遠山を望むが如く

しんちゃんの雑録

限定プレミアムビール

2018-05-19 14:30:10 | 酒食
知人から,「アサヒビール株主様限定プレミアムビール」をいただいた。

私はビールも好きである。
マラソンや剣道で汗をかいた後は,プシュっと一杯やりたくなる。
食事では基本的に最初から日本酒を嗜むが,暑い日や揚げ物(フライ)に合わせるときは,ビールを嗜む。

私はキリン党だが,キリンが続くとサントリーやサッポロも飲みたくなる。
しかし,アサヒを選ぶことは稀だ。
アサヒはどれも「スーパードライ」のような味で,要はキレはあるがコクが弱い。
飲んだ後の爽快感は強いが,味わいが他社に比べて劣ると感じている。
日本酒ではコメの旨みを感じられる酒を好んでいるが,ビールでは麦(麦芽)の旨みが感じられないと物足りないのである。

現在,各社ともプレミアムビールを出しているが,アサヒのそれは,やはり「スーパードライ」がベースであり,それより多少味が濃い程度だと思っている。
「グランドキリン」「プレミアムモルツ」「エビス」には及ばない,というのが私の感想だ。

さて,冒頭の「株主様限定プレミアム」を飲んでみた。

おおっ!何と芳醇な味わいだ!
全く「スーパードライ」っぽくない。
香りよし,麦芽の風味もよし,デュンケルタイプで味も濃いが,ローストの具合が程よく,一般の黒ビールほどくどくない。
後味のさっぱり感はアサヒの得意とするところだろうか。
アサヒもやるじゃないか。

ビール大手4社は,近年は発泡酒や,いわゆる「第三のビール」の開発に勤しんでいるようだが,ビール本来の旨さをもっと追求してもらいたいものである。
かつて,キリンは明治,大正,昭和初期の「ラガービール」を復刻したことがあった。
サッポロは毎年「頒布会」を行って,当時としては特殊なビールを醸造していた。
サントリーは“I.P.A”でも紹介したように,クラフトビールを時々造っている。
日本酒同様に,良いビールは国内の需要が小さくても,海外で高い評価を受けることだろう。

国内でも一定量は売れると思うが,私なら買う。絶対買って飲む。
「株主様限定プレミアム」を,ぜひとも一般販売してほしいものだ。

中谷宇吉郎博士に憧れて ~「科学」とは~

2018-05-13 22:40:27 | 科学
中谷宇吉郎博士は,「雪氷学」の第一人者であり,気象条件と雪の結晶が形成される過程の関係を解明した学者である。
世界で初めて人工雪の製作に成功した物理学者であるが,自身の研究を含め、科学を一般の人々に分りやすく伝えるために,論文のみならず,随筆をよく記した研究者として知られている。
「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残したことで有名であるが,その本意は,地上に降りてくる雪の結晶の形は,それが形成された上空の気象条件を反映しているということであり,雪(の結晶)は天(上空)の状況を伝えてくれる,ということを情緒的に表現した言葉である。

専門科学はどれも難しい。
難しいことを,専門用語を使って難しく説明することはできるが,難しいことを易しく説明するためには,専門知識のみならず,その周辺領域から言語にまでかかる,非常に広範囲な知識が必要であり,かつその多種多様な知識を使いこなせる能力が必要である。

中谷の師である寺田寅彦博士も科学随筆を多数残しているが,私は中谷の随筆の方が分かりやすいと思っている。
(時代の違い─寺田は大正,中谷は昭和初期─による表記の差異のためかもしれないが)
ただ,両博士とも上記能力の高い,希代の科学者であることは間違いない。

実は,私がこのブログを開設したのも,中谷博士のような分かりやすいエッセイを書くことを目指しているからなのだが,はるかに及ばない。
まずは記事(エッセイ)を書く練習から始めなければ・・・

そんな想いがあって,当ブログでは最初から「科学」のカテゴリーを設けていたのだが,ずっと記事をアップできていなかった。
まずは,「科学」そのものについて述べてみる。

「科学」とは,現在では“science”の訳語にもなっているが,元々は前近代の中国の科挙で試される学問「科挙之学」の略語として、すでに12世紀頃には使われていたようである(*1)。

「科」とは,「のぎへん」(イネ科の作物)に「ます」(量りとる)と書くので,「穀物を量り分けること」が原義であり,そこから「分類された区分」という意味が生まれた(*2)。
この意味から,「科学」とは個別の専門分野から成る学問の総称として用いられている。

一方,“science”は明治時代に日本へ入ってきた言葉であるが,啓蒙思想家の西周がこれを様々な学問の集まりであると解釈し,その訳語として「科学」をあてた(*1)。
“science”とはラテン語の“scientia”に由来しており,「知識」を意味する言葉であったが,17世紀に入ると自然科学として捉えられはじめ,近代においては,広義には「学問」という意味で用いられるようになった(*3)。
“science”は現代英語では,“knowledge about the world, especially based on examining, testing, and proving facts”(LONGMAN現代英英辞典)と定義されており,“fact”(事実)を扱う知的作業を表す。

中谷宇吉郎は,その著書「科学の方法」(*4)で,「科学というものは,あることをいう場合に,それがほんとうか,ほんとうでないことかということをいう学問である」と述べており,“fact”(事実)を扱うものだと認識していた。
いろいろな人が同じことを調べてみて,それがいつでも同じ結果になる場合には,それをほんとう(事実)というのである。
このような,再現可能の問題だけしか,科学は取り扱い得ないということを,中谷は指摘している。

STAP細胞は,誰も再現できていないので,それは科学ではない。
再現できずに「ある」というのは,科学ではなく信仰である。
幽霊やUFOなどの超常現象もしかり。

しかし,科学とは進歩するものであり,新たな事実が見出されれば,状況は変わる。
ただし,この新たな事実を発見した方法が「科学的」であること,すなわち誰でも(客観的に)再現可能であることが要件である。

「科学」とは,ある事実を根拠として,別の新たな事実が見つかる,というような,体系的な整合性を特徴としている。
それは自然科学のみならず,社会科学や人文科学においても同様であり,考え方や行動のしかたが,論理的・実証的で,系統立っているものが,「科学」と呼べるのである。

<参考資料>
*1 佐々木力:科学論入門,岩波新書,1996年
*2 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%91
*3 英会話道場イングリッシュヒルズ:日本で誤解の多い“science”の意味,http://www.english-hills.org/policy/ginza/culture2/
*4 中谷宇吉郎:科学の方法,岩波新書,1958年

「生酒」の良さ

2018-05-11 23:59:12 | 酒食
日本酒の人気が,数年来海外で高まっていることは知っているが,「生酒」の受けがいいことをテレビのニュースで知った。

「生酒」は加熱処理を行っていないため,酵母が生きたまま瓶詰めされており,わずかに発泡して爽やかに感じることと,風味の良い甘みを感じる(ベタベタした甘ったるさとは異なる)ことで,私は結構好んで飲んでいる。
ここ最近でも,「明鏡止水」甕口生原酒(長野県),「久保田」生原酒(新潟県),「天寶一」Type P 純米吟醸 生(広島県),「不老泉」無濾過生原酒(滋賀県),「真澄」純米生酒(長野県),「一博」うすにごり生酒(滋賀県)を買って飲んだ。

ただ,開栓するとその風味は失われ,気も抜けるので,翌日ならまだよいが,冷蔵庫に入れておいても2~3日経つと味が落ちるので,早めに飲み尽くしてしまわなければならない。

ニュースでは,生ビールやワインなどの輸送で広く使用されているオランダ製の鮮度輸送容器に生酒が詰められ,それは二重容器になっており,生酒の入ったPET素材の外側に空気を入れて,その圧力で空気に触れることなくPET内の酒を押し出すという方法が紹介されていた。
なるほど,よく考えられた容器だし,それを見つけて日本酒にも適用した酒蔵の視点にも恐れ入った。

海外人気とは裏腹に,日本国内では日本酒の消費が落ち込んでいると言われている。
良い酒が海外に流出するのはもったいない。

生酒は冷やしてそのまま飲んでも良いが,味わいが豊かなので,味が強く感じるかもしれない。
私はロックにしたり,生原酒(アルコール度数が高い)では炭酸割りにしたりして飲むこともある。
それは邪道と思われるかもしれない。
しかし,飲み方は自由であってよいと思う。
炭酸割りでは,そのまま飲むよりずっと香りが立つ(ただし味が薄くなるので,私は1:1までしか希釈しない)。

近年の日本酒ブームで,農業試験場等は新たな酒米を開発したり,酒蔵は新たな醸し方に挑戦したりしている。
消費者も様々な飲み方で楽しむことにより,日本酒ブームを国内でも下支えしたいと思う。

「気剣体一致」とは

2018-05-07 00:42:52 | 剣道
「気剣体一致」とは,教科書的に言えば(*1),気力,竹刀操作,体さばきと体勢が,タイミングよく調和がとれ,一体となって働くことで有効打突になり得る,ということである。
また,「有効打突」とは,充実した気勢,適正な姿勢,竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し,残心あるものをいう。

打突の瞬間に関しては,どちらも同じような意味と捉えているが,以前から「気」「剣」「体」は同列なのか,どれが一番重要か,などと考えていたので,少々論じてみる。
(残心もまた剣道において重要な要素の一つであるが,今回のテーマでは扱わない)

そんなの,同列でどれも重要に決まっているではないか,と思われるかもしれない。
しかし,「気」「剣」「体」の調和がとれた状態というのを子どもや初心者に教えることは難しく,また自分自身も同列に習得した記憶はない。
たまたまできた場合に,「今のが気剣体一致の打突だ!」と感覚的に教えることもあるだろう。
どうすれば「気剣体一致」の概念を理解し,その状態を作り出すことができるかを,自分なりに考えてみた。

私は「気」「剣」「体」について,図1のような階層をイメージしている。
どれが一番重要かと言えば,「気」であろう。
「天地人」もそうであるが,一般に言葉の並びでは,書かれている順に序列が決まっている。


図1 気剣体一致のイメージ

そして,剣道の熟練度は,この気剣体の三角形(面積)の大小によって表せるのではないかと思う。(図2)
では,どうすればこの三角形を大きくできるか。


図2 剣道の熟練度を表すイメージ

「気剣体一致」の形成は,図3の流れになると考えている。


図3 気剣体の習得サイクル

①まず,剣道をやろうとする気持ち,上手くなりたい,強くなりたいという気持ちを抱くことから始まる。
そして竹刀を振ってみる。
しかし,自分の思っているイメージのように振れないことに気づくだろう。

②腕力や手首が弱いから,竹刀を振れないと思うかもしれない。
あるいは姿勢や体(足)さばきが悪いから,できないと思うのかもしれない。
そこで,自分の求める水準まで体力を向上させるよう,努めることが肝要である。
基本技の練習が大事なのは,技を正しく覚えるだけでなく,この基礎体力を増強するためでもある。

③体ができてくれば,竹刀を思うように振れるようになる。
竹刀を振れるようになると,速く正確に打てるだけでなく,応じ技など技のバリエーションも広がることだろう。

④思うように体が動き,竹刀を振れるようになると,自分の剣道に自信を持てるようになる。
そうなると心に余裕が生まれ,相手をよく観察でき,技を出すべき機会が見えるようになる。
体と剣の充実に裏づけられた気力をもって技を出せば,それが「気剣体一致」の状態ではないかと考えている。

こうして「気剣体一致」の打突を習得したら,より上級レベルで対戦できるようになる。
そこでまた,新たな課題を発見し,さらに上手くなりたい,強くなりたいという気持ちを抱くことだろう。
そして,より高いレベルの習得サイクルが始まることになる。
この繰り返しで,剣道が上達するものと,私は考えている。

このサイクルでは,④の境地に達することができるかが鍵である。
特に子どもや初心者に対しては,些細なことでも自信を持てるように指導することを心がけている。
というのも,自分自身が些細なところに自信を深めたところから,剣道を面白いと思うようになったからだ。

私は小中学生当時は肥満気味で動作が鈍重であったが,身長が伸び始めて相対的に痩せてきた頃に,指導者から足さばきについて褒められた。
自分ではずっと動きが遅いと思っていたが,意外とすり足が速くなっていたことに気付いた瞬間であった。
以後は積極的に稽古するようになり,高校に入ってからも自分のスピードがある程度通用すると分かると,本当に剣道が楽しくなり,大人になっても,ブランクがあっても,剣道を続けている。

現代剣道の基礎を築いたとされる高野佐三郎先生(*2)は,自信から発する威力を「気位」の定義と捉えており,剣道を極めることにより,悠然とした心の中に敵の動静が手にとるように見え,敵を押さえるのも挫くのも打つのも突くのも,心のままにできる状態と説いている。
もっとも,自信と自負心あるいは慢心とは大いに異なるもので,自負心や慢心は剣道において大いに忌むべきものとして戒めている。
自信を持つことは大事だが,過信は禁物である。

以上のように,剣道とは,「気」から始まり「気」に行き着くものである。
ただし,それを達成する手段として「剣」があり,その土台に「体」がある。
「気」「剣」「体」が一体となって働くとは,そういうことだと私は認識している。

なお,「気」「剣」「体」をそれぞれ「心」「技」「体」に置き換えると,剣道に限らずあらゆる職業や芸術活動にも通用するのではないか。
これが,剣道の理念にある「人間形成の道」に通じることであると,私は解釈している。

<参考資料>
*1 全日本剣道連盟:剣道学科審査の問題例と解答例,2005年
*2 中村民雄 監修:「剣道」高野佐三郎著 現代語訳,島津書房,2013年