屏東県竹田郷にある池上一郎博士文庫。本日はここを切り盛りしておられる劉耀祖さんとお会いする機会に恵まれました。台北市内でおいしい客家料理が食べられるお店を紹介してくださいとリクエストしたところ、民生東路にある一軒へ連れて行ってくれました。お店の方は苗栗出身の客家の方で、劉さんとの会話も客家語。しかし、コミュニケーションこそスムーズなものの、お互いの客家語にはかなりの違いがあるのだとか。
僕は客家料理の中に見られる地域性というのに興味がありますが、高雄県美濃の客家料理はとりわけ独特なものがあるようです。以前、美濃で食堂に入った際、全く見たことがない野菜があり、調理してもらったことがあります。台北はもちろん、ほかの地域でもこの野菜を見たことはありません(現在、詳細を調査中)。
今回、屏東県の客家語に定着した日本語というのを聞きました。一つは「ひょろひょろ」、もうひとつは「かりかり」です。前者は痩せた人を形容し、後者はなんと、お菓子の名前だとか。来週屏東へ行ったときには、かりかりがどんなお菓子か調べてきます。
http://www.a-eda.net/asia/ikegami_np.html
↑以前、岐阜新聞に寄稿した池上文庫の記事です。竹田駅については拙著『台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く』(戎光祥出版)でも紹介させて頂きました。
僕は客家料理の中に見られる地域性というのに興味がありますが、高雄県美濃の客家料理はとりわけ独特なものがあるようです。以前、美濃で食堂に入った際、全く見たことがない野菜があり、調理してもらったことがあります。台北はもちろん、ほかの地域でもこの野菜を見たことはありません(現在、詳細を調査中)。
今回、屏東県の客家語に定着した日本語というのを聞きました。一つは「ひょろひょろ」、もうひとつは「かりかり」です。前者は痩せた人を形容し、後者はなんと、お菓子の名前だとか。来週屏東へ行ったときには、かりかりがどんなお菓子か調べてきます。
http://www.a-eda.net/asia/ikegami_np.html
↑以前、岐阜新聞に寄稿した池上文庫の記事です。竹田駅については拙著『台湾 日本統治時代の歴史遺産を歩く』(戎光祥出版)でも紹介させて頂きました。
2.「カリカリ」、80年代の台北でも、スピーカーで「カリカリ、カリカリ」と流しながら、自動車やオートバイリアカーで行商していた(食べたことはないが)。まだ残っているのでは。
実際、屏東県では総督府編纂の資料と現地客家語の解釈のずれというのに時々出会います。たとえば、竹田も、総督府関連の資料や安部明義さんが編纂した地名研究などでは旧名の「頓物」をものを捨てるところとしていると思いますが、現地では「頓」は捨てるのではなく、置く、置いておくというニュアンスだと聞いたことがあります。後に確認したところ、苗栗の客家人は「頓」を捨てるという意味で使うそうです。それと、聞いた話だけで確証はありませんが、鉄道部職員は苗栗出身者が多かったといいますね。興味が尽きません。
2.一方、『広東語辞典』には、編纂者の名前さえも書かれていない(調べれば分かると思うが、言語学は守備範囲外なので、調査予定なし)。
3.苗栗客家語を基準として理由について、全くの推定であるが、当時それなりの「街」と言える客家居住地は(少なくとも北部では)苗栗だけ(あとは田舎の集落とか、雑居地域とか)だったからではなかろうか。
3ですが、確かに苗栗はそれなりに古くから街として機能していたようですね。確かにそう指摘されると、客家人の純度が高く、しかも街として機能しているのは本当に少ないですね。
1.昭和30年代に台湾に留学した日本人の表現では、このような街を「フンドシ」街と言う由。メインストリート(と言ってもかなりお粗末だが)一本だけ。
2.80年代に訪問したとき、中学生くらいの女の子がこちらを見ていたので、「ガイ(我)ヘエ(係)ニップンニン(日本人)」と言ったら、吃驚していた。因みに僕が話せる客家語は数語のみ。