甲府へ到着した日は天気が悪かったが,翌日は晴天で,富士山がはっきり見えた。
市内からこんなに大きく見えるとは,正直驚いた。
圧倒的な存在感だ。
西へ目を向けると,南アルプスとおぼしき山並みが見える。
中でも白い冠をいただく尖った山に目が留まった。
甲斐駒ヶ岳だ。
浜育ちの私には,山とは遠くに小さく見える存在であったが,甲府盆地は3000m級の山々に囲まれているためか,山の存在感がとても大きく感じた。
甲府を去る日,14時4分発小淵沢行きの普通列車に乗った。
甲府を過ぎてすぐに車両基地があったが,隣の竜王駅には貨物用のスペースが広く,後で調べると山梨県唯一の貨物ターミナルであることが分かった。
韮崎までは甲府郊外の市街といった景色であったが,韮崎を過ぎると途端に高原ぽくなってきた。
登る感覚が強くなり,トンネルを抜けるたびに町並みは下に広がるようになる。
甲府から佐久平までの距離と標高の関係を図に示すが,韮崎から急に登坂になり,小淵沢までの区間では,韮崎~新府間の23‰が平均勾配としては最も大きい。
韮崎から先は,隣の駅ごとに100m程度登る急坂だ。
日野春には構内に給水塔のようなもがあり,かつて急坂区間で蒸気機関車の補給場所だったであろうことは容易に想像がつく。
前方の左手に南アルプスが,右手に八ヶ岳がそびえており,山々が随分と壁のように見えるようになってきた。
長坂にはスイッチバックの廃線があり,錆びたレールが郷愁を誘う。
長坂を出てすぐにゆるやかな左カーブがあり,撮り鉄たちが陣取っていた。
何か特別列車が通るのかと思った矢先に,白地にカラフル模様の入った電車とすれ違った。
ノーマークだったため,気づいたときには既に遅かったのだが,あれは何だったのだろう?
小淵沢で15時6分発小海線の普通列車に乗り換えた。
小淵沢を出て大きな右カーブ,どんどん登る。
がんばれ!2両編成のディーゼルカー。
甲斐小泉駅周辺には意外と住宅が建ち並んでいたが,次の甲斐大泉までは樹林の中をひたすら進み,人家はほとんど見当たらなかった。
甲斐大泉駅周辺にはとんがり屋根にカラフルな屋根の家が多かった。
別荘なのか普通に住んでるのかどっちなのだろう?
清里駅周辺は先の2つと違って開けていて,観光地の入口といった感じだった。
清里を過ぎると線路脇に雪が残っていた。
さすがJR最高地点。
最高地点では碑が立っていた。
碑の横に踏切があり,山中は終わって左右に畑地が広がり,風景は一変した。
野辺山は高原観光地の様相で,小淵沢から乗った乗客の大半は野辺山までで降車していた。
次の信濃川上では山に囲まれているものの,平地の村落ぽくなってきた。
列車は下る,下る。
千曲川と並進するようになったが,水量は少なかった。
天候のせいかもしれないが,富士川と違って穏やかな流れであり,礫も丸く小さい。
小海は3番ホームまであり,これまででは一番大きな駅・町である。
この辺りは高原地帯なのに,「海」の付く駅名が多いのはなぜだろう?
小海を過ぎると前方にきれいな山が見えてきた。
方角からすると,浅間山か?
羽黒下でハイブリッド車両と交換。初めて見た。
中込は佐久市の中心駅で小海線運行管理室もあり,とても立派な駅にみえる
小淵沢行きと交換するが,小淵沢行きはここで1両切り離されていた。
中込〜小淵沢は1両で走るのか?
甲府では富士山の存在感が大きかったが,佐久では浅間山の存在感が大きい。
中込からは乗降客が増え,都市間輸送路線の様相になってきた。
17時8分に佐久平到着。
佐久平は新幹線の上に在来線のホームがある唯一の駅らしい。
駅周辺は開発された感が強く,どこにでもある新幹線駅前の街の様相で興ざめした。
下車後,連絡通路を歩いて新幹線ホームへ。
そして,17時20分発のあさま619号に乗り換えた。
北陸新幹線では在来線(小海線)と違って座席は快適だが,車窓は防音壁か防風壁に阻害され,トンネルも多くつまらない。
8分で上田に到着,あっという間だ。
千曲川がゆったりと流れ,水量も多くなっていた。
長野でかがやき511号に乗り換えた。
車窓から,長野は四方山に囲まれているのがよく分かる。
小海線沿線の車窓に見慣れていたら,長野盆地に広がる街が大都会に見えた。
新潟県に入ると,家並みの雰囲気が変わった。
家々の周りに木々が立っているのだ。
家が離れていれば防風林のためかと思うが,並んでいても間に木が植わっているところが多く見受けられた。
日本海側は冬の季節風が強いためだろうか。
上越妙高を通り過ぎると眠くなってきたので,もうレポートする気力がなくなってきた。
気がついたら,もう金沢に到着寸前。
まぁトンネルばかりなのと,暗くなってきたので,もういいか。
金沢で新幹線から下車し,宿へと向かった。
長旅で疲れたので,翌日の和倉マラソンに向けてしっかりと体を休めよう。
北陸線の帰路では,和倉マラソンのゴールタイムが読めなかったので特急サンダーバードの予約をとっていなかったが,金沢駅には夕方に戻って来られたので,余裕をもって最終の1本前である46号に乗車した。
もう後は寝るだけ,乗り過ごして大阪まで行かないようにしようとウツラウツラしていたら,敦賀到着前に車内放送が入り,「この先湖西線で強風が見込まれるため,米原経由で運行します」とのこと。
京都以降到着時刻は30~40分遅れるそうな。
うわぁ~,終電間に合うかな,と思って調べるもセーフ。
最終のサンダーバードだったら京都から帰れなくなるところだった。
北陸~東海道線の米原周りルートには,特急用の裏スジがあると何かで見たことがあったが,それを使用しているのか,サンダーバードは結構なスピードで進んでいた。
途中,米原で臨時停車。
京都から先の新幹線乗り継ぎ客向けであろうが,珍しい光景だ。
結局,京都には予定より33分遅く到着した。
これで,中日本ぐるっと一周の旅はおしまい。
記念にと,乗車券をもらえないか京都駅の駅員さんに尋ねたら,スタンプを押されて真ん中に穴を開けられたが,もらうことができた。
行ったことのないところの風景を楽しみ,いろいろな経験ができた旅であった。
市内からこんなに大きく見えるとは,正直驚いた。
圧倒的な存在感だ。
西へ目を向けると,南アルプスとおぼしき山並みが見える。
中でも白い冠をいただく尖った山に目が留まった。
甲斐駒ヶ岳だ。
浜育ちの私には,山とは遠くに小さく見える存在であったが,甲府盆地は3000m級の山々に囲まれているためか,山の存在感がとても大きく感じた。
甲府を去る日,14時4分発小淵沢行きの普通列車に乗った。
甲府を過ぎてすぐに車両基地があったが,隣の竜王駅には貨物用のスペースが広く,後で調べると山梨県唯一の貨物ターミナルであることが分かった。
韮崎までは甲府郊外の市街といった景色であったが,韮崎を過ぎると途端に高原ぽくなってきた。
登る感覚が強くなり,トンネルを抜けるたびに町並みは下に広がるようになる。
甲府から佐久平までの距離と標高の関係を図に示すが,韮崎から急に登坂になり,小淵沢までの区間では,韮崎~新府間の23‰が平均勾配としては最も大きい。
図 甲府~佐久平間の駅間距離と標高の関係
韮崎から先は,隣の駅ごとに100m程度登る急坂だ。
日野春には構内に給水塔のようなもがあり,かつて急坂区間で蒸気機関車の補給場所だったであろうことは容易に想像がつく。
前方の左手に南アルプスが,右手に八ヶ岳がそびえており,山々が随分と壁のように見えるようになってきた。
長坂にはスイッチバックの廃線があり,錆びたレールが郷愁を誘う。
長坂を出てすぐにゆるやかな左カーブがあり,撮り鉄たちが陣取っていた。
何か特別列車が通るのかと思った矢先に,白地にカラフル模様の入った電車とすれ違った。
ノーマークだったため,気づいたときには既に遅かったのだが,あれは何だったのだろう?
小淵沢で15時6分発小海線の普通列車に乗り換えた。
小淵沢を出て大きな右カーブ,どんどん登る。
がんばれ!2両編成のディーゼルカー。
甲斐小泉駅周辺には意外と住宅が建ち並んでいたが,次の甲斐大泉までは樹林の中をひたすら進み,人家はほとんど見当たらなかった。
甲斐大泉駅周辺にはとんがり屋根にカラフルな屋根の家が多かった。
別荘なのか普通に住んでるのかどっちなのだろう?
清里駅周辺は先の2つと違って開けていて,観光地の入口といった感じだった。
清里を過ぎると線路脇に雪が残っていた。
さすがJR最高地点。
最高地点では碑が立っていた。
碑の横に踏切があり,山中は終わって左右に畑地が広がり,風景は一変した。
野辺山は高原観光地の様相で,小淵沢から乗った乗客の大半は野辺山までで降車していた。
次の信濃川上では山に囲まれているものの,平地の村落ぽくなってきた。
列車は下る,下る。
千曲川と並進するようになったが,水量は少なかった。
天候のせいかもしれないが,富士川と違って穏やかな流れであり,礫も丸く小さい。
小海は3番ホームまであり,これまででは一番大きな駅・町である。
この辺りは高原地帯なのに,「海」の付く駅名が多いのはなぜだろう?
小海を過ぎると前方にきれいな山が見えてきた。
方角からすると,浅間山か?
羽黒下でハイブリッド車両と交換。初めて見た。
中込は佐久市の中心駅で小海線運行管理室もあり,とても立派な駅にみえる
小淵沢行きと交換するが,小淵沢行きはここで1両切り離されていた。
中込〜小淵沢は1両で走るのか?
甲府では富士山の存在感が大きかったが,佐久では浅間山の存在感が大きい。
中込からは乗降客が増え,都市間輸送路線の様相になってきた。
17時8分に佐久平到着。
佐久平は新幹線の上に在来線のホームがある唯一の駅らしい。
駅周辺は開発された感が強く,どこにでもある新幹線駅前の街の様相で興ざめした。
下車後,連絡通路を歩いて新幹線ホームへ。
そして,17時20分発のあさま619号に乗り換えた。
北陸新幹線では在来線(小海線)と違って座席は快適だが,車窓は防音壁か防風壁に阻害され,トンネルも多くつまらない。
8分で上田に到着,あっという間だ。
千曲川がゆったりと流れ,水量も多くなっていた。
長野でかがやき511号に乗り換えた。
車窓から,長野は四方山に囲まれているのがよく分かる。
小海線沿線の車窓に見慣れていたら,長野盆地に広がる街が大都会に見えた。
新潟県に入ると,家並みの雰囲気が変わった。
家々の周りに木々が立っているのだ。
家が離れていれば防風林のためかと思うが,並んでいても間に木が植わっているところが多く見受けられた。
日本海側は冬の季節風が強いためだろうか。
上越妙高を通り過ぎると眠くなってきたので,もうレポートする気力がなくなってきた。
気がついたら,もう金沢に到着寸前。
まぁトンネルばかりなのと,暗くなってきたので,もういいか。
金沢で新幹線から下車し,宿へと向かった。
長旅で疲れたので,翌日の和倉マラソンに向けてしっかりと体を休めよう。
北陸線の帰路では,和倉マラソンのゴールタイムが読めなかったので特急サンダーバードの予約をとっていなかったが,金沢駅には夕方に戻って来られたので,余裕をもって最終の1本前である46号に乗車した。
もう後は寝るだけ,乗り過ごして大阪まで行かないようにしようとウツラウツラしていたら,敦賀到着前に車内放送が入り,「この先湖西線で強風が見込まれるため,米原経由で運行します」とのこと。
京都以降到着時刻は30~40分遅れるそうな。
うわぁ~,終電間に合うかな,と思って調べるもセーフ。
最終のサンダーバードだったら京都から帰れなくなるところだった。
北陸~東海道線の米原周りルートには,特急用の裏スジがあると何かで見たことがあったが,それを使用しているのか,サンダーバードは結構なスピードで進んでいた。
途中,米原で臨時停車。
京都から先の新幹線乗り継ぎ客向けであろうが,珍しい光景だ。
結局,京都には予定より33分遅く到着した。
これで,中日本ぐるっと一周の旅はおしまい。
記念にと,乗車券をもらえないか京都駅の駅員さんに尋ねたら,スタンプを押されて真ん中に穴を開けられたが,もらうことができた。
行ったことのないところの風景を楽しみ,いろいろな経験ができた旅であった。