僕のつぶやき

服や音楽が好きな、現代の夢見るフリーターsanboさんがお送りする戯言やイラストなどなどです。

はじめまして。

2005年02月05日 18時06分02秒 | つぶやき

 Sanboです。

 人生80年と言われるようになった昨今、人間は何を求めて生きているのでしょうか。ふと思いました。セミなんて、何年も土の中にいて、空を知って一週間くらいで死んでしまいます。その短い人生の中で彼らは何の為に生きて、何の為に死ぬのでしょうか。子孫を残すことで、種としていき続けることが目的なのでしょうか。

 生命の起源はいまだはっきりしていません。海でたんぱく質なんかが突然変異で構築されていったみたいですけど、そうやって生まれた生物はどこまでいけばいいのか。まったくわかりません。生きるということは苦痛や幸福を伴い、自分に嘘をついて、人に嘘を付いて、自分というものを作り上げて必死に生きている。

 地球には63億の人がいて、一人として同じ人はないわけです。僕は僕で、あなたはあなたというたった一人の存在であることは確かです。傷つけ、傷つけられて、生きていくことをあきらめる人も多いのが事実です。今日のニュースでも若い人たちが車の中で練炭を炊いて、一酸化炭素中毒で死んでいたそうです。自殺。

 あなたは死にたいと思ったことはありますか? きっとだれもが一回くらいあると思います。僕もあります。ネットの自殺志願者の集まるサイトにいって、どんな死に方がいいか話し合ったこともありました。そんな人がたくさんいるということをしって落ち着いたというか、安心したのでしょうかね。人が死ぬというのを、止めている自分がいました。自分も死のうと思っていたのに。でもその中には実際に亡くなった人もいると思います。生まれてくるのは少なくとも二人の人が必要で、たくさんの人の思いを集めているのに、死ぬときには一人で、たった一人でしかも思うより簡単に終わってしまうんです。

 トイレやお風呂の窓やドアの隙間をガムテープでふさいで、そこで練炭を焚いて、自分は睡眠薬を飲み、眠りに落ちている間に一酸化炭素中毒になって死ぬというものです。僕が考えたものは。それはたくさんの人と話している中で考え付いたもので、みんなそれが一番だということになりました。飛び降りだとぐちゃぐちゃになるし、首吊りだと死んだ後括約筋なんかが緩んで、糞尿を撒き散らしてしまうので…なんて、自分の死んだ後のことを考えている時点で、死ぬ気なんかないんですよね。振り返ってみればそう思います。

 これからもまた死にたいと思うことがあるかもしれないです。ないとは言い切れないし、必ずあるともいえない。でも、今は死にたいとは思わない。…そう、僕が死ねない理由の一つに死ぬことが恐いということがある。ある意味、死ねるというのはかなりの勇気だと思う。普通の人は、「そんな勇気必要ない」っていうかもしれないえけど、死にたいなんて人はもういっぱいになって、どうしようもないから、でも何もできなくて苦しんでいるんです。そこから動き出せることはすごいと思う。ただしそれが負の方向であったということ。死ぬのがいいとか、悪いとか簡単にはいえない。死んだ人を前に「なんで死んじゃったの?」というかもしれない。もしかしたらあなたの責任かもしれない。あなたが原因かもしれないし、あなたを頼ることができたなら死なずにすんだかもしれないのだから。でも、死人に口なし、死人は責めません。


 暗い話になってしまいました。次回はもっと違う話を書きたいと思います。ごめんなさい。