にちぇぼぅ人生

超楽観的な人生の日々を記録しています

ウラジオストク旅行記 その39 <5日目 空港へ>

2009年04月30日 23時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
いよいよ、最終日。

朝起きたら、昨日のウォッカも無事に抜けていました。

最終日は移動のみで、10時にホテル出発の予定です。

朝食を摂り、荷物をまとめ、9:45頃に部屋を出ると、ベッドメーキング係に「チェックアウト?」と呼び止められます。
「はい」と答えると、部屋に入りチェックを受けます。
忘れ物チェックをしていると考えれば前向きですが、備品の持ち出しチェックを受けているようにも感じます。

チェックが終わると、カードキーをベッドメーキング係に渡したまま、フロントへ。

フロントの待合室には、空港まで送ってくれるドライバーさんがすでに待っていました。
急いでフロントへ行き、チェックアウト手続きをします。
フロントに部屋番号の書かれたカードキー入れと外国人滞在登録証のコピーを出すと、ちょこちょこ何かを確認したあと、カードキー入れは破り捨てられ、外国人滞在登録証のコピーは返却され、チェックアウト完了。
でも、せっかく返してくれた外国人滞在登録証のコピーはなくしてしまいました。

ドライバーさんに案内されて車に乗り込みます。
ウラジオストク市内の名所を通るたびに、「ここはウラジオストク市役所です」と最後の観光案内をしてくれました。

僕がルースキー島へ行ったり、路面電車に乗ったことを話すと、「ほとんどの日本人はガイド付きのツアーが終わると、怖くてずっとホテルに閉じこもってますよ~」と言われてしまいました。
是非、ほかの日本人旅行者も積極的に出かけて、ウラジオストクを満喫して欲しいものです。

行きは大渋滞でしたが、今回はかなり空いています。
高速道路ではないのですが、時々120km/hで走ったりしてくれました。

途中、交通警察が張っているところで、ドライバーさんからシートベルトを付けるように注意されました。
どうやら、ロシアでは全席シートベルト着用のようです。

120km/h走行のおかげで予定より30分近く早く空港へ到着しました。

<その38
その40>
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ウラジオストク旅行記 その40 <5日目 ウラジオストク空港~帰国>

2009年04月30日 22時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
ウラジオストク空港は国内線ターミナルと国際線ターミナルに別れています。

国際線ターミナルには時間を潰すものは発見できず、搭乗手続き開始の時間をベンチに座って待つことになります。

この日の国際線の運航予定↓

クリックして拡大しないと、分かりづらいかもしれませんが、
新潟行き 13:00発
平壌行き 16:30発
ソウル行き19:50発
の3本です。

国際線の便数は新潟空港といい勝負となっています。

注目すべきは、平壌行きの便があること。
ちょうど平壌からの便が到着する頃のため、ロビーには出迎えに来た赤いバッジを付けた人がうろうろしてました。
初めて、赤バッジを生で見ました。

予定通り、11時に搭乗手続き開始です。
写真の写真禁止マークが張ってある扉を開けて、チェックイン→税関検査→出国検査→セキュリティチェックと進んで行きます。
しかし、入国時同様、なぜかチェックインの前に手続きがあります。表示にはtransfar desk と書いてあったけれども何をするところかは分からず。

チェックインは、パスポートだけでOK。e-チケットの控えは見せる必要はありませんでした。

無事に出国審査も終わったら、ターミナル内の待合室で出発時間まで待ちます。
ひたすら待ちます。
ターミナルには免税店が1つ、売店が1つ、テレビが1つあります。
売店でミネラルウォーターを買ったら、80ルーブルでした。
衝撃的な暴利です。昨日のウォッカですら、1杯50ルーブルです。
おかげで、もともと少なかったルーブルの残りが20ルーブルちょっと(60~80円)になりました。

待合室の目の前は駐機場なのですが、突然爆音を鳴り響かせながら到着してきた飛行機があります。
平壌から来た、北朝鮮の高麗航空の機体です。
(旧ソ連地域の慣例に従って、)写真は撮っていませんが、乗客は40人前後でほとんどがビジネスマン風の人でした。中には観光と思われる若い女性グループもいました。
遠くてはっきり分からなかったけど、客室乗務員は身長が高く、きれいな人っぽかったです。

高麗航空の到着後、しばらく経って、新潟行きの搭乗開始の案内があり、ぞろぞろとバスへ乗り込みます。
途中、出国審査場の近くを通ったのですが、係官はおらず閉鎖されていました。
どうやら、平壌便の入国審査に向かっている模様。
ということは、新潟便に乗る人は少なくとも平壌便が到着するまでには、出国審査を終えていないと、手続き上、新潟行きに乗れないようです。気をつけないといけません。

帰りの飛行機の機体は予定通り、エアバスA320。
行きのツポレフとほとんど違いは感じません。

そして、新潟空港に定刻通り着陸。

降りようかなと思ったら、突然検疫局からインフルエンザ検査をするとのアナウンスが。
どうやら、ロシアに行っている間に警戒レベルが引き上げられた模様。
機内でアンケートとサーモグラフィーでの体温測定を受けました。
税関検査も、手荷物よりもインフルエンザチェックに重点が置かれていたようです。

税関も抜けて、無事に帰国。
新潟からは、行きと同じくびきの号で長野へと帰りました。

<その39
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ウラジオストク旅行記 その29 <4日目 太平洋艦隊博物館①>

2009年04月29日 23時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
実質的に観光最終日の4日目です。

朝ご飯をホテルのレストランで摂った後、昨日入れなかった太平洋艦隊博物館へと向かいます。

切符売り場に到着したものの、売り場に人影がありません。
まさか、今日もお休み??と不安を感じつつ、昨日と同じように正面玄関を入って事務室へと向かいます。

事務室では、朝のミーティングの最中のようで、僕を見つけるなり学芸員から”表の切符売り場で待っていなさい”と言われました。

切符売り場で待つこと2~3分。ようやく係の人が現れ入場料とカメラ撮影料を支払うことができました。
ここの切符売り場はほかとは違い、かなり厳重で、現金や領収書のやりとりは長い木の引き出しを介して行われます。感じとしてはパチンコの換金所のやりとりに近いです。
博物館とはいえ、軍事施設だからセキュリティには厳しいのだろうか。
ほかと違う点がもう一つ。
料金を払い終わったときに、いきなり名前を聞かれました。
軍事施設だからセキュリティに厳しいのかなと思ったら、領収書の名前欄に書くために聞かれたようでした。

その領収書は↓

筆記体で書かれると何が書いてあるのか分かりません。。。

無事、入場料も支払ったので、再び正面玄関から入場。
学芸員に領収書を見せると、”かばんはそこのロッカーに入れるといいわ”と、階段下のロッカーに荷物を預けることに。

ロッカーにかばんを預けた後、うっかり階段に頭をぶつけてしまい、学芸員にその様子を目撃されてしまいました。
学芸員は、大きな声で半分笑いながら、”なにぶつけているのよ。大丈夫?”と話しかけたため、ほかの学芸員も何事かと姿を現してきました。
お騒がせな日本人で申し訳ないです。

若干のどたばたはあったものの、2Fに案内され、無事に見学開始です。

<その28
その30>
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ウラジオストク旅行記 その30 <4日目 太平洋艦隊博物館② 日露戦争の展示>

2009年04月29日 22時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
まず始めにお伝えしたいのは、ウラジオストクを観光するにあたって、この太平洋艦隊博物館はおすすめです。

地球の歩き方には載っていないので、いまいち行きづらいかもしれませんが、日本に関する展示が多いです。
国境警備隊博物館よりも興味深い展示が多いです。
(地球の歩き方に投稿しとく??)
太平洋艦隊博物館の大体の位置はその22参照。

まず、始めに案内された展示室は、いきなり日露戦争に関する展示があります。
ロシア側の装備や軍人の展示がメインですが、日本に関する展示にもスペースがとられています。

東郷平八郎元帥の肖像↓


ロシア側 マカロフ提督の肖像↓


戦意高揚用の絵?↓

黒地の旭日旗を掲げた日本海軍の艦船がロシア側の攻撃で炎上・沈没していく様子が描かれています。
こういう絵を見ると、日本とロシアは本当に戦ったということを改めて感じます。

そのほか、日本側の三笠や吾妻といった軍艦の写真などの展示があります。

一通り見終わると、学芸員(中年の女性)が近づいてきて、”あなた中国人?”と質問してきました。
”日本人です”と答えると、”あらー、ここには日本の展示が多いからしっかりみてきなさい”という感じのことを言われました。

その後、その学芸員は、近くにいた見学中の退役軍人風の老人男性に、”彼は日本人なのよ~”と世間話を始めました。

その隙に次の展示室へ。。。

<その29
その31>
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ウラジオストク旅行記 その31 <4日目 太平洋艦隊博物館③ 第二次世界大戦の展示>

2009年04月29日 21時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
日露戦争の展示の後、しばらくは太平洋艦隊の装備の歴史に関する展示室が続きます。

これらの展示室の学芸員は積極的な説明はありませんでしたし、僕もそんなに興味があるわけではないので、軽く見て次の展示室へという感じで回りました。

そして、3Fの展示室へ。
ここの学芸員(中年の女性)はかなり、積極的に説明をしてくれました。
展示内容は第二次世界大戦がメインテーマとなっています。
特に第6展示室は日本との戦闘に関する展示があります。
(ちなみに隣の第5展示室はドイツとの戦闘に関する展示がある。)

ソ連側の装備などの展示もありますが、日本軍の装備(?)の展示があります。

戦闘機(?)のプロペラ↓

学芸員は”カミカゼ”と説明していたけれども、ソ連に対しても特攻作戦が行われたというのは聞いたことがありません。
可能性としてはありそうですが、実際のところはどうだったのかは分かりません。

勲章関係↓

勲章と同じ扱いで、放送聴取許可章が展示されています。
勲章と間違えているのかもしれません。
朝鮮総督府逓信局という文字に歴史を感じます。

そのほか日本刀や日本軍の小銃の展示もありました。


その後4Fへ。
4Fの展示は各国海軍からの友好の品を展示してあったり、艦船や潜水艦の模型が展示されています。
最初、この階の学芸員は(たしか)本を読んでいてあまり積極的な対応をしてくれなかったのですが、急にこちらへ近づいてきてました。
何か説明してくれるのかな~と思ったら、”パンフレットはいる?? 有料よ”とパンフレットの販売でした。
残念ながら日本語版はなかったので、ロシア語版を買いました。

展示を一通り見終わり、太平洋艦隊博物館を後にしました。

<その30
その32>
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ウラジオストク旅行記 その32 <4日目 昼食>

2009年04月29日 20時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
太平洋艦隊博物館の見学が終わったころにはお昼になっていたので、レストランを探しつつ、アムール湾に面した西海岸にある展望台を目指すことに。

メインストリートのスヴェトランカ通りを西に突き当たったところにあるのが、映画館「オケアン」。
オケアンの入り口には、鉄火巻きと思われる写真付きの日本料理レストランの幕が張ってあり、
ウラジオストクの海の幸で調理される日本料理ってどんなものか気になったので、ここでお昼にすることにしました。

ちなみに、この映画館「オケアン」はウラジオストク国際映画祭の会場となっている映画館で、日本のシネコンみたいなきれいな映画館です。
1日目にホテルへ案内してくれたガイドのヴィオレッタちゃんから、
「第1回のウラジオストク国際映画祭では日本の作品も受賞してますよ~」
との説明がありましたが、ヴィオレッタちゃんも作品名までは分からず、ちょこっと調べてみても、第1回の時はわからないですが、第5回(2007年)とか第6回(2008年)には日本の作品が受賞しているのが分かりました。

映画館にもかかわらず、入り口には金属探知機がありました。
が、僕には反応せず。電源が切ってあったのかもしれません。

ポップコーンの甘い香りが漂う中、日本料理のレストランを探してみましたが発見できず。。。。
代わりに、中華料理のレストランへ入ることにしました。

この中華料理のレストランは、映画館の中のレストランとは思えないほど本格的なレストランで、ガラス張りの厨房では点心を作っている様子を見ることができます。
(店員さんもかわいいかったです。

本来なら点心を頼みたいところですが、そんなにお腹が空いていなかったので、水餃子入りの麺料理を頼むことにしました。

注文はメニューを指さして「これ ください」という究極のカタコトロシア語で行ったため、店員の女の子に軽く笑われたものの、無事に注文できました。

そして、注文の品はこちら↓

日本の”おてもと”も用意されています。

味はものすごくさっぱりしているというか、胃にやさしいというか、味がないというか・・・
そんなにお腹が空いていない僕にとってはちょうどいい感じで、
水餃子から染み出したスープの味ではちょっと足りず、テーブルにあった醤油やお酢で味を足しながら食べて見ました。

右奥のお茶は一緒に注文したジャスミン茶です。

小腹を満たしたところで、映画館を後にしました。

<その31
その33>
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ウラジオストク旅行記 その33 <4日目 西海岸展望台とウラジオストク交通事情②>

2009年04月29日 19時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
映画館「オケアン」の前の通りは、アムール湾に面しています。
地球の歩き方によると、この通りの石垣は戦後の日本人抑留者が建設に携わったとのこと。

オケアンからウラジオストクホテルまでは上り坂で、その中程に展望台があります。
SMAPの草君が出演した映画「ホテルビーナス」にも出てきてました。

写真から、意外と傾斜のある坂道であることがわかると思います。

展望台からの眺め (スポーツ湾ビーチ方面)


ついでに、坂のほぼ頂上にあるウラジオストクホテル

ウラジオストクホテルも日本人抑留者が建設に従事したと、地球の歩き方に書いてありました。
そのせいか、ちょっと外観は古めです。
後ろは建設中のアパートorホテル。


ここで、話を脱線させて、ウラジオストクの交通事情について。

写真は、見ての通りマンホールとその周りに開いた穴です。
ウラジオストクの道路には、こんな感じで落とし穴のように道路に穴が開いているところがいくつもあります。
車が通行する際には、穴を避けて通るか徐行しなければなりません。
しかし、大型トラックなどは穴を避けられないので、スピードを緩めて通過することになります。
すると、穴を通過した時の揺れを検知して、近くに駐車中の車の盗難防止装置が作動し、サイレンが鳴り響きます。

こうして、ウラジオストク市内では盗難防止装置のサイレンがそこかしこで鳴り響いているのです。
(モスクワでもサイレンが鳴り響いていたような・・・)

どこかで読んだのですが、こうした道路の穴は道路管理が不十分なのではなく、冬の寒さで凍った水分でアスファルトが割れてしまうのが原因らしいです。
氷に強い舗装材料が開発されるのを待つしかありません。

そんな、道路事情のため、テレビショッピングで日本の日本発条という会社のサスペンションが紹介されていました。
やはり、道路の穴はウラジオストク市民にとって関心の高いことなのかもしれません。

<その32
その34>
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ウラジオストク旅行記 その34 <4日目 路面電車の旅①>

2009年04月29日 18時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
西海岸の展望台散策を終えて、いったんホテルへ戻り、しばし休憩。
休憩しながら、路面電車に乗るための覚悟を高めます。
乗り方がいまいち分からない公共交通を使うには、それなりの覚悟が必要なのです。。。

そして、いざ、ウラジオストク駅前の路面電車乗り場へ。

現在、ウラジオストクの路面電車は4番、6番、7番の3路線が運行されています。

簡単な路線図↓


ウラジオストク駅前から乗れるのは、4番と7番で、4番はスヴェトランカ通りを通って終点のサハリンスカヤへウラジオストク市内を横断します。
一方、7番はアレウーツカヤ通りを北上し、一番川に沿って郊外のバリャエバへと向かいます。

ウラジオストク駅前にある乗り場には、時刻表はありません。
入線してきた車両の前に掲示されている、番号で行き先を確認して乗り込みます。

とりあえず、到着後に入線してきた7番の路面電車に乗車。
安全面を考えて一番後ろの席に座りました。椅子は木製。ウラジオストク駅から乗る人はそんなに多くありません。

路面電車は、ウラジオストクの渋滞に巻き込まれながらアレウーツカヤ通りを北上します。
途中、バスターミナル付近の停留所で乗客が一気に増えます。
アレウーツカヤ通りはこの先、上り坂になるのです。

近郊電車のペルバヤレーチカ(一番川)駅付近にある停留所で乗客のほとんどは下車してしまい、車内には僕も含めて5人くらいしか残っていません。

トゥリーチヤ ラボーチャヤ(第3労働者)駅付近(たぶん)の車窓↓

要塞都市、ウラジオストクを感じる車窓でした。
郊外に入ると、人も車も一気に減ってきます。

7番路面電車の終点、バリャエバ付近の軌道(車両の最後尾より)↓

路面電車の軌道は複線です。
中心市街地では専用軌道ではなく、一般車両と同じ車線に埋設した軌道を通ります。
郊外に入ると、土地に余裕あるためか、写真のように路面電車専用の軌道となります。

<その33
その35>
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ウラジオストク旅行記 その35 <4日目 路面電車の旅②>

2009年04月29日 17時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
7番路面電車の終点、バリャエバにはショッピングセンターがありましたが、路面電車の旅優先で、6番路線の始発駅であるミニュィ ゴロドクへと徒歩で向かいます。

しかし、実際の方角と地図との感覚が一致せず、しばらく迷ってしまいました。

ミニュィ ゴロドク周辺は日用品や食料品を扱う小さな店が集まった商店街のようになっています。
雰囲気はこんな感じ↓です。

閑散としているようにも感じますが、道路が狭いせいか実際は結構にぎやかな雰囲気でした。

ミニュィ ゴロドクの路面電車乗り場↓

写真中央の路面電車は、到着したばかりで乗客が降りているところです。
出発すると手前の方向にぐるっと進んで方向転換していきます。

というわけで、写真の白い路面電車にのって終点のサハリンスカヤへと向かいます。

車内は↓な感じ。

車両によって内装が違うようで、この車両はちょっと華やかな感じです。

ここで、①で書き忘れた運賃の支払い方法をご紹介。
運賃は1回7ルーブル。(2009年4月現在。)
車掌さんがいる場合は、どんなに混んでいても"7ルーブル!7ルーブル!"と叫びながら車掌さんが回ってくるので車掌さんに支払います。
受け取った切符は下車時にチェックされるかもしれないので、なくさないように。
車掌さんがいない場合は、下車時に運転手さんへ直接支払います。

6番路線の中程に、近郊列車のルゴバヤ(草原)駅があります。
ここは、かなり賑やかでショッピングセンターや小さなお店の商店街もありました。
案の定、ルゴバヤ駅近くの停留所で乗客が大量に乗り込み満車になりました。

ちなみに、ルゴバヤはウラジオストク駅方面の4番路線へと乗り換える停留所でもあります。

6番線はルゴバヤを過ぎた辺りで、進路を南から東へ変えていきます。


路線図↓


<その34
その36>
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ウラジオストク旅行記 その36 <4日目 路面電車の旅③>

2009年04月29日 16時00分00秒 | ウラジオストク旅行記
6番線の終点サハリンスカヤに到着。

停留所のすぐ近くに自動車博物館があることは、地図を見て分かっていたのですが今回は訪れず。

さて、帰りは4番路線で一気にウラジオストク駅まで戻ろうと目論み、4番の表示がある車両が来るのを待ちます。

しかし、20分ほど待っても4番の車両が来ません。

待っている間に停留所の売店で買ったアイスキャンディー↓

見た目通り、さっぱりしたバニラ味でした。

目の前のバス停からは、ウラジオストク駅行きのバスがすでに3本ほど出ている状況。
バスに乗って戻るという手もあるのですが、バスの乗客が多かったのとバスに乗る勇気が出てこなかったのです。。。

仕方がないので、路面電車にて行きと同じルートで戻ることにしました。

しかし、ウラジオストク市民の選択通り、ウラジオストク駅へはバスで戻るのが正解だったことにこの後気づいたのです。


6番線の路面電車でミニュィ ゴロドクへ戻り、7番線のバリャエバへと向かいます。
バリャエバのショッピングセンターでトイレを借りつつ、買い物をしようかなと思ったら、トイレは借りられたものの、お店はシャッターを次々と下ろしていて、閉店してますよ~状態。
日本だと蛍の光が流れている状況です。

嫌な予感が走り、急いでバリャエバの停留所へ向かいます。

路線図↓


<その35
その37>
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