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[映画] 機動戦士ガンダムNT

2018-11-30 | 映画

「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」をTOHOシネマズららぽーと横浜にて観賞して来ました


脚本を福井晴敏が手がけており、”「ガンダムUC」のその先” と紹介されてる今作ですが、実際に見た上だと ”もう一つの「ガンダムUC」” みたいな表現の方がしっくりくるカンジですかね

とは言っても決して ”焼き直し” なんかではなく、「不死鳥狩り」というUCの外伝的なエピソードをベースに、一年戦争(U.C.0079年)からラプラス事変(U.C.0096年)に至るまでの ”ニュータイプ” という存在にまつわる事象を別視点から改めて問い直すという壮大なスケールの作品でした

新たな主人公たちの年齢が20代半ばと設定されていて、ガンダムシリーズでお馴染みの ”子どもの主張” みたいな青臭い(けれど未来への可能性を提示する)要素が極力抑えられてるのがナカナカ野心的だったと思います






以下ネタバレ感想:


いやー、泣かされました(ノД`)


冒頭、これまでのシリーズでも幾度となく描写されてきた人類初の ”コロニー落とし” でしたが、より詳細な都市破壊や人々が巻き込まれてゴミのように死んでいく様が描写されて、まるで ”これから史上最もハードなガンダムが始まりますよ” 的な宣言の様でしたな…

まさに ”裏UC” とでも言いますか、ヨナとミシェルの二人の主人公が従来作のように十代の少年少女ではなく、過去に取り返しの付かない過ちを抱えてる上に、自分たちが(エゴや欲にまみれた)オールドタイプでしか無いことに惨めな負い目を抱えまくってることで(未来への)”希望” やら ”可能性” やらを純粋に語れない立場なのがホントしんどかったです(-_-;)

本来なら主人公の立場であったハズのリタがニュータイプ研究所で鬼畜の所業の扱いを受けた末に、物語の ”始まり” の時点で既に、「UC」ラストでバナージが踏みとどまった(そしてどうにかハッピーエンドの体裁を整えた) ”その先” へと行ってしまっている設定がやりきれなかったですねえ……オレら観客は(回想シーン以外では)リタが ”解脱” してしまった後の姿しかほとんど知り得ませんでしたが、ニタ研から3号機パイロットに至る過程でどんだけ酷い目に遭ってたのかもう想像するだけでも…(T△T)



「ファースト」「Z」「ZZ」「逆シャア」の要素を満遍なく振り返りつつという構成も「UC」と共通してはいますが、今作の場合はファンサービスというよりも、”ニュータイプの理想と現実” を論じる為に敢えて ”冷徹” な視点を(冷や水を浴びせるかの様に)観客につきつけているかのような作品だったのではないでしょうか(゚д゚;)

”人類の革新” という恩寵?がある日、一斉に地球圏の全ての人類にもたらされるワケでもなく、選ばれし者同士ですら ”わかり合える” ケースは極めて希なのが実状な中で、その割にはそうでなかった(選ばれなかった)側の人々に落ちる影が圧倒的に過ぎるといいますか、苦悩たるや想像を絶するとしか表現しようがありません

そういう意味でもゾルタンという強化人間についてはまだまだ語り足りない要素があったんじゃないかという気がしてなりませんが……そういえばシェザール隊の隊長が例のアクシズ・ショックであの場に居合わせていたことが示唆されてましたが、あの ”(隊長が信じる所の)奇跡” の顛末だって見方を変えれば、”(アムロとシャアの二人が)人類を突き放したオチ” とも捉えられるんじゃないかとかイロイロと考えさせられてしまいました…



メタ的に考えれば次期作として製作される「閃光のハサウェイ」やら「F91」やらの続編世界が存在する事で、この後の宇宙世紀においても人類が延々と争いを繰り返す ”歴史” になっていくというのはわかりきっています

かつて「ファースト」にて物語の ”決着” をつける為に登場したと思われる ”ニュータイプ” という概念ですが、”どうしようもない人類だけどニュータイプなら新しい歴史を刻めるかも…?” といった ”希望” や ”可能性” を示唆する ”奇跡” の存在でした

原作者である富野監督は、(キレイに完結してるのに)何故続編を作らなきゃならないんだと「Z」の頃から文句を垂れまくっていたというのは有名なハナシですが(^0^;)、更に「ZZ」と続けさせられた後に、今度こそガンダムを完結させてやると「逆襲のシャア」で ”惑星をも動かす” という特大の ”奇跡” を演出して見せたワケですが、(大人の事情で)それでもガンダムは完結することを許されませんでした

その結果、「F91」という新作では劇中時間で30年という期間が空いたことになり、その間にニュータイプの存在そのものが人々の記憶から忘れられて ”ファンネル” や ”サイコフレーム” といった設定がまるで無かったことにされてしまったんですが、そりゃ ”奇跡” を起こせる技術が当たり前に存在しちゃったら物語なんて作れませんからねえ…

(たとえ富野監督の打算的な判断でしかなかったのだとしても)”では何故ファンネルやサイコフレームは廃れたのか?” という疑問に真正面から取り組んだのが「UC」や今回の「NT」で、ミネバ一派がまるで某アーカム財団みたいに関連技術を ”封印” して回る役回りとなる事でニュータイプの ”神格化” が沈静化していく流れになると…



うーむ、「閃ハサ」はU.C.0105年が舞台となるようですが、ミネバやバナージのその後の「UC2」はいつになるんかなあ……ジオンが解体されるU.C.0100年前後で(ロウソクの最後のきらめきとばかりに)何か大きな事件がまたありそうですが



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (師子乃)
2020-04-24 21:18:53
色々な評価がありますが、やはり一度見てみないとわからなそうですね。
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> 師子乃さん (たばたけ)
2020-04-25 12:41:51
「UC2」が正式にスタートする際にでもご覧になられることをオススメします
返信する

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