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[小説] 「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」を読んだ

2009-09-05 | 雑記

ガンダムエース誌上で連載され、先日、最終巻が発売された福井晴敏の「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」の小説を読み終わりました

いやー、1巻から10巻まで手に汗握る展開が満載で、非常に面白かったです!

090905 近年、テレビ放送されているシリーズとは違って富野由悠季が手がけたファーストガンダムから連なる、俗に”宇宙世紀(UC)シリーズ”と呼ばれる世界観で展開する最新作ということでもファンの間では話題になっていた作品で、こちらのアニメ版の方も来年からスタートする事が発表されています

「~ユニコーン」小説版の著者である福井晴敏は、これまで現代日本を舞台にしたポリティカルアクションや戦記モノを主に手がけてきましたが、”ボーイミーツガールの王道”や、”ダメ中年の再生”といったテーマを得意とする手腕は今回も遺憾なく発揮されていましたね

第一巻が発売されてから丁度2年……初期の頃は職場でガンダムエースを買っている同僚から連載分を読ませてもらってましたが、中盤からは数ヶ月ごとに発売される単行本がホント楽しみでしたねえ

今年で30周年というガンダムの長い歴史の中で、ガンダムと名の付くシリーズはテレビからOVAまでほぼ全て視聴してますが、そんなオレが一番最初に触れたシリーズは1986年放送の「機動戦士ガンダムZZ」でした(厳密には前作の「Zガンダム」のラスト十話くらいも見てましたが、それまで実はガンダムというものを一度も見た事がなかったので、サッパリ理解出来ませんでした)

ただ、この「~ZZ」っていうのが黒歴史呼ばわりというか(汗)、多くのガンダムファンの間ではイマイチ好かれてないんですよ…
前作の「Zガンダム」があまりにもダークな展開だった反動から、”明るいガンダム”がコンセプトとなったことでハード志向のファンから反感を買ってしまう内容だったのは理解できるんですが、”シリーズは数あれど、ほとんどの人は最初に触れたガンダムシリーズが原体験として否定できない存在になる~”という樋口真嗣の言葉もあるように、オレにとっては初めて物語の最初からキチンと見たシリーズですし、「~ZZ」が終わった後で初代ガンダム(の劇場版三部作、そして改めて「Z~」を最初からビデオレンタルで見直したという経緯がありまして、普通に「~ZZ」が好きだったんですね

そこへもって、数年前に富野監督が「Zガンダム」を劇場三部作としてリメイクした際、後に「~ZZ」へと繋がるハズの要素が大幅に改変されてしまったことで、ファンからは”もう「~ZZ」は無かったことになった”みたいな言われようだったのがかなり哀しかったりしたんです(苦笑)

でも今回の「ガンダムUC」では、のっけから「~ZZ」で登場したメカや登場人物が重要な役割で描写されてまして、オレみたいな数少ない”ZZ肯定派”は、そりゃもう狂喜したものですw

まあ、正確にいうと特に「~ZZ」がえこひいきされていたというワケでもなくて、他の宇宙世紀シリーズからも多種多様な要素が引用されているというか、下手したら二次的な同人創作とも受け取られかねない、パロディ的なネタが満載だったんですけどねσ(^_^;)
(…念のために書いておきますが、エンターテインメント作品としてのクオリティは素人が同人で書けるようなレベルとは次元が違いますので、これから読んでみようかと思ってらっしゃる方はご安心くださいw)

来年から始まるアニメ版を待つのもいいですが、おそらくアニメという媒体では表現しきれない要素も多々あるように見受けられるので、興味のある方は是非、小説版を読むことをオススメします!

以下ネタバレ感想:
いやはや、読んでて何度泣かされたことか…

哀しみの涙、興奮の涙、喜びの涙、そしてクライマックスの感動の涙と、実に目まぐるしく感情が揺れ動かされてしまいました……”ラプラスの箱”という壮大な謎を縦軸に、物語の舞台である”宇宙世紀”の最初の100年間を見事に総括してみせたラストを読み終えた時の感慨は、ナカナカ筆舌に尽くしがたいモノがありましたね

その”箱”の謎ですが、守人のローナンが指摘していたように、明かされた当初は”へ?…そんなものが?”という感覚が強かったですが、考えれば考えるほど深いハナシでした
「Z~」で連邦軍がアムロを飼い殺しにするしかなかった背景や、「逆襲のシャア」でサイコフレームという技術が登場したことが、こうも見事に”箱”の存在を補強するものかと、まるでサンライズでは元から裏設定としてずっと存在していたのではないかと勘違いするほどに、あまりにも見事な設定だと身震いするほどでしたね

”はじめに善意があった~”という発想は、”原罪”という概念を重要視したキリスト教と共にあった”西暦”という時代を終えようとしていた人類が抱えたであろう意識として、さもありなんというカンジでした

そして読んでてイロイロ考えたことの中で、昨今のドラマやマンガやアニメを見てて、”正義の定義が難しくなったなあ~”というのがありまして、昔は敵役というか”悪の組織”や”悪役”っていうのが単純化されてて、主人公たちは”世界の平和”さえ唱えとけば特に戦う理由を説明する必要も無かったじゃないですか

でもいつしか正義の相対化が進んでしまって(敵にも味方にも言い分がある~みたいな)、他でもない初代ガンダムこそがまさにその潮流を作った大元でもあるわけですが、そこで物語の作り手たちはどうしたかというと、主人公たちの動機を、”愛する恋人、家族、友人を守るために戦う!”といった風に、個人レベルに矮小化させないと観客の共感を得られなくなったんですね

これは今の世界が、国家対国家の大規模な戦争がほとんど起こらない(少なくとも先進国同士の戦争はもう無さそうな)情勢において、テロという個人レベルの戦いがメインになったという影響も大きくて、フィクションの物語がそれに引っ張られるのは仕方ないかなという感覚でしたが…
今回の「ガンダムUC」で、その個人レベルの思いも、実は国家や社会体制の維持というマクロレベルの事象とも何ら齟齬なく繋がる(同列視できる)ということを示してみせたのが新しい表現かなと思ったりしました

あとあれですね
”世界は結局何も変わらない”と、ハッキリと達観してしまってるのもナカナカ衝撃的でした
確かに宇宙世紀シリーズは後の「F91」や「クロスボーンガンダム」、そして「Vガンダム」と何十年経っても相変わらず戦いの歴史を繰り返してるという事情があるにしても、です

アムロと子供達に引っ張られるようにホワイトベースの皆がニュータイプへと進化する可能性を提示したファーストのラストをもってしても……それでも争いを繰り返した人類に”惑星をも動かす”という奇跡を示して見せた「逆襲のシャア」のラストをもってしても、結局、人類は学習しませんでした

これってつまり物凄く救いの無いというか、ミもフタもない表現をさせてもらえば、
”希望や可能性じゃメシは食えない”
ってことなんですよねσ(^_^;)

それを全て認めた上で、それでも歩みを止めるわけにはいかない~と言い切ってしまったのが凄い………まるで、例え取り返しの付かない失敗によって人類が滅亡してしまったとしても、またゼロから歩き出すだけだ~とでも言いたげな(この辺はガンダムというよりは「イデオン」的でしたね)、まさに宇宙規模のポジティブ・シンキングには思わず納得させられてしまいましたw


さて、個々の魅力的なキャラについてもイロイロと感想を書こうと思ってたんですが、ここまででもう結構な文章量になってしまったので、とりあえず一人だけについて書かせてもらいます

主人公のライバルのポジションとしてはリディがおいしい所を全部持っていったというカンジでしたが、終盤で袖つきのアンジェロというキャラがバナージの精神感応に抗おうとするシーンが物凄く印象的でした
別にホモ云々の過去についてではなくて(汗)、”無垢な善意”がどれほど人を傷つけるのか、残酷なのかという事を示すのって、エンターテインメント作品ではとかく見過ごされがちですが、やはり衝撃的でしたねえ

人間誰しも、大なり小なりのトラウマを抱えて生きてるものだと思いますが、これだけは誰にも知られたくない、特にこの人にだけは絶対に知られたくない相手とかっているじゃないですか……
まさに精神汚染というか、あれ一種のレイプですよね……しかも主人公が(正しいと信じてる)加害者で………
いやー、あのシーンはコンプレックスだらけのオレにとって、ガンダムのシリーズ全てを見る目がちょっと変わってしまったんじゃないかっていう位のショックでしたね

他のキャラについても沢山言いたいことがありますが、アニメ版がリリースされた頃にでもまた書かせてもらいたいと思います


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