しょうちゃんズ_Cafe

全力少年しょうちゃんが日々の感動と発見の中から、その心象風景とそこに織りなす人間ドラマを紹介します⌒⌒。

おまけ(その2) 参考資料 注釈※2)

2008年04月17日 21時16分46秒 | Weblog
<土木のある風景③>  夢の超特急編  『SHINKANSEN』
注釈>>
※2)島 秀雄(1901-1998):
 大阪市生まれ。東京帝大工学部機械工学科卒。
 大正14年(1925)鉄道省入省。D51などの蒸気機関車の設計者として活躍し、戦後は工作局長として湘南電車、ビジネス特急「こだま」などをプロデュース。桜木町事故で国鉄を辞するが、総裁・十河信二に懇請されて昭和30年(1955)技師長としてカムバック。東海道新幹線建設の指揮を執る。
 1995年文化勲章を受章。鉄道人としては史上初、エンジニアとしてはソニー創業者井深大に続いて2人目の受賞である。

 一般に「新幹線」は明るい未来、現代的で夢に向けて疾走する超特急。「蒸気機関車」D51(デゴイチ)は暗く重たい過去、戦争時代の轟音とともにバク進する黒い巨体。とのイメージではないか?そこには明らかな歴史の破断線があるかのようで、現代社会は「戦後にスタートした」、敗戦後リセットされて戦後民主主義とともにあるかのように、ともすると思いがちである。しかし、近代から現代に続く、市民生活と産業活動を支える社会装置は、大きな流れで見ると明治期以来脈々と流れる人間活動が引き継がれている。とりわけ鉄道では同じレールの上を走り続けていると言える。その証拠に戦前戦後の激動時代を股にかけ世界鉄道史上に燦然と輝く傑作を生み出した人物とそれに連なる者達がいる。

 島秀雄その人である。
 1901(明治34)年5月20日大阪に生まれる。島の生涯はほぼ20世紀の全体にわたる。エンジニアとして活躍した20代前半から70代後半まででも優に50年以上に及ぶ。蒸気機関車のD51(デゴイチ)、C62(シロクニ)、湘南電車、ビジネス特急こだま、東海道新幹線、そして宇宙ロケット(宇宙開発事業団初代理事長)まで数多くの乗り物を手掛けている。

 生前、島は自分には尊敬し敬愛する人物が二人いる、と語っている。一人は父・島安次郎、もう一人は元国鉄総裁・十河信二である。多磨霊園に作った墓は島の母・順が80歳で他界したときに島が建てたものである。その時、島は墓石に刻む書を十河信二に頼んだ。事実、クリスチャンの島は横長の墓石に「島家」と縦書きし、小さく十河信二揮毫と記されている。背面には昭和34年7月建立とある。
 昭和34年と言えば東海道新幹線建設に向けて本格的に動き始めた年である。4月には新丹那トンネルで起工式が行われ、7月には東海道本線で「ビジネス特急こだま」による最高速度試験(時速163km/h)が行われていた。当時国鉄総裁は十河信二。島秀雄が技師長である。それは島の輝かしいエンジニア人生の中でもおそらく最も充実した時期であったはずである。
 島家の墓は一族の墓所であると同時に、いずれは自分もそこへ仲間入りするが、その時に敬愛する二人の先人とともにあることを希望し、結びつける「モニュメント」として、すでに島の頭の中にあったのはなかろうか。
 1998(平成10)年3月18日没。享年96歳。東京多磨霊園15区1種2側15番「島家」の墓に眠る。合掌。


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