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~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 17

2018-05-14 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史


99回もの長い球史の中、強豪犇めく兵庫で連覇を果たしたのは、

第2~4回 関西学院中の3連覇、

第10~13回 第一神港商の4連覇、

第18、19回 明石中の2連覇、

第21、22回 育英商の2連覇、

第30、31回の2連覇に、第33回~35回3連覇の県芦屋、

第47~49回 報徳学園の3連覇、

第54~56回の3連覇に、第67、68回2連覇の東洋大姫路、

第79、80(東兵庫)回の2連覇に、第89、90(東兵庫)回2連覇の報徳学園と・・・

時代々で連覇を果たすチームが現れている。


兵庫球児100年のあしあと 17

第33~35回大会 県芦屋の輝かしい歴史。

兵庫大会3連覇に、第9回大会 甲陽中が全国制覇を果たして以来、

兵庫へ深紅の大優勝旗が届いた輝かしい時代がやって来た。

当時、今は見ることがない優勝パレードが行なわれたそうで、

芦屋は歓喜で溢れたことだろうな。

第79、80回の報徳学園2連覇以降、兵庫では連覇を果たしたチームはない。

それだけ今の兵庫を勝ち抜くのは至難の技、どのチームも大きな力を持っている。

200回大会を迎えるまで、一時代を圧倒的に築くチームが現れるか・・・

それも楽しみな兵庫の高校野球だ。


第33~35回大会(1951~53年)

~県芦屋、戦後初のV3~


県芦屋の校長室に飾られている第34回全国選手権決勝のウイニングボール=芦屋市の同校


今も昔も球児たちが夢見る「深紅の大優勝旗」。

兵庫勢は戦前に3度、手にする栄誉に浴したが、甲陽中(現甲陽)が全国制覇した

第9回大会(1923年)以降、30年近い空白が生まれた。

待ちわびた地元に優勝旗を翻したのは、新鋭の県芦屋だった。


旧制芦屋中時代の46年、第28回兵庫大会で初出場初優勝を果たし、第30回、31回を2連覇。

強豪の地位を築くと、51年の第33回大会から戦後初の3連覇を成し遂げる。


第33回の立役者は2年生エース植村義信(元日ハム監督)。

超高校級の剛速球とドロップを武器に準決勝まで1試合平均12個以上の奪三振。

決勝は戦前からの強豪・育英を2安打で完封し、優勝を引き寄せた。


翌52年の第34回大会はさらに強さを増した。

3回戦で前年春の選抜大会準優勝の鳴尾に5-1で快勝。

中田昌宏(元阪急)ー藤尾 茂(元巨人)のバッテリーを擁した実力校を制すと、

4回戦以降はいずれも圧勝し、決勝では再び育英を8-1の大差で退けた。


優勝候補の評判通り甲子園でも破竹の進撃を続けた。

決勝は大阪・八尾との近畿対決。

大阪大会から10試合連続完封の怪腕を振るっていた木村 保(元南海)が相手だった。

中盤まで競り合い、1-1で迎えた五回、無死満塁のピンチを迎えた植村は1死後、

「一か八かのトリックプレー」 (「芦高十五年史」より)を敢行した。

三塁手が前進して走者を誘い出し、植村はスクイズができない高い球を投げ挟殺する。

見事、作戦が成功した県芦屋は流れに乗り、七回に3得点。

全国の頂点に上り詰めた。


53年の第35回大会は全国優勝の主力8人が抜け、苦戦が予想されたが、前評判を覆す。

三たび決勝で顔を合わせた育英をまたも下し、3年連続優勝の偉業を達成する。

1945年の創部以来、59年までの15年間で全国大会出場は夏6回、春6回の計12回。

51年選抜準優勝の鳴尾、53年選抜優勝の洲本など、全国屈指のレベルを誇った当時の兵庫で、

県芦屋の実績はひときわ輝く。


県芦屋で兵庫大会3連覇を果たし、夏の日本一にも輝いた本屋敷錦吾さん
芦屋市、ホテル竹園芦屋

52年に全国制覇した際、ナインは甲子園から芦屋までの阪神国道「現国道2号線)をパレードした。

沿道は多くの人で埋まり、歓喜に包まれたという。

「(優勝報告)で芦屋市役所のバルコニーから見た大観衆はすごかった」。

高校3年間で全国優勝と兵庫大会3連覇を経験した本屋敷錦吾(82)はそう言って懐かしむ。

甲子園の決勝で先制につながるチーム初安打を放ち、3年時は主将として引っ張った。

卒業後は立教大に進み、同期の長嶋茂雄(元巨人監督)、杉浦 忠(元南海監督)との

「立教三羽からす」で大学日本一。

俊足好守の内野手として阪急に入団に、阪神移籍後の64年にはリーグ優勝を経験した。

華麗な野球人生を歩んだスター選手も、10代で味わった栄光は今なお忘れがたい記憶だ。


「もちろん努力もしたが、本当に運に恵まれた。学生時代はいい思い出ばかり」

と穏やかな笑みを浮かべる。


神戸新聞 山本 哲志氏


兵庫球児100年のあしあと 1
激闘の譜 第100回へつなぐ
第1回大会(1915年)

兵庫球児100年のあしあと 2
第2回~9回大会(1916~1923年)

兵庫球児100年のあしあと 3
第10回~13回大会(1924~27年)

兵庫球児100年のあしあと 4
第14回大会(1928年)
第15回大会(1929年)

兵庫球児100年のあしあと 5
第16回大会(1930年)

兵庫球児100年のあしあと 6
第17回大会(1931年)

兵庫球児100年のあしあと 7
第18回~20回大会(1932~34年)

兵庫球児100年のあしあと 8
第21回大会(1935年)
第22回大会(1936年)

兵庫球児100年のあしあと 9
第23回大会(1937年)

兵庫球児100年のあしあと 10
第24回大会(1938年)

兵庫球児100年のあしあと 11
第25回大会(1939年)

兵庫球児100年のあしあと 12
第26回大会(1940年)


兵庫球児100年のあしあと 13
第27回大会(1941年)


兵庫球児100年のあしあと 14
第28回大会(1946年)
第29回大会(1947年)


兵庫球児100年のあしあと 15
第30回大会(1948年)
第31回大会(1949年)


兵庫球児100年のあしあと 16
第32回大会(1950年)



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