さて、③からは手術後〜退院までのちょっとキショク悪い写真も含めて書いていきます。
先生から十分に説明してもらい、説明を書いた冊子ももらって、手術の前日に気楽に入院しましたが、夕方になって
いざこんな紙👇が病室に届くと楽天的な性分とは言えちょっとは緊張して来ます...
何かの薬も一緒に置いてあったので「飲まんのか〜い!」って一人で部屋で突っ込んでみてカラ元気を出してみる...
手術当日の朝は早めに目が覚めたけど、当然のように朝食は用意されていないので、とりあえず喉が渇かないように
9時までに何度もお茶を飲んだような記憶が…
っで、看護師さんが呼びに来て歩いて手術室まで一緒に行ったのですが、眼鏡は部屋に置いていくようにとの指示で、
手術室のまん前まで着いて先生が待っておられるのは分かりましたが、裸眼視力0.1以下で乱視+老眼の私には表情も
分かりませんし、こっちが平静を装っていても結構緊張していたので、同行の看護師さんに促されるまま手術室へと
入って行き、手術台の上に寝て先生や看護師さんと簡単な会話をしたのは覚えてますが内容は覚えてません。
ただ、閉所恐怖症気味なんで顔の上を透明なシートで囲ったことで呼吸数が上がり、それを一旦外してもらったのは
覚えています。
なんせ、もうそこまで行けば後戻りは出来ないしするつもりも無いので、後は先生を信じて任せるだけ...
麻酔が効いて来て意識が朦朧としていき、次に気付いた時は既に病室でこんな感じ👇に…
この時は未だ麻酔が未だ効いていたようで痛みは特に無く、自分で自分の姿を見て思ってよりもだいぶんエラい
ことになってるぞ...って言う感想でした。
っで、一番たいそうな格好してる時の写真を残しておこうと思い、お世話してくれてた看護師さんに頼んで撮って
もらったのがこの写真...
手術前の説明では、術後直後はトイレに行けないのでオムツか丁字帯を使いますって言われてたんですが、尿意を
催したんでふと気付くと手術前と同じパンツ履いてたんで、人生初の尿瓶使用!
ベッドに寝た状態で、尿瓶持ってくれてる看護師さん以外にも周りに何人か別の看護師さんが居た状態での排尿で、
最初は頑張っても全く出なかったんですが、とりあえず何回目かのトライで何とか”成功”してほっとしたからか???、
また直ぐ寝てしまったようで、その日のそれ以降の記憶が有りません。
趣味のダイビング中には海中で催したら簡単にオシッコできるのに、同じ横向きの体勢でもあんなに難しいとは...(笑)
っと、手術当日は麻酔のおかげも有って、大した痛みを感じた覚えが無いのですが、次の日からが大変...
とにかく両膝共に熱を持って腫れてるんで、何回も冷却材を取り変えてもらってひたすら冷やす...
左膝横の赤いのは創(キズ)にたまった血液を外へ流し出すためのドレーンからの血液を溜めてるパックです。
何日かして、両ふくらはぎを圧迫する装置もこの血を抜く装置も取り外せたので、動くことはだいぶ楽にはなり
ましたが、腫れと内出血は未だまだ続き、内出血による鈍痛で夜はあまり寝れない日が何日も続きました。
内出血は内ももや膝周辺から始まって、だんだんと下に降りて行き足首から踵あたりになった時が一番の鈍痛で、圧迫
も兼ねて自分で持ち込んだ伸縮包帯で冷却材を常に密着させてました。
看護師さんからは「だんだんと降りて行って最後には無くなるんで安心して」とは言われるんですが、痛くて寝れない
日が続くと心配になってくる...
結局、踵付近の内出血はなかなか治まらず、術後約1カ月ほど入院しましたが、退院時にも未だちょっと残っていて、
家に戻ってからも暫くは冷却材とたまに痛み止めが必要でした。
この写真では左脚の腫れと浮腫みが良く分かります。
っが、コレも術後何日後くらいに撮った写真なのかは???
骨切り術をした左側の傷跡はこんな感じ。
右側と同じ内視鏡用の傷と、上記の血液を抜くためのドレーン跡と、プレート用の約6~7㎝の傷跡が有りますが、
コレも術後3カ月半の現時点では上記の写真よりももっと目立たなくなってきていて、右側の傷跡と同じくオッサン
には全くもって問題無し。
※④に続けます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます