関東大震災の直後、混乱に乗じたデマでたくさんの朝鮮人を「普通の」市民たちが虐殺した
昔の勤務先の隣が横網祈念公園、東京都の慰霊祭が大規模に行われるところ
そこにも朝鮮人犠牲者の慰霊碑があり、遺族や関係者、支援者で慰霊祭が行われ
代々の都知事は歴史を繰り返さないため追悼文を寄せた
でも小池知事は拒否っている。今年も、だったそうだ。
小池知事「理由も含めて昨年と同じ対応」 関東大震災の朝鮮人追悼文、5年連続で送らず:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
東京新聞にはこんな記事も
関東大震災の朝鮮人虐殺の記憶を継承 証言集「風よ鳳仙花の歌をはこべ」が30年ぶりに復刊:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
埼玉北部から群馬にかけても虐殺が行われ、のちに供養碑、慰霊碑が建てられた
昨年は藤岡の成道寺と上里の安盛寺を訪ねてきた
昨日は児玉
今日は大雨予報だったので野良仕事もラン歩もできそうもないと決め込み
車であちこち見学することに
まず、震災時ではなくのちの強制連行・過酷な労働で犠牲になった朝鮮人労働者の追悼碑
群馬県民の森の片隅に建っている
いつの間にか「強制連行」の史実が薄められ、その用語は政治的だと言われ
県の更新不許可処分があって裁判が続き、8月26日、高裁で不許可が適法という判決
上毛新聞に出ていた、千葉大の新藤宗幸名誉教授(行政学)の話の最後の部分引用
「朝鮮半島の人々を連れてきて、劣悪な条件で労働させた事実から目を背けている。裁判所がこうした行政の姿勢を簡単に追認してしまうのは問題だ。」
「強制連行」というコトバが気に入らなかったら「拉致被害者」にしましょうかね。
この公園の園路にこんな表示
ここでじゃないけど、昔はこういう距離表示で数えながらグルグル、フルの距離を走ったな~
次は埼玉県へ。コロナ禍で規模は縮小されたけど、今年も熊谷、本庄で市が追悼式典を開いた
朝鮮人犠牲「正しく語り継ぐ」 大震災98年 熊谷市、2年ぶり追悼式:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
本庄の長峰霊園は街中の小さな墓地
丘の上の区画のど真ん中に大きな慰霊碑があった
裏の碑文、あとでちゃんと読もう
次は熊谷
昨日追悼式が行われた市の葬斎施設「メモリアル彩雲」の隣、熊谷寺大原墓地に供養塔が建つ
結構古い碑で碑文も分かりにくいと思ったら
虐殺を目撃し後に初代熊谷市長になった新井氏が1938年に建てたものだった
多分今の学校が子どもたちにこういうこと教えないだろうから
孫に事実を伝えたくて、
一通り見て帰ってから、またあれこれ調べたり読んだりしてたら
走るより山に行くより野良仕事より疲れた
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