日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

令和、そして意味と自覚。

2019年05月02日 21時26分11秒 | 日記
令和初のブログ更新です、いかわたいきです。
5月2日は奉祝、慶祝、どちらも喜び祝う事に変わりありません。








私も5月1日に本来行いたかったのですが諸事情で午前中に大原神社に天皇陛下御即位の奉祝参拝を終えた後に、日田市役所に設置されてある記帳所にて祝意を表してきました。
今日の17時まで日田市役所に設置していましたが皆様は祝意を表ましたでしょうか?私としては崇敬の念を抱いているため文章表現に誤字があるかもしれませんが…、天皇陛下を中心とした御皇室が我が国の中心にいるからこそ日本国が日本国である所以と痛感します。
私は市議会議員に初当選時、思想信条どころか政治経験0でした。どちらかと言うと左翼的思想もあったかもしれません…。しかし、地域の事や皆様の困り事、学びや見聞を広げる中で様々な事を学ばせて頂きました。
その様な中で私の発言は右翼や保守と言った部類に入るかもしれませんが、歴史や事実、伝統、文化を学ぶほど上記の様な考えになると私は実感しました。本当に大事で脈々と続いていく事は身近にひっそりとあり、そこに気付けるかどうか?それだと私は考えます。「令和」という文言に賛否両論があると思いますが、私は我が師のFacebook投稿の記載に大変納得しました。↓

「☆「令和」は素晴らしい元号なり!

新元号の「令和」は、意味が良くないという意見があります。「令」は命令、「和」は和順。そこには「命令に従え」という、上から抑え付ける意図があるという批判です。

本当にそうなら大変であり、誰も使いたくなくなります。

字源から見ますと、「令」は「亼(しゅう)」と「卩(せつ)」の合字です。「亼」は集の本字で「合」と同義。つまり人を集めること。「卩」は人が跪(ひざまづ(ず))いて従っている様子を表します(※「ひざまづく」は「膝まで付く」の略)。

また、「卩」には割符(わりふ)の意味もあります。割符は約束を交わした証拠のしるしであり、「卩」はその片方の象形であるとも言われています。「卩」には二つの字源があって、一つは人が跪いている姿、もう一つが割符というわけです。

いずれにせよ「卩」は辞令書を表すことになり、「令」は長官からの命(めい)を奉ずることなのです(「大字典」)。(※「卩(せつ)」は部首としては「ふしづくり」という)。

従って、令に「人を集め、命令に従わせる」という意味があるのは確かなことです。

しかし、それを直ちに抑圧的で悪い事と捉えるのは、あまりにも不粋な曲解でしょう。尊くて大切なものに対して礼儀を正している姿勢は、とても美的で感動します。礼に始まり礼で終わる武道の美意識、皆で整然と踊るダンスや舞い、衛兵交代の格好良さなどを思い起こしてください。令は人として美しい姿そのものなのです。

それで、よき月を「令月」、美しい人を「令人」、立派な徳を「令徳」、優れた決まりを「令典」というのです。

「命令」にしても、その内容が優れており、それを立派な人が出すから命令となるのであって、そもそも上から抑え付けるような指示は「令」でも何でもありません。

あるいは「令」の中にある割符という意味から、約束を守ることの「人としての美しさ」を表しているとも考えられます。言うが成るという誠(まこと)の美しさです。

だから、「令和」に対する批判は全くの的外れとなります。

「令和」は「美しくて和やか」という意味を持った素晴らしい元号です。自信を持って5月1日から新元号を用いましょう。

また日本語(大和言葉)の音義からも、「れい」には「いきいきと伸びていく活動」、「わ」には円満・充足という意味があります。音の響きも素敵です。

新元号で、これから国民心理が変わります。「令和」によって創造的で美しく、清新で豊かな新日本の創成に必ず向かうことになるでしょう!」


陰徳、誠、至誠、清らかといった事が表され、人としてどう接し、生きていくか?そういった事まで考えさせられます。長文となりましたが令和と3期目に向ける私の思いを記載しました。



では、また。
コメント
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