久しぶりのブログ更新で、つれづれなるままに書いてしまいます・・・
さて、3/30に新国立劇場にて公演していた、アロッタファジャイナの 国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~ を観てきました。
いつもだったら、本仮屋リイナちゃんの演技がよかった(可愛かった)、みたいな感想しか書きませんが、それは、ほら、これから観る人にネタバレになっちゃうから、あえてそういう書き方をしているのです。
今回はすでに公演も終わっているので、ちょっと劇の内容にも踏み込んで感想書いてみようと思います。
(観に行けなかったからDVDで観る予定、という人はネタバレ注意です)
題名からも分かる通り、作品の舞台は奈良~平安時代の日本。
古いしがらみを捨てて新しい日本を作るために、奈良から京都(長岡京・平安京)への遷都を行った桓武天皇と、
貴族だけでなく庶民も含めたすべての人を救いたいと願った最澄とが出会い、反対派勢力の妨害や工作に屈せず、よい国を作りたいという信念で彼らが行った命がけの国づくりの様子を描いた作品です。
こういった歴史ものの作品では、時代の流れを進めていく進行役が必要。
今回その進行役には、NHKの高校講座世界史でMCを務めている小日向えりちゃん。
時に和やかに、時にシリアスに、場面と史実を紐付けして場面展開を行っていました。
おかげで、歴史をまじめに勉強してこなかった私でも何とかついていくことができました。
そして、高校講座で垣間見られる、えりちゃんの人柄の良さは、生で観ても感じます!!
浅学な私の中で最澄は、鎌倉仏教の基本的な思想である”すべての生物は煩悩を持ったままでも悟りを開いて仏になることができる”という天台宗の最高奥義の素地を作ったというイメージがあって、きっと比叡山にこもってお経を読みまくって思いついたのかな~と思っていました。
でも、今回の作品を観て、”縁なき衆生は度し(救い)難し”の精神で、仏教に興味がない人(庶民)のことは切り捨てていく旧来仏教界の考え方に対して、そんな庶民を救うには何ができるのかをずっと考えてきた結果として生まれてきた思想なのかな、と思うようになりました。
劇中でも、自分たち庶民を助けようとするのは周りから善人だと思われたいからなんでしょ! と最澄が庶民自身から突っ込みを受けるシーンがあり、仏教に興味があって、お金も持っている貴族を相手にする仏教会の方針はある意味では正しい選択であったことも伺えます。
最澄はそこをどうしても変えたくて悩み続けていたのかなと感じました。
私が一番印象に残っているシーンは、東北の村に布教へ行った際、村人からの精神的な救いを求める声に応じて、効果がないと思っているにも関わらず密教の念仏を唱えることを教えてしまったところです。
この時に最澄は庶民を救う方法(念仏を唱えるだけで仏になれる)を直感的に思いついたのではなないかと思いました。まさに、日本仏教界が大きく動き出すきっかけとなった瞬間!
桓武天皇は最澄に”迷ったな”と問いかけたけど、最澄が迷ったのは、念仏を唱えることで救われるという考え方は本来の仏教の教えに反しているかもしれないということだったのでは・・・
長々と書いてしまったけど、結局は、この作品を観て、日本仏教の独特の”念仏を唱えるだけで仏になれる”の考え方が生まれた背景が何となく理解できたような気がしました。
あとは、桓武天皇やアテルイ、さらには平城天皇やオネから感じた、集団の長として命をかけて責任を全うする姿や、坂上田村麻呂や信念から感じた忠誠心、陽射が最澄を純粋に想う心についても書きたかったですが、もう十二分に長くなってしまったので、これまで!!
さて、3/30に新国立劇場にて公演していた、アロッタファジャイナの 国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~ を観てきました。
いつもだったら、本仮屋リイナちゃんの演技がよかった(可愛かった)、みたいな感想しか書きませんが、それは、ほら、これから観る人にネタバレになっちゃうから、あえてそういう書き方をしているのです。

今回はすでに公演も終わっているので、ちょっと劇の内容にも踏み込んで感想書いてみようと思います。
(観に行けなかったからDVDで観る予定、という人はネタバレ注意です)
題名からも分かる通り、作品の舞台は奈良~平安時代の日本。
古いしがらみを捨てて新しい日本を作るために、奈良から京都(長岡京・平安京)への遷都を行った桓武天皇と、
貴族だけでなく庶民も含めたすべての人を救いたいと願った最澄とが出会い、反対派勢力の妨害や工作に屈せず、よい国を作りたいという信念で彼らが行った命がけの国づくりの様子を描いた作品です。
こういった歴史ものの作品では、時代の流れを進めていく進行役が必要。
今回その進行役には、NHKの高校講座世界史でMCを務めている小日向えりちゃん。
時に和やかに、時にシリアスに、場面と史実を紐付けして場面展開を行っていました。
おかげで、歴史をまじめに勉強してこなかった私でも何とかついていくことができました。
そして、高校講座で垣間見られる、えりちゃんの人柄の良さは、生で観ても感じます!!

浅学な私の中で最澄は、鎌倉仏教の基本的な思想である”すべての生物は煩悩を持ったままでも悟りを開いて仏になることができる”という天台宗の最高奥義の素地を作ったというイメージがあって、きっと比叡山にこもってお経を読みまくって思いついたのかな~と思っていました。
でも、今回の作品を観て、”縁なき衆生は度し(救い)難し”の精神で、仏教に興味がない人(庶民)のことは切り捨てていく旧来仏教界の考え方に対して、そんな庶民を救うには何ができるのかをずっと考えてきた結果として生まれてきた思想なのかな、と思うようになりました。
劇中でも、自分たち庶民を助けようとするのは周りから善人だと思われたいからなんでしょ! と最澄が庶民自身から突っ込みを受けるシーンがあり、仏教に興味があって、お金も持っている貴族を相手にする仏教会の方針はある意味では正しい選択であったことも伺えます。
最澄はそこをどうしても変えたくて悩み続けていたのかなと感じました。
私が一番印象に残っているシーンは、東北の村に布教へ行った際、村人からの精神的な救いを求める声に応じて、効果がないと思っているにも関わらず密教の念仏を唱えることを教えてしまったところです。
この時に最澄は庶民を救う方法(念仏を唱えるだけで仏になれる)を直感的に思いついたのではなないかと思いました。まさに、日本仏教界が大きく動き出すきっかけとなった瞬間!
桓武天皇は最澄に”迷ったな”と問いかけたけど、最澄が迷ったのは、念仏を唱えることで救われるという考え方は本来の仏教の教えに反しているかもしれないということだったのでは・・・
長々と書いてしまったけど、結局は、この作品を観て、日本仏教の独特の”念仏を唱えるだけで仏になれる”の考え方が生まれた背景が何となく理解できたような気がしました。
あとは、桓武天皇やアテルイ、さらには平城天皇やオネから感じた、集団の長として命をかけて責任を全うする姿や、坂上田村麻呂や信念から感じた忠誠心、陽射が最澄を純粋に想う心についても書きたかったですが、もう十二分に長くなってしまったので、これまで!!