遠山を望むが如く

しんちゃんの雑録

「グルメ」ということ

2015-12-18 08:40:52 | 酒食
「グルメ」とはフランス語の"gourmet"に由来しており,カタカナ日本語としてもずいぶん定着してきた言葉である。
しかし,その意味が正しく伝わっていないことがずっと気になっている。

"gourmet"とは,元来ワインの鑑定士や商人の召使い*という意味から始まり,ワインに精通している人,ひいては料理全般に精通している人を指すようになった。
日本語の「食通」とほぼ同義である。

「食通」とは,大辞林(第三版)によれば「おいしいものをたくさん食べていて,おいしいものについて詳しいこと。また,その人」とあるが,「おいしい」には人の主観が含まれるので,大辞泉(デジタル版)にある「料理の味や知識について詳しいこと。また、その人」の方が明快である。

ここで,「おいしいものを食べる人」の類義語に「美食家」という言葉がある。
こちらは「ぜいたくでおいしいものばかりを好んで食べる人」という意味であり,その料理の値段や味には価値を見出すが,その料理や食材に対する知識については大して関心をもたない。
料理全般に対する知識に優れる「食通」とは似て非なるものである。
また,食べるという行為を趣味として楽しむ人を「食道楽」という。
このように,食の享楽を求めたり,食い意地の張っているような人を,フランス語では"gourmand"(グルマン)と表し,"gourmet"とは明確に区別されている。

日本語の「グルメ」には"gourmet"と"gourmand"が混同されている上に,人ではなく料理そのものに対しても用いられている。
この場合の「グルメ」とは贅沢料理や高級食材を用いた料理のことを指している。
おいしいこと自体にランクはない(好みにはランクはある)はずだが,安い食材を使った料理を表す「B級グルメ」という言葉に,「グルメとは本来高級なもの」といった意識が透けて見える。
つまり,「グルメ」は料理や食材の一部に過ぎない「高級品」のみが対象にされている傾向があると感じており,それが健全な食生活を営むことを阻害しているのではないかと考えている。

例えば,ステーキ。
松阪牛などの高級和牛の霜降り肉は確かにおいしいが,たいていの店では付け合わせの野菜が貧弱であり,品質的にも栄養的にも肉と釣り合っていない。
スーパーモデルにずだ袋を持たせるようなものだ。

また,今の時期はカニやブリなどが冬の味覚として人気が高いが,冬にはネギやホウレン草,大根などの冬野菜もおいしい。
冬になると,露地もののホウレン草はミネラルが豊富で甘みを有することから,特に寒い日の夕採りものがあれば食べたくなる。
大根はブリとの相性は抜群で,みずみずしい新鮮なものをすり下ろし,身の照り焼きやカマの塩焼きにたっぷり添えて食べると,ブリ自体の旨みも増し,胃もたれも起こさない。
ブリのアラと大根を一緒に煮るブリ大根は,ブリの旨みを十分に吸った大根が主役になるが,スカスカの大根を使ってはおいしくならない。
新鮮な大根の甘みが,ブリの旨みと味の相乗効果をもたらすのであろう。

いわゆる高級食材というものは,確かにおいしい。
しかし旬のものにも,安くておいしいものはたくさんある。
「新鮮な旬の食材をつかってその味を最大限に引き出すよう適切に調理して食べる」
それが"gourmet"ということではないだろうか。

「和食」が世界無形文化遺産に登録されているが,決して日本の豪華料理が評価されたわけではない。
この"gourmet"への意識を高めるによって,「和食」の評価がますます上がり,新鮮な旬の食材の需要が増す。
そこに,零細な日本の農業が持続的に発展する鍵があるのではないかと考えている。

<参考資料>
*語源由来辞典,http://gogen-allguide.com/

緑川

2015-12-12 22:49:19 | 酒食
新潟県魚沼市(旧小出町)にある酒蔵・緑川酒造で作られている,新潟県の酒の中で私が一番好きな銘柄である。

新潟の酒では「越乃寒梅」が有名であり,私が日本酒を飲み始めた1990年代にはブームになっており,入手困難でプレミアがついていた。
初めて飲んだときには「こんなもんかなぁ」と,大して旨いとは思わなかった。
後に新潟出身の人に「越乃寒梅は燗して飲む酒である」と聞き,そうしてみると,確かに旨い酒であったが,冷酒ではぼやけた味にしか感じなかった。

新潟の酒で次に飲んだのは「久保田」である。
長岡市(旧越路町)にある朝日酒造の銘柄で,「越乃寒梅」同様にプレミアのつく新潟酒であるが,これは冷酒で旨いと若かりし頃に思った。

それで新潟の酒を探し飲み,最良と思えた酒が「緑川」である。

淡麗辛口の多い新潟酒の中でも,しっかりとした味わいがあり,そのまま飲んでもよし,食べ物と合わせてもよし。

銘柄も多数そろっており,純米酒や吟醸酒だけでなく,熱燗専用の「緑川正宗」や,うすにごりの新酒生酒「ゆららか」,毎年夏に出荷される雪洞貯蔵酒「緑」など,小さい蔵の割にはラインナップがそこそこそろっている。

今宵はズワイガニとヒラメの切り身(刺身用)をいただいたので,それに合いそうな酒を買いに行き,「緑川」純米酒を選んでみた。
吟醸酒は香りが強いので,カニや白身魚など繊細な旨みと合わせるときは,私は純米酒か特別純米酒を飲むことにしている。

この選択は正解だった。
「緑川」の淡麗だがしっかりした旨みが,カニやヒラメの旨みを受け止めて味わいが膨らみ,とてもおいしく感じた。

「綿屋」が少し残っていたので,それとも飲み比べてみたが,魚介類には「緑川」に軍配が上がった。
やはり日本海の幸には日本海側の酒の方が合うのだろうか。
石川の酒(「天狗舞」や「菊姫」など)も魚介類に合わせて間違いない。
一方,昨日の残りのおでんには「綿屋」の方が合った。
出汁をきちんととった和食には「綿屋」の方が合うと思う。

今宵「緑川」を飲んだのは久しぶりであったが,やはりうまかった。
130年以上続く蔵であるが,これからもずっとこの味が続いてほしい銘柄である。

綿屋

2015-12-12 00:20:34 | 酒食
私は日本酒党である。
一時,焼酎やワインに走ったことはあるが,いろいろ飲み比べた結果,結局日本酒が一番いいということに帰結した。
なぜそう思ったからかと言うと,日本酒が最も合わせられる食材が多いからである。
特に魚介類がそうであるが,焼き肉に日本酒という組み合わせも案外合ったので,暑くてのどが渇いているときはさすがにビールを飲みたくなるが,食べるときには日本酒を酌んでいる。

最近特に気に入っている日本酒は「綿屋(わたや)」である。
宮城県栗原市にある金の井酒造(株)の銘柄で,酒質レベルの高い宮城県の酒蔵のうち,ピカイチである。

宮城の地酒としては「一ノ蔵」や「浦霞」などが有名であるが,酒好き仲間から「綿屋」の噂を聞き,また日本酒の教科書*にも載っていて,一度飲んでみたいと思っていたが,2年前に仙台へ行ったときに初めて飲んだ。
飲んだのは「特別純米酒 美山錦」であった。

私は美山錦で醸した酒がとりわけ好きで,酒米の王者・山田錦とは一線を画しつつも,長野県農試で開発・育成され,山間や東北などの冷涼地での栽培に適しており,適度な香りと旨みを持つ上品な日本酒に仕上がっているものが多いと感じている。(もちろんこの酒米を使いこなす杜氏さんの腕次第なのだが)
長野・諏訪地方の銘酒「真澄」が美山錦で醸した代表酒であろう。

「綿屋 特別純米美山錦」を初めて口に含んだときの香り,甘み,爽やかさが忘れられなかった。
特に和食に合うようで,出汁をとった細やかな味との相乗効果が認められるだけでなく,魚や肉の料理とも相性がよかった。
昨年も年末に飲もうと思ってインターネットで調べてみたら,ことごとく売り切れで,結局入手できなかった。
今年こそは!と思っていたが,気がついたら12月になってしまい,急いで探した。
既に品切れの店がかなり多かったが,何とか見つけて注文した。

先週末に届き,早速堪能した。
やはり,うまい。
カニや魚,肉料理,野菜の煮物と,何にでも合う。
ある晩にはクリームチーズをアテに飲んでみたが,全く違和感がなかった。
これほど広範な食材に合う日本酒もなかなかないであろう。

今日,購入した店のホームページをのぞいてみたら,もう売り切れになっていた。
追加注文ができずに,残念である。
また来年飲もう。

<参考資料>
*おいしい日本酒の教科書,宝島者,2014年

十勝の地名

2015-12-05 12:25:07 | 旅情
前回の記事では触れなかったが,札沼線には「晩生内」という難読駅がある。
時刻表ファンならご存じの駅名だが,「おそきない」と読む。

北海道には「~ない」および「~べつ」と読む地名が多い。
これは,アイヌ語の「ナイ」および「ペッ」に因んでいる。
どちらも「川」を意味しているが,「ペッ」は比較的大きい川を,「ナイ」は小さい川を指すらしい。
あるいは,「ペッ(~別)」は概ね東地域あるいは東岸・南岸に多く,「ナイ(~内)」は概ね西地域あるいは西岸・北岸に多いとも言われている*。

数多くある「~べつ」の中で,とても興味深い地名が十勝地方にある。
それは「音調津」だ。

これで「おしらべつ」と読む。
もちろん元はアイヌ語であり,内地人が開拓・移住した際に漢字をあてただけである。
この地の風趣がしのばれる地名であり,この字をあてた人の感性がすばらしいと思う。
小さな漁村集落のようだが,この津(港)で奏でられる音の調べとはどんなものであろう。
風の音,波の音,船の汽笛,それとも豊漁の賑わい──地名を見るだけで,好奇心が掻き立てられる。

「ペッ」に意味があるので,「~・べつ」と切って「別」などの字をあてるところが多いが,ここでは「~べ・つ」と間で切られており,めずらしい。
このような例として,「しべつ」がある。(「し・べつ(士別)」と「しべ・つ(標津)」)
この切り方の違いには,どんな意味があるのだろうか。

音調津のある広尾町の隣の大樹町に,「生花苗」という沼(正しくは汽水湖)がある。
これも難読だが,「おいかまない」と読む。
生き生きとした花や苗が茂る沼──実際,沼の周囲には原生花園が広がっているようだ。
ここも,美しい風景がしのばれる。

十勝の中心,帯広からは,かつて広尾線という国鉄ローカル線が走っていた。
そこには「愛の国から幸福へ」で有名な「愛国」「幸福」という名の駅があった。
「新生」から「大樹」までの切符も,出産祝いとして人気があったらしい。

十勝には興味深く素敵な地名が多い。
このような字をあてさせるほど,すばらしい自然があるのだろう。
いつか行ってみたい土地である。

*参考資料
山田秀三著:アイヌ語地名の研究1,草風館,1995年
北道邦彦著:アイヌ語地名で旅する北海道,朝日新聞社,2008年

北海道の盲腸線エレジー

2015-12-04 21:09:49 | 旅情
来春開業する北海道新幹線の影で,留萌線(留萌~増毛間)の廃止を皮切りに,札沼線や石勝線の一部区間廃止が検討されている。

私はいわゆる鉄分が多い質だが,「撮り鉄」や「乗り鉄」などの特定のカテゴリーには入らず,時刻表や路線図をながめるのが好きである。
「地図・地理オタク」といった方が適切であろう。

札沼線は,札幌の隣にある桑園を起点として,新十津川までの76.5kmを走る比較的長い盲腸線である。
1972年までは留萌本線の石狩沼田までつながっていたそうだが,その時代は知らない。
この札沼線に,もう10年以上も前だが,わざわざ乗りに行ったことがあるので,廃止になる前に紹介したい。
ただし,写真を撮っていなかったので,記憶を頼りにしていることをご容赦願いたい。

なぜ札沼線かというと,新十津川町は石狩川をはさんで滝川市の西隣にあり,新十津川と滝川の駅間は2~3kmしかなく,歩いて行けるほどの距離なのに,なぜ別ルート(函館本線では滝川から札幌まで特急がほぼ30分おきに出ている重要幹線)で札幌につながる路線が存続しているのか興味があったからである。

この「乗り鉄」の旅は,2004年3月の,雪の降る日に行った。

7時台に札幌を出た気動車は,桑園から札沼線に入っていったが,高架になっていて驚いた。
複線区間すらある。
この列車は石狩当別止りで,ワンマンカーに乗り換えとなったが,学生がたくさん乗り込んできて,すし詰めになった。
それまでは3両だったか4両だったか,ローカル線としては長い編成であった。
当別で降りずに乗り換えた乗客数の多さに驚いたが,次の北海道医療大学駅で学生は皆降りて,車内はガラガラになり,また驚いた。
地方ローカル線と高をくくっていたが,ここまでは輸送密度の高い都市近郊路線であった。
(現在,桑園~北海道医療大学間は電化されている)

北海道医療大学を過ぎてからは,想定していた通りのローカル線の旅であった。
車窓から眺めても当別はそこそこの規模の町であることは分かったが,月形,浦臼と進むにつれ,どんどん寂しくなっていった。
どの駅も周りに小さな集落があるだけで,それを過ぎるとすぐに車窓一面が雪原になり,遠くに民家と農作業小屋がぽつりぽつり見える程度であった。
はたから見れば,雪原の中に1本の筋が引かれたジオラマのように見えるに違いない。
窓ガラス越しに冷たい外気を感じたが,座席は暖かく,静かに響くディーゼルカーのエンジン音が心地よかった。

終点の新十津川では,ホーム端から数百mは沼田方面の線路が残っていた。
「乗り鉄」らしき人はほかに2人いて,新十津川で記念の写真を撮ってあげた。
その人は折り返し列車で札幌へ引き返すと言っていたが,私は滝川へ向かって歩き始めた。

新十津川町は思ったより大きな町に見えた。
人口が7,500人程度で,当別よりは少ないものの,月形(3,500人)や浦臼(2,500人)よりはずっと多く,母村である奈良県十津川村よりも倍ほど多い。
Wikipediaによれば,1889年に奈良県吉野郡十津川村で大規模な水害が発生して村が壊滅状態になり,翌年に600戸2,489人がこの地へ移住して「新十津川」が開村した。
その後は順調に開拓が進んで発展してきた,という様子をどこかの施設で資料を見て知った。

町の中心部から北へ向かい,石狩川に架かる橋の手前だったと記憶しているが,そば屋さん(食堂)があった。
私はそばが好きで,新十津川には「そば道場」というのが郊外にあるのを知って興味をもったが,滝川と反対方向にあったので断念した。
空知地方はそばの生産が盛んなようだ。
お昼近くになったので,このそば屋さんに入ったら,とてもおいしかった。
いつかまた行ってみたいと思っているが,Googleマップ等で調べても,現在はそれらしき店が載っていない。
移転したのか,廃業したのか,店の名前を覚えていないので調べることもできず,誠に残念である。

石狩川橋を渡ると滝川市へ入る。
国道を歩いて滝川駅の北側へ出ると,駅の敷地が遠くまで広がっていた。
石勝線が開通するまでは,札幌~釧路間の優等列車は全て滝川を起点とする根室本線を通っていたので,かつてここには多くの機関車や客車がたくさん並んでいたことを想像しつつ,閑散とした駅構内がうら寂しかった。
(と当時思ったが,現在でも貨物駅として機能しているようだ)

滝川市の中心部は,新十津川に比べれば建物は多く密集していたが,とても静かであった。
しんしんと降り続く雪の音と,歩きながら踏み締める雪の音のみが耳に響き,雪国育ちの私には懐かしい気がした。
商店街はシャッター通りと化しており,駅前の大型スーパーとおぼしき建物も,2,3のテナントを除いて閉鎖されていた。
しかし,そこに入っていた「街の洋菓子屋さん」風のお店のお菓子はとてもおいしかった。
北海道はバターが新鮮なのか,とても風味がよかった。
ここも店の名前を覚えていないのが残念だ。
お店の人に聞いてみたが,滝川ではドーナツ化現象が進んでおり,中心部はさびれて郊外の江部乙周辺が開けており,鉄道ではなく車が移動手段になっているそうだ。
滝川は鉄道の町のように勝手に思っていたが,全国どこでも変わらないことを痛感した。

何か面白い施設はないかと探して,美術自然史館を見つけたので入ってみた。
美術部門には滝川市出身の日本画家・岩橋英遠(いわはし えいえん)らの常設展示室があった。
岩橋英遠という画家は知らなかったが,壮大なスケールや豪快な色づかいの一方で,きわめて繊細なタッチの絵が多く,かなり鮮烈な印象を受けた。
どの絵も見入ってしまった。
特に空の色がすばらしい。
青い快晴,赤い夕日,紫の冬空,また雲の色も見事に描き表している。
私は平山郁夫の描く水の色をとても気に入っているが,岩橋英遠の描く空の色もまた気に入ってしまった。
帰りに絵はがきを数枚買ったが,今でも自分の部屋に飾ってある。

結局,閉館時間近くまで美術自然史館にいて,その後歩いて滝川駅へ戻った。
駅前の「洋菓子屋さん」でお土産を買ってから,札幌行きの特急を待った。
千歳空港で買うよりここの方が安くておいしいだろう,と思ったのと,せっかく滝川まで来たのだから少しは地域経済に貢献しようと思ったからだ。

札幌までは1時間ほどで着き,半日の「乗り鉄」の旅は終わった。
というよりは,「新十津川~滝川ぶらつきの旅」の方が正しいのだろう。

ローカル線に乗って,終着駅の田舎町をぶらついたことは,様々な発見があり,案外楽しかった。
増毛(留萌線)や夕張(石勝線支線)も行ってみたいが,近いうちに廃止されて叶わぬことだろう。
時代の流れとはいえ,見知らぬ土地へぶらりと訪問することができる手段(ローカル線)が減っていくことは寂しい限りである。
新幹線は確かに便利であり,都市間輸送には貢献するものの,ローカル線が切り捨てられては地方再生に結びつかないだろう。
ローカル線の旅の楽しさが,もっと発信されるべきであるし,これからも発信しようと思う。