この世の中は非合理、矛盾を孕んでいる。
むしろそれによって世の中が動いているといっても過言ではないのかもしれない。
正しいから勝つとは限らない。
合理主義は素晴らしいものであるが、この世の中が非合理であるということを忘れてしまえば足元を掬われる。
将棋、チェスなんてのは合理的な遊びだ。手駒も平等であるし、隠してある手札なんてものはない(浅学なのでそういうものがあったらメールなどで教えて欲しいです。一部の詰め将棋なんかはそういう「非合理な要素」が見えるときもあるが)。
運、不運。そういうものもある。有卦ともいうな。
オカルトがどんなに根拠がなくても人がそれについ頼ってしまうのはこの世が合理的ではないからだろう。しかしオカルトを絶対視した瞬間からそれは「正しい戦い方」として必勝しなくてはいけない、という宿命を背負う。はずれたらアウト。
そんな生易しいもんじゃないんだよ。現実って。まだ三十年かそこいらしか生きてないけど、何となく見えた。
かつての人間が神とか妖怪とか悪魔とか呼んだ存在はその非合理の化身だ。
それは敵であるとは限らない。向こうを味方につければとてつもない幸運を手に入れることも可能だ。
しかし彼らを味方につける方法がわからない。
何もかもわからないんだ。だから続ける。だから面白いともいえる。
無作為、不連続に積み重ねられた事象が現在過去未来に影響を与える。
それによって世の中はどんどん歪んでいく。
ギャンブルなんてのは合理と非合理の狭間でいい塩梅に存在している。
だから魅力的なのかもな。将棋の駒と駒の間。麻雀の牌の隙間。スロットのコインの裏側などに小悪魔がいる(比喩的表現)。
自分は作家として、人間としてこの非合理な存在にぶつかっていかなくては、ていうかぶつかっていきたい。それがこれからの目標であるような気がする。
トークイベントで散々いっている「無意識という名の怪物」とは非合理、矛盾の眷属であるように思える。
むしろそれによって世の中が動いているといっても過言ではないのかもしれない。
正しいから勝つとは限らない。
合理主義は素晴らしいものであるが、この世の中が非合理であるということを忘れてしまえば足元を掬われる。
将棋、チェスなんてのは合理的な遊びだ。手駒も平等であるし、隠してある手札なんてものはない(浅学なのでそういうものがあったらメールなどで教えて欲しいです。一部の詰め将棋なんかはそういう「非合理な要素」が見えるときもあるが)。
運、不運。そういうものもある。有卦ともいうな。
オカルトがどんなに根拠がなくても人がそれについ頼ってしまうのはこの世が合理的ではないからだろう。しかしオカルトを絶対視した瞬間からそれは「正しい戦い方」として必勝しなくてはいけない、という宿命を背負う。はずれたらアウト。
そんな生易しいもんじゃないんだよ。現実って。まだ三十年かそこいらしか生きてないけど、何となく見えた。
かつての人間が神とか妖怪とか悪魔とか呼んだ存在はその非合理の化身だ。
それは敵であるとは限らない。向こうを味方につければとてつもない幸運を手に入れることも可能だ。
しかし彼らを味方につける方法がわからない。
何もかもわからないんだ。だから続ける。だから面白いともいえる。
無作為、不連続に積み重ねられた事象が現在過去未来に影響を与える。
それによって世の中はどんどん歪んでいく。
ギャンブルなんてのは合理と非合理の狭間でいい塩梅に存在している。
だから魅力的なのかもな。将棋の駒と駒の間。麻雀の牌の隙間。スロットのコインの裏側などに小悪魔がいる(比喩的表現)。
自分は作家として、人間としてこの非合理な存在にぶつかっていかなくては、ていうかぶつかっていきたい。それがこれからの目標であるような気がする。
トークイベントで散々いっている「無意識という名の怪物」とは非合理、矛盾の眷属であるように思える。