竹島研究室

竹島問題を研究する。

日本側の竹島報道(8/27):きしむ「境界」:日中韓の底流/2 竹島/下 すれ違う領有権根拠

2008-08-27 22:47:11 | 日本側の動向
●きしむ「境界」:日中韓の底流/2 竹島/下 すれ違う領有権根拠

 韓国は竹島(韓国名・独島)を実効支配している既成事実をもって、国際司法裁判所への提訴に持ち込もうとする日本の提案を「領土問題は存在しない」とかわしてきた。

 一方で、日本の学習指導要領解説書の表現にまで過敏に反応するのは、韓国側が竹島問題を領土問題にとどまらず、歴史問題と結びつけているからだ。

 竹島問題には長い経過があるが、現在の緊迫状態が生まれたのは96年2月、韓国が島での港湾施設建設計画を公表したのがきっかけだ。当時の池田行彦外相が「歴史的にも国際法上も日本の固有の領土だ」と抗議したのに対し、金泳三(キムヨンサム)大統領は日本の政治家の歴史認識発言を批判する際に用いる「妄言」という表現で反論した。

 日本が朝鮮半島の植民地支配を謝罪した95年村山富市首相談話の直後。冷戦終結を受けて、日本とアジア諸国の歴史認識が政治・外交課題に浮上する中、竹島問題も焦点となった。

 日本は政府答弁書などで「我が国は遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立」と主張。韓国側は「領有は6世紀初頭の新羅時代から」だが、1905年に「日本が朝鮮半島侵奪の過程で最初に奪った」(いわゆる「竹島編入」・盧武鉉(ノムヒョン)前大統領特別談話)との主張に重点を置く。1910年の日韓併合につながる植民地化の流れの発端と位置づけるわけだ。

 日本が領土問題として国際調停を求めても、すれ違い続けるのはこのためだ。日韓基本条約(65年)で賠償問題決着を優先し、植民地支配など歴史認識の歩み寄りを先送りしたのが遠因にある。

 ただ、96年に緊迫した後も、99年の日韓新漁業協定では、韓国が竹島の領有権問題を棚上げする柔軟な態度を示した。04年に韓国で「竹島切手」が発行され、翌年、島根県が竹島条例を制定して緊迫した時も、06年には日韓共同で島周辺水域の放射能調査を行った。

 竹島問題は緊張と緩和の努力が波状的に繰り返されてきた。今回も両国の知恵が求められている。韓国の柳明桓(ユミョンファン)外交通商相は、06年の共同調査を韓国外交通商省の第1次官として実現した当事者でもある。=つづく

毎日新聞 2008年8月27日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/news/20080827ddm005010045000c.html



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