのスパゲティー」は、めちゃめちゃ美味かったです。
ただ、これはメイファさんという店員さんの技量が成す味らしく、ほかは・・・とのこと。
ご興味おありの方,そこを要チェックの上、食してみてください。
駆け付け3杯はいけそうですから。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表と裏の(新たな)出会い<オードブル>

2006年06月18日 | くない卿見聞記
これは、今から2週間前,4日(日)のこと。
休日の夕暮れ迫る中、山手線原宿駅に降り立ちました。
平日には何度も通ったことのある地ですが、休日は、(多分)初めて。
噂には聞いていたけれど、斯程に人が...
特に6時の方向,神宮橋から流れてくるコスの多さには、圧倒され(目移りし)ました(笑)。

幾分広い表参道口とは言え、これだけの人は裁ききれないようで、人で混沌とする街中を、掻き分け掻き分け向かったのは、竹下通り裏,“ブラームスの小径”なるところにある【Jardin de LUSEINE(ジャルダン・ド・セルーヌ)というところ。
結婚式場レストランを営むここでこの日、大学以来の友人,みやぽりんが結婚披露パーティーを催すのに招かれて、行ってきました。



招待状に同封されていた(簡単な)地図を頼りに、大渋滞であろう竹下通りからでは無く、千代田線明治神宮前駅方面から、路地を縫うように、途中,ジャニーズショップにトキメク老若女性を横目に見ながら、向かいました。
けど、ちょい早く着いたので、勇気を奮って竹下通りに出るも、やっぱ、歩く間もないくらいの人人人...ちょい後悔と、相変わらずのランジェリーショップの多さを不思議に思いつつ、ここを脱出しました。
今回、初めて知った“ブラームスの小径”は、竹下通りと並行してある、200m程の狭い道なのですが、とても、それとは全く違う、実に静かで落ち着きのあるところ。
この中核たる館にて式を挙げるみやぽりんとは、確か...大学2年からの付き合いです。

一浪して駒大文歴を受けるも落ち、失意の中,何とか二部(法)で駒大入学を果たすも、文歴の夢を叶えるべく受験した転部試験は見事!合格。
漸く、回り道をしてですが入った文歴ですが、知り合いなどは皆無。
そんな中、(確か)声を掛けてくれたのが、同じ授業(日本史各説Ⅲ)を履修していたみやぽりんでした。

そしてこれ以後、戦国(みやぽりん)と近世志向(私)の違いは有れど、日本史専攻内で履修する科目は(結構)共通していたので、お互いの利害の下,より持ちつ持たれつ、補佐し合う様に。

また(特に)、青春の1ページとして...
真夏の昼下がり、渋谷から線路沿いに新宿まで、明治神宮の鎮守の杜を満喫しつつ、歩いた仲。
また、同じく上杉贔屓者でもあるので、嬉哀半々で、見届けに来た次第です(笑)

メーンディッシュへ続く>>>

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表と裏の(新たな)出会い<メーンディッシュ>

2006年06月18日 | くない卿見聞記
大学以来の友達,みやぽりんの結婚披露パーティーに招かれ、やってきた原宿

裏竹下的“ブラームスの小径”に在る式場に着いたのは、開演15分前。
欧州的建物の、なんとも言えぬ落ち着きに見惚れながらも、中に入るのには、最初,ちと勇気が要りました。
というのも...
実のところ、学科内での友達は、個々違うグループでバラッバラ。
横断的繋がりがさほど無いので、この会場での知り合い,友達の誰が来ているのか、正直,ドキドキもので、孤立覚悟でやってきました。
けど、(やっぱり)ゼミ友2人はこれに駆け付けていたので、なんとか、それは回避され、数年ぶりの再会を互いに喜び合ってました。

受付を済ませ、ウェルカムドリンクを頂きつつ、新婚さんへのメッセージを書く( ..)φ
ちと咄嗟の事,また、妙な緊張感で気の聞いたこと,受け狙いが思いつかず、フツーな事を書いて、受付へ提出。

そして、時は17時半。
開宴の時刻となり、式場の人の案内で、表,小径にての、新婚夫婦のフラワーシャワーでの祝福(お出迎え)に行きました。

アコーディオンとヴァイオリンの演奏に導かれ、純白のドレスに黒のタキシードという装いで新郎新婦登場!
私も含めて,花弁の嵐の中、式場へと誘われて行きました。


もう歳なので、手ブレが止まりません!

先に触れましたが、この式場は、喧騒的な竹下通りとはまるで趣の違う、静かで落着きのあり、実に暖か味のある、いい雰囲気のところ。
これも、新郎新婦の、肩肘張らず和やかに楽しめるパーティーに・・・という御意向らしいです。

新婚夫婦のお出迎えを終え、御一同,会場へと入り、乾杯を!
今回,このパーティーの司会進行役は、新郎様の御舎弟殿。
恐らく、年の頃は22くらいかと思うのですが、実に巧く、小慣れた進行振り。
まさか本職?!と思いながら、様々なところから食料やら飲み物を調達し、舌鼓を打ちながら、初顔合わせの駒大文歴衆と、ある一定距離を感じながら歓談(に紛れる)。
新婦,みやぽりんの憂慮をよそに、なんかと(笑)

途中、新郎新婦のお色直しを挟んで、様々なイベント,アクシデント経て、2時間半に渡る、盛大で、かつ晴やかなパーティーは終了しました。

この後、(大半が初顔合わせな)駒大文歴衆と、2次会に繰り出すこととなったので、それに私も着いて行きました。

ちなみに帰り際、ちょい歓談していた新婦側招待客の女子大生から、、、
「駒大の皆さんはホント、面白いですね。」
、、、との言われたのが、とっても印象的(最大の名誉)でした。


こう、改めて言われると...これって、駒大の、良くも悪しくも“校風”なんでしょうかね、駒大の皆さん!

デザートへ続く>>>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

表と裏の(新たな)出会い<デザート>

2006年06月18日 | くない卿見聞記
2時間半に渡る、賑々しく盛大に、また晴やかな披露パーティーは終了。
うだうだと、式場内の記念撮影などしている内に、いつの間にか殿(しんがり)に。
新郎新婦には、祝意と労い,招待下さった御礼と、先に出会った女子大生に、あることあること言った,ということをみやぽりんに報告し、
駒大の皆さんは面白いですね」
・・・という、女子大生の賛辞を胸に、式場を後にしました。

主体的駒大文歴衆の後に付き、2次会の陣に定められたのは、竹下通り入口のイタメシ屋へ討ち入りました。
陽が有る頃とは打って変わって、人気の疎らな通りを象徴するかのように、本日(夜は)初めての客となった我々,総勢10名強。
店側には「やっと来たお客様,格好の獲物・・・」だったかもしれないけど、散々,飲めや食えやしたので、私は、確かお茶を一杯だけ飲みました。
けど、結果的には割り勘なので、これが4,000円と、い~い値段しました。

気付けば皆さん、飲め食えやしてたようで。
これが、こざっぱりしたデザートならばいざ知らず...なのですが。

ところで。
最初は皆さん、全ての人と交流があったのは、ほんの一握りだけ。
後はそれぞれ、私を含めて何処と無く牽制し合う、なんだか妙な雰囲気。。。。
その内,1人、私のゼミ友の旦那=実は同じ日本史だった人が自然取り纏めをし、後は(取り敢えず)若い者同士なので、次第に打ち溶け合って、話も弾んで行きました。
そんな中で、やっぱ時流か,オトナになったなぁ...と思わせる(株とかの)ネタも飛び出して、中々に面白かったです。

そして、これもやっぱり時流なのか...
昨年の初秋,駒大の先輩でもある織部正様からご紹介いただいたSNSの老舗,「mixi」。
(やはり)ここに在籍している方が居られました。
先日,1人(ゼミ友)には、駒大文歴のコミュニティーに潜伏しているとこを発見されたのですが(^^ゞ、、、

今回,みやぽりんの晴れの日に、有難くも招かれましたが、改めて、その交流の広さを知りました。
話をしてみると、実は同じ授業をとってた...とかで、一度ならずも、どこかで見かけ、出会っているようなのです。
けど、それに卒業後,6年もしてから判るとは...

私は不器用な性質なので、何かと気付かないことが多いですが(^^ゞ

今となって交流がもてるとは、なんだか妙に、不思議な感じがしました。

その所為か、少し酒が入ったら、電車で座れれば、タチドコロに寝てしまうのですが、この日は、妙にテンション↑。
これは、家に着いても同じで、結局,寝たのは26時半頃。
いつもなら、僅か3時間半程度なら、例え起きても、眠くて眠くてしょうがないのに、テンション↑が持続してるのか、それが一切無かったです。
なんとも、不可思議なことで(^^ゞ

やっぱ、雰囲気のいい宴だったから・・・かな。

食べ直しますか?!(笑)>>>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

往年の玄関口

2006年04月09日 | くない卿見聞記
前日夜,石和への壮行会で訪れた浅草
ここを起点に、国際観光地,日光鬼怒川や、上毛地域へと延びる東武鉄道

この沿線に生を受け、物心付くまで住み、更には、親戚が住まう野州まで向かう折、ここより発った、何処と無く馴染み在るこの駅。
浅草と日光・鬼怒川という、国際観光地同士を結ぶ、結節線だったこの東武も、沿線のベットタウン化による通勤列車増発と、一方で景気低迷に伴う日光・鬼怒川方面の地盤沈下(足銀ショック)で、優等列車の乗車率低下に喘いでいました。

そこで、一月程前の3月18日、伊勢崎線,日光線を中心とした大幅な列車種別とダイヤ改正を実施
その柱は、東京メトロ半蔵門線との相互乗り入れ強化と、かつては、日光方面へのアクセスを巡って、熾烈な乗客獲得競争を繰り広げたJR旧国鉄)と手を結び、新宿方面から特急列車の相互乗り入れを実現させる・・・といったもの。

しかも、(上記)列車種別変更に伴って、浅草発着の一般列車は、従来通りだが・・・北千住までの各駅停車の“区間”急行か“区間”準急なる、格下げ感ある変更がなされ、東武宇都宮東武日光新栃木伊勢崎太田館林までの直通列車も無くなり、一方で、“区間”の無い急行や準急などの速達列車は、二つ先の曳舟押上)を経由してしまう有様・・・。

これでは、曳舟⇔浅草は支線のようなもの。

昔は、快速に“座って”乗るには、早く来て、列に並ばなければなかなかったのに、今ではもう、その必要も無く、駅構内にいた“赤い帽子”の荷物持ちや、靴磨きの人も、すっかり見掛けなくなり、もう、浅草駅の地盤沈下は、抑えられそうにないですね。

利便向上とはいえ、ただただ、寂しい限りです。。。


ちなみに、日光・鬼怒川(会津)方面への、無料速達列車として重宝していた快速も、その大半が“区間”かされ、東武動物公園から先,日光線内は各駅停車になりました。
これって、返って不便になったんじゃないか・・・って思うのですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城馬上弓くらべ:六之矢「不思議」

2006年04月07日 | くない卿見聞記
生憎の、不安定な天気の中,勇壮に執り行われた馬上弓くらべ。

この後に、無理矢理予定を組んだので、最後までこれを観る事出来るのか、微妙だったのですが、(皮肉にも)天気が味方して、最後,織部正様が見事2位となり、祝辞を述べることまで出来ました。

無理矢理組んだ予定をこなす為には、家に遅くても18時までに戻らなければならず、当初の予定を変更し小田原より新幹線に乗って戻ることとしました。
ただ、祝辞まで述べても、予め特急券を購入していたので、新幹線までの時間に余裕があったので、ちょいと寄り道をして、ある史跡に寄って行きました。

それは...
かつて、戦国時代,この地を拠点に関東に覇を唱えた北条氏政・氏照兄弟の墓です。

駅の直ぐ近く,商店と住宅が混在する街の一角に、この時は雨模様だったので、余計にひっそりと感じました。

北条家は、豊臣秀吉の惣無事令に反し、真田領だった上州名胡桃城を攻撃し、これを陥落させたことによって討伐を受け、小田原は奪われて、戦国大名としての命運を閉じたのですが、その時の、実質的な当主であり主戦派であった二人は、この責任を事実上問われ、自害を余儀なくされたのです。

北条家自体は、その後も細々と、豊臣(羽柴)家,徳川家と臣従し、河内国狭山に万戸候として、また、譜代格として幕政にも携わって、その命脈を保ったのですが、彼の二人は、死後も“冷遇”されていたようで、この墓碑が出来たのも、江戸時代に入って暫くしてからとのことです。

勝てば官軍,負ければ賊軍、盛者必衰の理・・・を、感じました。

なお、ここには瑞渓院(氏政)様の治世と徳を偲んで・・・らしいのですが、「幸せの鈴」という触込みで、数多の鈴が付けられていました。
ただ、私は合掌して、この場を後にして、小田原駅より「こだま」に乗り込んで、一路、品川経由で自宅へと向かいました。

ちなみに、小田原地方は出発時,雷を伴った雨が降っていたのですが、それも、東へ向かうほど,都内へ近付くほどに、雨などの降った形跡は見られなくなりました。

その代わり、街とその上空は、不思議と黄みがかっていました。
その正体が、“風塵”なる現象と判ったのは、翌日の朝刊を読んでからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原城馬上弓くらべ:伍之矢「兵之道」

2006年04月06日 | くない卿見聞記
小田原城内を巡覧し、天守最上層よりその眺望をして初登城を満喫して後、時迫ってきた主目的「馬上弓くらべ」を観に、下城しました。


二の丸広場の向かい,重厚な造りの銅門。
この前の広場では、“市”が開かれていて、やきそばや団子,焼き鳥などは言うに及ばず、骨董から古着なども扱う露天が軒を連ねていました。
これらの匂いに誘われて、ついつい迷箸をしてしまい、気付けば「弓くらべ」開始の時。
急いで、広場の馬場へと向かいました。

銅門外より。これぞ“城”といった風格十分の感じです。

馬場際には“桟敷席”が設けられていたのですが、特に的近くは、既に十重二十重に埋め尽くされて寸分の隙も無く、それを求めて馬場末まで流れて行きました。
ただ、迫力はここでも十分伝わってきました。

定刻となり、まず参陣されし“兵”たちの着到式がなされ、馬上弓くらべの開始が、高らかに宣言される。
ここを走るのは、現代の競馬などで見る、スレンダーなサラブレッドでは無く、古来の木曽馬
どっしりとした容姿が、頼もしさを覚えます。

そしてこの最初,大きな樹の傍に据えられて的へ、2人もしくは3人が続けて馬場を駆けて射る・・・というものが披露される。
古の見事な装束に身を纏った射手達は、馬場を駆けてこれに挑み、その見事さに暫し目を奪われてします。
その中で、特に見事な技を披露していたのは、15歳の少女で、この後、子供流鏑馬にて先導役を務めたこの子の技には、ただただ感嘆するばかりでした...。

続いて披露されたのは、諸国対抗戦。
「北条氏康公が、諸国に呼掛けて参集」という趣旨の通り、見事な、感嘆する騎射の芸を披露。
更に続いては、下に向かって射る芸。

その正確さ,見事さには、ただただ感嘆するばかりでした。

しかし、この頃から雲行きがどうも怪しくなってきて、さっきまでの、薄日が差す穏やかな天気が一転、上空を黒い雲が覆い、遂には雨が、時折雷を轟かせながら降ってきました。
この時、同じく馬上弓くらべを観覧に来ていた、三浦介星友殿や鈴白殿に小典厩殿,将軍太郎殿と石野真琴殿と出会ってご一緒していたのですが、このドサクサに紛れて、鈴白殿や小典厩殿と共に、最前列,ブルーシートの上に陣取って、眼前の巧みな騎射の芸に魅了されていました。
けど、流石に雨脚が強まってきて、傘も役立たず、ブルーシート内の浸水も激しくなってきたので、無念ながらも、ここから立ち退きました。。。

こうした、生憎の天候の下、前日予選を勝ち抜いてきた兵達の、決戦(個人戦)が開始されました。
突然の降雨で、射手を苦しめる悪条件過,先に記した少女や、先輩の織部正殿が堅実に的を射抜き、更には二走目最初の的で“ど真ん中”を射抜いて、私を始め、観衆の度肝も射抜き、2位となりました。

前日のテレビ中継以来の“任務”を漸く終え、疲労困憊の織部正殿。
一段落して、お会いした皆様方と、織部正殿へ慰労と祝辞を述べに行くと、再び織部正殿に騎射の用意が達せられる。
これは、織部正殿の馬仲間弾正小弼景虎殿が同率となった為、二位決定戦を執り行うことになったのです。
一向に降り止まない雨の中、団体戦,甲冑騎射,そして個人戦で二走と、言わば大車輪の活躍の織部正殿は、少々お疲れ気味・・・と拝察する体に鞭打って、再び騎乗。

荒くる馬を乗りこなし、馬場を駆けた結果は・・・見事!高得点を射抜いて2位準優勝が確定しました。

わざわざ千葉から、3時間も掛けてやって来た甲斐があったというもの,織部正殿含め、見事な騎射の芸を存分に堪能して、所用あって一足お先に失礼をしました。

来年もまた、機会あれば観に来たいと思います。
その折は、是非に好天であるよう、祈念して。

←←←←四之矢「温故知新」へ ◇ 最初の「小田原道」から→

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする