北海道札幌·小樽観光タクシー・ジャンボタクシー個人高橋TAXI 飯·旅·想い出ブログ

大型観光バス無事故21年北海道全域で観光案内しています。北海道観光は090-8276-4671小樽観光タクシー高橋へ

にしん御殿旧青山別邸小樽貴賓館へ行って来ました。

2022-06-27 08:26:56 | 小樽市
にしん御殿旧青山別邸

旧青山家は小樽祝津の網元で、明治・大正を通じ、鰊漁で巨万の富を築きあげました。

この青山家が、暮らしの場ではなく客をもてなし自らも楽しむために建てたのがこの青山別邸です。

昭和60年に小樽市歴史的建造物第3号に指定されました。

大正6年から6年半余りの歳月をかけて建築され、大正12年に完成しました。





山形県酒田から宮大工を呼び寄せ、総勢50数名の手により建設されました。

建築の材料も山形県から北前船で運ばれたケヤキをはじめ、ヒノキ・杉などの材料が使われております。

当時のお金で約31万円かかっております。

米一俵(60kg)が2円50銭の時代です。

また、当時ヤン衆の手間賃が3ヶ月働いて80円といわれ、同時期に建てられた鉄骨の新宿伊勢丹デパートが50万円ですから、木造の青山別邸の建築費がいかに莫大ののかがわかると思います。

日本画の島崎藤村、書の中村不折ら著名な画家書家の襖絵や屏風などの書画、骨董品などが当時のまま展示されております。

また、花や鳥などが彫り込まれた紫檀や黒檀をふんだんに使った欄間、クルミと象牙の飾り棚などの芸術品が家のいたるところにおかれています。

約1500坪(4950㎡)の敷地に建つ木造2階建ての建物です。

雪国には珍しい瓦葺きの重ね屋根、軒下の角には組木と樽木を結ぶ「ひよどり線」。

家の中には6畳から15畳のの部屋が18室と、トイレ、風呂、廊下などがあり、まさに金に糸目をつけない豪邸ぶりです。

たぐいまれな美的センスを持つ3代目の娘、青山政恵さんが17歳の時、山形県酒田市にある当時日本一といわれた本間邸に魅せられたことがこの豪邸の発端といいます。

その本間邸に優る建物を建てたいという彼女の想いが小樽に素晴らしい美術豪邸を残しました。

枯山水の庭園

松と玉砂利(岐阜の長良川の自然石)を組み合わせ、和風情緒を醸し出す日本庭園です。

手造りガラス1500枚

当時の手造りガラスが大小1500枚も使われています。

空気が入ったりゆがんだりしているのは、手造りだからです。

囲炉裏の部屋

当時は、薪を燃やして暖をとっていたため、囲炉裏の煙が天井から出るように、ひもを引くと天窓が開くように工夫されています。

また、明かりをとるために吹き抜け西側の天窓にはガラスが使われています。

春慶塗りの廊下

一本杉を用いた約9mの長押(なげし)は丁寧に漆を塗り込んだ春慶塗りです。

まるでお盆の上を歩いているようです。

モダンな洋間

当時では画期的な造りの洋間です。

入り口の額は七段に彫られた本ケヤキを使いドアもケヤキのモザイク仕上げで、窓ガラスには雪の結晶模様が入った手造りです。

たも製の12段階段

孔雀や蝶が羽根を広げた模様を木目で表現したという、名人といわれた大工の棟梁斎藤子之助が

仕上げた美しい階段です。

着物のすそばきがいいように階段が作られています。

トイレの天井にすかし彫

厠(かわや=トイレのこと)天井はすかし彫、便器は有田焼、タイルは手造り、扉の持手は紫檀が使われています。

流しは大理石と御影石をまぜてくり抜いた物を使用しています。

祝津場所を開いた青山留吉は、幼い頃から秋田で漁業に従事していたが、年若くして来道(安政3年)、鰊漁で大をなしました。

また、祝津3丁目にあった青山元場(青山本邸)は、昭和55年4代目馨(かおる)によって北海道開拓記念館に移転されています。







牡丹の花や芍薬などが咲いていました。