涙を流しながらコレを書いています。
なぜ泣いているのか分かりません。
書きながら昼間のにをいがけデーのことを
思い出してしまったんでしょうか。
私は東上線東松山駅に行かせていただいた。
10年ぶりくらいの、、もっとかな。
それくらいぶりの路傍講演の御用をさせていただき、
無事に終わってホッとして、それが「良かったー」って
実感できるくらいの時間が経過したんでしょう。
『声が出ない』『通りにくい声だ』
とよく分かっていたので力のかぎりの声を
出させていただこうって決めてました。
どこまで届いたかどうか分からないけど、
それはいいやーって思うことにしてありました。
大きな声を出そうとする行為って身体にいいな。
そのあとの普通の会話がラクになってた。
にをいがけのほうは、印象的な出会いも何もなかった。
時間もあまりなかったからね、、しかたない。
こういうイベントのときは、私って何も起こらない。
テンションをあげてやってます。でもねーーーー。
時間をかけて、じっくりと歩かないと
私には出会いが生まれないって分かっているし・・・・。
そんなことを思いながら、他の方の"約束した人ができた”って
言う報告を聞いてました。慣れっこです。
ぁ、公園の母子さんに声をかけたらしっかりと
話を聞いてくださり、遊んでいた2歳くらいの男の子も
私がしゃべっている間はそばで待っていてくれたんだよね。
あれは不思議だった。
悩みはないそうで、今は子供と遊んであげたいって。
横断歩道の手前で待つ方々にお声をかけてました。
はじめからずっと路上に時間を使わせていただけば
良かったかも。
練りあいのあとの会長さんのご挨拶の中に、
『今日路傍講演をされた方々は、
いつかその話をしなければならない相手に出会う日が来るから
いつもカバンに入れて持っていて欲しい。』
とありました。「そうなんだーー」って思いました。
「そうしよう」って思いました。
出来ることなら、あまり行かない駅に行って、
一人で拡声器を持って、街角のすみっこでもいいから、
出来れば駅前で路傍講演をさせてもらいたいものだ。
今日、改めて気持ちを強くした。
久しぶりに過去の記事を探してみたら、
2008の9月の神名流しの記事に同じことが書いてありました。
これ→神名流し
7年前から代わらないんだーー。
くすぐったいような恥ずかしいような。。
本日はありがとうございました!!
親神様おやさまには足りないところを足していただきました。
明日に繋げることができたら、ありがたいです。