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~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 42

2018-06-20 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 42

第79回大会は、報徳学園が16年ぶりに決勝の舞台へ。

4番のひと振りで劇的な優勝を飾った報徳学園。

永田元監督さんの初めての夏甲子園は、報徳の球歴や、

監督として初の甲子園の道が開いた永田監督さんの中でも

忘れることのない劇的な決勝戦となったことだろう。

神港学園が逆転をした直後の報徳の底力。

逆転の報徳だ!

この対戦を観れなかったことが残念でならない。

記事の写真の神港学園バッテリー・・・

あと一歩で夢敗れた悔しさは想像を超えて切なすぎる。

しかしミスや追い詰められての1本ではなく、ある意味気持ちの良い敗れ方だったのかもしれないな。


第80回大会は、兵庫の夏初めて東西に分かれての記念大会。

東兵庫77チーム、西兵庫89チームによるドリームマッチとなった。

東は仁川を18-3で下し文句なしの報徳が2連覇。

現在の大角監督さんはこの時の主将。

写真の中で中を飛んでいる捕手が大角監督さんかな~?

西は姫路工業と3-2の接戦を制した東洋大姫路が1986年 第68回大会以来12年ぶりの甲子園へ。

東洋大姫路は前年に就任した藤田監督さんの甲子園への道を開いた記念すべき記念大会となった。



第79回大会(1997年)

~報徳 劇的サヨナラV弾~


第79回大会決勝、劇的なサヨナラ本塁打で優勝を決め、喜びを爆発させる報徳ナイン


1997(平成9)年の第79回大会決勝は劇的なサヨナラ本塁打で決着が着いた。

前年夏の優勝校・神港学園と同年春の選抜大会4強の報徳が激突。

二回までに4点を先行した報徳を神港学園が猛追し、八回表に逆転。

粘る報徳は八回裏に追いつくと、九回4番申原直樹のバックスクリーンへの3ランで激闘に終止符を打った。


81年の全国優勝以来、夏の甲子園から遠ざかっていた名門報徳は同年以来、16年ぶりの兵庫大会制覇だった。

就任4年目で監督として初めて夏の全国切符を手にした永田裕治監督はサヨナラ本塁打の瞬間、

「手の震えが止まらなかった」と言う。


報徳は選抜大会で1試合18奪三振を記録した左腕前田章、後にオリックス入りした肥田高志ら

タレントがそろい、敗れた神港学園も3バン米川将義が7試合で計15安打、5割7分7厘の高打率を残した。


第80回大会(1998年)

~初の東西分割、両雄輝く~


第80回記念西兵庫大会で12年ぶりの夏の甲子園出場を決めた東洋大姫路ナイン


史上初の東西分割開催となった1998(平成10)年の第80回記念大会。

東兵庫は報徳、西兵庫は東洋大姫路が頂点に立ち、兵庫の両雄が存在を誇示した。


東洋大姫路は復活を告げる優勝だった。

77年に全国制覇を達成しながら、平成以降は春夏とも甲子園出場はなし。

不祥事による監督交代もあり、しばらく低迷していたが、97年に就任したOBの

藤田明彦監督がわずか1年で名門を再建した。


姫路工との「姫路決戦」は同点の九回にスクイズを敢行。

伝統の猛練習で鍛え上げられた東洋大姫路らしく執念で決勝点をもぎとった。


仁川との「西宮決戦」を制した東兵庫の報徳は、前年春の選抜大会から4季連続の甲子園出場。

2年生からベンチ入りしていた捕手の大角健二主将は4度とも甲子園の土を踏み、

現在は監督として母校を率いる。


神戸新聞 松本大輔氏


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第41回~第61回大会(1959~1979年)


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第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
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