これまで、仕事で利用してきた資料整理と称して
ノート型を中心にモバイルパソコンの創世記(1980年代)から
VAIO 505 登場で洗練化され、よりパーソナルな製品へと変化していった
パソコンのデザイン面を中心にまとめてきた。
こうしてあらためて振り返ると、参入しては消えていった
メーカー、技術者たちの 「挑戦」 「混沌」 といった部分が見える。
「情報通信機器」 というカタチで登場したパソコンは、その後進化し続け
「家電」 という立場に変化していった。
これには、オーディオ = 「音響機器」、カメラ = 「光学機器」 と
カテゴリーを維持し続けている製品群とは違った特殊性を感じる。
実際、同じ時期にデザイン・設計・開発に携わってきて感じるのは
高機能化する速さ、多様化する要望に対応する時間の短さ
そして、他社との差別化を考慮する柔軟さ
この開発スパンが、当初は約1年から徐々に削られ、最終的には半年程度まで縮まった。
それでも市場での 「旬」 は、発売開始からせいぜい2ヶ月程度。
販売台数が落ちれば、製品価値まで落ちてしまい、
その後は在庫という 「お荷物」 となる。
メーカー側からすれば、部品やモジュールなどの購入調達品は、
製品組立製造工程の数ヶ月前に発注するので、販売台数を読み誤って過剰となると
製品在庫と共に部品・モジュール在庫が事業を揺るがす最大の要因となる。
一方で販売台数を低く見積り過ぎると、追加部品の入手は足が長いため商機を失ってしまう。
メーカーとしてどこまでリスクを負えるかは、企業としての体力も勘案する必要があった。
デバイスメーカーは、その当時、最新のモノを多くのメーカーに拡販するため、
CPUやグラフィックチップの性能、LCDの解像度、HDDの容量、光ディスクドライブの倍速
バッテリー容量など、同時期発売の製品は各社ほとんど変わらない。
なので製品の 「差別化」 となると、個々のデザインに頼る部分が大きくなる。
ノート型の変遷が、VAIO 505 の登場まで地味なものであったように
デスクトップ型も 「事務機器」 のような時代が長かった。
パーソナルコンピュータのデザインというと、やはりこれをはずすことができない
と言える製品が、1998年当時「瀕死の状態」だった Apple Computer から発売される。

「iMac」 である。
青いスケルトンボディと丸みをおびた曲面で構成されたデザインは
それまでの事務機器とは完全に違った概念で注目を浴びるとともに
当時、実売価格が不透明な 「オープン価格」 全盛の時代に
「178,000円」 という低い定価設定という
まさに 「透明化」 することで、わかりやすさを主張。

さらにしたたかだったのは、iMac は発売から2、3ヶ月のスパンで
グラフィックの強化やボディカラーの追加、CD-ROMドライブのスロットタイプ化
などでマイナーチェンジを続け、短期間といわれた 「旬」 の引き伸ばしに成功する。
この 「iMac」 プロジェクトには、前年(1997年)に復帰した
スティーブ・ジョブズが深く関わっていたとされるが
開発費の捻出、生産工程準備も含め、復帰早々ここまで周到な準備を
これほどの短期間でおこなえるのか、同業者としては甚だ疑問である。

そうは言っても、Apple Computer が iMac でおこなった功績は大きい。
ある種、熱狂的なマックユーザーというファンがいたとはいえ
コンセプトとデザインの整合をとり、細かな開発戦略と工程立案管理をおこなえば
やり方次第では事業を立て直せるという証明となったわけで
数年前にダイソンがおこなった 「枯れた市場」 と言われていた
掃除機のマーケットに革命を起こした事案と似ている。

と、廃棄処分前の資料整理と称して記載してきたパソコン変遷はこれで終了。
記録するってことで書いていたら、当時のメモなども出てきたりして
それらを付け足すことで、感情も入ってしまっていたように思う。
性格的に、過去を振り返ることはほとんど無いので、
今回の資料整理は良い意味での 「復習」 となった。
振り返ったことで 「同じ轍は踏まない」 「経験は活かさなくては」
と身を引き締める思いができたことは重要だ。
今までの経験をバックボーンとした上で、また新しい仕事に挑戦することにしよう。