江戸の華

2011年05月18日 19時38分09秒 | 祭と手拭い
江戸時代から現在までの消防の歩みが分かる四谷消防博物館に行ってきました。


5階 火事と喧嘩は江戸の華  江戸時代の火消の誕生や仕組みについて紹介するフロアーです。


江戸時代の消火方法は、火がこれ以上燃え広がらないように、まわりの家を取り壊してしまう「破壊消火」で、火消したちは刺子で出来た半纏を着て水を被り火の粉から身を防ぎ「鳶口」や「刺又」などの道具を使って家々を壊し、炎から町を守りました。
町火消しは鳶職の人(土木工事や建築の職人)が中心になっていた。



町人のための本格的な火消制度は享保3(1718)年に南町奉行・大岡越前守忠相が作った「町火消組合」に始まります。
隅田川以西江戸市街・いろは・・・47組(のちに48組)に、墨田川以東の本所・深川(墨田区・江東区)を16組に分け、江戸の町を火災から守りました。いろは・・・組は、いろは48文字の内から{へ屁・ひ火・ら・んは発音が下品}の4文字を除き、「百・千・万・本」の4文字を加えて48組としました。


火消のシンボルとなる「いろは48組、本所深川16組」のすべての組の纏が本物の2分の1の大きさの模型で展示されています。壮観



みごとなジオラマが置いてあります。江戸時代には消防車も消火栓もなかったので、大火災の消火といえば、火災現場の周りの燃える物、つまり家を破壊して火災が広がらないようにする破壊消火でした。江戸時代の最初は武士が消火活動をする大名火消しです。戦国大名が敵味方の区別に使ったまといとのぼりが、消火活動で組のシンボルの纏になったそうです。その後、いろは48組と本所深川16組の町火消しが組織され、梯子乗りの曲芸が生まれた様です。当時の町火消し間には競争意識があり、消火活動をしたら、どの組が消したか札を建てて自慢して痛みたいです。明治に入り近代的な消防が始まりました。最初は警察と消防はいっしょだったそうです



江戸時代の町並みを再現したジオラマでは町人の様子や活躍する火消たちの勇ましい姿を詳細に現しています。この時代の消火方法は建物を壊して燃え広がりをさせない破壊消火でした。「武家の火消」コーナー、「町方の火消」コーナーに分けて装束、道具、古文書、及び錦絵などが展示されています。





場 所 160-0004
    東京都新宿区四谷3丁目10番



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