竹島研究室

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韓国側の動向(8/8):米軍、解放前から「リアンクール岩・竹島」併記

2008-08-08 22:24:08 | 韓国側の動向
▲米海軍が太平洋戦争末期だった 1944年「独島」を「リアンクール岩(Liancourt Rks)」と「竹島(Take Shima)」と併記した地図を製作したことが確認された。聯合ニュースが 7日米連邦政府記録保存所(NARA)に保管された韓半島関連地図を閲覧した結果、米海軍水路局が出版した「台湾から朝鮮まで」という題目の地図で独島をこのように表記したことが分かった。聯合ニュース


●米軍、解放前から「リアンクール岩·竹島」併記

 米海軍が太平洋戦争末期だった1944年「独島」を「リアンクール岩(Liancourt Rks)」と「竹島(Take Shima)」と併記した地図を製作したことが確認された。

 聯合ニュースが 7日米連邦政府記録保存所(NARA)に保管された韓半島関連地図を閲覧した結果、米海軍水路局が出版した「台湾から朝鮮まで」という題目の地図で独島をこのように表記したことが分かった。

 米海軍の地図製作時点は韓半島が日本に主権を剥奪された状態だったという点でアメリカが敢えて「リアンクール岩」という表記まで入れた背景に関心が集められる。

 これはリアンクール岩が韓国「独島」と日本「竹島」の間でアメリカの中立的位置を守るための表記という現在の解釈と違い、当時は単純に独島の別称くらいに使われた可能性を示唆するように見える。

 これと関係して連邦政府記録保存所の韓国関連索引資料のなかでも「1948年 6月リアンクール岩爆撃関連報告」という題目が発見されて、リアンクール岩という表記が頻繁ではないが米行政府内で使われたことを示している。

 独島爆撃事件は米軍政下であった1948年 6月 8日独島周辺海域で発生した米軍爆撃機による爆撃によって周辺で操業中だった漁民たちが死亡した事件だ。

 また解放前日本で製作された各種地図には東海に鬱陵島まで表示されたまま独島はない場合が大部分だったし、独島があるといっても「竹島」と記録されていた。

 一方米政府記録によれば日本は韓国を統治して韓国式地名表記ができないように残酷な制約を加えたし、これによって当時製作された韓半島関連地図の地名は大部分日本式で表記している。

 例えば済州島はサイシュウトウ、鬱陵島はウツリョウトウと表記したし、済州道内の地名もサイキホ(西帰浦) などが地図に登場している。

 特に北朝鮮義州の場合、日本が意図的に「新」を付けて新義州に改名した米政府記録物は少ない。

ワシントン=聯合ニュース

2008-08-08
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20080808800011



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