こんばんは、いかわたいきです。
今日(9月29日)は日田市戦没者慰霊式でした。
祖父の兄はフィリピンの地にて英霊となり、今日は祖父と席は違えど同じ会場で参列しました。伯祖父に思いを馳せ献花を行いました。
また、遺族者代表の話は「「産まれてくる私の名は託す。」と言って父は出兵していき、8月14日にフィリピンの地にて散華された。残された母や家族の悲しみはどれ程だったのか?赤ん坊の私は分からない。」と言った発言を聞き、心痛を計り知れないため無意識に拳に力が入っていました。
私個人の考えとして、大東亜戦争の悲惨さや惨烈さは伝えられていますが、大戦に至るまでの経緯という事は余り伝わってないと感じます。誰しも国家も含めて好き好んで争いたい訳ではないですし、そこに至るまでのやむに止まれぬ経緯や国家内による考えの違い、事件があったかと思います。
争いによる一方が100%悪いと言った事はほぼほぼ無いですし、自虐的な反省や行いが伯祖父や英霊が望んだ事とは違うと考え、文字通り命を掛けて守った我が国の未来を担う我々はどうすれば国家反映と安寧を享受出来るか?を国民1人1人が考えることが必要かなと。
聞く所によれば大東亜戦争の総括は行われていない様ですし、そこからが第一歩です。
そして誰しも生きたかった先人の無念や思いを我々が受け継ぎ、我が子や孫に勇気と誇りが持てる我が国にしていくのが今を生きる我々の使命かと考えます。
では、また。