タイムマシン第三弾です。
さて、前回パラドックスが起きてしまう過去への干渉について書きましたが、理解していただけたでしょうか。すごく哲学的な分野で、考え出すと眠れなくなる人もいるでしょう。問題で言うと、「たまごが先か、ニワトリが先か」に似ていますね。どちらが咲きに存在したのか。どちらがなければ、どちらかはないわけですから…
今回は平行世界について語りたいと思います。
平行世界とはどういうものなのでしょうか。聞いたことのない人も多いと思います。僕たちの暮らしているこの世界はたくさんの可能性の中の一つの世界でしかないわけです。例えば、両親が出会っていなければ自分は生まれてこない、存在しないものになります。ただ実際は出会い、恋をして自分が生まれてきたわけです。そのとき、出会わなかったときの世界も存在しているのです。いろいろな分岐で生まれた無限の世界が存在している。というのが平行世界の考え方です。
今、この時間にもいろいろな可能性が生まれてその数だけの平行世界が生まれ、さらにそこから平行世界が生まれ…ねずみ講のように増えていくのです。もしかしたらどこかの平行世界では自分という存在はいなくなっているかもしれないし、自分ひとりで最後の時を迎えているかもしれない。無限の可能性を秘めているとはよく聞きますが、その可能性の分だけ平行世界が生まれるんです。
そう考えると他の世界はどうなっているか、気になるところですね。ただ現実問題として、存在していても垣間見ることはできないでしょう。その世界は、時間の流れ自体は同じであっても、空間というものを超えているわけです。そう考えると平行世界へ行くには、タイムマシンではないということになりますね。強いて言うなら、「レモーバル・マシン」(空間機械)ということになるでしょうか。タイムマシンより現実味がなくなってきましたね。これはこれは。
あなたは過去や未来の自分と、平行世界にいる無限の自分どちらに会いたいと思うでしょうか。