僕のつぶやき

服や音楽が好きな、現代の夢見るフリーターsanboさんがお送りする戯言やイラストなどなどです。

タイムマシンと平行世界

2005年02月08日 17時47分56秒 | つぶやき

 タイムマシン第三弾です。

 さて、前回パラドックスが起きてしまう過去への干渉について書きましたが、理解していただけたでしょうか。すごく哲学的な分野で、考え出すと眠れなくなる人もいるでしょう。問題で言うと、「たまごが先か、ニワトリが先か」に似ていますね。どちらが咲きに存在したのか。どちらがなければ、どちらかはないわけですから…

 今回は平行世界について語りたいと思います。
 平行世界とはどういうものなのでしょうか。聞いたことのない人も多いと思います。僕たちの暮らしているこの世界はたくさんの可能性の中の一つの世界でしかないわけです。例えば、両親が出会っていなければ自分は生まれてこない、存在しないものになります。ただ実際は出会い、恋をして自分が生まれてきたわけです。そのとき、出会わなかったときの世界も存在しているのです。いろいろな分岐で生まれた無限の世界が存在している。というのが平行世界の考え方です。

 今、この時間にもいろいろな可能性が生まれてその数だけの平行世界が生まれ、さらにそこから平行世界が生まれ…ねずみ講のように増えていくのです。もしかしたらどこかの平行世界では自分という存在はいなくなっているかもしれないし、自分ひとりで最後の時を迎えているかもしれない。無限の可能性を秘めているとはよく聞きますが、その可能性の分だけ平行世界が生まれるんです。

 そう考えると他の世界はどうなっているか、気になるところですね。ただ現実問題として、存在していても垣間見ることはできないでしょう。その世界は、時間の流れ自体は同じであっても、空間というものを超えているわけです。そう考えると平行世界へ行くには、タイムマシンではないということになりますね。強いて言うなら、「レモーバル・マシン」(空間機械)ということになるでしょうか。タイムマシンより現実味がなくなってきましたね。これはこれは。

 あなたは過去や未来の自分と、平行世界にいる無限の自分どちらに会いたいと思うでしょうか。


タイムマシンとパラドックス

2005年02月08日 17時30分19秒 | つぶやき
 さて、タイムマシン第二段です。

 その前にタイトルにある「パラドックス」について説明しなくてはいけません。パラドックスというのは、そのまま訳すと「逆説」ということになります。さらに逆説というのは「理論上はまちがっていても、実際は適していることなど」です。

 例えば「急がば回れ」理論上は急いでいるなら、最短距離でいくのが正しいけれど、そこには何かの障害がある場合にはあえて遠回りした方が早いということです。「負けるが勝ち」これもよく言う言葉かもしれないけれど、これも逆説です。

 それではなぜタイムマシンとパラドックスが関係あるのか。
 前述したように「タイムマシン」を使って過去に戻って、自分の都合のいいように過去を変えてしまえないことはほぼ確定でしょう。もしかしたら知らないうちに未来人によって、この現在が変えられているかもしれないけれど。。そして、例えば自分が過去に戻り、自分を殺してしまおうとするときにこの「パラドックス」が生じるわけです。

 なぜ?? よく考えてみてください。

 過去の時点のあなたが死ねば、未来の自分はいなくなります。ということは、未来の自分に殺されることはなくなり、未来の自分も生まれるわけです。わかりましたか?どっちにしても自分に殺されることはないわけです。それは自分でなくてもかまいません。最初の人類を滅ぼしにいって、もし本当に滅ぼしてしまったら自分はいなくなってしまう。ということはその滅ぼしたという事実が実現していることがおかしいわけです。人類が滅びるということは未来の人は誕生しないということ、誕生しなければ人類が滅ぼされることはないわけです。複雑なパラドックスです。

 どちらが先か、考えようにもそれは実際には起きえない事です。ここまでくると科学という分野を超えて、哲学の分野になります。古代から何代にもよってくみ上げられてきた哲学を用いてもこのパラドックスをとくことは出来ないでしょう。もし、実際に過去に戻れるものがあるとしたら、このパラドックスは時間という壁にどう処理されるのでしょうか。なぞです。