だって猫だもん

猫のお母さんになっちゃった。
うちの子たちを見てってね。

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朱音の事

2018-08-19 14:58:55 | 覚書
8月19日(日)晴、曇り

病院に行ってから、たった1日半で行ってしまった朱音の事を詳しく残しておこう。
7月25日の少し前の日曜日、仕事に行く時、朱音がちょっと変な声で鳴いて腰が抜けたようになった。私は仕事に行かなければならないのでダンナに任せ、仕事に行ったのだが、帰ったらいつも通りになっていて、朝のは何だったんだろう、糖尿なので、段々、症状が出てくるんだろう、と思っていた。その後は何ともなくよく食べて普通通りだった。
それが、25日の朝、母が、またこの前みたいになった、と言いに来た。その日は近くに出来たプライムツリーに行くために次女を迎えに行く事になっていたが、やはり朱音が気になるので受診したいから、と次女には電車でうちに来てもらうことになった。朱音は連れて行かれる事を察知したのか庭にいた。念のため行こうね、とキャリーに入れる。
病院では、糖尿のため筋肉など弱ってくるから、とレントゲンと血液検査をした。結果、血糖値が下がり過ぎていた。低血糖だったよ、と医師に言われ、その怖さを分かっていなかった私は、何だー食べたらいいんだね、と思った。その受診中、朱音は発作を起こす。この時はじめて低血糖の発作を見た。ブドウ糖を血管投与し、口からも飲ませた。夕方また受診し血糖値を調べよう、となりブドウ糖を貰って帰る。
次女が来て、プライムツリーに行きペットショップで買い物をし、朱音も心配なのですぐ帰宅。帰ったとき、朱音はキッチンにいて、ちょっと変な顔をしてた。早速買ったフードを出すと気に入ってよく食べる。この時、朱音、目が見えてない? と少し思った。お皿の中のフードを口元に持って行くとよく食べる。その後、朱音はあちこち動き、いつもは母の部屋に行ってぐっすり寝るのに、この日はリビングの中をうろうろし、椅子の下に入ってごそごそしたり、何となく、病院に行って処置はしたのに、よくならないなあ、という印象を持った。そしてまた発作を起こした。次女がブドウ糖を飲ませる。気が抜けない気分になり、やがて夕方になりまた病院へ。血糖値はあまり上がってなくて、またブドウ糖を血管投与した。こまめに食べさせて、明日くらいに200くらいに上がればいいね、と言われた。次の日は病院が休みだけど、朝また点滴に来てもいいように開けておく、と言われた。
帰宅し、またレトルトを食べる。食べるようなら、と何度かに渡り、見せると食べるので食べさせる。この時は目が見えてないような感じはしなかった。最後に食べたのは11時過ぎ。私は少し寝て、3時ごろ起きると、ダンナがみていて、発作を起こすからブドウ糖をやってる、と言う。朱音はもう横たわったまま。私とかわり、ずっと朱音をさすっていた。発作は体を硬直させ、でもあまり長くは続かず、ほっと息をつくみたいに、オンとオフのようになる。
朝になるに従い、もう発作は起こさないかわり、口少し開け、舌が出て、細かい呼吸とゆっくりした呼吸を繰り返し、時々鼻にしわを寄せ、大きく息を吐く。
私はもう、この状態の朱音を見ながら、もう死ぬんだな、と思った。インシュリンを打ちながらの5年間の事や、色々考えた。おしっこやうんちをしていたので拭きながら、息のあるうちずっとさすっていた。休日だけど開けておく、と言ってくれた病院に電話して、もうダメだと思う事を伝えた。こんなふうになった朱音をキャリーになんて入れられない。
朱音に付きっ切りでいた、12時50分ごろ、朱音の心臓の動きを見守っていたのだが、いきなりまた体を震わせはじめた。
それまでの発作とは比べものにならないほどの、雄叫びをあげ、体はもう立ち上がれないのでぐるぐる回る。宥めながら、私もパニックになった。まるでエクソシストのようだった。それまでの発作は長くても1分くらいなのにおさまることがない。病院に電話したら、先生は手術中だった。私も考えがまとまらず、まだこのへんに獣医が少なかったころ、パスが行っていた獣医に電話したが出なくて、その下に、ここを調べた人はここも検索しています、と出た所が、フクちゃんが最後お世話になったか獣医の電話番号だった。電話すると出てくれたので、わけを話し往診を頼んだ。先生がつかまり次第電話すると言ってくれたが、なかなか電話がかからず、その間も朱音はずっと吠えたまま。あまりに辛くて、こんな優しい朱音がどうして安らかになれないのだろう、と手立てがなく、居ても立っても居られないので、再度電話してみる。低血糖の発作です、というと受付の人は、砂糖水とかあげて下さい、というがそんな悠長な場合じゃないのだ。もちろんブドウ糖を叫び続ける朱音の口に入れたりもしたが、飲み込めもしない。
やがて電話がかかり、20分くらいで行くと言われた。待ち遠しかった。偶然かフクちゃんをみてくれた同じ先生と助手の先生二人が来てくれた。
朱音の状態を見て、昨日からの話も合わせて、さらにブドウ糖を血管投与、意識をはっきりさせる薬を投与して、結果は、低血糖ならブドウ糖をここまで投与してたら改善するが、この状態では、脳からの発作だと言われた。脳なら、もう方法はなく、最後の治療は楽にしてあげる事だと言われた。同意した。大きいキャリーを持ってきていて、朱音を入れ、私が車で着いて行った。
手続きを済ませ、立ち会いますか、と言われもちろん立ち会いました。朱音はもう大声でではなかったけどまだもがいていた。安楽死の説明を受けた。
朱音、お母さんだよ、と言った言葉が朱音にかけた最後の言葉になった。
3時30分でした。

前の日病院に連れて行く時、庭できょとんとした顔をしてた朱音。次の日、安楽死させる事になるなんて思いもしなかった。
はじめに症状が出た時調べていたら、こんな事にならずに済んだ事は否めない。

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2 コメント

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Unknown (JAMANEKO)
2018-09-26 19:36:04
壮絶でした。
なんて書いていいか分からず、読み逃げしてしまい、すみませんでした。
揺るがずに付き添ってくださり、ありがとうございました。
大きな真っ白な雲になったんですね。
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いつも (マーガレット)
2018-09-27 15:28:27
JAMANEKOさま

 今年15歳でインシュリンを打っている、という事は、いつ覚悟しなければならなくなる、と思ってはいたので、いつも、楽に苦しまず終われることを願っていました。受診して処置を続けながら一日半、という短さは、自分の望んだ通りだったのかもしれません。ただ、ぐったりして今にも終わりそうなまま、なぜそのまま逝かせてくれなかったのか、と最後の発作の凄まじさが忘れられません。次の日、いつもの獣医の先生が、発作は見ている方はつらいけど、本人、意識ないからね、と言いました。朱音になれないから分からないですが。
 こんな表現はおかしいですが、朱音は器の大きい猫でした。私のことろに来てくれてありがとうと、ごめんね、を言いたいです。
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