幼いころ
明治生まれの祖母が言っていたこと。。
お天道様は
どこにいても拝むことができる
何ら 宗教に囚われることなく
朝 昼 夕 晩
自分の心のままに
お天道様にお願いをしたり
感謝することで
その日一日
無事に過ごせる(た)ことに喜びを感じられる
そう言って
太陽に向かって手を合わせて
お辞儀をする所作が
幼い私には滑稽でしたが...
ず~っと 心に刻まれている光景です
私が 空が好きでたまらないのは
この祖母との思いで と
小学校の頃に出会った
大好きな 山村 暮鳥の詩 によるものだろう..と
つくづく思っています
雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲を
ながめている
おなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか
ある時
雲もまた自分のようだ
自分のように
すっかり途方にくれているのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひょっこりとでてきませんか
ー 山村 墓鳥 ー
>私も、こんな風なおばあさまになりたいわ
↑ ↑
うれしぃコメントです
まだ素朴な時代には
[おばあちゃん] は [おばあちゃん] らしく
孫との語らいの中での教えのような機会が
普通にありました..ね
現代は子供も忙しいし...
一日の時間の流れが速いし...
♬あのとき 同じ花を見て
うつくしぃと言った二人の...♬
こんなさりげない時間を持つことが
なかなかできないですものね。。。
なつかしぃ良き時代の話でした
>誹謗中傷、不平不満が多い人は、
自分をみつめていないんだろうなぁ
↑ ↑
これは
人の性(さが)というもので
私の中にも時々疼きます
人は感情の生き物だし...
けれども、ほかの動物にはない特性を与えられている...
感情をコントロールすることこそが
人としての使命で秩序に通じるのでしょう..ね
気づいた人が努力していく、それが大切なのでしょうね
読んでいて、あ、私も昔読んだことがあるととても懐かしく思いました。
おばあさまのお話とこの詩達、良いお話をありがとうございました😊
私も、こんな風なおばあさまになりたいわ
今だから、そのおばあさまの所作が胸にくるのだと思います。
お天道様って、結局は自分自身なんだと思うのです。
自らの行動を、自ら律する。
これを書きながらもジーン( ;∀;)
前回のコメントでmomさんがおっしゃってくれましたが、
これに気づけていない人はたくさんいると感じます。
誹謗中傷、不平不満が多い人は、自分をみつめていないんだろうなぁとわたしも思います。
わたしがそうだったからこそ、分かります。
言うのは簡単だけど、これに気づけるってとても難問ですね…。