頼さんの訃報に接し、いろんなレースやジャーニーランを共にした走友が
追悼の意をアップしている
ほんとに、誰にも信頼されるお人柄
穏やかで、大騒ぎせず、あえて目立たず
でもすごくリーダーシップがあって地元チームをまとめ、若手をウルトラに誘い
レースでは決してあきらめず、
70歳過ぎてからもチャレンジを続けてきた
旅がらすは、頼さんとは1990年代からのけっこう古いご縁なんですよ。
昔、学芸大でWセンセが24時間走を開いていたとき
いつも「Wさんの奥様」がエイドでお世話してくれて
若手が「Wさんに誘われて」走っていたので、ガッコのOBかと思ったら
別のWさんなのだった。それが頼さん。
頼さんが率いるチームは、そのころ旅がらすが住んでいた隣町のF川ランナーズ
そこには地元の知り合いも入っていたし、
住まいが違うのに?ウルトラ仲間も会員だったり
その後、私が当時の地元で時間走を開いたときも
F川ランナーズ御一行様は常連で来てくれたし
今の東京グレートレースと多分コースがかなりかぶる大会をGWにやっていたとき
GWは毎年萩往還に行かれていたので本番は出れないけど
下見練習会にはチームの若手を誘ってよく参加してくれた
東京出身のはずだけど、定年退職後大阪に転居
転勤族で、子どもさんたちは中高生の頃過ごした大阪に残ったので
「老いては子に従えなんですよ」と冗談まじりに話されていた
現役時代多忙な仕事で、地元走友会も大事にされていたので
毎週末片っ端からレースに飛び歩くというタイプではなかった
萩往還、学芸大、トランスエゾ、のうみそジャーニーに絞って参加
トランスヨーロッパ参加者にはトランスエゾ経験者が多かったこともあり
頼さんも70歳過ぎて、2012年にチャレンジ
その前年?オーストラリア横断レースにも参加準備をしていたけど
そちらはレースが実現しなかった
エゾでもヨーロッパでも、途中でタイムアウトや一部ワープせざるを得なくなっても
決してレース全体をあきらめない
〇勝○敗、何キロ達成、と最後まで頑張る
ヨーロッパは、時間内ゴールできない日が2日続くと公式には失格で
通過チェックも記録もしてもらえなくなるけど
それでも投げ出さずに、ロングの日も風雨の日も走り続けていた
何がすごいってやはりこれが一番すごいと思う
2007年に私が日本列島縦断をやっていたとき
姫路~西宮~六地蔵の2日間
コノチャンさんと一緒にサポートに来てくれたし
ほんとに、いろいろ思い出がつきない
寂しくてたまらない
あ、標題に「寂しいことが重なり」って書いちゃいましたね
もう一つはコロナのせい
からっ風の丘が大好きで住み着いてから約20年
一人で歩くようなペースでなら走り続けているけど、
まともに走るのがきつくてつらいのと、
退職後も東京にたびたび行かないとならず忙しいのと
山と街道旅がしたいのに時間がないし
せっかく県内、隣県にできたラン仲間とすっかり疎遠になってしまった
このご時世、東京へ行く回数は激減したけどゼロにはならず
ゆっくりでよい時でも地元仲間と走るのは自粛
社会運動系の仲間も増えていたけど、年寄が多いので自粛
ジムも、スタッフは大変だろうけど感染対策にすごい努力をしているけど
もらう心配より持ち込む心配のために自粛
臨時休会の特例が今月で終わるので、退会の手続きをしてきた
このご時世に流行りだした二拠点生活ではなく
場所としての拠点は完全にここなのに、
その拠点に万一の迷惑をかけないため、自粛ばかり
もともと行きたいところへ行くには一人が都合よいので
今まであまり気にならなかったし、むしろ羽を伸ばしていたのだけど
やはり寂しいなあ