goo blog サービス終了のお知らせ 

遠山を望むが如く

しんちゃんの雑録

中日本ぐるっと一周 鉄道の旅(後編)

2019-03-20 12:37:31 | 旅情
甲府へ到着した日は天気が悪かったが,翌日は晴天で,富士山がはっきり見えた。
市内からこんなに大きく見えるとは,正直驚いた。
圧倒的な存在感だ。
西へ目を向けると,南アルプスとおぼしき山並みが見える。
中でも白い冠をいただく尖った山に目が留まった。
甲斐駒ヶ岳だ。
浜育ちの私には,山とは遠くに小さく見える存在であったが,甲府盆地は3000m級の山々に囲まれているためか,山の存在感がとても大きく感じた。

甲府を去る日,14時4分発小淵沢行きの普通列車に乗った。
甲府を過ぎてすぐに車両基地があったが,隣の竜王駅には貨物用のスペースが広く,後で調べると山梨県唯一の貨物ターミナルであることが分かった。

韮崎までは甲府郊外の市街といった景色であったが,韮崎を過ぎると途端に高原ぽくなってきた。
登る感覚が強くなり,トンネルを抜けるたびに町並みは下に広がるようになる。
甲府から佐久平までの距離と標高の関係を図に示すが,韮崎から急に登坂になり,小淵沢までの区間では,韮崎~新府間の23‰が平均勾配としては最も大きい。


図  甲府~佐久平間の駅間距離と標高の関係

韮崎から先は,隣の駅ごとに100m程度登る急坂だ。
日野春には構内に給水塔のようなもがあり,かつて急坂区間で蒸気機関車の補給場所だったであろうことは容易に想像がつく。
前方の左手に南アルプスが,右手に八ヶ岳がそびえており,山々が随分と壁のように見えるようになってきた。

長坂にはスイッチバックの廃線があり,錆びたレールが郷愁を誘う。 
長坂を出てすぐにゆるやかな左カーブがあり,撮り鉄たちが陣取っていた。
何か特別列車が通るのかと思った矢先に,白地にカラフル模様の入った電車とすれ違った。
ノーマークだったため,気づいたときには既に遅かったのだが,あれは何だったのだろう?

小淵沢で15時6分発小海線の普通列車に乗り換えた。
小淵沢を出て大きな右カーブ,どんどん登る。
がんばれ!2両編成のディーゼルカー。
甲斐小泉駅周辺には意外と住宅が建ち並んでいたが,次の甲斐大泉までは樹林の中をひたすら進み,人家はほとんど見当たらなかった。
甲斐大泉駅周辺にはとんがり屋根にカラフルな屋根の家が多かった。
別荘なのか普通に住んでるのかどっちなのだろう?
清里駅周辺は先の2つと違って開けていて,観光地の入口といった感じだった。

清里を過ぎると線路脇に雪が残っていた。
さすがJR最高地点。
最高地点では碑が立っていた。
碑の横に踏切があり,山中は終わって左右に畑地が広がり,風景は一変した。
野辺山は高原観光地の様相で,小淵沢から乗った乗客の大半は野辺山までで降車していた。

次の信濃川上では山に囲まれているものの,平地の村落ぽくなってきた。
列車は下る,下る。
千曲川と並進するようになったが,水量は少なかった。
天候のせいかもしれないが,富士川と違って穏やかな流れであり,礫も丸く小さい。

小海は3番ホームまであり,これまででは一番大きな駅・町である。
この辺りは高原地帯なのに,「海」の付く駅名が多いのはなぜだろう?
小海を過ぎると前方にきれいな山が見えてきた。
方角からすると,浅間山か?
羽黒下でハイブリッド車両と交換。初めて見た。

中込は佐久市の中心駅で小海線運行管理室もあり,とても立派な駅にみえる
小淵沢行きと交換するが,小淵沢行きはここで1両切り離されていた。
中込〜小淵沢は1両で走るのか?
甲府では富士山の存在感が大きかったが,佐久では浅間山の存在感が大きい。
中込からは乗降客が増え,都市間輸送路線の様相になってきた。

17時8分に佐久平到着。
佐久平は新幹線の上に在来線のホームがある唯一の駅らしい。
駅周辺は開発された感が強く,どこにでもある新幹線駅前の街の様相で興ざめした。
下車後,連絡通路を歩いて新幹線ホームへ。
そして,17時20分発のあさま619号に乗り換えた。

北陸新幹線では在来線(小海線)と違って座席は快適だが,車窓は防音壁か防風壁に阻害され,トンネルも多くつまらない。
8分で上田に到着,あっという間だ。
千曲川がゆったりと流れ,水量も多くなっていた。

長野でかがやき511号に乗り換えた。
車窓から,長野は四方山に囲まれているのがよく分かる。
小海線沿線の車窓に見慣れていたら,長野盆地に広がる街が大都会に見えた。

新潟県に入ると,家並みの雰囲気が変わった。
家々の周りに木々が立っているのだ。
家が離れていれば防風林のためかと思うが,並んでいても間に木が植わっているところが多く見受けられた。
日本海側は冬の季節風が強いためだろうか。

上越妙高を通り過ぎると眠くなってきたので,もうレポートする気力がなくなってきた。
気がついたら,もう金沢に到着寸前。
まぁトンネルばかりなのと,暗くなってきたので,もういいか。

金沢で新幹線から下車し,宿へと向かった。
長旅で疲れたので,翌日の和倉マラソンに向けてしっかりと体を休めよう。

北陸線の帰路では,和倉マラソンのゴールタイムが読めなかったので特急サンダーバードの予約をとっていなかったが,金沢駅には夕方に戻って来られたので,余裕をもって最終の1本前である46号に乗車した。
もう後は寝るだけ,乗り過ごして大阪まで行かないようにしようとウツラウツラしていたら,敦賀到着前に車内放送が入り,「この先湖西線で強風が見込まれるため,米原経由で運行します」とのこと。
京都以降到着時刻は30~40分遅れるそうな。
うわぁ~,終電間に合うかな,と思って調べるもセーフ。
最終のサンダーバードだったら京都から帰れなくなるところだった。

北陸~東海道線の米原周りルートには,特急用の裏スジがあると何かで見たことがあったが,それを使用しているのか,サンダーバードは結構なスピードで進んでいた。
途中,米原で臨時停車。
京都から先の新幹線乗り継ぎ客向けであろうが,珍しい光景だ。
結局,京都には予定より33分遅く到着した。

これで,中日本ぐるっと一周の旅はおしまい。
記念にと,乗車券をもらえないか京都駅の駅員さんに尋ねたら,スタンプを押されて真ん中に穴を開けられたが,もらうことができた。
行ったことのないところの風景を楽しみ,いろいろな経験ができた旅であった。

中日本ぐるっと一周 鉄道の旅(前編)

2019-03-20 12:33:59 | 旅情
能登和倉万葉の里マラソンの前に,甲府で用事ができたので,どうやって行こうかと考えていたところ,往復よりも一周(周遊)する方が安く済むことに気づいた。
それで,京都を起点として静岡→甲府→長野→金沢→京都へ戻るというルートで行くことにした。
甲府~長野間は,最初は中央本線と篠ノ井線経由で考えたが,小淵沢から小海線を通り,佐久平から北陸新幹線を利用しても,運賃は同じで時間的にもそれほど変わらなかったので,めったに行かないであろう小海線経由にした。

購入した乗車券は,京都市内発京都市内行きで,経由地には「東海・身延線・中央東・小海線・佐久平・新幹線・金沢・北陸・湖西」と記載されていた。
何とも複雑。
ただ,このルートの切符を作成するのに,みどりの窓口の駅員さんも手こずり,15分ぐらいかかって後ろのお客さんに迷惑をかけてしまった。
手こずった理由は,上記のルートだと京都~山科間が重複して一筆にならないためだが,駅員さんどうしで確認して,特定市内駅発着に該当するので切符は中心駅発着の表記,つまり「京都市内発京都市内行き」になるため,新幹線で京都を出発して特急サンダーバードで京都まで戻ってきてよいということになる。

さて,出発当日,京都10時58分発ひかり464号で静岡へ向かい,静岡駅のASTY東館にある「三久」で昼食をとった。
エビ好きの私は,いつか駿河湾でとれたての釜揚げ桜エビを食べたいと思っていたが,桜エビ漁の主要漁港である由比では昨年から獲れておらず,資源保護のため休漁にしていることは知っていた。
しかし,何としても食べたい!と思って調べていたら,「三久」のメニューには桜エビ料理があるではないか。
ということで,静岡で特急ふじかわへの乗り換え待ち時間の間に,いそいそと「三久」へ向かった。

メニューには桜エビ料理がいくつかあったが,店員さんの方から「今は由比では獲れていませんので,桜エビは全て台湾産を使用しています」との説明があった。
店頭にもそう示しております,と付け加えてくれたが,とても親切な説明である。
「由比産と味はどれくらい違いますか?」と尋ねてみたら,「品質はよいものを使っているので,私ら店員には違いが分かりません(笑)」と,パートであろう店員のおばちゃんは気さくに答えてくれた。

やはり由比の桜エビはなかったか,と残念に思ったが,釜揚げの桜エビとシラスが半分ずつ載っている「駿河丼」というのに惹かれた。
「シラスは駿河湾産ですが,3月21日まで禁漁なので,保存してあったものを使用しています」との答えだったので,うーん,どちらも現地の獲れたてではないのかぁと思い,「桜エビかき揚げ丼と茶そばのセット」とどっちにしようか迷ったが,かき揚げは単品でも注文可と聞いたので,「駿河丼」と桜エビかき揚げを注文した。

店は混んでなかったが,乗換待ち時間は1時間もないため,どれくらいかかるかなぁと多少気を揉んだが,5,6分で料理が運ばれてきた。
駿河丼にはだしじょうゆをかけて食べた。
桜エビもシラスも旨みが凝縮されており,からめただしじょうゆとも調和して美味しかった。
桜エビかき揚げも,サクサクでエビの甘みも程よく感じた。
どちらも絶品。
茶そばも食べてみたかったが,そこまではお腹に入らないだろうと思い,あきらめた。
夜にお酒のアテにあれこれ頼んでみたいところだが,次に静岡に来ることがあったらのお楽しみにしておこう。

満足して静岡駅の在来線ホームに入り,13時39分発の特急ふじかわ7号に乗車した。
富士山は太平洋側からしか見たことがなかったので,常に見えるであろう身延線の進行方向右側の座席を購入したはずが,東海道線の進行方向右側であった。
購入時に駅員さんには何度も確認したはずなのになぁ。
特急ふじかわは,静岡~富士間は逆編成で,しかも背もたれは後ろ向きで進行する。
つまり,常に座席の左側が窓ということになる。
左を向くと,太平洋が後ろから前に向かって流れていくような車窓だ。

清水を過ぎてしばらくすると,由比を通過した。
由比漁港には小さな漁船がたくさん停泊していた。
線路より海側は国道と高速が走っており,反対側にはすぐ山が迫っていた。
由比付近には平野はほとんどなく,漁業で保っている土地柄なのだなぁと思い,逆にそれしかないところからブランド化に成功しているのかもしれない。

富士から身延線に入り,進行方向に車窓が広がるようになった。
しかし,カーブが多く,特急なのに随分と遅く感じる。

富士宮までは平野で,工場と宅地(戸建て,アパート)が広がっている。
遠方のあちこちで煙突から煙がもくもくと上がっており,高層マンションほとんど見当たらず,ただっ広く感じる。
晴れていたら目前に富士山が見えるのであろうが,小雨で見えず残念。

西富士宮を過ぎると山登りに入り,富士平野を見下ろすことができた。
住宅ばかりひしめいていて,高層建築物がほとんど気にならない。
この広々感はあまり見たことのない景色だ。

芝川を過ぎて,左手(西側)に富士川が流れている。
川原にはかなり大きな岩がごろごろしており,中流にしては幅も広い。
富士川は暴れ川なのか?
太平洋からそんなに離れていないと思うが,予想以上の山間路である。
富士宮を出て30分でようやく内船に着いた。
23.4kmを30分かかったから表定速度は50km以下・・・遅い。
内船は山間のちょっとした町だ。

身延に近づくと,富士川に巨石がちらほらと見える。
身延線に沿った谷では富士川の存在感に圧倒される。
雄大な富士川の風景が見られて,結果として進行方向左側の座席でよかった。

身延駅は単線でもホーム3線あり,変電設備もあり,構内の大きな駅だ。
日蓮宗総本山身延山のお膝元で,乗降客わりと多かったが,駅周辺の町の規模としては内船より小さいように見える。

身延の次は下部温泉に停車。
小さな山間の温泉地で,駅東にきれいな斜張橋がかかっていた。
ここで特急ふじかわどうしを交換。
ふじかわは1日に7往復しかないから,こんな場面にはもう遭遇しないだろう。
写真を撮ろうかと思ったが,交換後すぐに発車して置いていかれると困ると迷っていたら,撮り損ねた。

山間路をずっと通ってきたが,鰍沢口から前方が開けてきた。
ここが甲府盆地の南端か。
鰍沢口を起点とする甲府行き普通列車が多くなるが,駅の周りは閑散としている。
一方,次の市川大門は富士宮以来開けた感じの町だ。
ここを過ぎると甲府盆地の真っ只中に入るのか,家や田畑が増えて町らしくなってきた。
雨が上がり,右手に富士山は見えないが,左手遠方に南アルプスらしき山並みが見える。

東花輪あたりから都市化が進んでいるように見える 都市郊外の街といった感じ
平地になってスピードアップし,ようやく特急らしくなってきたが,あとの停車駅は南甲府と甲府だけ。
甲府には16時3分に到着。
身延線88.4kmを2時間近くもかかった。
どうりで京都から甲府までの経路探索ではふじかわ利用が出てこないわけだ。

結局,富士山は見えなかった。
山間路なので近くの山がじゃまをして,地理的に見えないのだろうか。
それとも,単に天気が悪かっただけなのか分からないが,身延線の車窓から広がる風景はそれなりに面白かった。

甲府駅で下車して売店をのぞいてみて驚いた。
何と,コップ酒にワインが売られている!
さすがワインの里,山梨である。
宿に着いたら飲んでみようと思い,赤白1本ずつ買ってみた。


甲府駅のキオスクで買ったコップワイン

甲府駅前には何があるのだろう,と思ってぶらついてみたら,駅の南側すぐに山交(やまこう)百貨店があった。
入ってみてまた驚いた。
何と,曲がりながら昇っていくエスカレータがある!
平地のエスカレータというべき「動く歩道」は東京にも大阪にも,この前北九州でも見たが,曲がっているものは見たことがない。
これはどうやって戻しているのだろう?
あまりに面白いので,写真を掲載しておく。
ところが残念なことに,この山交百貨店は2019年9月30日で閉店するとの貼り紙があった。
この面白いエスカレータの処置はどうなるのだろうか?


夕方の用事を済ませて宿へ行き,チェックインした後に夜の甲府をぶらぶら。

山梨の名物といえば,ほうとう。
ほうとうの店は何件かあったが,甲府駅のCELEOの5階にある「信玄」で食べた。
味噌煮込みうどんとどこが違うのだろう,と思っていたが,野菜がたっぷり入って滋味深く美味しかった。

意外なもの,美味しいものに出会えた甲府までの旅路であった。

十勝の地名

2015-12-05 12:25:07 | 旅情
前回の記事では触れなかったが,札沼線には「晩生内」という難読駅がある。
時刻表ファンならご存じの駅名だが,「おそきない」と読む。

北海道には「~ない」および「~べつ」と読む地名が多い。
これは,アイヌ語の「ナイ」および「ペッ」に因んでいる。
どちらも「川」を意味しているが,「ペッ」は比較的大きい川を,「ナイ」は小さい川を指すらしい。
あるいは,「ペッ(~別)」は概ね東地域あるいは東岸・南岸に多く,「ナイ(~内)」は概ね西地域あるいは西岸・北岸に多いとも言われている*。

数多くある「~べつ」の中で,とても興味深い地名が十勝地方にある。
それは「音調津」だ。

これで「おしらべつ」と読む。
もちろん元はアイヌ語であり,内地人が開拓・移住した際に漢字をあてただけである。
この地の風趣がしのばれる地名であり,この字をあてた人の感性がすばらしいと思う。
小さな漁村集落のようだが,この津(港)で奏でられる音の調べとはどんなものであろう。
風の音,波の音,船の汽笛,それとも豊漁の賑わい──地名を見るだけで,好奇心が掻き立てられる。

「ペッ」に意味があるので,「~・べつ」と切って「別」などの字をあてるところが多いが,ここでは「~べ・つ」と間で切られており,めずらしい。
このような例として,「しべつ」がある。(「し・べつ(士別)」と「しべ・つ(標津)」)
この切り方の違いには,どんな意味があるのだろうか。

音調津のある広尾町の隣の大樹町に,「生花苗」という沼(正しくは汽水湖)がある。
これも難読だが,「おいかまない」と読む。
生き生きとした花や苗が茂る沼──実際,沼の周囲には原生花園が広がっているようだ。
ここも,美しい風景がしのばれる。

十勝の中心,帯広からは,かつて広尾線という国鉄ローカル線が走っていた。
そこには「愛の国から幸福へ」で有名な「愛国」「幸福」という名の駅があった。
「新生」から「大樹」までの切符も,出産祝いとして人気があったらしい。

十勝には興味深く素敵な地名が多い。
このような字をあてさせるほど,すばらしい自然があるのだろう。
いつか行ってみたい土地である。

*参考資料
山田秀三著:アイヌ語地名の研究1,草風館,1995年
北道邦彦著:アイヌ語地名で旅する北海道,朝日新聞社,2008年

北海道の盲腸線エレジー

2015-12-04 21:09:49 | 旅情
来春開業する北海道新幹線の影で,留萌線(留萌~増毛間)の廃止を皮切りに,札沼線や石勝線の一部区間廃止が検討されている。

私はいわゆる鉄分が多い質だが,「撮り鉄」や「乗り鉄」などの特定のカテゴリーには入らず,時刻表や路線図をながめるのが好きである。
「地図・地理オタク」といった方が適切であろう。

札沼線は,札幌の隣にある桑園を起点として,新十津川までの76.5kmを走る比較的長い盲腸線である。
1972年までは留萌本線の石狩沼田までつながっていたそうだが,その時代は知らない。
この札沼線に,もう10年以上も前だが,わざわざ乗りに行ったことがあるので,廃止になる前に紹介したい。
ただし,写真を撮っていなかったので,記憶を頼りにしていることをご容赦願いたい。

なぜ札沼線かというと,新十津川町は石狩川をはさんで滝川市の西隣にあり,新十津川と滝川の駅間は2~3kmしかなく,歩いて行けるほどの距離なのに,なぜ別ルート(函館本線では滝川から札幌まで特急がほぼ30分おきに出ている重要幹線)で札幌につながる路線が存続しているのか興味があったからである。

この「乗り鉄」の旅は,2004年3月の,雪の降る日に行った。

7時台に札幌を出た気動車は,桑園から札沼線に入っていったが,高架になっていて驚いた。
複線区間すらある。
この列車は石狩当別止りで,ワンマンカーに乗り換えとなったが,学生がたくさん乗り込んできて,すし詰めになった。
それまでは3両だったか4両だったか,ローカル線としては長い編成であった。
当別で降りずに乗り換えた乗客数の多さに驚いたが,次の北海道医療大学駅で学生は皆降りて,車内はガラガラになり,また驚いた。
地方ローカル線と高をくくっていたが,ここまでは輸送密度の高い都市近郊路線であった。
(現在,桑園~北海道医療大学間は電化されている)

北海道医療大学を過ぎてからは,想定していた通りのローカル線の旅であった。
車窓から眺めても当別はそこそこの規模の町であることは分かったが,月形,浦臼と進むにつれ,どんどん寂しくなっていった。
どの駅も周りに小さな集落があるだけで,それを過ぎるとすぐに車窓一面が雪原になり,遠くに民家と農作業小屋がぽつりぽつり見える程度であった。
はたから見れば,雪原の中に1本の筋が引かれたジオラマのように見えるに違いない。
窓ガラス越しに冷たい外気を感じたが,座席は暖かく,静かに響くディーゼルカーのエンジン音が心地よかった。

終点の新十津川では,ホーム端から数百mは沼田方面の線路が残っていた。
「乗り鉄」らしき人はほかに2人いて,新十津川で記念の写真を撮ってあげた。
その人は折り返し列車で札幌へ引き返すと言っていたが,私は滝川へ向かって歩き始めた。

新十津川町は思ったより大きな町に見えた。
人口が7,500人程度で,当別よりは少ないものの,月形(3,500人)や浦臼(2,500人)よりはずっと多く,母村である奈良県十津川村よりも倍ほど多い。
Wikipediaによれば,1889年に奈良県吉野郡十津川村で大規模な水害が発生して村が壊滅状態になり,翌年に600戸2,489人がこの地へ移住して「新十津川」が開村した。
その後は順調に開拓が進んで発展してきた,という様子をどこかの施設で資料を見て知った。

町の中心部から北へ向かい,石狩川に架かる橋の手前だったと記憶しているが,そば屋さん(食堂)があった。
私はそばが好きで,新十津川には「そば道場」というのが郊外にあるのを知って興味をもったが,滝川と反対方向にあったので断念した。
空知地方はそばの生産が盛んなようだ。
お昼近くになったので,このそば屋さんに入ったら,とてもおいしかった。
いつかまた行ってみたいと思っているが,Googleマップ等で調べても,現在はそれらしき店が載っていない。
移転したのか,廃業したのか,店の名前を覚えていないので調べることもできず,誠に残念である。

石狩川橋を渡ると滝川市へ入る。
国道を歩いて滝川駅の北側へ出ると,駅の敷地が遠くまで広がっていた。
石勝線が開通するまでは,札幌~釧路間の優等列車は全て滝川を起点とする根室本線を通っていたので,かつてここには多くの機関車や客車がたくさん並んでいたことを想像しつつ,閑散とした駅構内がうら寂しかった。
(と当時思ったが,現在でも貨物駅として機能しているようだ)

滝川市の中心部は,新十津川に比べれば建物は多く密集していたが,とても静かであった。
しんしんと降り続く雪の音と,歩きながら踏み締める雪の音のみが耳に響き,雪国育ちの私には懐かしい気がした。
商店街はシャッター通りと化しており,駅前の大型スーパーとおぼしき建物も,2,3のテナントを除いて閉鎖されていた。
しかし,そこに入っていた「街の洋菓子屋さん」風のお店のお菓子はとてもおいしかった。
北海道はバターが新鮮なのか,とても風味がよかった。
ここも店の名前を覚えていないのが残念だ。
お店の人に聞いてみたが,滝川ではドーナツ化現象が進んでおり,中心部はさびれて郊外の江部乙周辺が開けており,鉄道ではなく車が移動手段になっているそうだ。
滝川は鉄道の町のように勝手に思っていたが,全国どこでも変わらないことを痛感した。

何か面白い施設はないかと探して,美術自然史館を見つけたので入ってみた。
美術部門には滝川市出身の日本画家・岩橋英遠(いわはし えいえん)らの常設展示室があった。
岩橋英遠という画家は知らなかったが,壮大なスケールや豪快な色づかいの一方で,きわめて繊細なタッチの絵が多く,かなり鮮烈な印象を受けた。
どの絵も見入ってしまった。
特に空の色がすばらしい。
青い快晴,赤い夕日,紫の冬空,また雲の色も見事に描き表している。
私は平山郁夫の描く水の色をとても気に入っているが,岩橋英遠の描く空の色もまた気に入ってしまった。
帰りに絵はがきを数枚買ったが,今でも自分の部屋に飾ってある。

結局,閉館時間近くまで美術自然史館にいて,その後歩いて滝川駅へ戻った。
駅前の「洋菓子屋さん」でお土産を買ってから,札幌行きの特急を待った。
千歳空港で買うよりここの方が安くておいしいだろう,と思ったのと,せっかく滝川まで来たのだから少しは地域経済に貢献しようと思ったからだ。

札幌までは1時間ほどで着き,半日の「乗り鉄」の旅は終わった。
というよりは,「新十津川~滝川ぶらつきの旅」の方が正しいのだろう。

ローカル線に乗って,終着駅の田舎町をぶらついたことは,様々な発見があり,案外楽しかった。
増毛(留萌線)や夕張(石勝線支線)も行ってみたいが,近いうちに廃止されて叶わぬことだろう。
時代の流れとはいえ,見知らぬ土地へぶらりと訪問することができる手段(ローカル線)が減っていくことは寂しい限りである。
新幹線は確かに便利であり,都市間輸送には貢献するものの,ローカル線が切り捨てられては地方再生に結びつかないだろう。
ローカル線の旅の楽しさが,もっと発信されるべきであるし,これからも発信しようと思う。