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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

蕎麦

2015-08-03 15:56:18 | 日記
無類の麺好きを自称している僕。夏など3食麺類でもいいくらいだった。
でもここ最近、麺類を食べたいという気持ちになれない。軽く食べられるというイメージを持っていた麺類が、「なんか重いなぁ」と感じてしまうのだ。もう終わってしまったが、早見あかりが主演していたドラマで実際に存在するラーメン屋さんが出てくるのがあった。それを観るとラーメンを食べたいなと思い、「よし、明日はラーメンを食べに行こう」なんて思うのだけれど、翌日になるとやっぱり「なんか重いよなぁ」と思ってしまっていた。
東京に来ている今、ドラマで紹介されたお店にすぐにでも行けるのだけれど、どうも行く気になれない。別に食べられないわけじゃない。食べたあとが《なんか重い》のだ。じゃあ、うどんとかパスタとか素麺とか……とも思うのだけれど、それもちょっとと感じてしまう。沖縄そばなんてもってのほか。
ふと、気付いたら、そういえばパンもめったに食べなくなっていた。
「もしやオレ、自然にグルテンフリーになってしまったのか?」と思ったけれど、別に小麦が入っている食品は普通に口にしている。
でも、お腹が空くと麺類やパンではなくて、米を食べたいと思うのだ。それはこれまでにはなかったこと。それこそ米だけでもいいやと思ってしまう。

そんな僕だけれど、唯一常に食べたいと思う麺類がある。
日本蕎麦だ。特に今、東京にいるので外でお腹が空くと、「どっかに蕎麦屋ないかな」と探す。
別に十割蕎麦にこだわっていない。(だからグルテンフリーではない)
昔、東京に住んでいた頃は、さすがに飛行機に乗ってということはなかったが、美味しいと言われる蕎麦屋さんを巡ったものだ。蕎麦を食べるために高速に乗って信州に行くとか。もちろん、都内の有名な蕎麦屋さんも回ったりした。さすがに評判のいい蕎麦屋さんは美味しいし、それなりに満足出来る。そうまでして行く価値のある蕎麦屋さんも確かにある。
でも、いつでも手軽に蕎麦を食べたい僕は、よく立ち食い蕎麦屋さんに行ったものだ。誰もが知っている有名立ち食いそば屋さんではなく、お気に入りの立ち食いそば屋さんがあった。そこは毎日食べても飽きない蕎麦だった。立ち食いそばとしてはちょっとお高めだけれど、とはいえ有名な蕎麦屋さんと比べたらかなり安い。量的にも満足出来るようところ。会社員だった頃はよく食べて帰ったものだった。

沖縄に住む今、東京に来ると必ずその立ち食いそば屋さんに行く。神田藪そばでもなく、まつやでもなく。今回もその立ち食いそば屋さんに寄ってきた。夏に東京に帰ったきたのは初めてだったので、昔好きだった新しょうがのかき揚げを食べたいと思っていた。それが僕の夏の定番だった。もちろん、昔の話なので今もそのメニューがあるかどうか心配だったが、人気商品だったのだろう。ちょっとだけ高くなっていたけれど、あった。久しぶりに食べた新しょうがのかき揚げが乗った冷やしそばは実に美味しかった。沖縄ではなかなか美味しい蕎麦を食べることができない。というより、家から徒歩で行ける範囲にお店がない。自分で茹でるか、コンビニで買ってくるか。自分でうまく茹でる自信はないし、コンビニというのもちょっとなと思うと、やっぱり蕎麦から縁遠くなってしまうのだ。そこにきて、麺類が重く感じる。あれほど沖縄そばが好きだったのに……。でも、今はなんか考えただけでお腹いっぱいになってしまう。
沖縄に帰るまでに、できるだけ蕎麦を食べようと思う今日この頃。

無題

2015-08-03 12:31:30 | 日記
数日都内をうろうろして、ようやく人混みを自由に歩けるようになった。まだ、考え事しながらはムリだけれど。
移動の電車の中では、昔のように本を読んで過ごしている。ときにそれが電子書籍だったりするところは大きな違いだが。
先日『村上さんのところ コンプリート版』を購入した。村上春樹のはじめての電子書籍。この本の善し悪しはまだ分からないけど(なにせ長い)、電子書籍の持つ機能を発揮した本だ。というよりも、コンプリート版は電子書籍でなければ出せないようなもの。それだけの分量。紙で出したらとても分厚いものになったはず。そもそも、期間限定で開設したサイトに送られたまだメールに対して返事を書いていくという企画を本にしたもの。電子書籍の方がピンとくる。編集者も相当頑張っていて、ひとつひとつの質問をカテゴリー分けしていて、最初に時系列で読んでいくか、質問のカテゴリー別で読んでいくか(あといくつか選択肢があった気がする)を選んで読んで行くことが出来る。要は、読み方を読者に委ねているということ。別にストーリーがある訳ではないないので、読みやすい方を選んでということ。3000を超える質問をあれこれと区分けして、それぞれに紐付けしていくという作業は編集者ならでは仕事だと思うけれど、きっと紙だけをやっている人では思い付かないだろうなとも思った。とにかく「ご苦労様です」(いい意味で)と言いたくなる仕事だなと。僕もちゃんとやらないとと思わせてもらった。あくまでも編集者の目線で。
内容は結構どうでもいいことが多い、今のところ。まぁ、ファンの集いみたいな感じだから。『羊』以降は、村上春樹作品はほぼすべてリアルタイムで読んでいるけれど、ここに質問を送っている人ほど自分がのめり込んでいないんだなぁということが分かったくらい。
ただ、面白かったのは、結構最初の方の読者のメールで【あるいは】という言葉について指摘している人がいた。その人のメールに行き着くまで、散々【あるいは】という言葉を目にしていて《村上春樹的》だなぁと思っていたので、「やっぱりそうなんだね」と思った。と同時に【あるいは】って使い難い言葉だなとも思った。振り返ると、自分が【あるいは】という言葉を使ったことがほとんどないことに気付いた。よくよく考えてみると、僕の中で【あるいは】=数学用語だからだ。そっちのイメージの方が強い。
僕が何か説明的なものを書こうとしたとき、結構数学の証明に使う言葉を使っていたことにも気付いた。
なるほど、人の文章を読むと自分の癖まで気付くものなんだ。
いい勉強になった。

舞台「幕が上がる」

2015-05-25 11:52:12 | 日記

観たいと思っていたが、さすがにそれだけのために東京へ行く気にはなれず、諦めていた。
ところが、千秋楽をライブビューイングで公開(?)するというので昨晩観てきた。
舞台を映画館で観るというのは何とも不思議な経験だったが、その話は置いておく。
舞台「幕が上がる」はとても良かった。
はっきり言って映画よりもはるかに良かった。
何が良かったかというと、きちんと脇が活きていた。舞台経験豊富な女優たちが舞台を引き締めていたし、主役を輝かせていた。残念ながら、映画に欠けていたのはそこだった。
さらにいえば、多分ももクロのメンバーたちもそんな女優たちに影響を受けただろうし、さまざまなことを学んだに違いない。それが千秋楽で見事に表れていた。

それだけではなく、平田オリザの脚本も素晴らしかった。
映画は監督の思いなのか、いろいろな事情なのかは分からないけれど、完全にももクロにスポットが当たった作品となっていた。メンバー全員にいいシーンを準備していたというか、平等にスポットを当てていた。でも、舞台ではそれがなくなっていた。
そのおかげで、より物語に身を任せることが出来たし、劇中で流れる音楽も同じももクロの曲でもピアノだけのインストだったりしていたので、違和感もなかった。
映画と舞台の表現の仕方の違いが明確になっていたような気がする。

それにしても、平田オリザという人があんな脚本を書く人だとは思っていなかった。
僕は以前演劇のページを担当していたことがあった。でも、当時の僕は演劇というものにまったく興味がなく、担当者でありながらもほとんと舞台を観たことがなかった。まぁ、映画のページも担当していたし、音楽も担当していたので、いくら仕事とはいえ演劇まで観ていたら仕事なんてする時間はなっただろう。
そんなわけで、演劇専門のライターさんにお願いしていた。人選は編集長任せる(編集長は大の演劇好きだった)、僕のやることといったら日程の調整とカメラマンを抑えること、そしてインタビューに同行することくらいだった。

多分20年ほど前のことだったと思う。

当然、僕は平田オリザという劇作家、演出家のことはまったく知らなかったけれども、話を聞いていた限り、20年後に「幕が上がる」のような作品を書くような人には見えなかった。
さすがに話の内容はそれなりに理解したつもりだったけれど、どうやら理解出来ていなかったのだろう。それはそうだ。そもそも作品を観ていなかったのだから。もう覚えていないけれど、メソッドとかそんな話をしていた気がする。(今、手元にないので読み返すことが出来ない)ちょっと小難しい舞台にしていた)、そんな印象だった。それまでは役者を取材することが多かったので、「やっぱり演劇人というのは難しい話をするんだなぁ」と思ったものだった。多分、この人の作品を観ることはないだろうなとも。

まさか、20年後にこんな形で平田オリザの作品を観ることになるとは。

この作品に関しては小説も読んだし、映画も観た。中でもっとも良かったのが、舞台だった。(ちなみに、映画と舞台は内容が違う。映画で描かれなかった部分を描いていた)

ももクロっていろんな人たちと仕事をさせてもらって、さまざまな経験をさせてもらって、なんて恵まれグループなのだろうかと思った。もちろん、そこにたどり着くまでの道のりをちゃんと頑張って、キチンと結果を出してきたからなのだが。みんながとは言わないけれど、舞台でもいけるんじゃない⁉︎ って思ったメンバーもいたし……。
そんなことを考えながら、「久しぶりに舞台も観てみたいなぁ」などと、いろんなことを思いながら帰り道を歩いた。

神話や民話の世界

2015-04-06 13:56:17 | 日記

今に限ったことではないが、様々な物語にはその下地となった話が存在することが多い。

実際にあった事件だったり、歴史的な出来事であったり……。

そんな中でここ10年以上前から気になっていたのが、神話や民話などを下地にした作品だ。

神話や民話を下地にした物語は実に多い。

特に神話などは加工しやすいらしく、小説だけでなく、マンガや映画などにもなっている。

そんな作品の中でも特に良くできた作品は、神話など知らなくても物語に没頭出来るような仕組みなっている。言うなれば、単純な話に仕立てている。

正義が悪を滅ぼす。もしくは、悪を正す。

考えてみれば、そんな物語は僕が子供の頃からあったような気がする。

特にマンガなどに。当時はCGなどもそれほど発達していなかったせいだと思うが。

 

子供の頃、これって一体何? と思ったが、それがどんな神話からの引用なのかなど知る由もなく、まぁ調べもしなかったのだが。

それでも【◯◯◯尊】などと書いてあれば、古事記や日本書記などの話をなのかなくらいは想像がついた。でも、子供の僕にはとてもじゃないけれど、それらは退屈なだけで、そもそも理解も出来ない代物だった。

 

先に書いた10年以上前というのは「ロード・オブ・ザ・リング」が公開された頃のことだ。

もちろん、原作の「指輪物語」も読んだ。

《ホビット》が主役の話というのは説明するまでもないが、他にも《ドワーフ》とか何とかいろいろ出てくる。でも、それらに対する説明は一切ない。つまり、共通認識されているものだという前提で書かれているのだ。

そう言えば、子供の頃に読んだマンガに出てきた【◯◯◯尊】というのも特に説明もなかった。その他ギリシャ神話を下地にした物語も同じく特にその神がどんな神だったのかという説明は一切ない。

もちろん、読んでいけばどんな神だったのかは容易く想像出来るのだが……。

海外のSFドラマやファンタジーでも同じだ。

 

「指輪物語」を読んだ時、あまりにも普通にいろいろな種族(?)が出てくるので、多分それは英国及び英語圏においては普通に語り継がれているものなのだろうと思った。そして、それらについて知れば、多分この物語をもっと楽しめただろうなとも思った。

 

そうこうしているうちに、いつの間にか僕は海外ドラマにはまった。最初は確か「スター・トレック」シリーズだったか? 「フレンズ」だったかもしれない。まあ、それ以前に小学生の頃から好きでいろいろなものを見ていたのだけれど。

 

はまると、いろいろなものが観たくなる。で、「スターゲイト」シリーズだった。これは歴史、神話、民話をベースにしたエピソードがたくさん出てくる。軽い説明みたいなものがあるので(セリフの中で)、とても分かりやすいのだが、俄然そんな神話や民話に興味が出てきた。

しかし、如何せん僕には知識がなさすぎた。

そもそもどこから手を付ければいいのかも分からない。

そうこうしているうちに10年以上が過ぎてしまった。

 

今年の1月だった。

実家に3週間ほど帰って、東京でこれからの仕事の準備をしていた。

友人と何か約束があったのだと思う。用事が済んでからだったか、それとも早く着いて時間でも潰したか、その辺はよく覚えていない。

新宿の紀伊國屋書店に入った。

何せ、僕は本を持っていないと電車に乗れないという変なクセがある。

手持ちの本を読んでしまったのかもしれない。

それとも何か目的があったのか……、それも覚えていない。

でも、紀伊國屋書店の2階にエスカレータに上り、中に入った瞬間に目に入ったのが、

今話題になっている、池澤夏樹さんが現代語訳した「古事記」だった。

広い書店を本を持って歩きまわるのは大変なので、(特に「古事記」は分厚くて重そうだった)あとで一緒に買おうと思うのでが、忘れちゃうかもと思い、「古事記」を手に2階のフロアをぐるりと回った。

結局3冊くらい買った記憶がある。

帰りの荷物が重くて肩に食い込んでいたのだけは覚えている。

 

僕はようやく神話の世界に足を踏み入れた。

これから日本だけじゃなくて、さまざまな神話や民話を読んでみようと思っている。

だって、世間でいう「パワースポット」っていうのは何かしらの逸話があって、それを知っているのと知らないのとでは訪れた時の感情は違うはず。

これから、研究をする気はさらさらないけれど、本などで読んだ場所をひとつひとつ訪れてみたいと、そんなことを考えている。

 

多分、そのあとにこれまで見たり読んだりした、神話や民話をベースにした物語を見たら、きっと違って見えるはずだ。


1週間ほど前に書いたもの

2015-04-02 17:33:29 | 日記




1年のうちで最もいい季節がやってきた。
もちろん僕にとっての話しだけれど。
梅雨前の沖縄は実に過ごしやすい。
まだ優しい日の光とほんのちょっと冷たい風。
曇りがちでめったに太陽に見ない沖縄の冬は少々滅入る分、この時期の素晴らしさが際立っているような気がする。

沖縄ではこの季節のことを『うりずん』と呼ぶ。
期間は梅雨入りまでの1ヶ月ほど。
こんな季節は1日中外で過ごしたくなる。

最近はあまりやっていないけれど、
以前は本を1冊持って海に行っていた。
屋根のあるベンチに座り、時には横になって、
波音を聞きながら本を読む。
飽きたら、ただ海をボーッと眺める。
そしてまた本に目をやる。

さすがに1日中そうして過ごしていたわけではないけれど、
半日くらいはそうやって過ごしたりしていた。

持っていく本はいろいろ。
小説だったり、文化論のようなものだったり、哲学書だったり……。
とにかく活字がびっしりの本。
沖縄に住んでから、めっきりと読書量が減った。
東京では電車という読書空間があったのだけれど、沖縄にはない。
本を外で読む習慣がついてしまっている僕は、家ではなかなか本を手に取ることがない。
長い時間をかけて身に付いた習慣は簡単に変えられない。
だから、僕は本を持って出かけるのだ。

そして、今が最も本を読むのにいい季節なのだ。
もちろん、僕にとっての話。