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[劇場アニメ] ヤマトよ永遠に REBEL3199 第一章

2024-07-23 | 映画

「ヤマトよ永遠に REBEL3199 第一章」を鹿児島ミッテ10にて鑑賞しました

まずは右も左も分からぬ日本本土の南端に移住してきてホッとしたことの一つに、”どうやらヤマトの新作はこちらでも上映されるらしい” というのがあったことを報告させてもらいます(〃▽〃) 


オレが旧作「ヤマトよ永遠に」を見たのは90年代、レンタル代が(旧作なら1本100円等)かなり手頃になったとはいえ、まだDVDがなかった頃でした(ビデオカセットを何本も持ち帰るのが面倒だった記憶がかすかにw)

で、ここ肝心なんですがオレは ”後追い” で追いかけてるので、「ヤマト」の劇場作品としては「さらば(1978年)」「永遠に(1980年)」「完結編(1983年)」と、まるで ”終わる終わる詐欺” の典型みたいな ”悪質なシリーズ物” という評判を事前情報として当然知っているわけです(苦笑)

オレのオタク的な遍歴としては ”マンガ” が中心軸にあって、そんなにアニメ作品に対する思い入れとかはなかったんですが、1990年にNHKで放送された「ふしぎの海のナディア」をきっかけに監督やアニメーターなんかにも注目するようになって、とにかくこの劇中での「ヤマト」をネタにした本格的なパロディ演出が衝撃的だったんですねヽ( ̄▽ ̄)ノ……マンガ好きのオレとしては松本零士先生の作品はそれなりに追いかけてましたし、「999」は人生ベスト10の当確ライン上には常にいるくらいに思い入れもあったので、(庵野監督もこれ程にこだわるw)「ヤマト」の方も見ておくか的な流れだったような気がします

細かい感想はさておき、当時そのまま「ヤマト2」「ヤマト3」「完結編」まで(それなりに不満はありつつも)見たので楽しめてたのは間違いありません……そして「ヤマト2520(1995年)」という新世代新機軸をテーマにした完全新作に盛り上がってたら不祥事によるシリーズ中断で気持ちというか ”想い” は今に至るも宙ぶらりんという哀しい結末を迎えてしまいました……”原作” の権利争いについては松本零士先生の方に肩入れしつつも、その後の新作については…(-_-;)


やがて「2199(2012年)」という一流クリエイターたちによる ”元祖ヤマト愛” あふれる作品に触発されて早12年、このままこのリメイクのシリーズが進めば ”アケーリアス(アクエリアス)文明の総括” が最終到達点になりそうですが、「3199」にも製作中止の危機があったとのことですし、果たして今後についてはまだ予断を許さない…?

 

以下ネタバレ感想:


「REBEL3199」を見て家に帰った後、「永遠に」を見直してみたんです……それこそ30年ぶりくらいに


開始わずか1分くらいで重核子爆弾が地球圏に到達する、あっさり壊滅していく地球防衛軍、地球が制圧されるまでわずか15分ほどの異様なスピード感は、これはこれで今見ても面白いんですが、やはり無理がありすぎて変な笑いが止まらない思いでした

まあこの展開は「完結編」でも同様で、”蹂躙される地球!”、”残された最後の希望のヤマト!” という、ファーストと同様の構造というか黄金パターンに持って行く為にはなりふり構ってはいられない事情も理解できるんですけどねσ(^_^;)

「ルパン三世」をわかりやすい例として挙げますが、映画やスペシャル放送という2時間ほどの枠に(スペシャルですから設定も壮大になりがちな)物語の起承転結を収める為の無理矢理感というのが非常にキツかったんですよ……とても贅沢な作り方とも言えるんですが、近年放送されたルパンの第4~6シリーズを見ると、面白くなりそうなキャラクターや物語設定の要素を(尺の制約で)切り捨てまくってたのは非常に勿体なかったんだなと

とりあえず古代たちが地球を脱出した30分ほどで視聴を止めましたが、「3199」は驚くほどに旧作と同じ展開を踏襲していましたね(タイトルの出し方まで!)……単純に尺が倍になってることでじっくりと群像劇としての描写が濃密になってるだけでも、旧作から感じた(性急が故の)”勿体なさ” みたいなのはかなり解消されてると感じられたのはとても良かったです

「2202」から銀河に搭乗しているほんのチョイ役といっていい乗組員に、大御所声優の林原めぐみがあてられてるのを不思議に感じたモノでしたが、今回みたいな見せ場を想定してたのかな……「2199」第七章の感想でも書きましたが、コスモリバースがあたかも ”生け贄” を欲しているかのような振る舞いを、(まだ謎だらけとはいえ)まさかこの様に回収してくるとはヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ……コスモリバースに ”宿る?” 魂が古代守から沖田艦長を経て、今はこの神崎恵という人に入れ替わった?とか思ってたら二章の予告からするとどうやら生きてるっぽいですし、(波動エネルギーを勝手に使われた)沖田艦長の怒り?祟り?はまだ全然治まってないとかそういうことなんでしょうか

そしてボロボロの穴だらけだった ”別次元?の地球人” 設定をちゃんと作り込んでるっぽい部分や、「2202」における大軍拡の余韻みたいなフォローもちらほら見受けられましたし、ガルマン・ガミラスやボラー連邦といった「ヤマト3」の要素も織り交ぜてきてるのが今後の期待を持たせます

 

パンフレットにて総監督の福井晴敏が予告してますが、第二章からの展開は旧作から大幅に変わるとのことで、あの ”トンデモ” 設定にどう説得力を持たせるのか、”自分史上(ガンダム含めてw)最高の手応え” と豪語するストーリーに期待しつつ、11月の第二章の公開を楽しみにしたいと思います!

 

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[映画] ゴジラ-1.0/C

2024-01-15 | 映画

「ゴジラ-1.0/C(マイナスワン/マイナスカラー)」を鹿児島ミッテ10にて観賞しました

昨年の11月3日から公開され、今もなお全国で上映中の作品の(内容は何も変わらない)別Ver.が並行して公開されるという、おそらく映画興業史上でも初の事態なんじゃないかと思うんですが(まあ最近は4Dとかもあってあれはあれで別物感が凄いとのことで)、興行収入のカウントは同一作品として扱われるのだそうです

「シン・ゴジラ」にも白黒版があって、劇場公開もされたというのは知ってるんですが、個人的には特に白黒で見たいという風には思えなかったのでスルーしてました……まあ、「シン~」は劇場で3回も見てしまっていたのですっかり満足してたというのが大きい気がしますがw


白黒映画といえば大体1960年代辺りに絶滅していった文化というイメージで、オレが映画好きを自認するようになったのはビデオレンタル全盛の90年代ですので、オレにとって白黒映画というのはほぼ全てがビデオやDVDという媒体を通して ”過去の名作でも見てみるか” というアプローチで触れた作品群でした

とは言ってもいわゆる ”名作” みたいなのには疎くて、せいぜい有名どころの黒澤明や岡本喜八のエンタメ系を見てた程度なので偉そうなことは言えません……「ゴジラ(1954)」にしても20年ほど前にDVDで初めて体験したワケですが、ほとんど予備知識の無い状態で見た為に(もはや伝説的とさえ言われる)”ゴジラ初登場シーン” で思わず変な声が出るくらいに驚いてしまったことを懐かしく思い出します(10年前にデジタルリマスター版と生誕60周年記念で上映された際には劇場に足を運びました→感想

あと劇場で見た白黒映画といえば単館系のヨーロッパ映画や「七人の侍」のリバイバル上映くらいだったと思いますが、今作「マイナスカラー」を見て、白黒映画でしか感じられない世界観というか ”感覚” というものが間違いなくあるなと改めて思わされました


”光と影の芸術” とはよく言ったモノで、色彩がなくなることで陰影そのものがひたすら際立って見える効果は絶大ですな……”白(光)から 黒(闇)” の階調表現(グラデーション)は強ければ強いほど劇的ですし、ゴジラのボコボコした表面の質感なんかはカラー版を見てたときには意識できなかった次元で気づけたことも良かったです( ゚∀゚)o彡゚

死体がズラリと並び、もはや血なのか汚れなのか判別不能なホラー映画顔負けのシーンや、戦争映画レベルの ”破壊” 描写なんかも迫力というか凄みみたいなのが数段増しているイメージでしたが、何より印象的だったのはやはり人物表現の深みに尽きますかね……”表情” を始め、背後の襖に落ちる(影絵の様な)人影など、心理学でいう ”シャドウ” が人間の本性そのものを表してるかのような描写に気づかされる度に唸らされる思いでした

戦中戦後の時代や世代という素材がそもそも白黒映画に合ってるのが一番大きかったというのももちろん否定できませんが、庵野監督との対談以前から企画されてたんですかね?

 

 

ちょっとだけネタバレ感想:

そういえば例のラスト、オレはカラー版を見てたときはガチで涙でぐしゃぐしゃになってて本気で気づいてなかったんですがσ(^_^;)、あのアザみたいな影の紋様をくっきりと浮き立たせたいが為の白黒映画化企画だったのではないかとちょっと思ってしまったり…w

 

 

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[映画ネタ] 「海賊と呼ばれた男」「永遠の0」を見直してみた

2023-12-29 | 映画

「ゴジラ-1.0」をもう一度見たいなと思いつつ、なかなか劇場まで行く余裕がない状態で夜な夜なyoutubeで海外のレビュー動画を漁ってましたが(年明けから公開される白黒版はなんとしても見に行きたいです)、ふとアマプラで「海賊と呼ばれた男」と「永遠の0」があったので適当に飛ばし飛ばしで見直そうかなと思ったら、普通にガッツリと最初から最後まで見切ってしまいました

 

2013年とちょうど10年前の「永遠の0」のオレの感想は今回見直した感覚とほぼ変わらないカンジでしたが、「ゴジラ-1.0」の脚本の無駄のなさみたいなのを改めて実感しました(もちろんCG技術なんかにしても)

原作者の百田尚樹が「ゴジラ-1.0」に対して早々に感想動画をアップしてましたが、ほぼほぼ自作の映画化に近いノリでアツい感想だった気持ちもよくわかりましたw……海外のレビュワーにも山崎貴監督の過去作を追いかけ始めた人たちがいて、(「永遠の0」を見ることで)特攻兵という存在への理解がより深まったという感想もあったのは嬉しかったです

 

「海賊と呼ばれた男」については結構印象が変わってて(一番驚いたのは田中美央が出てたことだったりw)、当時の感想にも書きましたが(直近に読んでいたマンガ版と比べてしまって)ほとんどダイジェスト版にしか感じられなかったのが、映画単体でのまとまりとして受け取ることが出来たカンジです

まあこれは自分が年齢を重ねたことで、より主人公の老境の想いなんかに共感できる部分が増えたっていうのも大きそうです

 

CG技術の発達過程が見られるだけでも興味深いと思いますので、「-1.0」から山崎作品に入った人にもこの年末年始にオススメしたいです

さて次は「アルキメデスの大戦」にも行っちゃおうかなw

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[映画] ゴジラ-1.0

2023-11-03 | 映画

「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」を鹿児島ミッテ10にて観賞しました

「シン・ゴジラ」から7年、遂に本家日本版ゴジラの最新作が公開となりましたが、脚本も手がけた山崎貴監督についてはハリウッドにも比肩しうる卓越した映像の技術やセンスには疑う余地はないけど(大変失礼ながら)監督作としての打率は四割くらいかな…というのが正直な感想なので、丁度一年前に製作が発表された際は期待と不安が半々という所でした

ところがいざ特報が公開され、”初代ゴジラよりも前の時代”、”戦後の打ちひしがれていた日本に更なる追い打ちとしてのゴジラ”、”凄まじい破壊描写”といった有無を言わせぬ説得力しかない表現を見せつけられて、僅か30秒の映像に日本中のありとあらゆる筋の濃いマニアたちが一斉に考察やら展開予想やらを始めた勢いが激アツでしたねえ( ̄▽ ̄)=3

山崎監督自身がコメントしてますが、斬新な設定と演出で新機軸のゴジラ像を打ち出し、空前の大ヒットを記録した「シン・ゴジラ」の後で新作を作ることの怖さやプレッシャーみたいなのを想像するだけでも震えますが、更に公開された予告編(90秒)によって期待値が一気に最大値にまで引き上げられ、不安感みたいなのはほぼなくなりましたね

…最悪、お話としては例えお粗末だったとしても、映像だけでも一生モノの体験が出来そうで絶対に劇場で見て損はしないだろうという確信が持てたと言いますか(^_^;)

 

で、実際に見た上でのネタバレ無しの感想としては、初代「ゴジラ」が目指した ”理不尽” の象徴としてのゴジラ像と、オールジャパンでその ”理不尽” を乗り越えようぜという「シン・ゴジラ」の精神性が見事に融合されている作品になっていたと思います

怪獣映画ではありますが、例えどんなファン層にとっても ”全方位を楽しませようという” 抜かりない映画体験が出来ることは間違いありませんので是非ともオススメしたいです

 

 

 

以下ネタバレ感想:


山崎監督の出世作である「ALWAYS 三丁目の夕日」の第二作目、「続・三丁目の夕日(2007年)」の冒頭にて(当時の世相ネタとして)フルCGによるゴジラを大暴れさせるシーンがありましたが、前作の大ヒットによる予算の大幅な増加に乗っかった悪ノリでありw、技術的な検証でもあった(当初の想定よりも大幅に手間も時間もかかったそうです)ネタが実は本気も本気だったことを改めて証明したのが今作と言えるのではないでしょうか

おそらくこの時に「マイナスワン」の大枠みたいなのは構想されていたのではないか、(愛すべき)鈴木オートの面々がゴジラの襲来を受けるとしたらという発想をガチで膨らませて設定やらを作り込んでいった結果が、当時はネタとしてのシーンが限界だったけど、16年の時と「永遠のゼロ(2013年)」や「アルキメデスの大戦(2019年)」と共にCG技術の蓄積を経てついに本家「ゴジラ」作品として結実したのだと思うと実に感慨深いですなヽ( ̄▽ ̄)ノ


庵野秀明監督がトークで ”山崎貴の集大成” と評していた際に、”ツッコミどころ満載” とも表現してたのは、そういう意味でも ”集大成” なんだなという感も確かにありましたσ(^◇^;)

元々、ハリウッド志向が異様に高いことでも知られている山崎監督ですが、海外の映画やドラマで話題になっている技術を臆面も無くパクってくるのが(まあ向こうは向こうで日本のアニメからパクりまくってるのでお互い様ではありますが)、どうしても賛否の分かれてしまうところではありますw

予算が10倍以上違う(クリエイターの報酬格差で見たら20倍違ってたりもするとか)日本のエンタメ業界の限定された環境で、いかに向こうと遜色ない表現が出来るかに飽くなき挑戦を続けてる側面は無条件で応援したいです、もちろん


そういった意味で「マイナスワン」で際立って印象的だった元ネタが「ジョーズ(1975年)」でしょうか

直接対決から倒し方に至るまでがオマージュというかそのまんまなので、ここは批判されそうなポイントではあるかもしれません……でも50年も前の映画なんて(映画そのものの130年の歴史から)ほとんど古典みたいな扱いでしょうから、そこからアイディアを何段階か進めてもいますし、文句を付ける筋合いではないと思います

それに技術の長足の進歩ってやつをこれでもかと実感させてくれる表現だったのも素晴らしかったです( ゚∀゚)o彡゚……ハリウッドでも「タイタニック」を契機に海洋CGの表現が大幅に進化したものですが、ついに日本映画でもここまでの領域に達したのかと嬉しかったりもしましたね

あと物語的なテンポを早める為、とにかく人間側の事情や心情はセリフでとっとと説明しちゃったり、シーンに登場する(または退場する)背景事情なんかも非常にご都合主義的なんですよね……でもこれは ”観客が見たいシーン” を最優先させるハリウッドの典型的な脚本構造に忠実に則ってるとも言えますので、一般的に大ヒットする作品を目指すならこれ以上無い ”正解” の演出でもあったのではないでしょうか(人間ドラマを徹底的に排除していた「シン・ゴジラ」は庵野監督以外ではできない手法でしたし、例外みたいな扱いにするしかないかと)


補足として、庵野監督の世代に特に顕著なんですが ”ツッコミどころ” というのは、愛情故の裏返しの揶揄みたいな部分が大きくて、決してバカにしてるのではなく ”ツッコミし甲斐がある” と言いますか、非常に面白がっている前提がある上でのそういう抜けや設定の穴みたいなのに ”ツッコミ” を入れるという感覚が、今の若い人たちには ”セリフで説明” しないと伝わらないカンジなのは(昭和生まれのおっさんとして)どうしても書き残しておきたかった部分ですw

 

「シン・ゴジラ」では徹底的に排除されていた人間ドラマ、この要素については(神格化されてる)初代「ゴジラ」もいまいち微妙で、主人公もヒロインもぶっちゃけ要らない扱いだったようにしかオレには見えなかったんですが(詳しくは2014年に書いたこちらの感想を)、そこは「三丁目の夕日」や「永遠のゼロ」で培った終戦後の人々への目線を忠実に再現し、そこにゴジラという未曾有の災厄をぶつけるという仕掛けが見事にハマっていたと思います

しかも予告でも目立っていた銀座のシーンで、まさかのヒロイン退場があったのは全く予想もしてない展開でしたし、主人公たち(というか当時の全ての日本人)の ”自分の戦争は終わってなんかいない” という想いへの落とし前として終盤の全ての要素に繋がっていく流れは美しくて見事としか言いようがありませんでした(ノД`)

…あれだけ絶望的な戦争だったんだ、ヒロイン生存くらいの奇跡はあったっていいじゃないか(T△T)

 

特報が公開されて以降、戦後すぐの状況で人類がゴジラへの対抗手段として持ちうる戦力は何があるのか、軍事やら戦史のマニアが中心になっての予想合戦が繰り広げられていたようですが、オレはかなり浅い方のオタクなので細かい部分は全然わかりません

それでも重巡高雄や駆逐艦雪風、そして震電といったあの頃に確かに ”実在” していた戦力の登場には涙が止まらないくらいシビれまくりでしたね(T∀T)

庵野監督は ”ぬるい” と評していましたが、あの人は世界でもトップクラスのマニアなので意見を鵜呑みにしてはいけないと思いますw

「ジョーズ」感を存分に堪能させてくれた海上追いかけっこ、撃沈される寸前に零距離射撃を敢行していた高雄の砲撃手たち、驚愕と絶望の銀座(なぜか一瞬だけ橋爪功がいたようなw)、奇想天外ながら理に適った作戦立案の茶川先生(←違うw)、一本釣りに集結する船団、死ぬ覚悟と生きる覚悟を決める主人公、そしてあらゆるシーンで死と絶望を振りまく圧倒的存在感なゴジラ…

強いて不満を挙げればゴジラの登場シーンをもっと見たかったというくらいで、これこそ予算の壁というやつで言っても仕方ないことですし、”こんなのが見てみたかった” シーンは沢山ありましたし、結局のところ、めちゃめちゃ面白かったとしか言えません


折角だからとIMAXで見たんですが、画面が大きすぎて膨大な情報量を処理できなかった心残り感が尋常ではないので、また普通の劇場に見に行きたいと思います

 

 

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[映画] 君たちはどう生きるか

2023-07-15 | 映画

「君たちはどう生きるか」をTOHOシネマズ与次郎にて観賞しました

”一切の宣伝広報をしない” という宣伝?で話題になってるんだかなってないんだか、非常によくわからない状況ですが、公開二日目の週末で天気も良好、オレが行ったシネコンの午後3時の回で客の入りとしては3割くらいだったのはちょっと夏休みジブリ超大作?としてはどうなのかと少し心配になるレベルです

ただ具体的にどういった事情なのかはわかりませんが、宣伝が非常にしにくい作品であることは理解できた気がします

 

※事前情報が一切ない方が観客にとって一番いいだろうという判断は間違ってないと思いますし、ネタバレもガンガンしますので未見の方は以降の感想を読まないでください

 

 


何せ今作は、映画の構造というか構成が「千と千尋の神隠し」とほとんど同じなので……これを普通に宣伝してしまうと、(「千と千尋」と)全く同じ様な内容としてしか紹介できないジレンマがあったのではないかと思われます

描写がエグかったり結構ハードモードな展開だったり、デビット・リンチか押井守かという(現実と虚構の)不条理劇な側面もあったりしましたが、要所要所で丁寧にセリフで解説してくれるので、”物語” として主人公が生きる力と、家族不和の解消を獲得していく流れは普通に観客に伝わるようにはなってたと思います

でも「千と千尋」と比べてしまうと、ハラハラはさておき、感動のワクワク感みたいなのは基本的に今作からは欠落しているので、これまた(CMや広告という限られた時空間で)どう宣伝していいものやらという…(^0^;)


それでオレにとっての今作の感想ですが、非常に面白かったですし楽しめました


演出やモチーフの寓意やら含蓄やらの全貌についてはちょっとオレなんかでは計り知れないカンジでしたが、”宮崎駿作品” として伝わって来た要素には実に引き込まれまくりでした

「千と千尋」的な部分は言わずもがな、「コナン」や「カリオストロ」といったジブリ以前から「もののけ」「ハウル」「ポニョ」等を経て「風立ちぬ」に至る作風の歴史が詰め込まれてるのを見られるだけでも楽しめましたが、「風立ちぬ」で自伝的(自嘲的)に ”遺言” をしたため、自らのワガママし放題のクリエイター人生を許容してくれた周囲の仲間や家族への感謝を捧げた宮崎駿が更なる新作によって一体何を語ろうというのだろう?……何の事前情報もなかったことですし、オレの今作への興味はほぼこの一点のみにあって劇場に足を運んだと言えるのかも知れません

 

要するに、この世への未練というか心残りというか、「(自分が死んだ後の)君たちはどう生きるか」というのが今作のテーマだったのではないかと

 

「千と千尋」の焼き直し的な展開とはいえ、最大の違いは設定の根幹に ”謎の塔” が存在していて、宇宙から飛来したとされることで、従来の作品における大自然の驚異とか恩恵とか、精霊や魔法といった(地球)土着な要素とはオリジンが明確に違うというアピールが非常に印象的でした

”天からの授かり物”…つまり塔は ”才能” を象徴していて、あのパズルみたいな構造物はスタジオジブリそのもののメタファーなんだと思われます

この20年ほど自他共に認めてるという風ではありましたが、宮崎駿にとって後継者を残せなかった(結果としてジブリという城を見殺しにして自らは逝ってしまう)ことへの後悔と懺悔みたいなのが相当色濃く今作では表現されていたのではないでしょうか

特に時空を越えて ”お母さん” の若かりし頃と繋がる描写なんかが象徴的でしたが、40年ものジブリの歴史の中で、どれだけの若者達がジブリの元でその青春と情熱をつぎ込んでいたか、つぎ込んでいてくれたか、そしてそれが最終的には(宮崎駿の主観からすると)無へと帰してしまう苦悩っぷりに実に胸がつまりましたねえ…(ノД`)

 

ジブリという ”地獄” から解放されたペリカン達は幾人か存在する(ジブリを飛び出した後に)花開いたクリエイター達を表してたんだと思いますが、あの(ジブリが崩壊する)ラストだけでなく、”潰されてしまった” ペリカンのシーンなんかに込められた宮崎駿の想いはいかばかりか、いやもう、歴史に残る世界的クリエイターが自らの ”業の深さ” を曝け出す心のありようについてはまさに想像を絶するとしか言えません…(゚д゚;)

 

今作が岡田斗司夫とかの解説でどういう風になされるのか楽しみですが、他の誰よりも押井守監督に語ってもらいたいです……宮崎監督の人となりに最も近づいた人間の一人ですし、しかもアオサギって押井監督なんじゃないかとか結構本気で思ってますしw、ガチでオーディオコメンタリーやってほしいなあ


御年82を越え、今度こそ ”遺作” となる可能性は高いと思われますが、また機会を見つけて ”劇場” で見届けておこうかな…

 


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[映画] シン・仮面ライダー

2023-03-18 | 映画

「シン・仮面ライダー」をTOHOシネマズ与次郎にて観賞しました


「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に続く(実写)第3の「シン」作ですが、いよいよ庵野秀明が脚本と監督の両方を単独で手がけるということで ”本命” とまで一部で言われている話題作の登場です

「シン・ゴジラ」に関しては1954年の初代と1984年版「ゴジラ」以外、正直あまり好きになれない状態だったオレにとってはドンピシャの内容で、超兵器とか子供向け要素みたいなのがほぼゼロのハードでリアルな現代風アレンジによって日本中で(一般層も巻き込んで)特大ヒットを記録したことは記憶に新しいと思います(感想リンク:

「シン・ウルトラマン」はマニア向け要素が強化され、オレとしても(特に終盤は)賛否が分かれてしまうカンジでした(感想リンク:

「仮面ライダー」に対してはオレの場合、昭和ライダーについてはほとんど知らず、平成ライダーについては初代「クウガ」から「響」の序盤辺りまでを毎年追いかけていたという立場でこのエントリを書いていることをお見知りおき下さい

 

昭和ライダーについては村枝賢一による「仮面ライダーSPIRITS」というマンガから得た知識のみ知ってるんですが、これがもう(昭和ライダーを知らない)オレなんかでも感涙にむせぶほどの ”ロマンの塊” みたいな作品でして、今からもう20年ほど前ですか、今アラフィフからアラ還くらいの直撃世代には物凄い衝撃だったそうなんですよ

(余りにも壮大な展開になっていて現状、「新 仮面ライダーSPIRITS」と合わせて単行本が50冊も刊行されているんですが、最初の1~3巻での9人のライダーを振り返りつつの短編エピソードの連なりだけでも号泣必至なので是非とも未読の方には強くオススメしたいです)

この直撃世代には当然、庵野監督も含まれていて、今作「シン・仮面ライダー」にもその影響が見て取れる…と言ったら語弊があるのかもしれませんが、放送当時にリアルタイムで昭和ライダーに夢中になっていた少年達がやがて一流のクリエイターになり、”オレならこうする” というアプローチがある程度似通ってしまうのは当然のことと言えるのかも知れません


とはいえ、”映像” における庵野演出の切れ味は往年の実相寺昭雄や岡本喜八へのリスペクトから尋常でないこだわりが込められてるであろうことは自明でしたし、そもそもがパロディ要素を自作に落とし込む名手でもありますから、それが本家作品のリブートに ”全力” で取り組むというだけで製作発表以来、期待は膨らみ続けていました

今作で一号と二号を演じるのはそれぞれ池松壮亮と柄本佑ですが、二人とも(平成ライダー以降では当たり前となった)イケメン俳優とは違った路線なのが非常に個性的に感じられて、役者としてアクションをするイメージも特になかったのがとても新鮮で楽しめた部分もありました

 

 ※ここからは内容に微妙に触れます

 

製作発表時に公開されたこのビジュアルにて、”(変身後の姿で)トレンチコートを着て” たり、”流血” していたりするイメージだけでも上記「SPIRITS」の影響を色濃く感じられたものですが、更に遡った、島本和彦(言わずと知れた庵野監督の同志w)による「仮面ライダーBLACK」の読切でも見られた描写なので、仮面ライダーのマニア達にとっては ”燃える” 要素としての共通認識といえるレベルなのかな…

現代風にアレンジするに辺り、どういった要素が「仮面ライダー」であるのか、何を外して何を外さないかの取捨選択が為されたのだと思われますが、オレが劇場でぼんやり思ってたのは「クウガ」のことでした

(平成に復活するにあたり) ”新たな仮面ライダー” とはどういったものかを考慮し、リアリティを補強するのが基本にありつつ、”仮面ライダーと言わない”、”必殺技名を叫ばない”、”刑事とのコンビ”、”敵組織の社会性” といった要素が非常に目新しく感じられたのが思い出されますが、「シン」の前二作と同様に今作も現代社会を普通にリアルに設定した上での ”改造人間” という存在が表現されていましたね

”技名” は叫ばなくとも、”変身” のポーズだったり謎のジャンプだったり、キリモミ回転だったり、”ライダーキック” であったりと敢えて旧作のイメージを踏襲しつつ、思い切ったゴア表現は昔の子供向けテレビ番組としてどころか、現代の地上波でも規制ギリギリと思われる描写で確実に ”新しい” 表現になっていたと感じられました

そのゴア表現は ”悲哀” や ”苦悩” を強調してるのは勿論、劇場映画としての見ごたえにも直結していてとても良かったんですが、敵キャラが ”敢えて” シュールな演出で登場(そして退場)してたりするのに(マニアではない)オレとしては当惑を感じてしまったのは事実です(^0^;)

2時間余りの内容で登場する敵怪人は主に4体いて、大体テレビシリーズの4本分をまとめたカンジの時間配分だったと思うんですが、それぞれの怪人との戦いにアイディアが仕込まれていて、何だろう、「シン・ゴジラ」のクライマックスで登場した ”無人新幹線爆弾” を見せられた時の、笑いと興奮が入り混じった例のアレみたいなのが4回あると言えば伝わるでしょうかw

何より「シン・ウルトラマン」の時と違ったのが、最後までダレることなく、ずっと観客を楽しませようと盛り上がり続けた構成は(オレみたいなマニア以外でも)楽しめて素晴らしかったなあ

かつて庵野監督が ”負け戦” と表現していた監督作、実写版「キューティーハニー」で実写素材をアニメ素材風に取り扱った ”ハニメーション” という技術があったんですが(製作会社の都合で撮影直前に予算が7割カットされてしまったという地獄からの苦肉の策?)、まさか令和の世にそれの ”正統進化” みたいな映像が見られたことは何気に嬉しかったですd(≧▽≦*)

 

 ※完全ネタバレ感想

 

ぶっちゃけ、オレが気づけたマニアックなネタというと、”二号が助けにきた際に動けぬ一号が負傷していたのは左脚(藤岡弘が撮影中に左脚を骨折したことから苦肉の策として二号ライダーは生み出された)”という部分くらいでw、ネットの感想なんかを見てると相当にマニアックなネタが詰め込まれていて、マニア達の間でも賛否が分かれまくっているのだとか(「シン・ウルトラマン」の比ではないともw)

(「クウガ」では名乗らなかった)”仮面ライダー” を名乗る流れはちょっとモヤモヤしてたんですが、緑川家を軸にしたネーミングの二号、そしてゼロ号の流れには見事にハマってグッと来てしまいました…(T△T)

既に「シン」ファミリーとでも呼ぶべき存在wになっている竹野内豊と斎藤工の二人が、それぞれ ”立花” と ”滝” であるとラストで明かされたのには往年のファンの人たちの気持ちはめちゃめちゃ盛り上がったんだろうなと(オレでさえ、おおっと拳を握りしめましたw)

サイクロン号については変形とか飛んだりとかの思い入れは特にないんですが、序盤でまだ剥き出しの状態で本郷とルリ子の後ろを自動で追尾してくる様が非常に萌えポイントでしたw……あれはホンダの実在してる(asimoの技術で自立できる)コンセプトモデルっぽいですな

あとオレが何気に一番興味を惹かれたのがまさかの「ロボット刑事K」が大きくフィーチャーされていた部分で、昭和ライダーをろくに知らないオレが、めちゃめちゃマイナーな「K」についてはなんでか ”ハンチング帽にコート姿の顔部分だけがロボット、しかも(警視庁所属の)刑事” というビジュアルに物凄く心惹かれるものがあって、一時期ネットで情報を漁ってた時期があったのです(主題歌も大好きで何度カラオケで歌ったことか……テレビシリーズ2話分くらいしか見れてないのにw)

”ショッカーの正体はAI(人工知能)” で、”I(アイ)でありそこから(Jを経て)のK” という存在が傍観者として常に場面にいるという設定がめちゃめちゃ面白かったですねえ……しかもこの要素で更に燃えたのが、もしかして庵野監督、某「ジャイアントロボ」みたいな、”スーパー石ノ森大戦” みたいな世界観を想定してたりする?…とか想像しちゃってずっとニヤニヤしてましたw

ちょっと石ノ森先生自身の構想だったのか定かではないんですが、「ライダー」の世界観と ”9人(13人)のサイボーグ戦士” をクロスオーバーさせるという設定をどこかで聞いたことがあって、後年の松本零士先生が自らの作品世界の統合を目指してたみたいな動きを石ノ森先生もご存命だったなら見られたのかもなあとか夢見てたのを思い出して興奮してしまいましたね( ゚∀゚)o彡゚


まさかの結末にはかなり驚かされましたが、果たして「シン・仮面ライダー」はシリーズ化するのか?
「シン・ウルトラマン」については3部だか4部作だかにしたいとかいうハナシが出てましたが果たして…?

 

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[映画] アバター:ウェイ・オブ・ウォーター

2022-12-29 | 映画

「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」を鹿児島ミッテ10にて観賞しました


…実は二週間前の公開初日に見に行ってたんですが、どうにもモヤモヤしてしまって感想を書きあぐねてました


例の捕鯨シーンについてもそうなんですが、何より戸惑ってしまったのが感想が前作とほとんど変わらないんですよσ(^◇^;)


ちょっと前作のエントリから感想を引っ張ってきてみます


> 遠い宇宙の惑星を舞台にしたSF超大作とはいえ、スクリーンに映し出されるのは
> 大自然に包まれた世界が大半で、その雄大さや美しさには上映中に何度も鳥肌が

今作もこれはホントに凄い

舞台が森から海へと変更された事で描写が水面、波、島、海中、海洋生物と目先は確かに変わってるんですが、でも ”相変わらず” 凄いだけだなという感覚です……どんなに美味しい料理も満腹時には食傷気味になってしまうなんて贅沢な不満だと言うのもわかるんですが、トム・クルーズなんかが自らの体を使ったアクションに、ノーラン監督ができるだけCGを使わない事にこだわる事からもハリウッドの映画制作者たちも共通して抱えてるジレンマだとは思います


> 異星人の容姿がかなり不気味だったので、果たして感情移入出来るのか

新キャラも沢山出てきて、セリフじゃなく表情や仕草だけで伝わるシーンも多いのは流石でしたが、まあこれも基本的に前作でやったことだよねと…
家族愛へとテーマが変わってはいますが、前作とは違って完全に ”未知” の種族との遭遇と触れ合いではないので衝撃度も感動の度合いも薄くならざるを得ません


> 3D映画として最新技術を投入、前代未聞の分量のCGによる異世界描写、

物凄い物量で物凄い技術力なのはもちろん伝わってくるんですが、結局はCGなんだよね…と、どうしても冷めた目で見てしまいます

カニロボくらいかなあ、おお!と燃えられたの


> おハナシとしては特に目新しい要素はなかったんですが、万人が楽しめる内容

前作も今作もこれが「アバター」という作品の本質なんでしょう

今作を見る前に前作を配信で見直してみたんですが、そういや前作は一度も見直したことがなかったなと思い至りまして…
円盤が欲しいとも、何度も見直したいとかも強く思わなかったんだろうなあ当時の自分…


> この映画の展開って「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の焼き直しというか、舞台設定だけを
> 宇宙のどこかに変更して内容もテーマもほぼそのまんまに

確かに物語は ”王道” が一番強くて、13年ぶりに見直してみても全然退屈せずに面白く見られたんですが、前作の完成度が高かっただけに、続けて見てしまったことでオレのモヤモヤが倍増してしまった感も否めません

人類とナヴィ族が互いに生存権を賭けた全面戦争だった前作と比べ、今作は局所的な戦いに終始してスケールが大幅にダウンしてしまってるのは如何ともし難く…


> 痛烈な社会批判と大自然への畏敬を観客に再認識させる構造

前作で物語は実質的(人類vsナヴィ的)には何の解決もしてなかったんですが、やりきった感はあったんですよ……今作で前作のキャラ達の ”その後” を見せてくれたことは楽しい面もあった反面、この後は地球人が全員 ”アバター化” して入植と対立を重ねつつも融和していく未来しか無いんだなというのも見えて来てしまいました(例の大佐が最終的に ”感化” されるオチまで…w)


> かなり”ゲーム的(バーチャル的)”であることを意識して舞台や展開が設定
> されているように見受けられるんですが、それがシナリオ的な ”軽さ”を
> より浮き彫りにしちゃってる

シリーズの構造的な欠陥と言えてしまうのかもしれませんね


> 地球とはかけ離れた異世界を表現する為に物語構造は敢えてシンプルに徹したという
> 意図なんだと思いますが、完璧主義者のキャメロン監督の最新作ということで、
> こちらとしてもつい過剰な期待を

こちらは一言一句そのままかな


> キャラクターもストーリーもかなり類型的で、オリジナルの文化や歴史を詳細に設定した
> という割には脚本的にご都合主義な展開の多さは非常に残念ではあったんですが、
> ビジュアル面や演出面はとにかく凄いの一言

こちらも一言一句そのまま


> 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」→「ロード・オブ・ザ・リング」→「ナウシカ」→
> 「戦国自衛隊」→「エイリアン2」などといったタイトルが順々にオレの頭の中を


キャメロンの ”海洋好きフェチ” の博覧会状態で「ジョーズ」から「タイタニック」まで、序盤の列車強盗なんかは同様に西部劇を意識していた「ウォーターワールド」辺りも元ネタですかね


「アバター」は最終的に5部作が想定されていて、今後も砂漠、山岳、地球?と舞台を変えて続けて行く予定なのだそうですが、どうなんだろうなあ……正直、前作があんなに歴史的な世界的大ヒットを飛ばすとはとても思えてなかったのでσ(^◇^;)、今作もこれからどれだけ世界中で興収を伸ばすのか(次回作以降の製作にゴーサインが出るのか)興味深く見ていきたいと思います

 

 

最後にあまり触れたくはないんですが捕鯨シーンについて

そりゃ理解できますよ、あちらの動物愛護団体だか主義者さんたちが主張したいことも

こんなに愛らしい動物なのに、こんなに頭が良くて社会性も高いのに、可哀想だとは思わないのかと…

でもそれを言われたら牛や豚はどうなんだって言い返すしかないんですが

オレが今作で一番モヤったのは、かつては欧米人が鯨油を獲るためだけにしかクジラ漁をしていなかった歴史的経緯をも現代の日本人に責任転嫁してるかのように見せてる部分ですが、結局は慣れ親しんだ文化なのかどうかでしかないとしか思えないんですよ……彼らが牛や豚を家畜と見做してる(逆に牛を神聖視したり豚を禁忌としたりする)のは宗教的な文化でしかありませんし、隣国のように犬を食べるのもそういう文化なんだからとしか言いようがありません(なるべく苦しめて屠殺した方が肉が美味いしくなるとかは流石に狂気の沙汰としか思えませんが)

オレ個人としてもマグロの解体ショーやら活け作りやら躍り食いなんかをふと冷静になって客観視してみると狂ってるんじゃないかという感覚も理解できますし、頭が良いからダメという理屈に対しても研究が進んだことでイルカや鯨だけじゃなくてイカだろうとタコだろうとどんな魚だろうと実は人間の幼児くらいの認識力や知能も(痛覚も)持っているとまで言われてるくらいなので、幼少時から当たり前の様に接しているから慣れてるというか麻痺してるだけなのを(文化の違う人類同士で)互いに責め立てても不毛でしかないよなあという…

まあ、代替肉やらの研究が進んで動物から得られる栄養や味わいなどが完全に再現できるならそれに越したことはないですし、SF的な感覚からするとむしろ歓迎したい気持ちもありますので声高に批判も非難もする気は無いので、なんだかモヤモヤするなあ、今後のシリーズでも毎回こんな風に思わされたり感じさせられるのは勘弁してもらいたいよなあ、とだけ


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[映画] トップガン マーヴェリック

2022-09-23 | 映画

「トップガン マーヴェリック」を鹿児島ミッテ10にて鑑賞しました

トム・クルーズが「トップガン」の続編を作りたがってる~というのは結構昔から出ていた話で、かつて「ミッション:インポッシブル」を映画化する為にトム自らが立ち上げた製作会社にて企画が為されてると噂が流れていたのはもう20年以上前のことだったと思いますが、まさかの34年(コロナ禍の影響で36年)越しに続編が実現するとはまさにトムの執念としか表現しようのない作品ですな

wikiによると、かつての続編企画(トニー・スコット監督存命中)ではトムが完全に脇役に回る展開が想定されていたとの事で、今となってはスタローンを始め、60~70代でも現役のアクションスターなんてのがゴロゴロしていますが、当時は40歳くらいから路線変更を余儀なくされることが常識でしたから、高齢化に伴う世代交代を意識してたんだと思われます

今回の続編が正式に発表されたのは5年ほど前でしたか、トムも既に50代半ばとはいえ「M:I」シリーズなどで ”スタントを使わず自らアクションもやる” 活躍を第一線でずっと続けてる実績も十分だったのでそんなムチャな…といった不安よりも、相変わらずトムのやる事はすげえなと素直に楽しみに思えたことを思い出します


で、その発表された際に旧作の「トップガン」を配信サービスで見直したんですが(おそらくTV放送版を見て以来20年以上ぶりに)、映像の方は実際の空母や戦闘機をバンバン撮影に使ってる迫力が全然今でも通用するなという印象だったんですが、流石に人間ドラマの部分についてはトムをちやほやしてアイドル映画として扱う軽薄さや80年代の空気感がどうしても気になってしまいましたね(トムのエリートパイロット役の鼻持ちならない感とかひどいw)


「マーヴェリック」においても変わらず米海軍の全面的な協力が得られているみたいで映像的には何の心配もなくとも、果たして直接的な続編ということでドラマ部分には若干の不安を抱かずにはおれなかったんですが(^0^;)、公開後の評判がどこもかしこもやたらと良く、劇場で絶対に見ておくべきと友人からも勧められた程なので公開から4ヶ月が経過してしまいましたが、鹿児島へ移住してから初の劇場鑑賞ということで行ってきました

旧作とまとめて連続上映するなんて企画もやってるみたいですが、おっさんは完全に腰が死んでしまうのでそちらは断念です…(苦笑)

 

 

以下ネタバレ感想:

 

なんて気持ちのいい快作だろう!ヽ(^O^)ノ 


この痛快さなら世界歴代興収トップ10に入る特大ヒットも、大ロングランになってるのも頷けます!


脚本のデキがひたすら素晴らしく、これだけ面白い続編のアイディアなら何十年(!)かかってでも絶対に実現させたいと思うのも当然ですし、コロナ禍のせいで二度か三度かの公開延期がされてたのも込みで、どうしても ”劇場” で公開がしたかったトムの意地みたいなのも非常によく理解出来ました

トムが60歳も間近となっても現役の ”アクションスター” にこだわり続けてるのは今作の為だったのではないかとまで思わされる程のクオリティでしたね……劇場から戻った後でメイキング動画も見ましたが、F-18を自ら単独で操縦したいという野望までは流石に叶わなかったものの(←いくら何でも頭おかしいw)、若手の役者達も含めて戦闘機に実際に搭乗して、”本物” の映像を ”自撮り” できるまでに訓練を受けるという姿勢には感心を通り越して呆れるほどでしたw


相棒のグースを死なせてしまったマーヴェリックは、いつまでも現場にこだわり続けて(=過去を引きずって)いて、そこにグースの息子を絡めてストーリー展開に「ミッション:インポッシブル」のフォーマットを取り入れてるのは非常に巧い手法だと感心しきりでしたが、まさかの終盤でイーサン・ハントばりの大活躍まで盛り込まれるとは流石に想像もしてませんでしたww

”老兵が旧式装備で大活躍!” というロマン溢れるシチュエーションはもはやテンプレともなってる程ですが、主人公自身がその老兵役まで担ってるとなると、ちょっと他では聞いたことがないアツさの相乗効果でとにかく素晴らしかったとしか表現しようがありません( ゚∀゚)o彡゚


思い返してみると数々の旧作オマージュのシーンと共に、

”不可能ではないことを自ら証明”
”相手は第五世代”
”(敵基地には)F-14みたいな旧式も”
”考えるなと言った”
”翼が可変してる?”
”ここからは腕の勝負”
”父と同じく助けるのが役割”

といった激アツ怒濤の伏線回収に何度、手に汗握らされたことか…(T∀T)


そして旧作からの登場キャラであるアイスマンですが、実際に咽頭がんを患っていたのだそうで……というのはともかく、トムとヴァル・キルマーの実年齢が2~3歳しか変わらないというのが信じられないくらいの容姿の違いっぷりで、やっぱトムの若々しさは(ハリウッド基準においても)尋常じゃありませんなw

 


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[映画] ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス

2022-09-13 | 映画

「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」をTOHOシネマズ日比谷にて鑑賞しました

 

”60日以上更新のないブログ” との事で勝手に広告が表示される機能が発動してしまいましたが、私事でイロイロとあって生活環境が激変し、ツイート以上の長文を書ける心境にナカナカなれてませんでした


今作については上映期間終了間際の2022年6月8日に劇場に足を運んでいたんですが、私事のゴタゴタと、ぶっちゃけ印象がイマイチ芳しくなくてなんだこりゃという気分の方が強かったので感想を書く気になれなかったんですが、改めてディズニープラスにて再見してみると印象がだいぶ好転したのと、(初見時は)何が気に入らなかったのかなという思いをつらつらと書いてみます

 

 

以下ネタバレ感想:

「ストレンジ」の新作であると共に、「ノーウェイホーム」と「ワンダヴィジョン」の直接的な続編と言える展開でしたが、オレが今作を劇場で見てて何より気になってしまったのは「ホワットイフ…?」の焼き直し感でした

(コロナ禍と相俟って)時代が変わり、もはや映画版を本編、配信シリーズを外伝みたいな格付けや位置づけをする必要性はナンセンスなのかもしれませんが、オレ自身も全ての観客に全ての配信シリーズを追いかけさせるのは無理だと思いますし、少なくとも製作側がそれを求めるのは傲慢に過ぎると思います……なので、配信シリーズを見ていない観客への配慮が(映画版に込めて)あるのは当然だというのはオレも理解できるんですが、”同じ事を繰り返されても…” と思ってしまうのは贅沢な悩みなんですかねえ…

・マルチバースとは何か
・マルチバースの可能性と危険性
・ストレンジの闇落ち

…といった基礎部分の繰り返しといっても劇場の大スクリーンで、劇場版の大予算でスケールの大きい映像体験が出来たことはもちろん素晴らしかったんですが、困ったことに「ドクターストレンジ」ってそもそもが ”映像は凄いんだけど何が起こってるのかよくわからない” 世界観でもあるので有り難みという意味ではだいぶ薄れて来ちゃってるんですよね(…それこそ贅沢な悩みかw)


アメリカという ”子供” をバディにしているせいか、ティーンズ向けによくある脚本の甘さみたいなのも目立ってしまってたカンジもあったかなあ


あと残念に感じたのが、マーベルの別作品から新登場した要素

まだMCUが始まる前の「X-MEN」を何本か見ていて、「ファンタスティック・フォー」の2005年版では若きクリス・エヴァンスがメンバーだったのを後から知って大笑いしたwくらいの浅い知識しか無いオレでも登場シーンでは結構興奮したんですが(事前情報を何も持ってませんでしたし)、あまりにも噛ませ犬っぽい扱いで…

そっちの作品のファンは怒ってるんじゃないかとまで思ったんですが、この辺の感覚については「ホワットイフ…?」を見ていたことで、”ああ、この世界線のヒーローはこうやって死ぬのか” と冷静に受け止められる感覚も確かにあったんです……ただそれって、今後MCUに登場するどんなヒーローに対しても虚無的な感覚を抱いてしまうというか、「ロキ」のシリーズで抱いた違和感や危険性を具現化して見せられてしまった気もするんですよね

即ち、誰が生きようが死のうが、世界を救おうがどうしようが、マルチバース(を知る観客)の視点からしたら全てが等しく無意味なのではないか、と

一応、今作でも他バースとは基本的に不可侵を貫くべきというテーマを強調してはいますが、つくづく便利な設定であると共に世界観をあっさり崩壊させかねない(劇中においてもメタ的な意味においても)”諸刃の剣” だよなと思わざるを得ません

改めて見直したことで思いましたが、キャラクターの面白さという意味ではまだまだ抜群ですので(だからこそアベンジャーズ編を引っ張っていたトニーやスティーブの退場は痛すぎる)、まだまだMCUも追いかけて行くつもりではあります


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[映画] ドロステのはてで僕ら

2022-06-05 | 映画

「ドロステのはてで僕ら」をNetflixにて鑑賞しました


ニコニコ動画にはそのクオリティの高さにも関わらずに視聴数が伸び悩んで埋もれてしまっている動画に対して、”もっと評価されるべき” というタグが付けられる流れがあって、個人的にはその動画自体よりもそういった純粋に ”応援” したいという思いが(とかく腐したり揶揄したりするのが当たり前のネット民度の中にあって)見える風潮に何だか嬉しい気持ちにさせてもらってました

そんな世の中に余り知られてない、”もっと評価されるべき” 題材を芸能人たちが持ち寄る番組がテレビで放送されていたんですが(番組名は「もっと評価されるべき審議会」)、テレビプロデューサーの佐久間宣行によって紹介され、同番組にも出演していた伊集院光が自らのラジオにて重ねてオススメしていたのが本作で、まさに ”隠れた傑作” でした!


オレ自身、映画ファンとしてこういう ”アイディア勝負” に翻弄される系の作品は出来れば内容についての情報が一切無い状態で見たかった思いも強いんですが、番組で佐久間氏も言っていたように、それだとこの映画に出会う機会そのものが無かっただろという意見も非常に良くわかってしまうジレンマです…σ(^◇^;)


長さが70分ほどなので気軽に見られますし、このブログを読んでて未見の方がどれくらいいるかはわかりませんが、ネトフリやアマプラで見られますので是非ともこのまま何の予備知識もない状態で配信でどうぞ!

 

 


少しネタバレ感想:

 

流石に内容について一切触れてないのも何だなと

冒頭、主人公が自室のテレビに映し出される自分の姿に驚く間もなく、彼自身の口から ”2分後の未来” から語りかけていることが唐突に告げられるという、地味ながら結構なインパクトのある展開から始まります

昔、とある海外の近未来SFドラマシリーズで、”今から20分後の未来” というフレーズが毎回冒頭に表示されるお洒落さにシビれたものですが、そういう寓話的や概念的な意味合いでなくて、文字通り ”2分後の未来” と今現在が舞台となって巻き起こるドタバタSFが本作です

一種のタイムマシン物で、原案と脚本を担当しているのは劇団ヨーロッパ企画の上田誠……と聞くだけでピンと来る方は結構な映画好きだと思いますが、20年程前の「サマータイムマシンブルース」という非常に小規模な時間旅行をテーマにした傑作青春コメディ(瑛太やムロツヨシのデビュー作!)を手がけた方の新作なんですよ!!( ゚∀゚)o彡゚

2年前のコロナ禍まっただ中にごく小規模に劇場公開された事でほぼほぼ日本映画界でもスルーされてしまった本作ですが、海外では20以上の映画賞を既に獲得してるみたいで、日本人の(映画ファンですら)ほとんどがこの映画を知らないままなのは不幸でしかないと思わされるほどに面白いです


いやー、公開当時の盛り上がりにオレも乗っかりたかったなあ…

 

 

完全ネタバレ感想:

 

カフェのマスターである主人公が二階にある自室のテレビと、階下の店舗にあるテレビが ”2分間の時差” をもって接続されるという奇妙な現象に巻き込まれるワケですが、観客としては果たして ”2分後の未来” が知れたところで何の意味があるのか?何が出来るのか?という疑問をまずは抱くのが当然かと思いますが、実にアイディアに溢れた展開で最初から最後まで面白さが一切途切れないのがホント凄かったです

この途切れない~というのがポイントで、なんと映画の構造として ”ワンカット” で物語が流れていくのにも唸らされましたねえ(゚д゚;)

上述の番組の佐久間宣行のプレゼンにおいても、時間差のあるモニター画面の展開を事前に撮影しておき、それに合わせて正確に ”2分間” だけズレた芝居を、更には重層的に積み重ねていく構造の複雑怪奇さをよく実現させたなと(役者もスタッフもどれだけ苦労したかと)感心するしかありませんでした

youtubeにメイキング映像が公開されてますが、現場の役者さんが完全には理解できないままに演じるしかなかったり、過去と現在と未来のセリフの整合性は勿論、常に2分間の尺あわせにストップウォッチを駆使しながら四苦八苦してたり、本編に負けず劣らずの面白さでしたねえw

もしかしたらワンカットのゾンビ映画の裏表を活写した「カメラを止めるな!」に触発されて企画されたのかなと思ったんですが、元になった短編映画があるそうで……まあとにかく、現状の知られて無さが勿体なさすぎるので今回の ”再発見” の流れがどんどん広まってくれることを祈るばかりです

あと永野宗典や本多力はわかりやすかったですが、wikiを見ると他にも今作の役者陣は「サマー~」にも登場してたみたいなので、猛烈に「サマー~」の方も見直したくなりましたヽ( ̄▽ ̄)ノ 

 


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[映画] シン・ウルトラマン

2022-05-19 | 映画

「シン・ウルトラマン」を川崎109シネマズにて鑑賞しました

 

個人的に特撮全般に疎いというか、旧作「ウルトラマン」もまともに見たことがあるのはいくつかのエピソードだけというオレの感想なので、大好きな方には先にあやまっておきますすみません

 

一応、「シン・ゴジラ」のフォーマットに則っていて(どうやら世界観もマルチバース的に?繋がってる模様)、現代社会をリアルに描写しつつ、そこに途轍もなく ”大きな嘘” を少しだけ混ぜる手法は大好きなので、面白いか面白くないかで言えば間違いなく面白いんですが、「シン・ゴジラ」の時みたいな一般層にまで波及するような面白さでは残念ながらなさそうな…


”正義のヒーロー” が持つ胡散臭さというか、”誰にとっての正義” なのか的な相対化の要素は現代の観客にもそのまま受け入れられるという判断は間違ってないと思います


基本的には(地球側に)怪しげな科学技術みたいなのは登場せず、日本の社会、政府、官僚、自衛隊、国際情勢などはオレらのよく見知った現代のまま、あの巨大な ”異形” を始めとした宇宙人たちが介入してくるワクワク感や違和感みたいな部分はとても楽しめました

山本耕史演じるメフィラス星人の、”支配する為に内部に浸透したらすっかり地球人の慣習に染まってしまった” 感も皮肉が効いてて面白かったです

神永の正体が早々にバレてしまう展開も引き込まれましたし、ウルトラマンの挙動が、”飛行能力” を備えてる生物として重力をあまり感じさせない細かい動きになってるのがとても印象に残りましたね


ウルトラマン的な存在を ”生物兵器” として捉え、宇宙人側が地球や地球人を利用しようとする動機もそれなりに納得のいくものでしたが、やはり、旧「ウルトラマン」で登場したであろう要素をどうにかして ”再現” しようという空気感みたいなのがどうしてもうるさく感じてしまいました


元々「ウルトラ」が好きな方にとってはそれこそがプラス要素である反面、オレみたいな門外漢にとってはマイナス要素になってしまうのはオレ自身、(別方面の)マニアでオタクなのでその厄介さも楽しさも理解出来ちゃうんですけどね…


「シン・ゴジラ」では終盤にかけて一大決戦への盛り上がりみたいなのがあったのに、今作ではひたすらダレ場みたいになってしまったのも残念でしたが、ゾフィーとの ”光の国” に関するやり取りはナカナカ興味深かったですし、観客(地球人)の誰もが ”神永ウルトラマン” と同じである可能性を示してるかのようなラストの主観ショットは感慨深くもありました

 

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[劇場アニメ] 宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 後章

2022-02-08 | 映画

「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 後章 -STASHA-」を川崎チネチッタにて鑑賞しました

新型コロナの第6波が猛威を振るっていますが、現状では劇場の入場や飲食に規制がかかるという事もなくて予定通りに後章が公開されてくれました


前章 -TAKE OFF- 感想


旧作のファンであれば非常によく見知った展開に沿ってるんですが、かつてのヤマトでは見られなかった(新たなる)要素も沢山あってファン心をくすぐりまくりでしたねヽ( ̄▽ ̄)ノ


まず最初に、後章というか「2205」では大きく2つのテーマが掲げられていたように感じられました

・「ヤマト2199」の後始末
・古代進を救え


「2199」は総監督の出渕裕を始めとしたスタッフが制作当初からファーストのヤマトのみをリメイクするつもりだったことで、その後のシリーズに登場する要素を内包させつつも、”続編潰し” と揶揄されるような設定や展開も散見されていたように見受けられました

同じく長年に渡ってシリーズ化されているガンダムなんかも同様に ”ファースト原理主義” な強固なファン層がいたりしますが、特にクリエイターの目線からすると、”一体誰が得をするんだ” 的な無理やりの続編の雑だったり蛇足感のあるシリーズ展開が我慢ならなかったりするんだろうなっていう気持ちも理解出来るんですけどね…(^_^;)

そしてキャラとメカと音楽以外のスタッフが総入れ替えとなってスタートした「2202」を(これまたガンダムと同じ)作家の福井晴敏が作品世界を再解釈した事で、また物議を醸してしまったというか、強固なファン層の存在する ”功罪” そのものというか…

まあ下敷きとなった「さらば」や「2」の段階から問題となる要素がイロイロとありましたし、「2202」の制作体制も決して万全とは言えなかったと思うので、誰もが満足する作品作りがいかに至難の業かという事実を今更いくら考えても意味は無い気がします


「宇宙戦艦ヤマト」という作品が生まれ出でてからもうすぐ半世紀が経過し、新たな若いファン層をどうにかして生み出して、これからまた何年も何十年もシリーズが作られ続けるか愛され続けるかどうかの瀬戸際にいる制作者たちとファンたちの切実な想いが込められた作品となっているのは間違いありません

 

■「ヤマト2199」の後始末

「2199」の ”続編潰し” と揶揄される最たる要素がデスラー総統の描写で、ガミラスの国家体制の設定をより深化させた事と引き換えに ”独裁者” としての自らの立場を倦厭してるかのような冷笑皮肉キャラになってしまってました……まあ根本的にはヤマトが単艦で敵の母星にて(何十億?の民間人もろともに)殲滅戦を仕掛けることのリアリティの無さ、道義上の問題などが影響してそうなんですが…σ(^◇^;)

そんなデスラーをどう情熱的な ”武人” として際立たせるか、”スターシャへの愛” という私情はともかく、多くのガミラス民族を犠牲にしようとした失地回復をいかにして成し遂げるか、「2202」が白色彗星帝国を相手に戦う一方で裏テーマ的に目指した(ヤマト世界における)”原状復帰” の努力にて8割方その目的は達成されていたと思いますが、その総仕上げが今回の「2205」であったのだと思います


一方のイスカンダルについて「2199」では、かつては強大な波動エネルギーをもって宇宙に覇を唱えていた時期を経て衰退し、やがてイスカンダル主義なる ”全宇宙のあまねく星々の知的生命体の救済” を掲げるようになり、地球へ救いの手を差し伸べたという概要が語られたのみで終わりました
イスカンダル人がスターシャ、サーシャ、ユリーシャの僅か3人しか存在していない経緯も適当に濁されただけで、イスカンダルやガミラスが死にゆく星であるというのも特に設定されてはいなかったように思われますが、今となっては「2199」の裏設定みたいなのはもう決して表には出てきてくれなさそうなのが残念ではあります

「2199」の裏設定といえば、コミカライズのむらかわみちお版でチラッと出てきた途端にいきなり連載が中止に追い込まれてしまった、”雪がイスカンダル人のクローン” であるという設定からすると、本来はもっと違う展開が終盤で想定されていたのではないかという気がしてならないんですよね…
おそらく今後の続編を見据えていた製作側と、現場の制作側がずっと対立していて、公開された展開は両者の妥協点だったのではないかなあ(…いくら独自に進行させることがある程度許容されてたとはいえ、旧来のヤマト世界の根本をひっくり返しかねない設定は、「2202」の公開もとっくに始まってるタイミングでもあったので慌ててストップがかかったと)


デスラーが抱える苦悩の一環として ”ガミラス星が寿命を迎えつつある” という旧作の設定が「2202」にて復活した時点で、イスカンダルの過去についても新たに設定が為されたのだと思いますが、なんとも業が深かったですな…(ノ_-;)

長谷川裕一による名作SF「マップス」にて銀河伝承族という、不老不死となった人類の成れの果てというか、究極の進化形態みたいなのが登場してましたが、現世人類の視点や価値観にとってみれば存在意義も次元も違いすぎてひたすら迷惑千万な存在でしかなかったのを思い出させられましたw

”記憶” という要素(エレメント)とそれを元に ”再生” させるコスモリバースが何を目的に存在していたのかが明かされたカンジでもありましたが、旧作におけるイスカンダリウムという単純なエネルギー資源が ”叡智の結晶” みたいな存在に格上げされた一方で、イスカンダル人(王族という名の管理者)の姉妹がより一層儚い存在になってしまいましたね……果たして新生サーシャを守とスターシャの忘れ形見だと言っていいのかはぶっちゃけまだピンと来てないんですが、古代の ”義姉さん” 呼びに、癒やしキャラだったユリーシャまでが一緒に消えてしまった寂しさを思えば呑み込んで納得するしかないよなあ…(T△T)


「2199」第七章の感想にて、デスラーがヤマトとの最終決戦に臨むにあたって、何故さっさとデスラー砲なり何なりで一気に決着を付けずに自らヤマトに乗り込んでまでしたのかという理由に、”愛するスターシャを奪った憎き恋敵のツラを拝もうとした” のではないかと書きましたが、何故アベルトではダメで地球人の古代守とは情愛を交わした(交わせた)のかについても補完されたと言っていいのかな

ガミラス人については本質的にはボラー連邦と変わらない、いや内心では人間以下(猿)の扱いをしてたイスカンダル人の方がむしろ酷いっていうのはホント、デスラーにとってはしんどすぎましたが、まあデスラーはデスラーで(他種族の)セレステラなんかに酷い態度とってたし因果応報ってことで!(←投げやりな感想)

 

■古代進を救え

レジェンド沖田艦長からの薫陶を受け、ヤマト帰還後の極めて人材不足に陥っていた地球防衛軍において当然の様に重用される時点で二十歳そこそこ、「2202」で究極の臨死体験を経たのもまだ二十二歳くらい、「2205」においてようやく二十代半ばとなる計算ですが、自らの能力と現実の情勢が望む理想像と余りに乖離しているのと、人類全体の実利を毀損した負い目と責任感で完全に視野狭窄に陥ってる様が前章ではひたすら痛々しい主人公でした

たしか笑顔になるシーンひとつすら無かったような…?

”叛乱なら経験者だ” のシーンも基本的には土門ら若手側の見せ場という風に演出されてましたし、後章に入っても冒頭のイスカンダル会戦においてちゃんと僚艦をあてにしている雪と、ヤマト(自分)のことで手一杯な古代の対比、久しぶりの再会のバーガーにもそっけない態度、挙げ句の果てにはデスラーにまでなんて小さな男だと見限られる始末でいやはやこうして書き連ねてみるとホントひどい扱いでしたな(^0^;)

それがようやく後章の半ばから状況が反転、まず真田さんと雪を始めとした仲間にも責任が分散されてることを自覚させ、土門という自分の映し鏡のような若者に、本来の自分はああいうイメージだったよなと再認識させる過程をこれでもかと丁寧に見せつけることで古代が自分を取り戻していく様は痛快でした


終盤、(旧作のように)艦長自らが最前線というか、コスモハウンドに乗り込んじゃった時はええ…と思いましたが、今回は身内案件で、古代本人が説得に赴く必要があったケースなので納得は行きましたが、さて今後のシリーズで果たして古代は大人しく艦長席に収まってる立場を貫けるんでしょうか…w

 

■そして「3199」へ

後章の公開直前、突如として発表された新作「ヤマトよ永遠に REBEL3199」

”未来を、変えろ。”
”敵は……宇宙戦艦ヤマト。”

↑謎に満ちたコピーがついてますが、「2202」も「2205」も基本的な設定や展開は驚くほど旧作に忠実であった事から、今度も「ヤマトよ永遠に」に忠実な流れになると予想が出来ますが…

今作「新たなる~」が8話分で、パンフの福井発言によるとスケールが3倍あるとのことなので、「2199」や「2202」と同様に全26話で「ヤマトよ永遠に」を再構成すると思われるので、かなりの分量で独自のオリジナル要素が加わる事も予想されます


ただ今更ネタバレも無いので書いちゃいますが、「永遠に」ではいきなり地球が完全に占領されてしまう所から始まり、後半でその敵は自分たちを ”未来の地球人である” と詐称する展開になってまして、なので同様の仕掛けで「3199」という表記になってるんだと思いますが、その動機やら行動やらが物凄く大雑把でテキトーだったんですよ…(^_^;)

完全にアレwな物語を一体どうやって現代風に再構築するのか、「2205」のエンドクレジット後に謎のアンドロメダ型をわざわざ出してきたり、歴史に残らぬノイズといったセリフを配してることからも、仕掛けに相当な自信があることが窺えるんですが、もう今はただ福井晴敏の手腕に期待するしかありません


一応気になってる点をちょっと挙げてみると…

まずガミラスはガルマン・ガミラスの建国に忙しいでしょうから地球との同盟関係どころじゃなくて一切登場しないと見てよさそうかな

登場人物たちはヤマトで敵の本陣に乗り込んでいく組と、制圧された地球に残ってゲリラ的に抵抗していく組に分かれることは確定的だと思うんですが、せっかくなのでアスカやヒュウガはそのまま(僚艦として)続投して欲しいなあ

「2205」から果たして何年後という設定になるかはまだ不明ですが、古代と雪は結婚してるんだろうか……「2202」における彼岸にて、古代に示された可能性の断片としての ”赤子の手” の描写は間違いなく古代と雪の将来の子供だと思ってたんですが、実はあれはサーシャの事だったのかなあ…

”敵は…ヤマト” というコピーから、デザリウム勢力のヤマト型が敵として登場する?
もしくは地球そのものを人質として取られた地球人同士が戦わされたり?

 

公開時期は早くとも来年以降になると思いますが、楽しみに待ちたいと思います!

 

「2199」感想リンク:

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「2202」感想リンク:

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[映画] スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム

2022-01-09 | 映画

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を川崎109シネマズにて鑑賞しました


いやー、凄かったです!( ゚∀゚)o彡゚(←久しぶりに文字サイズをいじってしまう程にw)


149分の超大作でしたが、買っておいた飲み物を上映中は一口も飲まず(飲む気にもならず)、まさにあっという間の2時間半でした!!


こうしてエントリを書いてても未だ興奮冷めやらずと言ったカンジですが、オレは昨年の9月に公開された第一弾の予告編以来、一切の情報をシャットアウトした状態で今日に臨んでいたので、事前に知っていたのは前作「ファー・フロム・ホーム」のラスト時点からの正体バレ、ストレンジのやらかし、(ライミ版から)ドック・オクが登場、といった最低限の情報だけだったので、最初から最後までホント夢中になることが出来ましたねd(≧▽≦*)O

(オレが一昨年の緊急事態宣言の際に、MCUシリーズの大半を予告編すら一切見ずにほぼほぼ事前情報ゼロの状態で見られた事が面白さを最大限に引き出していたことは間違いないので、今後も事前の情報を最低限にしてシリーズに臨みたいと思います)

というワケで劇場から帰ってきて真っ先にやった事は11月や12月に公開されていた予告映像を見る事で、ライミ版だけでなくて「アメスパ」のエレクトロも登場する事が明かされていましたが、肝心要の要素はちゃんと隠していてくれた(配給会社の)良識に今更ながらホッとしてたりします(^_^;)


十年以上にもわたる壮大なアベンジャーズ編を終えたMCUの新たなステージである、マルチバース?編の公開スケジュールは全世界的なコロナ禍によって大幅に狂わされてしまいましたが、いよいよ本格的に ”フェイズ4” が始まったぞ!とファンの誰もが思う驚異の出来となっていたのは間違いありません

MCU版の「スパイダーマン」シリーズは ”Homecoming”(ようこそイベント)、”Far from home”(思えば遠くへ来たもんだ)、そして今回の ”No way home”(もう戻れない)とキレイに三部作としてまとまるカンジとなりましたが、家族も恋愛も友情も学校生活も大事にしたいごく普通の少年でもあるピーター・パーカーが様々な(超常的な)体験を経て、”ヒーロー” であることの酸いも甘いも味わい尽くすこととなる過程は実に見事という他ありませんでした

そしてオレが自分の映画好きを自覚してから30年余り、劇場で、テレビで、ビデオで、配信で、様々な媒体を経つつ、おそらく見てきた総タイトル数は1000じゃきかないと思いますが、ある意味でオレの映画人生の全てを ”総括” してくれる要素が込められてる、素晴らしい映画体験をさせてくれた作品でもあったというところで、バレ無し感想は以上とさせて貰います!

 

 

以下ネタバレ感想:

 

一体何から語ればいいんだろうと、2時間半にみっちりと詰め込まれた情報量がひたすらハンパなかった映画でしたが、まずは「スパイダーマン:スパイダーバース」という(日本では)2019年3月に公開されたアニメ映画について触れさせてください

オレはコロナ禍が始まる前くらいに配信で見たんですが、劇場公開された際に日本のアニメやマンガの業界人たちがネットでかなりざわついてまして、別の次元(世界観)のスパイダーマン達が一同に会する内容にことさら話題となっていたのが、それぞれの「スパイダーマン」の ”作風” の違いでした

「スパイダーバース」は基本的にはフルCGアニメなんですが、そこに ”手書き調”、”白黒アニメ調”、”カートゥーン調” といった全く違うタッチで描画されたスパイダーマンたちが一つの画面に同時に存在する独特の映像が不思議で楽しかったんです……そしてその中に、”日本のアニメ調” で登場する日系アメリカ人の女子高生スパイダーマンなんてのまでが(とんでもないクオリティで)いたりして日本の業界人が大いに衝撃を受けていたワケですな

別次元からスパイダーマン達が大集合する展開は元々、アメコミの方で記念イベント的に実施された企画の様で、初登場から60年以上にも渡る歴史の中で生み出された派生作品(日本の東映版や池上遼一版みたいな世界各国のオリジナル版を含む)には100種類以上のスパイダーマンが存在するのだそうですが(^0^;)、今回の「ノー・ウェイ・ホーム」は ”映画版” の歴代スパイダーマンが集合するという驚愕の面白さに満ちていました

 

まず2002年~2007年に公開されたサム・ライミ版はアメコミ映画があまりヒットしない日本においても大ヒットを記録しましたが、監督や俳優陣を入れ替えて2012年~2014年に「アメイジング・スパイダーマン」がリブート版として公開され、そして2017年~2021年のMCU版への再リブートと至って合計で3種類の映画版のシリーズがそれぞれ別個の世界観として存在してる状態ですが、そもそも一体なぜこういう ”リブート” なる行為が行われてしまうのか不思議に思う方もいるかもしれません

単純に人気が出なかった、製作におけるトラブル、スタッフや出演者の人間関係等々、まさに ”大人の事情” としか表現出来なかったりもするんですが、元々のアメコミの段階で描き手や読み手の世代交代が何度も発生してしまう程の長期に渡っての刊行を続けてる為に、改めて世界観やキャラの設定を変えて仕切り直すことは全然普通のことみたいなんですね……でもアメコミを知らず、映画版だけで評価も思い入れも抱いているオレみたいな立場からすると、正直リブートそのものに余りいい印象がありません

「スタートレック」みたいな20年越しの(映像の技術革新も見据えた)世代交代的なリブートなら日本でも古い名作やアニメのヤマトやガンダムやエヴァなんかがやってますが、僅か1~2作、ほんの数年で見切りを付けられて(打ち切られて)ハイすぐ次~みたいな切り替えを強いられるのはちょっと無理がありますよねえ…

 

まあそれでも映画に限らず、マンガやアニメなんかでも非情な判断は付きものなのが現実で、リブートされる様な作品にはそれだけの(再チャレンジする)”商品価値” があると認められてるだけ幸せなのかもしれませんが、打ち切られた作品の方に悔しくて哀しい思いをさせられたファンの人も確実にいるわけで(ノД`)、今作「ノー・ウェイ・ホーム」が映画の歴史そのものにおいて異例で画期的だったのが、彼ら打ち切り作の登場人物達が ”救済”(もしくは ”成仏”)される描写が為された事にあります

何たって打ち切り作はどうしても ”タブー扱い” されざるを得ない所を、当時と同じ役者が再登場して当時の主人公役の心情が改めて語られたばかりか、ヒーロー役として(メタ的には役者として)の先輩後輩みたいな交流まで見せてくれたことに涙が止まらなくなり、ちょっとナカナカ言葉では言い表せない程の嬉しさとか感動とか切なさとかが入り交じった ”感慨深さ” を味わわせてくれた製作者たちにはいくら感謝を捧げてもし足りませんが、こういう展開にしたのは勿論(常に打ち切りが他人事では決して無い)製作者側にも思う所がイロイロとあったんだろうなと思い至ったりしてまた涙…(T△T)

これは映画に限らない話ですが、作品が志し半ばで ”打ち切り” を迎えた結果の製作者や出演者たちの無念はさておき、その作品を好きになったファンにとって自らの感性やひいては ”人生”(の一部)をも否定されてしまった気持ちにどうしてもなってしまっていた部分を、”それを好きだったお前の気持ち” は決して間違ってないぞと全肯定してくれた気がしてたまらなかったなあ…


細かい部分を挙げていったらキリがありませんが象徴的なシーンとして、”落下するMJ” を「アメスパ」のピーターが ”救う” ことが出来たシーンとか(余計なセリフも一切なし)でオレの涙腺は完全に決壊してましたが、ちょっとキャラ設定に難があったことを ”本人” の口から反省させたりする事で、「アメイジング・スパイダーマン」という二作品で打ち切られたシリーズにオレが抱いていたちょっと微妙な印象をも反転させて ”救済” してみせた脚本の妙が素晴らしすぎました

更に今作の凄さが留まるところを知らなかったのは ”悪役” の方にまで ”救いの手” を差し伸べたこと…

”トニー・スタークのいる(いた)世界” なら皆を救えるんじゃないかという安心感や信頼感はMCUの観客なら誰もが納得出来たでしょうが、オクトパスは旧作でも今際の際に改心できていた流れだったり、エレクトロは元々ただの小心者だったり、ゴブリンの二重人格は最後の最後まで厄介だったり等々、見事に設定を受け継いでる上で今作の脚本に活かされていたのが何より凄かったですな(基本的にはそれぞれの作品限りの出番の悪役同士でやり取りするおかしさみたいなのも最高でしたw)

 

かつての日本映画の予告編やポスターなんかでは ”オールスター超大作” みたいな惹句がよく使われていて、銀幕の ”スター” が実際に沢山いたからこその表現だったんだと思いますが、改めて ”オールスター” の華やかで煌びやかなイメージを想起させてくれた印象もとても良かったなあ……果たして役者陣へのギャラだけでこの映画の製作費はどうなってるんだとか想像するだけで恐ろしくなりますが(^0^;)、よく考えたらMCUって自分たちでドル箱スター役者をどんどん輩出しつつ、定期的に ”アッセンブル” させる事を繰り返してきたシリーズなので実は今作でもやってる事は大して変わらないのかもしれませんなw

 

そして最後になりましたが騒動の中心にいるようでいなかったドクター・ストレンジについて(…「ヴェノム」についてはまだ配信で一作目しか見てないので今回のおまけ映像はわかったりわからなかったり)

感想でやらかしをどう茶化そうかなとか思いながらエンドロールを眺めてましたが、次作「マルチバース・オブ・マッドネス」の予告から伝わってくる、とても笑えるネタにはなりそうにない壮絶さに絶句するしかありませんでした…(゚д゚;)

 

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[映画] [海外ドラマ] MCU感想その2

2022-01-05 | 映画

 

※本来なら昨年末にアップするエントリだったんですが、ちょっと事情がありまして年明けにズレ込んでしまいました

その1はこちら↓
マーベル・シネマティック・ユニバースの感想まとめ

その3はこちら↓
MCU感想まとめ3

全世界的なコロナ禍の影響で「マーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe = MCU)」もフェイズ4の公開スケジュールが大幅な変更を余儀なくされ、2021年12月現在、劇場では「ブラック・ウィドウ」「シャン・チー」「エターナルズ」の3本が公開済みとなっておりますが、昨年のMCU ”一気見” 以降、オレとしてもなるべく新作は劇場で追いかけたいとは思いつつも、ワクチン接種もナカナカ受けられない中で劇場に足を運ぶ気にはなれなかったので、結局はディズニープラスにての配信を待つことになりました

で、そのディズニープラスではスピンオフのドラマシリーズもいくつか配信されていて、そちらの感想も合わせて書き記しておきたいと思います

 

■ワンダヴィジョン

アメリカの古いハウスコメディ番組の体裁でワンダとヴィジョンの二人の夫婦生活が描写される様は意味不明で面食らいましたが、エピソードが進むにつれて何故 ”奥様は魔女” なのか、死んだハズのヴィジョン、歪む時系列、不自然な町の住民達といった様々な違和感や疑問が後半で鮮やかに解明されていく様はとても面白かったです

 

■ファルコン&ウィンター・ソルジャー

「エンドゲーム」のラストで盾を託されましたが、”黒人がキャプテンアメリカになるのは許されない” と、人種や格差問題にかなり切り込んだ展開でそう簡単に引き継げるほど ”軽く” はない存在だっていうのをじっくりと見せてくれました……”ディズニー” というとどうしても、強引なポリコレ要素が入り込んでくるのに違和感みたいなのを抱いてしまうことが多いですが、今作は逆にそれが上手く作用している希有な例かもしれません

あとはバッキーとのコンビや、もう一人のキャプテンアメリカの登場も楽しかったなあ

 

■ロキ

”煮ても焼いても食えない” キャラがあっさり殺されることでサノスの脅威を一瞬で最大値にまで引き上げたロキですが、あそこで死なすには惜しい、でもあの状態でやっぱり生きてたってのは無理がありすぎると製作側が思ったのかどうかはわかりませんが、実に意外な展開でのスピンオフとなりました

「エンドゲーム」における時間遡行がきっかけとなって世界線が分岐し、タイムパトロール的な組織を登場させる事でユニバースとマルチバースとは何が違うのかを懇切丁寧に解説するシリーズでもありましたが、今作はMCUが10年以上23本もの超大作を使って繰り広げてきた大冒険は一体何だったのかと、もしかしたら全てを台無しにしかねない?という攻めた設定に最後までハラハラさせられましたね……シーズン2もあるとのことで期待です

 

■ホワット・イフ…?

「ロキ」がマルチバースの入門編とするならこちらは応用編というカンジで、細かな選択肢の分岐によってヒーロー達の運命が劇的に転換してたりそれこそ死亡してたりもするのも当たり前な ”if世界” が一話完結のオムニバス形式で描写されます……CGアニメですが、声を吹き替えているのはほぼ全員が役者本人という豪華さで、これまでのMCUの全てを内包しつつ物語のスケール感としても最大級なので見ごたえありました

チャドウィック・ボーズマンが生前に吹き替えを終えていて、メインキャラとして出番がやたら多かったのが嬉しいやら寂しいやら……この外伝シリーズがあって良かったと思える事の一つに、今もティ・チャラが元気に銀河を飛び回ってる世界線が間違いなくあるんだろうなと思えるようになった事でしょうか(T△T)

クライマックスでガモーラだけ唐突に登場した感がありましたが、シーズン2で補完されるとの事です

 

■ブラック・ウィドウ(2021)

何となく人気キャラなんだろうなとは思いつつも、特に強化された肉体や装備を持ってるわけでもないので、なんでアベンジャーズの最前線にいるの?という思いがノイズとして終始つきまとってしまう存在でした

戦闘シーンでも扱いに苦慮してるというか、どうにか戦いが成立する相手がワザワザ用意されてる感に白けてしまうのが普通の感覚ですよね……勿論、SHIELDみたいな影の組織における(表社会との接点としての)諜報や対人戦闘に特化した工作員といった補助的な役割の必要性は理解できるんですが…

(偽装)家族が揃って戦うシチュエーションはそれなりに面白くて、ある種、「007シリーズ」が荒唐無稽の路線のまま進んでた場合の最新作を見せてくれた感慨みたいなのはあった気がします

 

■シャン・チー(2021)

あらゆる要素が雑で、最初から最後まで特に思い入れを持てる登場人物もいないし、心底どうでもいい展開の連続で何度も何度も再生を止めてしまって全く集中ができませんでした(配信サービスで視聴する弊害でもありますな)……せめて既存のMCUシリーズの一作としての繋がりがあるんならまだしも、今後のマルチバース展開への橋渡しとして適当に設定されてる感がとにかく微妙でした(何人か他シリーズからのキャラもいましたが全く内容に関わるようなセリフもないので、今作のキャラが今後一切登場しなくても何の問題もなさそう)

中国で劇場公開されなかったのは、(一説には)中国共産党の支配体制に疑義を呈する様な歴史描写だからとか言われてましたが、単純につまらなかったからでは……MCUワーストだった「ソー」の二作目の地位を更新してしまいました(゚д゚;)

ワカンダと同レベルの神秘とスケール感のある ”隠れ里” ネタをやりたかったのは理解出来るんですが、「少林少女」に出てきた少林寺レベルのうさんくささで、九尾やら麒麟やら白澤といったオレでも何となく知ってる ”神獣” が映像化されたのはちょっと嬉しかったりもしたんですが、見所はホントそれだけだったかも…

 

■ホークアイ

ホークアイの存在も基本的にはナターシャと同じ問題を抱えてる(こちらは遠距離からの援護というポジションがまだマシではありますが)ので余り思い入れの持てないキャラですが、自分の立場に一番違和感を抱いてるのがホークアイ自身である~という視点を入れてるのはやはり製作側もずっと気になってたってことですかね……キャプテンアメリカみたいな世代交代となるのか、(ナターシャとのコンビの代わりの)二人ホークアイ体制となるのか今後はよくわかりませんが、ラストで明かされなかった ”名前” はアメコミの方に元ネタがあるのかな

まあそれはそれとして「ホームアローン」みたいな典型的な ”クリスマスのファミリー映画” 展開というか、”子供” に合わせて全般的に知能が下げられてるカンジがちょっと苦手でした……4話目終わりくらいからようやく本番が始まってくれた感はありましたが、「ブラック・ウィドウ」と繋がり、サノスのアレに巻き込まれた人間の ”主観” が描写されたシーンにはゾクゾクしました

 

/////////////////////

近日中に「エターナルズ」も配信されるようなのでそちらの感想もこちらに追記することになると思いますが……とにかく今は「スパイダーマン」の最新作の方への期待感が絶大な状態ですね

最初の予告以来、一切の情報を絶ってきてるのでホント楽しみだなあヽ( ̄▽ ̄)ノ 

 

追記:

■エターナルズ(2022)

むむむ…(-_-;)

昔「スプリガン」というマンガをきっかけに古代文明にハマっていた時期があって、各種オーパーツやら未だ歴史的に謎の多いシュメール人やらデニケンの宇宙考古学みたいな地球に文明をもたらした宇宙人ネタまで大好きだったので、導入部分はとても引き込まれたんですが……なんだろうこの全般的な退屈さは…

ビジュアル的にショボいのはポリコレのうさんくささみたいなのがどうしても鼻についてしまいましたし、何千年も生きてる長命種の割に老練さも老獪さも、或いは狂気といった見せ方も何もかもが中途半端な描写で微妙でした

設定的には往年のSF作品の定番ネタでしたが、人類愛もエグさも「まどかマギカ」とかの方がはるかに上手く表現してたなあ…

 

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[映画] マトリックス レザレクションズ

2021-12-19 | 映画

「マトリックス レザレクションズ」を川崎109シネマズにて鑑賞しました


およそ20年前に公開された「マトリックス三部作」のまさかのシリーズ第四弾

とにかくパート1の衝撃が凄くて、その後のパート2と3でなんだかよくわからない状態で収束した~というのが一般的な印象だったかと思いますがσ(^◇^;)、ちょっと記憶を頼りに振り返ってみます


・人間にとっての魂や自我意識の存在が科学的に定義不可能である以上、”胡蝶の夢” や ”夜の夢こそまこと” といった文学的な発想はいつの時代も変わらない
・この世界はコンピューターによって生み出された仮想現実世界=マトリックスだった
・その背景には長年に渡る人類vs機械の対立構造があり、エネルギー源の争奪戦の結果、太陽光を奪われた機械側は人間を生体バッテリーとして運用する事態に
・人間の肉体を長期間効率的に生存させる為には精神へのケアが必要であり、その為にマトリックスにて擬似的な ”人生” を体感させていた
・一部の人間はマトリックスから離脱し、現実世界にて機械への反乱組織を構成
・機械側は離脱しようとする人間をエージェントによって取り締まっている
・そんな状況下で主人公は反乱組織に参加し、やがて ”救世主” として覚醒する


ここまでがパート1で、この映画単体でもうイロイロと面白すぎでしたねえ( ゚∀゚)o彡゚

キアヌ・リーブスという唯一無二の独特な存在感を放つ主人公を中心に、中二病な思考や願望をスタイリッシュな映像&音楽で見事にコーティングして全世界に向けて解き放ったんですから、そりゃもう衝撃的でした

”俺たちの戦いはこれからだ!”というオチもここで終わっておくのがある意味で ”正しい” 終わり方だったのかもしれませんが、幸か不幸かメガヒットをしてしまったことで実は三部作構想である事が明かされた時は ”一体どうやって続くんだ?” と気分が高揚しまくったことを思い出します


続くパート2でエージェントとの戦いが激化し、最終的に主人公は機械側のボスキャラにまで到達するワケですが、実は ”救世主” は最初から機械側によって仕組まれた存在であり、反乱組織ですら ”ガス抜き” 的な意味で存在を許されていただけだったという衝撃のどんでん返しを迎えました(マトリックスにおいては救世主伝説が何度も繰り返し運用されその都度バージョンアップを繰り返してたと)

そしてパート3
やたらと複雑な展開でオレ自身もよく理解してないままだったりしますが、プログラムからしてみるとバグ、人間の可能性という不確定要素、愛、といった要素がいいカンジで絡み合って主人公が自らの命と引き換えに人類と機械との間で和睦みたいなのが成立したとかそんな流れだったと思います


そんなワケで細部に不明はありつつも、大枠ではキレイに完結していた物語に果たしてどの様な ”新展開” があるのか?


「マトリックス」以降のウォシャウスキー兄弟(姉妹)の作品がパッとしない作品ばかりということもあって(以前の「バウンド」は良作)それなりに不安要素も抱えつつ、久しぶりに公開初日の劇場に赴いたわけですが…

 

 

以下ネタバレ感想:


結論から言いますと、前半はある意味面白いけど後半は凡庸というなんとも中途半端な内容でした


オレは最初に公開された予告以外の情報は一切シャットアウトしてたので、果たして旧シリーズの世界観と繋がってるのか、パラレル的な別世界なのかもよくわからない状態だったので、”あの三部作は実はゲーム作品であり、キアヌ演じるトーマスはそのクリエイター” という体で物語が進んでいくのはナカナカ衝撃的で楽しかったです

”親会社のワーナーブラザーズが続編を作れとうるさい”

もう、ただただ↑このセリフを言わせたかっただけじゃねという映画でしたがw、「マトリックス」が如何に ”社会現象” だったかに翻弄されたウォシャウスキーの二人やキアヌたち関係者の辟易っぷりの描写が、かの「ロッキー」でスタローンが自身の苦悩をそのままシリーズ作品に反映させていたのを思い出させましたね


敢えて一作目をなぞるかの様に再びネオの救世主伝説が始まったのはやはりワクワクさせられましたし、旧シリーズの ”その後” もそれなりに興味深い部分もあったんですが、やはりかつての「マトリックス」が見せてくれた ”革新性” みたいな要素を(ビジュアル的にも物語的にも)どうしても期待してしまったのがほとんど肩透かしだったのは残念でした(…ゾンビ物みたいな革新とは真逆の描写はむしろ落胆っぷりを加速させてしまいましたし)

要するに一言でまとめると ”蛇足” だったかな……一応、オチも一作目を踏襲して ”俺たた” エンドではあったのでここからの続編も作れる構造にはなってましたが、うーん、難しいかな

ただ今回シリーズを思い返してみて、よくわからなかったパート3をちょっと見直してみようかなとは思ったので配信サービスが当たり前になった現在、映画業界も時代も変わったよなとちょっとしんみりとしちゃったりなんかして

 

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