「空気」に異議あり!

世の中の「空気」のいくつかを相対化していきます。初めての方は、左下の「カテゴリー」の「注意事項」をご覧ください。

総選挙~いじめ狂時代

2009-09-02 | 政治の空気
今回の総選挙について、自民党や民主党など各政党の分析をされる方が多いですが、
私はいつものように、国民を中心に分析していきたいと思います。

その前に、民主党の議席は308、自民党119議席だそうですが、
夜8時の各テレビ局の出口調査による予想は民主320議席超、自民90議席台
になっていたと思います。
なぜこのことをマスコミは指摘しないのでしょうか?

ここから分かるのは、出口調査の不正確さもありますが、何より、
今回の選挙は出口調査で「自民党に投票した」と言いにくい空気があり、
言論が萎縮していたことを示しているのではないでしょうか。


その話題は一旦置いておきまして、今回の選挙の特徴は、
日本ではいつもだいたいそうですが、
右左で意見の分かれる安全保障関係が全く争点にならなかった点にあります。
ですからネット住人、年配の保守の皆さん、さらにそれを叩く左翼系の人達
などの論調を聞いていても、全て的外れ感があります。

確かに自民党の平均よりは民主党の平均の方がほんの少し左寄りだと思いますが、
(自民にも左寄りの政治家はいるし、民主にも右寄りの政治家はいます)
国民が民主党に投票したのはそこが理由ではありません。
もし左寄りの政策を国民が支持したなら、
共産党や社民党がもっともっと議席を伸ばすはずです。
特に共産党は、最近「派遣切り」が話題になっていたので議席を伸ばす
かと思いきや、議席を伸ばせませんでした。
こうして見ると、「憲法9条遵守」とか、「外国人参政権付与」などの政策が、
国民が投票した理由ではないことは明らかです。

また、自民党への批判が強まったのは、ここ最近のことではありません。
森内閣まで、ずっと支持率は低空飛行でした。
たまたま小泉総理という不確定要素の目くらましで一時的に議席を回復しただけで、
長い間の自民党批判は続いていました。

今回の選挙の争点を、まず国民が考える争点、
次にそれに加えて私が考える争点を挙げてみます。

まず、国民の考える争点は、

「官僚内閣制の打破。政治の選択権を国民の手に!」

国民の考えを代弁してみます。

==================
自分達が不況で苦しい生活をしている中、高い税金を払わせられ、
にもかかわらず、その税金を官僚が無駄使いしている。
だから政治家には官僚を徹底的に叩いて欲しかったのだが、
官僚と癒着した自民党の政府は、いくら言ってもそれをやってくれなかった。
元々民主党がいいと思っている訳ではないが、一度くらい政権を任せてみてもいい。
(共産や社民は政権担当能力がゼロなので投票しない)
自民党にお灸を据え、政権選択を国民の手で行うことで、
これからの政権には官僚を叩いて欲しい。
官僚を叩けなければ、また容赦なく選挙で落とすことになると肝に銘じよ。
===================

官僚内閣制から、国民民主制へ、という考え自体は、
私は悪いとは思いません。
官僚内閣制の下では、例えば外交面でもあらゆる改革が阻害されます。
特定勢力(外国を含む)との癒着を断ち、
国民の声が届く、風通しのよい政治の方が望ましいと思います。

そのために、マスコミに踊らされた面が大きいにしろ、
国民自身の意思で投票して、官僚にNOを突きつけた今回の選挙は、
「行動面としては」悪いとは思いません。
国民としては官僚の人権は無視し、容赦なく叩き潰すことを望んでいますが、
それも私は悪いとは思いません(一種の革命として)。

また麻生総理は以前の安倍総理ほどは拉致問題に熱心ではなかったので、
今回麻生総理が失脚することに、安倍総理の時ほど
「国民の人道的・道義的な問題」がはっきりしている訳ではありません。
安倍総理の時は国民が「拉致被害者を見捨てる姉歯以下の行為」
をしたことが明白でしたが、
今回は100%そうだとは言い切れません。

ただいつも指摘していますように、最大の争点だった「官僚制の腐敗」は、
実は国民の腐敗と背中合わせだという点を国民が自覚していないのが問題です。
なぜ問題かと言いますと、国民全体に癒着や談合体質が残っている限り、
現在の官僚制を打破しても、また次の癒着が発生する土壌が変わらないからです。

また官僚以外の巨悪の存在を、マスコミによって隠蔽されていた危険性もあります。
その場合、官僚だけを叩き潰しても世の中は改善されないことになります。

次に、私独自に考える今回の選挙のもう1つの争点を挙げてみます。

<いじめに加わるか、加わらないか>

確かに官僚との癒着を絶つ態度が足りないにしても、
麻生総理をあそこまでバカにして揶揄し続けたマスコミと国民のやり方は、
まさに「いじめ」でした。
なぜ「いじめ」かは、前に<「正当な総理批判」と「総理いじめ」の違い>
http://blog.goo.ne.jp/taichi200707/e/848c33beff03a93c4b8ad5ff106ee9b4
に書いています。さらに付け加えるなら、「いじめ」は、
「言い返してこない相手をみんなで叩く行為」とも言えます。
一方で日本人は言い返してくる外国を怖くて批判できないヘタレです。

今回の選挙で、日本人の中の、
「いじめに加わる人」
「いじめに加わらない人」
の比率がだいたい分かったことになります。
結論としては、やはり

<日本人は「いじめ」が大好き>

なんだな、という感じです。

もちろん先ほど言いましたように、今回の選挙で
どうしても官僚内閣制を打破するために民主党に投票した人には、
マスコミに踊らされた面はあるにしろ、それなりの正当性はあると
私は個人的には思います。

しかしその場合でも、選挙が終った時に、
「いくらなんでも麻生さんに対してやり過ぎたかな」
という声が聞かれるのが、「いじめに加わらない人間」あるいは
「いじめを相対化できる人間」の感覚ではないでしょうか。
そう思わないのは、傍観者としてでも「いじめの当事者」となっていて、
自分達の行っているいじめを正当化している状態だと思います。

こんな国情では、子供たちのいじめが減るとはとても思えません。
こういうことを言うと荒唐無稽だと非難する人が多いんでしょうけど、
そういう非難こそ短絡的です。子供が最も影響を受けるのはテレビですから、
テレビの影響についてはあらゆる可能性を考慮する必要があります。
いくらメディアで報じられても、実際いじめは全く減っていません。

いじめはどこの国にもありますし、無くなることはあり得ませんが、
いじめっ子といじめられっ子以外の、大多数の「第三者」達の中に、
「異論を唱える」人の割合が少ないのが日本のいじめの陰湿さを支えています。
例えばフランス人なら、あえて周りと違う意見を唱えることはよしとされ、
その異論を含めて全体の意見をさらに発展させようとしますが、
日本では全体の意見の発展は不要で、みんな同じことを言っていればいい、
という感覚があります。
そういう感覚がいじめの状態を是認し、陰湿化させてしまいます。

それで、これまでの麻生政権時代でも、
麻生バッシング以外の意見はほとんど聞かれませんでした。
「色々な意見が飛び交う中で麻生批判が多かった」というのならいいのですが、
麻生叩きに疑問を呈する声はほとんど封じられ、
「そういう意見は言わない方が身のため」という空気が続いていました。
麻生支持の言論はずっと萎縮したままで、言論の自由は死んでいました。
(最初に指摘しました、出口調査の結果にも現れています)
こういう社会では、民主政に必要な「議論」というものは期待できません。

またこういう「空気に従う」土壌というのは、官僚の腐敗と同じ性質を持っています。
官僚も、自分達の先輩や仲間のために、官僚達の空気に従って、内輪の論理で、
あのように税金を無駄使いしていたのです。

今回、国民が「空気」に逆らうことなく麻生いじめを続けていたことは、
腐敗官僚と同じようなものを生み出し続ける可能性が高い。
つまり自己矛盾を内包していると思います。


それからもう1つ、気になることがありました。
民主党圧勝の予測がされた選挙前の時点で、責任政党となる民主党への厳しい声、
引き締めるような声があまり聞かれなかったことです。
(選挙結果が出てからは多少は聞かれましたが)
アメリカで共和党のブッシュ大統領時代、議会の方で民主党が多数派になっただけで、
民主党への厳しい見方が広がり、民主党は気を引き締めていました。

しかし日本で、参院で民主党が多数を占め、
さらに衆院でも多数派を占める予測が出たにもかかわらず、
責任政党となる民主党への厳しい論調は少なく、相変らず麻生いじめに興じていました。

ここから感じるのは、日本人に民主政治の意味が分かっていない
のではないかということ。
単に空気に流されるだけで、責任(多数党も国民自身も)について何も考えていないこと。
そしてそれを考える暇もないほどに「いじめが大好き」な、
「いじめ狂国民」なのではないか、という懸念です。
もしそうならば、正直言ってこの国の将来はお先真っ暗です。

チャップリンの「黄金狂時代」「殺人狂時代」ならぬ、
「いじめ狂時代」でしょうか。

6 コメント

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日本人の民族性と近代政治は相反する (かず)
2009-09-02 22:23:56
予め書かせていただきますが、今日はいつも以上に頭が回らないので、支離滅裂な文章になっています。

>日本ではいつもだいたいそうですが、右左で意見の分かれる安全保障関係が全く争点にならなかった点にあります。

自民党は、「責任力」というスローガンと、民主党叩きを兼ねて?、北朝鮮のミサイル問題を主とした安全保障政策を唱えていた様に思います(自民党は広報宣伝が下手…)が、民主党の場合、右から左まで幅広い、というか左寄りが多いので、安全保障関係の政策は余り主張出来なかったのではないでしょうか。(そもそも、政策より政権交代を前面に押し出していましたが…)
まぁ、何から何まで見た訳ではないですし、実際のところ、僕には分かりません…。

しかし、太一さんが指摘される様に、今回の選挙に限らず、日本では安全保障関係の政策は非常に軽視される傾向にあります。
大した民族の移動もなく、長きに亘って先祖代代日本列島に居住し、江戸時代には数百年に亘り鎖国を経験した末、武力戦、情報戦共に負けた大東亜戦争と、それ以後における情報戦により、こういう状況が生まれたのだと思います。
また、9条問題で言えば、その時々で憲法の拡大・縮小等、独自の解釈を行う「内閣法制局」という、民主主義国家として疑問符が付く官僚組織がありますが、それよりも、普段から憲法9条改正、あるいは現行憲法無効論(実際に無効に出来るのか甚だ疑問ですが…)を唱える戦後の保守論壇が、世の中の大多数に対して「現在の憲法はこういうものなんですよ。それでも良いんですか?」という問いを発し、「9条を変えよう」「憲法を変えよう」という気運を高めることさえロクにしなかったことも問題です。
縁の下で頑張っている保守の人々も多いでしょうが、9条さえ改正出来ない現状では、戦後保守論壇なんぞ、そのレベルのものだったということです。(まぁ、9条改正で全ての問題が解決するなんて思えませんが、9条改正は、少なくとも日本の安全保障にはプラスになります)

>国民全体に癒着や談合体質が残っている限り、現在の官僚制を打破しても、また次の癒着が発生する土壌が変わらないからです。

(以下、自己矛盾する主張になります…)
それは仰る通りなのですが…、談合を一概に悪とするのも如何なものでしょうか…。
確かに談合により、一部の業者や人物が利益を受け、その他の人間が損を被るケースが往往にしてありますが、談合により一定の品質が確保されるケースも存在した筈です。(田母神氏が広島で行われた講演会での発言より、一部借用しました…)
また、接待にしても、その接待費(サービス料)が価格に添加される等、デメリットも色々とありますし、僕自身は無駄でアホらしく思いますが…、それにより品質が保たれる等のメリットも考えられます。(こんなこと主張したい訳ではないのですが…、日本人が一斉に止めない限り、接待競争で生き残ろうとするのも無理ないと思います)
何より言いたいのは、アメリカ等の欧米により、談合を初めとした日本的伝統?を排除し様と圧力を掛けたり、グローバリゼーションということで西洋化(特にアメリカ化)の流れを作り出していることに違和を感じています。(アメリカとしては国益保持、拡大の為の行為ですし、国家としては当たり前のことなんですけど、日本としてはこれでいいのでしょうか?)
日本の伝統文化を切り捨てて、何もかもが欧米に染まった単なる一国に成り果てていいものでしょうか。(これはチャンネル桜の水島社長の言葉より、一部借用しました…)
「廃れる伝統や文化はその程度のもの。無理矢理、維持するものではない」と言われそうですが…。

ここから本題から逸れます…。
僕が一番問題にしたいのは、情報戦です。
少々面倒くさいので、ハーグさんのブログに記した僕のコメントを転載します。(継ぎ接ぎで、おかしな文章になってしまいますが…)

「日本国民の大多数はマスコミが垂れ流す報道を鵜呑みにし、妄信しているという、どっかのカルトと似た様な構造に陥っているということに非常に問題を感じています。(「テレビでこの様に報じられているから間違いない」「どこのマスコミもこの様な主張をしているから間違いない」という様な現状)
小山さんとの遣り取り、あるいは太一さんのブログでも再三再四述べてきましたが、日本人は近代政治には向いていないと思います。
(中略)
結局何が言いたいかと言うと…、欧米に倣えではありませんが…、日本人は、東洋人が持っている「背景(周囲)と中央にあるものとの関係性を読む力」だけでなく、西洋人が持っている「中央にある物事を分析する力」をも持つ、もっと言えば、「マスコミが垂れ流す情報を盲目的に信じる」のではなく、情報を比較したり、色んな観点から、多角的に物事を捉えて考えることをすべきだと思います。
(中略)
日本人が近代政治に向いていない理由その二、日本人は情報戦の重大さ、そもそも情報戦が行われているということすら理解出来ない、知らない。
ネットを使っている人の多くも全く理解していない。
(中略)
毛沢東が発したとされる言葉「敵国のマスコミを1つでも牛耳るということは、100個師団の兵力にも勝る」とまではいかないと思いますが…、それに似た様な情報戦が実際に行われていると認識しなければなりません。
また、上にも記した通り、ネット上で「チョン死ね」等の罵詈雑言を書くだけに終始している人にも、非常に問題があります。(その様なことを書きたくなる気持ちは分かりますし、僕も、数年前はその様な罵詈雑言を少なからず書き込んでいましたが…)
その様な罵倒に終始した書き込みを見ると、wiki「国民の知らない反日の実態」(http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/158.html)で見つけたニーチェの言葉、「怪物と戦う者は、自身も怪物になることのないよう気をつけなくてはならない。 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」を思い出します。
ミイラ取りがミイラになってしまっては、元も子もないどころか、敵に塩を送っている様なもの。自分で自分の首を絞めていることに気付かないのでしょうか?(もしかすると、敵が、ネトウヨに成り済まして、ワザと罵詈雑言の書き込みをしたり、保守派が怒る様なことをワザと書き込んでいる可能性も、十分考えられますが…)
ネット上で罵倒に終始したり、自分は何の行動も起こさず、何ら根拠に基づかない楽観をして胡坐をかいていたり、自分がこのサイトばかりし、自分が好む情報のみを鵜呑みにして、ピントずれた分析を行っている人達には、正直言ってイライラします。
(中略)
現在の僕の結論としては、日本人の民族性(民族性は世界一番なんですけどね…)と、情報戦をベースとした近代政治は相容れないと思います。だから政治センスは最悪だと言っているのですが…。」
http://blog.goo.ne.jp/odin_1974/e/39a978f1db329c1b599ca453b221524a#comment-list

報道番組に限らず、ドラマ、バラエティ、アニメ等の娯楽番組、映画、インターネットサイト等々、プロパガンダに使える道具は幾つもあります。
例えば、「戦争のせいで愛する人が戦死した」「戦争のせいで大切な青春が奪われた」等、視聴者の感情に訴えかけるシーンをよく見かけます。(その感情を否定する気はありませんし、それがその人が実際に感じたことで、現実そうでしょう)
人間、特に日本人はこの様に情に訴えかけるシーンは弱い。
環境問題や人権問題となると特にそうなります。
日本人は論理的な話が大の苦手(だから、「中国ってこんな実は国なんだよ!」と説明しても聞く耳なんぞ持たない)で、その分、情に訴えかけてくる話には、NOとは言えない。
その主張を否定出来る空気は皆無ですから、プロパガンディスト達は、そこを狙う訳です。

僕は断言します。「日本人の大多数は思考停止している」と。
太一さんの主張の骨子である「いじめ」も、それを表す1つの現象です。

本当は、こういうことを書きたい訳でもなかったのですが…、今日はどうも脳が働かず…。
何故、近代政治=情報戦なのかという具体例や、その情報戦をベースにした近代政治と、日本人の民族性の反比例具合を記したかったです…。
生き残る為には情報戦に対処しなければなりませんが、だからと言って、日本人の民族性や、伝統を捨てて、欧米と同じ様になってしまっていいのか…。

最後に…、もし、太一さんが良ければスカイプの音声通信に参加していただけませんか?
ハーグさんのブログにも書き込んでおられる、小山圭介さんにも加わっていただくかも知れませんが…。
返信する
>かずさん (太一)
2009-09-02 23:11:57
とりあえず今日は、誤解があると思われる点だけ述べます。
情報プロパガンダについては、また後ほど。

>日本の伝統文化を切り捨てて、何もかもが欧米に染まった単なる一国に成り果てていいものでしょうか。

私はそんなことは一切言っていませんよ。
日本の伝統を守るためにも変えなければならないものがある、ということです。
本質を守るためには戦略を変えなければならない、ということです。

>それは仰る通りなのですが…、談合を一概に悪とするのも如何なものでしょうか…。

私とかずさんでは「談合」の定義が違う面もあるでしょう。
私が言っているのは、内輪ばかり締め付けて外には何も抵抗できない、
日本人の内弁慶体質の表れとしての談合のことです。
このせいで、外国などの図々しい勢力が攻撃してきた際に、
機動的に対応できず、何となく事なかれ主義をやっているうちに、
全て向こうの言いなりになってしまう。
私が批判しているのはそういう状況です。

>談合を初めとした日本的伝統?を排除し様と圧力を掛けたり、グローバリゼーションということで西洋化(特にアメリカ化)の流れを作り出していることに違和を感じています。

私も現在の欧米がやっている自己中心的なグローバリゼーションには反対です。
欧米から「談合を廃止せよ」と言われて、廃止する必要は一切ありません。
そうではなく、外国に抵抗できないような談合体質は
自主的に体質改善する必要がある、ということです。


どっちみちどうやっても100%欧米と同じにはならないと思いますが、
やはり外国と対峙して生き残るには、外交に加え、
その時の国内での報道や国民の対応を含め、
外国と対峙する時の全てにおいて国際標準に近づけていかないと、
本当にやられてしまうと思います。

例えばオセアニア大陸の特殊な動物達は、
確かに他の大陸にはない独特の特徴を持ち、守っていくべきですが、
それを他の大陸の生物と一緒にすると、競争に負けて滅びてしまいます。
滅びるくらいなら、他の大陸の生物の激しい生存競争に生き残れるように
変化していかざるを得ないと思います。

だから日本も鎖国できれば日本の個性は守っていけますが、
鎖国できないのであれば、生き馬の目を抜く国際社会で
生き残れるように自らを変化し、対応していくしかないと思います。
返信する
返答有難うございます (かず)
2009-09-03 00:13:52
僕の稚拙なコメントに即座に対応していただき有難いです。

>日本の伝統を守るためにも変えなければならないものがある、ということです。
本質を守るためには戦略を変えなければならない、ということです。
>外国と対峙する時の全てにおいて国際標準に近づけていかないと、本当にやられてしまうと思います。
>生き馬の目を抜く国際社会で生き残れるように自らを変化し、対応していくしかないと思います。

全く仰るとおりです。
これはキホンのキとして心得ておかなければならないことですし、太一さんのブログの存在理由でもあります。
返信する
選挙とは何ぞや (ふしぎ)
2009-09-03 23:51:27
大変ご無沙汰しております。

出かける予定があったので期日前投票をしていました。出先だったんでテレビもほとんど見ていませんでした。結果を知った感想は、民主の大勝ではあるけれどメディアが誘導していたほどでもなかったな。ってのと、これで増税確定かってことでした。

まず何より、選挙の投票行動は『最悪を避ける』が基本だと思っていました。ところが日本国民の多くは雰囲気だけで、良く知らない人物や党に投票できる事を思い知らされました。今回は『政権交代』がお題目でしたね。まるで宗教のようです(苦笑)

並みの外国であれば、与党が変わったところで「国のあり方」や「国益」を損ねることはありません。みんなが全て己の国と利益を第一としているからです。

ところがわが国。どう考えても外国人に優しい日本の国の為に働く党が与党となったわけです。ところが普段から政治に興味のない人達はそんなことすら知らずに「政権交代が必要」と思い込んでしまった。何がそうさせたんでしょうか・・・・

自民党叩き、総理大臣叩きはもう呆れるばかりでしたね。今尚続いています。まるで自民党を解体させるまで続ける勢いです。それを誰もおかしいと発せられない。

政策は自民の方が良いと物凄い数字を新聞で見ましたが、その人達がそれより大事なのが政権交代だと判断した。でも、その根拠は?全くないはずです。だから不安も抱えている。だけどその不安を取り上げるメディアはほんの少しだけ。

多分政策に対して民主は必ず言うでしょう。「民意である」と。「選挙で勝ったんだからやらせておくれ」と。それらが国民の生活の為とは思えないことでもです。で、その時に怒ったところで数を持った民主が折れることはありません。後の祭りですね。

民主党が野党の時にしなかった政策協力を、今回野党になった自民党には「協力しなさい」という風潮。あきれます。

政治資金規正法違反の鳩山さんが堂々と総理大臣になれる。党を渡り歩いてたっぷりお金を貯めた小沢さんが、違法かもしれないことしていても幹事長。こんな醜態、誰が作り出したかと言えば「政権交代」に踊った国民です。

同じ政権交代なら、せめて犯罪者は処分していないと応援できないぐらい考えられなかったのかと・・・それにしても増税と日本人の失業率が上がるのは目に見えてるんで、せめてそんなこと考えた私がバカだったと思えるぐらいの、物凄いことをやってのけてくれると見直すのですが・・・

そんなはずはないですよね。ふぅ。
返信する
>かずさん (太一)
2009-09-05 21:52:53
少し補足説明を。

例えば、外国が日本のある文化(伝統的なもの)を猛批判してきたとします。
それに対し、

A:「これは日本の伝統だ。伝統にケチをつける差別行為には強く抗議する。」
B:(困ったなぁ・・反論したらもっと強く言い返されるしな・・面倒は嫌だから向こうの言うようにとりあえずやめておくか・・)

Aは、対応の仕方は日本的ではありませんが、結果的に日本の伝統を守ろうとしています。
Bは、対応の仕方は日本的ですが、日本の伝統を捨てようとしています。

少なくてもこういう比較なら、Aを選択して欲しい。
そのためには、ある程度国際的なコミュニケーションを身に付ける必要があると思います。

もちろん現実問題として、伝統を残しながら外国に対応することが難しい
ということは分かっているのですが、
とりあえず具体的には、日本人の思考回路を全て変えないまでも、
日本以外の国の連中がどういう思考回路でいるか、
少なくても日本と外国の対応を比較し、

「この程度のことは外国なら気にしないんだ」
「外国ならこういう時はすぐに相手に抗議するんだ」

という程度のことを分かった上で、自分達の対応を考えて欲しいんですよね。

日本のマスコミや国民の対応を見ていると、
外国ならシュンとせずにすぐに反発するような場面で、
「外国ならどうするか」ということに一切頭が回らず、
単に戦々恐々として、最終的には屈してしまう。
そういうマスコミや国民の視野の狭すぎる様子を見ているのがもう嫌なんですね。

それから「争点」についてですが、

>自民党は、「責任力」というスローガンと、民主党叩きを兼ねて?、北朝鮮のミサイル問題を主とした安全保障政策を唱えていた様に思います(自民党は広報宣伝が下手…)

私が今回のトピックで言いたかった「争点」とは、
有権者が投票理由とする「選挙の争点」のことです。
「選挙の争点」は各政党ではなく、マスコミと国民が作るものですから、
政治家が何を言っても無駄です。
自民党や民主党が何を打ち出したかも一切関係なく、
民主党が何もアピールしなくても、平和ボケの国民にとっては、
争点は自動的に年金、税金、官僚の問題でしたし、
自民党がいかに上手く安全保障問題をアピールしても無駄でした。

国民は争点を考える時、政治家の主張ではなくマスコミを見て判断します。
かずさんの仰るように、マスコミの情報を盲目的に信じがちです。

だから政治家は無力で、マスコミが最高権力者だと私は主張しています。
それ故に、今回の選挙の総括で自民と民主の話題ばかり語っている人達も、
私には的外れに見えるんですね。

もちろん、安全保障面を軽視した責任は全て国民に帰します。
このせいでどんな危険が及ぼうとも、安全保障を軽視した国民の自業自得です。
その巻き添えを食うのは嫌ですが、どうしようもありません。
返信する
>ふしぎさん (太一)
2009-09-05 21:53:46
>そんなことすら知らずに「政権交代が必要」と思い込んでしまった。何がそうさせたんでしょうか・・・・

一言で言えば「平和ボケ」だと思います。
日本以外の国民は当然のように「国家の主権」を重視しますが、
この世界で唯一の平和ボケ国家では、国家主権という用語は右翼と結び付けられ、
必要のないものだと勘違いしています。
そして、「不況の腹いせ」を官僚と、官僚との関係が続いてきた自民党に全て求めた。
腹いせであり、八つ当たりでもありますね。

>自民党叩き、総理大臣叩きはもう呆れるばかりでしたね。今尚続いています。まるで自民党を解体させるまで続ける勢いです。それを誰もおかしいと発せられない。

一番いけないのは、「それを誰もおかしいと発せられない」ことですよね。
言論が萎縮しており、実質的に言論の自由が死んでいます。

>民主党が野党の時にしなかった政策協力を、今回野党になった自民党には「協力しなさい」という風潮。あきれます。

本当にそうですね。

>政治資金規正法違反の鳩山さんが堂々と総理大臣になれる。党を渡り歩いてたっぷりお金を貯めた小沢さんが、違法かもしれないことしていても幹事長。こんな醜態、誰が作り出したかと言えば「政権交代」に踊った国民です。

全く仰る通りで、責任は全て有権者たる国民にあります。
日本では政治家はこのことを言えませんが、
私は政治家ではない一国民なので、はっきり断言しておきます。
返信する

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