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阪神間で暮らす-2

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

本来ならばとっくに退陣 安倍しがみつき政権の延命費用

2018-06-21 | いろいろ

より

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本来ならばとっくに退陣 安倍しがみつき政権の延命費用

 「対話のための対話には意味がない」の持論は、どこに行ったのか。一転、安倍首相が金正恩委員長との“直接対話”に躍起になっている。

 土曜の朝から情報番組に出演した安倍は、「最終的には私自身が金正恩委員長と向かい合わなければならない」と語り、非核化の費用についても「平和の恩恵を被る日本が負担するのは当然」と言い切ってみせた。

 突然、安倍が正恩との会談に前のめりになっているのは、6・12の米朝会談で、トランプ大統領が正恩に「日本とも対話すべきだ」と促し、正恩も「日本とも対話を進めたい」と応じたからだ。トランプは「拉致問題」についても2回取り上げたという。

 トランプが「拉致問題」を取り上げたと分かると、安倍政権は大喜びしている。それもそのはず。米朝会談の直前、安倍はホワイトハウスに押しかけ、「拉致を取り上げて欲しい」と拝み倒している。

 しかし、トランプに「拉致」を2回取り上げてもらった“借り”は、相当高くつくのではないか。

 ヤバイのは、米朝会談の後、トランプが「首脳会談では拉致問題も取り上げた。安倍首相の最重要課題だからだ」と、わざわざ会見で口にしたことだ。これって、“おいシンゾー、約束通り正恩に伝えてやったぞ”“次は日本が口利き料を払う番だ”という脅しのメッセージだろう。

 トランプは日米会談後の共同会見でも、「安倍首相にとって拉致問題は個人的にとても重要だ」と語ったそばから、「安倍首相はつい先ほど、数十億ドル(数千億円)もの戦闘機や航空機、農産物を追加で買うと言った」とバクロしている。

 恐らく、米朝会談で拉致問題を取り上げてもらう見返りに、アメリカから数十億ドルの買い物をする約束をしたのだろう。

 いったい、この先、日本はアメリカからいくら請求されるのか。

 「トランプ大統領は、『もし、非核化の合意に達すれば北朝鮮を支援する』『しかし、われわれは遠い国だ。日本は支援すると思う』と口にしています。横にいた安倍首相も否定しなかった。非核化の費用も、経済支援も日本に負担させるつもりなのでしょう。すでに口約束が交わされている可能性もある。北朝鮮の鉄道、道路、電力などのインフラを整備するのに15兆円、北朝鮮経済が立ちゆくまで10年間で220兆円が必要という試算もあります。日本は巨額の負担を強いられることになるでしょう」(政治評論家・山口朝雄氏)

 今頃、トランプは「日本とのディールは大成功だ」と高笑いしているのではないか。


 拉致を利用して“総裁3選”を狙う悪質

 安倍がふざけているのは、拉致問題を“政権の延命”に利用しようという魂胆がミエミエのことだ。

 出演した情報番組でも、9月の総裁選について聞かれ、「まだまだ、やるべきことがたくさんある。北朝鮮の問題、拉致問題は私自身の責任で解決しなければいけない」と大見えを切っている。

 もし、トランプが米朝会談で拉致を取り上げず、正恩に「日本とも対話すべきだ」と促さなかったら、まったく違う展開になっていただろう。安倍は国民から批判されていた可能性が高い。

 これから安倍は、御用メディアを使って“日朝会談”“拉致解決”のムードを高め、「拉致を解決できるのは安倍さんしかいない」「9月以降も安倍首相を代えるべきじゃない」という空気をつくっていくつもりだろう。

 しかし、この5年間、拉致解決のためにまったく動かなかったのに今更、政権延命のために拉致を利用しようなんて、ふざけるにも程がある。しかも、拉致を利用するために、トランプに正恩への“口利き”を頼み込み、見返りに巨額の“口利き料”を払おうなんて冗談じゃない。国民の税金だぞ。

 もちろん、拉致被害者が全員、帰ってくれば結構だが、早くも北朝鮮は「拉致問題は解決済み」と念押ししている。成果を期待できるのかどうか。

 過去、支持率が下落した政権は、あの手この手で生き残りを図ってきたが、ここまで破廉恥な延命工作は前代未聞である。

 「どこまで安倍首相が、拉致問題を真剣に考えているのか疑問です。ほんの2カ月前、拉致被害者の救出を求める『国民大集会』が開かれた時も、アリバイ的に短時間、顔を出しただけで、すぐに帰っている。さすがに会場から『なんだ、もう帰るのか』とヤジが飛んでいます。要するに、本気じゃないのでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)

 いったい、この男は誰のために政治をやっているのか。誰のための拉致解決なのか。

■ モリカケもトランプへの口利き依頼も同じ発想

 そもそも、安倍は“総裁3選”どころか、とっくに退陣しているのが当たり前だ。

 モリカケ疑惑は、なにひとつ解決していない。森友事件では、財務官僚による“公文書の改ざん”という異常事態が起き、自殺者まで出ているのだ。国会は1年間、“虚偽答弁”と“改ざん文書”に基づいて審議が続けられてきたのだから、信じられない。この国は本当に民主国家なのか。

 安倍は「拉致問題は私自身の責任で解決しなければいけない」「財務省を立て直す」などとエラソーな口を叩き、ふんぞり返っているが、よくもモリカケ疑獄の主犯のくせにデカイ顔をできるものだ。強行採決まで連発している。

 森友事件は、いつの間にか“佐川事件”のようになっているが、事件の本質は文書改ざんでも籠池前理事長の詐欺でもない。教育勅語を中心に据える「愛国心教育」を実践する小学校を建設するために、国有地が激安で払い下げられたというのが本質である。まず、森友学園にモデル校をつくらせ、成功したら日本全国に同じような学校を建設する構想だったようだ。まだ頭の柔らかい子どもたちに愛国心教育を行うことで、この国を変えようとしたのだ。

 籠池前理事長は2017年7月10日、大阪府議会でこう証言している。
 <情勢が変化したのは十九年。第一次安倍政権のもと、教育基本法が改正された。私は愛国教育の先駆けになろうと教育の充実に努め、各方面から賛同の声が寄せられるようになった>

 籠池前理事長は、安倍と思想信条が同じ日本最大の右翼組織「日本会議」の大阪支部の幹部だった。

 モリカケ事件で支持率が下落し、総裁3選に黄色信号がともった安倍が、延命のために仕掛けたのが、トランプへの口利き依頼である。

 「モリカケ事件と、トランプ大統領への口利き依頼には、安倍首相による“政治の私物化”という共通点があります。国民のための政治じゃない。国益は度外視です。たとえば、米朝和解が進めば日本の安全保障環境もガラリと変わるのに、北朝鮮の弾道ミサイルに対応するために、2基2000億円もする“イージス・アショア”を米国から購入するとしている。あまりにも支離滅裂。それもこれも、総裁3選のために外交が行われているからです。カジノ法案の強行採決だって、トランプ大統領を喜ばせるためでしょう。最大のスポンサーがカジノ経営者ですからね」(本澤二郎氏=前出)

 いったい、安倍の延命のために、いくらアメリカにカネを取られるのか。絶対に安倍3選など許してはダメだ。
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自民党を狼狽させたあの大物教授が警鐘! 9条に自衛隊の活動を書き込む「ポジティヴリスト」の危うさ

2018-06-20 | いろいろ

より

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自民党を狼狽させたあの大物教授が警鐘! 9条に自衛隊の活動を書き込む「ポジティヴリスト」の危うさ

 1年越しの「モリカケ問題」でうんざり感の漂う国会。なかったはずの財務省文書や交渉記録が次々明かされ「憲法改正どころじゃない!」と与党から冷めた声が聞かれる一方、リベラルの一部からは独自の「立憲的改憲」なる案が検討されている。しかし、憲法学者からは疑問の声が挙がっている。

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■自衛隊のできることを憲法に書く「限定列挙」はあぶない

 「九条を変えるべきだ、と主張する人たちは、九条を実定法(ふつうの法律)と同じように考えているところがあります。

 じつは、自衛隊のできることを『ポジティヴリスト』として、一つ一つ憲法に書き込もう、そのほうが明確になる、と主張する政治家やグループがいます。代表的なのが、立憲民主党の山尾志桜里さんです」

 そう解説するのは憲法学の重鎮、長谷部恭男・早稲田大学教授だ。長谷部教授といえば、2015年、自民・公明両党推薦の参考人として呼ばれた衆議院憲法審査会で、「集団的自衛権の行使は憲法違反」と発言し、自民党に泡を食わせた人物として知られる。近著『憲法の良識』(朝日新書)でも持論を展開している。

 「九条の規定を明確にすれば安全だ、という考えは、じつは危険をともなうと私は思います。このような改正を提案した人は、本来であれば自衛隊法などのふつうの法律に書くべきことを、憲法典の中に一つ一つ書くことについて、いわゆる『限定列挙』のつもりで提案しているのかもしれません」

 限定列挙とは、やるべきことを限定的にとどめることで、自衛隊の活動範囲が無制限に広がることに釘を刺そうというものだが、いったんそういう条文ができてしまうと、政府の側としては、拡大して理解しようとするものだと長谷部教授は懸念する。

 「『これは単なる例示です。これらと並ぶような緊急性と必要性のある任務があれば、自衛隊はそれもできるはずです』。私が政府の役人だったら、おそらくそのような解釈をします。というのも、自衛隊の任務を現在、法律でリスト化しているのは、法律であれば憲法とちがって、国会審議のみで柔軟に判断し、変更を加えることもできるからです。

 それを現在のまま、簡単に変えられない憲法の中に埋め込んでしまうと、解釈で対応しなければならないリスクは、かえって拡大します。ですから、ポジティヴリストで限定列挙すれば安心だ、という議論はきわめてあぶないと思います。善意にもとづく真摯な提案であることは理解できるのですが」

■実定法のとおりにすると、人が本来やるべきことに反するときがある

 同じことは、安倍首相の提案(9条1項、2項を残したまま自衛隊明記)についてもいえると長谷部教授は指摘する。この「首相案」については、党内からも異論が噴出。自民党憲法改正推進本部は細田博之本部長の一任で押し切ったものの、2項削除論を展開する石破茂・元幹事長らの不満はくすぶっている。

 「提案者の考える理由が、そのままできあがった条文の有権解釈に直結するわけではありません。現在の日本国憲法の条文についても、提案時点での説明と現在の運用とが食い違っている例は少なくない。提案理由がそのまま有権解釈に直結するという想定は、あまりにも単純素朴です。

 ふつうの法律(実定法)というのは、一人一人に判断することをやめさせて、権威である自分たち(法律)のいうとおりにしてくださいと命令するものです。なぜ実定法が、自分たちは権威である、と主張するのかといえば、実定法の求めるとおりに行動するほうが、あなた方が本来やるべきことだから、ということになり、その要求を支える理由になります。

 けれども、公園内への自動車乗り入れ(禁止)と急病人の例(救急車が入れず見殺しにするのかという議論)が示すように、実定法の要求が、時には筋の通らない場合もある。

 実定法のとおりにすると、人が本来やるべきことに反する、そういうときには良識に立ち戻り、本来の人間の姿に戻って、どう行動するべきかを判断しましょうと呼びかけるのが憲法の役割です。まさに、道具としての憲法の姿が示される場面といえるのです」。

長谷部恭男
 1956年、広島県生まれ。早稲田大学法学学術院教授。専門は憲法学。東京大学法学部卒業。学習院大学法学部助教授、東京大学教授などを経て2014年より現職。15年、衆議院憲法審査会で安保法案を「憲法違反」と発言し物議をかもした
  

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金正恩にすがるしかないトランプとアベの国内事情

2018-06-20 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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金正恩にすがるしかないトランプとアベの国内事情

 史上初の米朝首脳会談に世界の目が釘付けになった2日後、トランプ大統領は72歳の誕生日を迎えたが、その日にニューヨーク州司法長官はトランプ大統領と3人の子供、そしてトランプ財団をニューヨーク州高等裁判所に提訴した。

 提訴の内容は、慈善団体であるトランプ財団に寄付された資金をトランプ一族が2016年の大統領選挙や自己目的の取引に利用する「広範で継続的な違法行為」があったとするもので、司法長官は財団の解散と280万ドル(約3億円)の罰金を求めた。

 翌15日にはトランプ大統領のロシア疑惑を捜査するモラー特別検察官が、ポール・マナフォート元選挙対策本部長を追起訴したことで、マナフォート氏は逮捕され収監されることになった。

 マナフォート氏はフォード大統領以来複数の共和党大統領候補の選挙に関わってきた人物だが、同時に2004年以来ウクライナで親ロシア派のヤヌコビッチ元大統領の選挙運動を10年にわたり支えた人物でもある。

 2016年春にトランプ陣営に参加し選挙対策本部長になったが、ウクライナ時代の不正疑惑が発覚して8月に辞任した。しかしその後もトランプ大統領との関係は続いていると見られてきた。

 モラー特別検察官にとってマナフォート氏はロシア政府やロシアの新興財閥が2016年の米大統領選挙に介入した疑惑を解明するキーマンの一人である。もう一人のキーマンであるマイケル・フリン元国家安全保障担当大統領補佐官は既に罪を認め捜査に協力する姿勢を示している。

 マナフォート氏の収監は疑惑解明のため捜査に協力させようとするモラー特別検察官の執念を感じさせる。こうした動きに対しトランプ大統領は今月に入り3000人の恩赦を考慮していると発表し、さらに自分には自身に恩赦を与える絶対的権利があるとツイッターに書き込んだ。

 これにはロシア疑惑で訴追されても特別検察官の捜査には協力するなと露骨に牽制する意味が込められており、それほどトランプ大統領は追い詰められているのである。であるが故にトランプには北朝鮮の非核化に国民の目を集中させたい思惑がある。

 それがないと中間選挙に勝てる見込みは薄く、下院で過半数を失えば政権運営は片肺飛行となり、2020年の大統領再選など夢のまた夢になる。トランプが北朝鮮の金正恩委員長に最大限の誉め言葉を羅列し、非核化を中間選挙と次の大統領選挙のスケジュールに合わせて段階的に行おうとするのはそのためである。

 そうした事情を金正恩は冷徹に見ている。トランプが金正恩を「交渉者」として褒めちぎるのは金正恩に「敵ながら天晴れ」と思わせる戦略性があるからだ。金正恩は2018年が平昌オリンピックと北朝鮮建国70周年に当たることから、そこに合わせて米国本土を射程に入れる核開発を急がせた。米国と対等の立場で平和交渉に臨むためである。

 世界中からどんな非難を受けようとも2017年は核とミサイル実験を頻繁に繰り返し、11月に米国全土を射程に入れるミサイル実験を成功させたところで実験を中止した。技術的にはあと一歩で本当に米国本土を核攻撃できる。しかしそこまではやらない。私が感心したのはこの「寸止め」である。

 そして2018年の年頭の辞で金正恩は一転して平和攻勢をかけてきた。戦略的に物事を考える米国にはその意思が通じた。水面下で諜報機関同士の交渉が始められたのはその頃だと思う。表で互いに批判しながら裏では本音を探り合う。金正恩が理性的で戦略的思考を持つリーダーであることを確信できたことから、トランプはニクソンの真似を始めた。

 泥沼のベトナム戦争から撤退するためにニクソンがやったことは自分が北ベトナムを核攻撃する「マッドマン(狂人)」だと周囲に思わせたことである。その一方で秘密裏にキッシンジャーが北ベトナムの後ろ盾である中国と手を結び、米国はベトナム戦争から撤退することが出来た。

 米国民に北朝鮮による核戦争の恐怖を味合わせなければ北朝鮮と妥協することは出来ない。しかもトランプには女性スキャンダルやロシア疑惑から国民の目をそらす必要があり、軍事的緊張を高めることは理に適っていた。

 しかし軍事的緊張は高めても現実に軍事行動をとる判断は最初からなかった。米朝首脳会談後の記者会見で、トランプは米国が軍事攻撃すれば2000万人が死ぬと発言したが、それは北朝鮮が韓国のソウルだけでなく在日米軍の中枢がある東京をミサイル攻撃することを意味している。

 金正恩は水面下の交渉で軍事攻撃された場合の北朝鮮の対抗戦術の一端を米国に明かしたのかもしれない。GDP世界15位の韓国と世界3位の日本の経済が壊滅することを知らされれば米国に北朝鮮攻撃のメリットはない。そしてトランプには理性的で戦略的な金正恩の存在が自らの今後の政権運営に欠かせない存在だと思わせた。

 一方、トランプの存在がなければ金正恩の考える北朝鮮の未来もない。他の政権であれば人権問題が最優先され、また米国による一極支配の幻想に取りつかれた政権なら民主主義の価値観を押し付けてくる可能性があり、話がスムーズに進まない。金正恩にとってもトランプ政権は都合が良い。トランプ政権の延命を助けることが北朝鮮のメリットになる。

 お互い都合の良い関係に見えるが、しかし私の見るところ金正恩が有利である。トランプ政権を倒そうとする勢力は米朝合意を批判は出来ても破棄させることは出来ない。そんなことをすれば核戦争の恐怖が再び現実的になり国民の支持は得られない。

 トランプ政権を攻撃するポイントはやはりロシア疑惑、女性スキャンダル、そして一族を巻き込んだ金銭スキャンダルになる。そうなればトランプが支持率を上げるのは北朝鮮の非核化に絞られ金正恩の協力が不可欠になる。金正恩はトランプの足元を見ながら協力する。トランプは金正恩にすがることになる。

 トランプ政権が北朝鮮に融和的になると、これまで強硬姿勢を貫いてきた安倍政権が得意の「すり寄り外交」を発揮して一夜にして態度を変えた。米国を見習って金正恩との信頼醸成を図るという。しかしどうやって信頼を醸成するのか。その戦略は見えない。

 そしてトランプ政権と同様に安倍政権にも「負」の国内事情がある。「働き方改革国会」と大見えを切った手前、何が何でも働き方改革法案を強行採決するしかない。また米国に金儲けのチャンスを与えるカジノ法案も強行に成立させる必要がある。

 「森友・加計疑惑」で国民の信頼を失っている中での強行採決の連続は安倍政権の体力を奪う。また少し前まで北朝鮮危機を煽って「米国と日本は一体である」と宣伝していたのが、「一体でなかった」ことが白日の下にさらされた。しかも米国の融和姿勢に同調せざるを得ないのだからみっともない。

 しかし国内の問題に目を向けさせないようにするにはトランプと同じように金正恩にすがるしかない。安倍総理は拉致問題を解決するため日朝首脳会談を行う決意を固めたというが、それを自力で行う能力が日本にあるかと言えば相当に疑わしい。米国だけでなくロシアや中国、韓国などあちらこちらに「お願い」をしないと難しいのではないか。

 それもこれも北朝鮮には断固とした態度を見せると、様々な日朝ルートを断ち切って来た愚かな政策によるのだから自業自得というしかない。そして致命的なのは頼りにしたトランプが拉致問題を「人権」ではなく「経済」の取引として語ったことだ。

 トランプは米朝首脳会談を実現させるために「人権問題」を脇に置くことにした。金正恩に安倍総理から頼まれた拉致問題に言及した際も「日本から経済支援を受けるためには安倍総理と拉致問題を話し合う必要がある」と言い、金正恩が「安倍総理と会ってもよい。オープンだ」と応じたという。

 これを「前向き」と捉えたのだろう。安倍総理は「金正恩委員長の大きな決断が必要だ。期待している」と16日のテレビ番組で発言した。しかし期待するのは勝手だが何をどのようにして実現するのか全く分からない。

 トランプが米朝首脳会談で金正恩に語ったことはカネを払って取り戻す話だ。その翌日の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は大々的に米朝首脳会談の模様を伝えたが、拉致問題については触れられず、代わりになぜか「森友・加計疑惑」の記事が掲載された。安倍総理がスキャンダルまみれであることが報道されたことは、既に北朝鮮から足元を見られている事を示している。

 一方でトランプは非核化にかかる費用を米国は出さず、韓国と日本に出させるというのだから筋が通らない。米国と韓国が出すなら日本も協力するというのが本来の話だと思う。しかもそれは拉致問題の解決とは関係がない。

 小泉政権時の日朝交渉は日本が植民地支配した過去の清算として経済支援を行い、平和条約を結ぶ約束の中で拉致問題の解決が期待された。しかし現在の安倍政権は北朝鮮の非核化が終わらないうちは制裁を解除すべきではないとの立場である。そうなるとそれまでは拉致問題をカネで解決するわけにいかない。

 完全な非核化はいつ達成するのか。技術的には10年かかるという見方もあるが、金正恩がトランプの大統領再選に協力するなら2020年の大統領選挙の前になる。つまり日本がカネを出せるのはおそらく2020年の直前あたりが最も早いタイミングで、それまでの日本に何ができるのかと言えば残念ながら私には見当がつかない。

 「森友・加計疑惑」を抱える安倍総理がそれでも自民党総裁選挙で3選を果たし、2021年までの任期を確実にすれば自らの手で拉致問題を解決することは可能である。ただそれまで安倍総理は金正恩にすがる以外に方法があるとは思えない。
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作家・中村文則氏が警鐘 「全体主義に入ったら戻れない」

2018-06-19 | いろいろ

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作家・中村文則氏が警鐘 「全体主義に入ったら戻れない」

 ウソとデタラメにまみれた安倍政権のもと、この国はどんどん右傾化し、全体主義へ向かおうとしている――。そんな危機感を抱く芥川賞作家、中村文則氏の発言は正鵠を射るものばかりだ。「国家というものが私物化されていく、めったに見られない歴史的現象を目の当たりにしている」「今の日本の状況は、首相主権の国と思えてならない」。批判勢力への圧力をいとわない政権に対し、声を上げ続ける原動力は何なのか、どこから湧き上がるのか。

  ――国会ではモリカケ問題の追及が1年以上も続いています。

 このところの僕の一日は、目を覚ましてから新聞などで内閣が総辞職したかを見るところから始まるんですよね。安倍首相は昨年7月、加計学園の獣医学部新設計画について「今年1月20日に初めて知った」と国会答弁した。国家戦略特区諮問会議で加計学園が事業者に選ばれた時に知ったと。これはもう、首相を辞めるんだと思いました。知らなかったはずがない。誰がどう考えてもおかしい。ついにこの政権が終わるんだと思ったんですけど、そこから長いですね。

  ――「現憲法の国民主権を、脳内で首相主権に改ざんすれば全て説明がつく」とも指摘されました。

 首相が言うことが絶対で、首相が何かを言えばそれに合わせる。首相答弁や政権の都合に沿って周りが答弁するだけでなく、公文書も改ざんされ、法案の根拠とする立法事実のデータまで捏造してしまうことが分かりました。この国では何かを調べようとすると、公文書や調査データが廃棄されたり、捏造されている可能性がある。何も信用できないですよね。信用できるのはもう、天気予報だけですよ。後から答え合わせができますから。安倍首相の言動とあれば、何でもかんでも肯定する“有識者”といわれる人たちも、いい大人なのにみっともないと思う。

  ――熱烈な支持者ほど、その傾向が強い。

 普通に考えれば、明らかにおかしいことまで擁護する。しかもメチャクチャな論理で。この状況はかなり特殊ですよ。この年まで生きてきて、経験がありません。


■ 安倍政権が知的エリート集団だったらとっくに全体主義

  ――第2次安倍政権の発足以降、「この数年で日本の未来が決まる」と警鐘を鳴らされていましたね。

 これほどの不条理がまかり通るのであれば、何でも許されてしまう。「ポイント・オブ・ノーリターン」という言葉がありますが、歴史には後戻りができない段階がある。そこを過ぎてしまったら、何が起きても戻れないですよ。今ですら、いろいろ恐れて怖くて政権批判はできないという人がたくさんいるくらいですから、全体主義に入ってしまったら、もう無理です。誰も声を上げられなくなる。だから、始まる手前、予兆の時が大事なんです。

  ――そう考える人は少なくありません。総辞職の山がいくつもあったのに、政権は延命しています。

 安倍政権が知的なエリート集団だったら、とっくに全体主義っぽくなっていたと思うんです。反知性主義だから、ここまで来たともいえますが、さすがにこれ以上の政権継続は無理がある。森友問題にしろ、加計問題にしろ、正直言って、やり方がヘタすぎる。絵を描いた人がヘタクソすぎる。こんなデタラメが通ると思っていたことが稚拙すぎる。根底にはメディアを黙らせればいける、という発想もあったのでしょう。

  ――メディアへの圧力は政権の常套手段です。

 実際、森友問題は木村真豊中市議が問題視しなかったら誰も知らなかったかもしれないし、昨年6月に(社民党の)福島瑞穂参院議員が安倍首相から「構造改革特区で申請されたことについては承知していた」という答弁を引き出さず、朝日新聞が腹をくくって公文書改ざんなどを報じて局面を突き破らなかったら、ここまで大事になっていなかった。一連の疑惑はきっと、メディアを黙らせればいい、という発想とセットの企画のように思う。本当に頭の良い、悪いヤツだったら、もっとうまくやりますよ。頭脳集団だったら、もっと景色が違ったと思う。

 だいたい、メディアに対する圧力は、権力が一番やってはいけないこと。でも、圧力に日和るメディアって何なんですかね。プライドとかないのでしょうか。政治的公平性を理由にした電波停止が議論になっていますが、止められるものなら、止めてみればいいじゃないですか。国際社会からどう見られるか。先進国としてどうなのか。できるわけがない。


 モリカケ問題は犯人が自白しない二流ミステリー

  ――安倍首相は9月の自民党総裁選で3選を狙っています。

 これで3選なんてことになれば、モリカケ問題は永遠に続くでしょうね。安倍首相がウソをつき続けているのだとしたら、国民は犯人が自白しない二流ミステリーを延々と見せられるようなものですね。

  ――北朝鮮問題で“蚊帳の外”と揶揄される安倍首相は外遊を詰め込み、外交で政権浮揚を狙っているといいます。

 “外交の安倍”って一体なんですか? 誰かが意図的につくった言葉でしょうが、現実と乖離している。安倍首相が生出演したテレビ番組を見てビックリしました。南北首脳会談で日本人拉致問題について北朝鮮の金正恩(朝鮮労働党)委員長が「なぜ日本は直接言ってこないのか」と発言した件をふられると口ごもって、「われわれは北京ルートなどを通じてあらゆる努力をしています」とシドロモドロだった。あれを聞いた時、度肝を抜かれました。この政権には水面下の直接ルートもないのか。国防意識ゼロなんだ、って。

  ――中国と韓国が北朝鮮とトップ会談し、米朝首脳会談が調整される中、日本は在北京の大使館を通じてアプローチしているだけだった。

 ミサイルを向ける隣国に圧力一辺倒で、あれだけ挑発的に非難していたのに、ちゃんとしたルートもなかったことは恐ろしいですよ。それでミサイル避難訓練をあちこちでやって、国民に頭を抱えてうずくまれって指示していたんですから。安倍首相は北朝鮮の軟化をどうも喜んでいない気がする。拉致問題にしても、アピールだけで、本当に解決したいとは思っていないのではないか、と見えてしまう。拉致問題で何か隠していることがあり、そのフタが開くのが怖いのか。北朝鮮情勢が安定してしまうと、憲法改正が遠のくからか。


■ 萎縮して口をつぐむ作家ほどみっともないものはない

  ――内閣支持率はいまだに3割を維持しています。

 要因のひとつは、安倍首相が長く政権の座にいるからだと思います。あまり変えたくない、変えると怖いなという心理が働いたりして、消極的支持が増えてくる。政権に批判めいた話題をするときに、喫茶店とかで声を小さくする人がいるんですよね。森友学園の籠池(泰典)前理事長の置かれた状況なんかを見て、政権に盾突くと悪いことが起こりそうだ、なんだか怖い……という人もいるのではないでしょうか。マスコミの世論調査のやり方もありますよね。電話での聞き取りが主体でしょう。電話番号を知られているから、何となくイヤな感じがして、ハッキリ答えない、あるいは支持すると言ってしまう。ようやく、不支持率が支持率を上回るようになってきましたが、正味の支持率は今はもう、3~5%ぐらいではないでしょうか。

  ――政権批判に躊躇はありませんか。

 政権批判をして得はありません。ハッキリ言って、ロクなことがない。でも社会に対して、これはおかしいと思うことってありますよね。僕の場合、今の状況で言えば、そのひとつが政権なんです。この国はこのままだとかなりマズイことになると思っている。それなのに、萎縮して口をつぐむのは読者への裏切りだし、萎縮した作家ほどみっともないものはない。

 歴史を振り返れば、満足に表現できない時代もあった。今ですら萎縮が蔓延している状況ですが、後の世代には自分の文学を好きなように書いてもらいたい。それには今、全体主義の手前にいる段階で僕らが声を上げる必要がある。これは作家としての責任であって、おかしいことにおかしいと声を上げるのは、人間としてのプライドでしょう? それに、今の情勢に絶望している人たちが「この人も同じように考えているんだ」と思うだけでも、救いになるかなと思うんです。いろんな立場があるでしょうが、僕は「普通のこと」をしているだけです。

(聞き手=本紙・坂本千晶)

▽なかむら・ふみのり 1977年、愛知県東海市生まれ。福島大行政社会学部卒業後、フリーターを経て02年、「銃」でデビュー。05年、「土の中の子供」で芥川賞、10年、「掏摸〈スリ〉」で大江健三郎賞。14年、ノワール小説に貢献したとして米国デイビッド・グーディス賞を日本人で初めて受賞。16年、「私の消滅」でドゥマゴ文学賞。近未来の全体主義国家を生々しく描いた近著「R帝国」が「キノベス!2018」で首位。
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米国主導から多極世界へ

2018-06-18 | いろいろ

賀茂川耕助氏の「耕助のブログ」より

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米国主導から多極世界へ

 4月27日、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は、冷戦終結後も分断されていた朝鮮半島の北と南の政府が再統一に取り組む「板門店宣言」に署名した。

 米トランプ大統領は北朝鮮に対する圧力を最大限まで高めることで核兵器を放棄させると主張し、それに合わせて安倍総理も圧力をかけると言い続けてきた。河野外相は他国にも北朝鮮と国交断絶をすることを呼び掛けた。ところが平昌オリンピックあたりから南北の協力と和解の雰囲気が醸成され、板門店での会談が実現し、朝鮮半島の完全な非核化と1953年から休戦状態にある朝鮮戦争を年内に終わらせるという合意に至ったのである。

 これをもたらしたのは日米の圧力などではなく「対話」ではなかったかと思う。3月25日から4日間、金氏は中国を訪問し習国家主席と会談した。北朝鮮の非核化と朝鮮半島の平和と安定を守るために韓国との対話を通じて問題を解決することを中国は提案したのである。

 昨年2月、中国は核実験に対する国連安保理の制裁決議に基づき、北朝鮮からの石炭の輸入を停止した。最大の貿易相手国である中国の経済制裁は北朝鮮にとって死活問題であり、さらに北朝鮮は慢性的な食糧不足で、国連の報告書によれば2016年に人口約2490万人のうち1050万人が栄養不足にあるという。

 核開発に反対してきた中国は北朝鮮に、非核化か、制裁によるさらなる困窮のどちらを取るかを迫ったのではないか。実際、金氏と習国家主席がどのような話をしたか詳しい報道はないが、朝鮮半島情勢が金氏の思惑だけで変わるはずはない。

 北朝鮮に懐疑的な人々は、核開発をしないという金氏の言葉は今回も信頼できないと言うかもしれないが、私はそうは思わない。核を持たなければリビアのカダフィのように米国から攻撃されるとして核開発に固執していた金氏が方針を転換したのは、中国とおそらくはロシアの存在があるだろう。米国が攻撃したら中国(ロシア)が北朝鮮を守るという約束をしたのかもしれない。保障がなければ金氏が非核化に同意することは考えにくく、その保障を得たために核の代わりに平和を構築することに合意したのだと思う。

 北朝鮮の目的は軍事大国になることではない。板門店宣言では「南北は民族経済の均衡の取れた発展と共同繁栄を成し遂げるため、最初のステップとして分断された鉄道と道路を連結し現代化して活用するための実践的な対策を取っていく」と記している。これは昨年、ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムの草案とも合致する。

 ロシア、中国、日本、南北朝鮮が互いの発展と繁栄のために貿易障壁をなくした経済圏を確立する。そしてそれは中国が主導する「一帯一路」構想に組み込まれるのである。北朝鮮はこのユーラシア大陸の開発プロジェクトに参加するために核兵器を破棄する準備があると思う。朝鮮半島の平和は、米国主導から多極世界への移行の始まりを象徴する出来事となるだろう。
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見返りの経済支援いくらになる? 危うい日朝首脳会談狂騒

2018-06-18 | いろいろ

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見返りの経済支援いくらになる? 危うい日朝首脳会談狂騒

 歴史的な米朝首脳の初会談が終わった途端、にわかに拉致問題を協議する日朝首脳会談が、さも実現しそうなムードが漂い始めている。

 火付け役は大手メディアだ。14日、読売新聞は朝刊1面トップで〈日朝首脳会談へ調整〉〈8・9月案浮上〉と大見出しを掲げ、産経新聞も1面トップで〈日朝会談へ本格調整〉と報じた。産経によると、米朝会談で金正恩朝鮮労働党委員長は、トランプ大統領に対し「安倍晋三首相と会ってもよい」と述べたという。

 すると、14日昼のNHKニュースも追随。米朝会談後の機内で安倍との電話会談に応じたトランプが、拉致問題をめぐる日本との対話に正恩がオープンな姿勢を示したと伝えていたことを、政府関係者の話として報じた。

 負けじと政府・与党もあおる。おとといの13日に、自民党の萩生田光一幹事長代行は首相公邸での安倍との面会後、記者団にこう胸を張った。

 「米朝会談で金正恩委員長から『拉致問題は解決済み』という反応はなかった。これは大きな前進だ」

 萩生田は、安倍からトランプとの電話会談で伝えられた米朝会談の様子について説明を受けたというが、正恩の反応については「伝聞の伝聞」の域を出ない。

 安倍は加計孝太郎理事長と面談したと記載された「愛媛文書」の内容を、「伝聞の伝聞だ」とムキになって否定した。都合の良い時だけ「伝聞の伝聞」を政治利用し、日朝会談実現のムードを扇動するとは、ご都合主義の極みである。

 おまけに、14日午後には官邸で安倍が拉致被害者の家族らと面会し、「拉致は日朝の問題。米朝会談を機会と捉え、北朝鮮に直接向き合いたい」と息巻いた。

 安倍が被害者家族の目の前で、拉致解決に向け、金正恩との対話の決意を表明する――。芝居じみた政治パフォーマンスの当日、政権側と彼らと距離が近いことで知られるメディアから、拉致前進の空気感を醸し出す“連携プレー”が飛び出したわけだ。この動きに怪しさを感じるのは、うがった見方だろうか。

■ トランプにせびられ、正恩に足元を見られる

 読売は〈首脳会談実現に向け、日朝両政府関係者が複数回にわたって水面下で交渉〉〈協議は米朝首脳会談が浮上した今春以降、極秘で行われてきた〉と書いた。

 会談のメドが立つ前に「水面下の極秘協議」が表沙汰になれば、交渉相手がへそを曲げ、オジャンとなりかねない。当然、官邸サイドは読売の記事に猛抗議すべきだが、今のところ、その動きは見られない。

 「冷静に考えれば、官邸内の誰かが記事を『書かせた』と見るのが妥当です」と指摘するのは、ジャーナリストの高野孟氏だ。こう続けた。

 「裏を返せば、安倍政権が追い詰められている証拠です。『拉致問題の解決は、安倍政権の最重要課題』と嘯きながら、北には圧力一辺倒で『対話のための対話は意味がない』などと挑発以外、何もやってこなかった。自業自得で今や北朝鮮情勢は蚊帳の外で、この5年間で“拉致の安倍”が残した結果は、1ミリたりとも拉致問題が前進していないことだけです。そんな批判を避けるため、トランプ大統領が米朝会談で拉致問題を取り上げたのを奇貨として、日朝会談実現のムードをあおり、拉致問題に必死で取り組んでいるポーズを演出したいのでしょう。この政権は“やっている感”のPRだけは、つくづく長けています」

 14日、ソウルで開かれた日米韓外相会談後、河野太郎外相は「拉致問題は、日朝が直接話し合う必要がある。日本としては、それに向けたさまざまな準備をしていく用意がある」と表明した。「対話を準備してきた」と言うならまだしも、「準備をしていく用意がある」とは何もやってこなかったことを認めたに等しい。本当に「水面下で極秘協議」をしているのかさえ、疑わしいのだ。


 “やっている感”のPRに消える莫大な血税

 拉致問題の解決に向け、安倍は完全にトランプ頼み。米朝会談直前も、ホワイトハウスに押しかけ、「拉致を取り上げて」と拝み倒し、実際にトランプが米朝会談で取り上げると、政権を挙げて大喜び。大手メディアも共に大騒ぎで、米朝会談後のトランプ会見を生中継したNHKは、「拉致問題を提起した」と言及すると、その発言をわざわざ速報テロップで伝えたほどだ。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)はこう言った。 

 「トランプ大統領が拉致問題を提起した見返りに、はたして日本はどれだけの借りをつくったのか。米朝会談後の会見で、トランプ大統領は『北朝鮮の非核化の費用は韓国と日本が支援する』と明言。日米首脳会談後には『安倍総理は先ほど、軍用機をはじめ米製品を数十億ドル規模で購入すると約束した』と暴露しました。これらの負担は氷山の一角で、日本が米国に払う代償は、まだあるのかも知れません。それで拉致被害者が全員帰ってくれば文句なしですが、そのメドも立たず、首相が“やっている感”のPRのため、やみくもに巨額の税金を使っているのなら、許しがたい話です」

 トランプに巨額の見返りをせびられているのは、圧力バカ路線のせいなのに、安倍は「北の脅威」を散々政治利用してきた過ちを省みず、対話路線にアッサリ転換する二枚舌。その過ちをカキ消すため、税金を私物化しても平気の平左。場当たり的にトランプの拉致提起に食いつき、拉致前進のポーズを取って、さも自分の手柄のごとくアピールする厚顔ぶり。

 国民は日朝会談が実現しそうなムードに惑わされてはいけない。ご都合主義の口先首相の言動は全て疑った方がいい。

■ 拉致解決に必要な歴史と向き合う覚悟

 こんな軽い気持ちで、安倍が日朝会談に臨んでも、正恩に法外な戦後賠償金を吹っかけられるのがオチだ。

 韓国サムスン証券は13日、北朝鮮が対日請求権を行使し、200億ドル(約2兆2061億円)を受け取れると分析したが、何しろ相手は、百戦錬磨のディールに長けたトランプが「才能がある」と賛美したタフネゴシエーターだ。拉致解決を熱望する安倍の足元を見て、賠償金を数兆円単位で上乗せしてきても、おかしくない。

 むろん、拉致被害者は帰ってきた方がいい。拉致被害者家族の高齢化が進み、解決までの時間の猶予もない。ただ、安倍には朝鮮半島の歴史認識が決定的に欠けている。それが危険なのだ。

 河野洋平元衆院議長は13日に都内で講演し、1910年に日本が朝鮮半島を植民地化した経緯に触れ、「国交も正常化されていない、植民地問題の処理もできていない国に対し、ただ帰せ、帰せとだけ言っても拉致問題は解決しない」と強調。「拉致は大事だが、その前に国交正常化をやろうとか、植民地問題の処理はこれで終わりだ、というところまでやらないといけない」とし、拉致解決を最優先させる安倍政権にクギを刺した。

 「日本による朝鮮半島の植民地支配が、今日の南北分断の遠因となっているのは間違いありません。日朝会談の成功には、河野元議長が言うように歴史と向き合う覚悟が不可欠ですが、その決意が安倍首相にはちっとも感じられません。漂うのは、拉致を政権維持に利用する魂胆のみ。こんな首相が日朝会談の実現に気勢を上げても、国家の存続をかけた“勝負”に挑んだ金正恩に嘲笑されるだけです。そんな結果は百も承知で、政権とメディアが一蓮托生となり、日朝会談実現ムードを扇動することには非常に危うさを感じます。国民がだまされないか心配です」(高野孟氏=前出)

 国民は危うい狂騒を冷静に見極めないといけない。
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安倍首相「カジノ法案」強行の背景にトランプの意向!

2018-06-17 | いろいろ

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安倍首相「カジノ法案」強行の背景にトランプの意向! 日米首脳会談に米カジノ企業トップ3人が同席

 安倍政権がまたもひどい強行採決をおこなった。昨日、「カジノ法案」こと統合型リゾート(IR)実施法案に反対して野党が石井啓一国交相の不信任決議案を提出したが、本日の本会議で与党の反対で否決。そのあと、衆院内閣委員会が開かれ、野党側は審議継続の動議を提出したのだが、自民党の山際大志郎委員長がこれを無視して、職権で法案を強行採決したのだ。

 このカジノ法案は、刑法で禁じられている賭博場であるカジノを合法化して解禁させようというもの。安倍首相はこの法案について「観光立国の実現に向け、世界中から観光客を集める滞在型観光を推進する」と喧伝するが、自治体調査ではカジノ入場者の7〜8割が日本人と想定されており、ギャンブル依存症患者の増加が医師や専門家からも懸念が示されている。さらに、今回の法案では、「特定資金貸付業務」というカジノ事業者が客に賭け金を貸し付けることを認めており、多重債務者の増加も心配されているのだ。

 その上、昨年に政府の有識者会議はカジノ施設の面積に制限を定めるべきだと提言し、政府も上限規制案を出していたが、与党協議でこれを削除。さらに、安倍首相は「独立した強い権限をもつ、いわゆる三条委員会としてカジノ管理委員会を設置し、世界最高水準のカジノ規制を的確に実施する」と豪語してきたが、6月8日の衆院内閣委員会では担当大臣である石井国交相が「カジノを管理するためにはカジノの実態を知っている人を任用することもありうる」と述べ、カジノ事業者が管理委員会事務局に入れる可能性を認めた。

 ようするに、安倍首相が何度も繰り返してきた「世界最高水準のカジノ規制」の根拠はどこにもないどころか、管理委員会は「カジノ推進機関」として機能する危険さえ出ているのだ。

 このように問題が次々に指摘されているにもかかわらず、衆院内閣委員会でのカジノ法案の審議時間は、野党が要求していた50時間には遠く及ばない、たったの18時間。そして、きょうの審議継続の動議を無視した強行採決……。与党には問題点や危険性を改めようという気がさらさらなく、「数の力で押し通す」ことしか頭にないのだ。

 とにかく今国会でカジノ法案を成立させる──。安倍首相がここまで血道を上げる理由は、一体何なのか。じつは、カジノ法案の背景には、トランプ大統領と米国カジノ企業の意向があった。


 「シンゾウ、この企業を知っているか」トランプがあげたカジノ企業名

「昨年2月、安倍総理がトランプ大統領との初の首脳会談をおこなった日の朝食会には、米国カジノ企業のトップ3人が出席していました。そのうちのひとりは、トランプ大統領の最大の支援者であります。安倍総理はその場で『カジノ推進の法律をつくった』と紹介しました。まさにカジノ企業の要求に応えるものでした」

 昨日の衆院本会議でこんな指摘をしたのは共産党の塩川鉄也議員。

 安倍首相が米国カジノ企業トップと会合をもっていた──。じつは、この朝食会は、全米商工会議所と米日経済協議会の共催でおこなわれたもので、ラスベガス・サンズの会長兼CEOやMGMリゾーツの会長兼CEO、シーザーズ・エンターテイメントのCEOなどが参加していた。そもそも、米日経済協議会は安倍政権に対して2016年の段階からカジノ法案の制定を要求しており、安倍首相が朝食会で会った企業の首脳たちはいずれも日本へのカジノ進出を狙っている。安倍首相がこのとき陳情を受けたことは間違いないだろう。

 しかも、安倍首相にカジノ解禁を迫り、牽引してきたのは、トランプ大統領だ。昨年6月10日付の日本経済新聞には、こんなレポートが掲載されている。

〈「シンゾウ、こういった企業を知っているか」。米国で開いた2月の日米首脳会談。トランプ大統領は安倍晋三首相にほほ笑みかけた。日本が取り組むIRの整備推進方針を歓迎したうえで、米ラスベガス・サンズ、米MGMリゾーツなどの娯楽企業を列挙した。政府関係者によると首相は聞き置く姿勢だったが、隣の側近にすかさず企業名のメモを取らせた〉

 トランプの話に「へいへい」と前のめりで御用聞きに成り下がる安倍首相と側近の姿が目に浮かぶエピソードだ。安倍首相はこの件を塩川議員に追及された際、「まるでその場にいたかのごとくの記事でございますが、そんな事実はまったく一切なかった」(6月1日衆院内閣委員会)と答弁したが、朝食会にカジノ企業トップが顔を揃えていたことは認めている。朝食会が日米首脳会談に合わせてセットされたことを考えれば、トランプ大統領がカジノ推進について首脳会談で畳みかけないわけがない。


 安倍首相とカジノ進出を狙うセガサミーホールディングス会長との蜜月

 さらに、安倍首相がカジノ解禁に突き進む理由はもう一つある。安倍首相は、カジノ進出を狙うセガサミーホールディングス会長の里見治氏と“蜜月関係”にあるからだ。

 セガサミーといえばパチンコ・パチスロ最大手の企業だが、2012年に韓国のカジノ企業と合弁会社を設立し、昨年4月には韓国・仁川に大型カジノリゾートをオープン。カジノが解禁されれば、その恩恵を大きく受ける企業だ。実際、セガサミーは五輪東京招致のオフィシャルパートナーとなり、政界の“五輪開催のタイミングでカジノ合法化へ”という動きのなかでカジノ利権の主導権を握ろうと存在感を高めてきた。そうしたなかで、セガサミーは国内カジノ利権の主導権を握るため政界工作をおこなってきたと言われている。

 そして、カジノ解禁に向けて里見会長が目をつけたのは、安倍首相その人だった。

 ふたりの出会いは第一次安倍政権時だと見られ、2007年1月30日には赤坂の全日空ホテルで安倍首相と里見会長は会食をおこなっている。さらに政権交代によって下野してからは、さらにふたりの関係は密になったという。

 そんな間柄を象徴するのが、2013年9月に開かれた、里見会長の愛娘と経産キャリア官僚だった鈴木隼人氏の結婚披露宴だ。ホテルオークラで開かれたこの披露宴には、森喜朗、小泉純一郎といった首相経験者や、菅義偉官房長官、茂木敏充経産相(当時)、甘利明経済再生担当相(当時)といった大物閣僚らが揃って駆けつけたが、そんななかで安倍首相は新婦側の主賓を務めている。

 さらに、安倍首相は主賓挨拶で「新郎が政界をめざすなら、ぜひこちら(自民党)からお願いします!」と、鈴木氏にラブコール(「FRIDAY」13年10月4日号/講談社)。実際、翌年12月に行われた解散総選挙で鈴木氏は比例で自民党から立候補するのだが、このとき鈴木氏は初出馬ながら比例上位に選ばれ、当選を果たす。ここに安倍首相の根回しがあったことは想像に難しくない。事実、昨年の衆院選でも、安倍首相はわざわざ鈴木議員の選挙区に応援に駆け付けている。

 また、2015年1月には里見会長の自宅に銃弾が撃ち込まれるという発砲事件が起こったが、このときこぞって週刊誌が“カジノ利権の争いが事件の背後にあるのでは”と書き立てた。鈴木氏の衆院選当選によって安倍首相と里見会長の関係がより深くなり、カジノが解禁されれば“参入業者の最有力候補”となる里見会長へのやっかみがあったのではないかというのだ(「週刊朝日」2015年1月30日号/朝日新聞出版)。


 パチンコ業者とは以前から…カジノ解禁は安倍首相の支援者への利権バラマキ

 娘婿という身内まで政界に送り込み、カジノ解禁、そして安倍首相との関係を盤石なものとした里見会長。しかも、このふたりには、金をめぐるキナ臭い噂も流れている。

 たとえば、「選択」(選択出版)2013年9月号の記事では、セガサミーの関係者が「安倍首相は、里見会長の元に直接訪ねてくるほどの間柄」と答えたり、セガサミー社員が〈業界団体の集まりで「安倍首相はウチが落とした」と公言してはばからない〉ことなどを紹介。その上で、里見会長の側近の一人が「参院選前に、里見会長は安倍首相に五千万円を手渡した」と吹聴している、と伝えている。

 これが事実なのかは定かではないが、しかし、もともと安倍首相はパチンコ企業との癒着が指摘され続けてきた人物。父・晋太郎の時代から福岡、山口で多くのパチンコ店を経営する七洋物産は地元の有力スポンサーであり、安倍家は下関市の広大な自宅と事務所を同社の子会社であるパチンコ業者・東洋エンタープライズから格安で賃借。さらに自宅のほうは1990年に所有権が同社から晋太郎に移り、それを安倍首相が相続。地元では「パチンコ御殿」と呼ばれているというが、里見会長との蜜月の前からパチンコ業界との“下地”はこうしてつくられていたのだ。

 このように安倍首相にとっては、カジノ解禁は支持者に利権をばらまくために必ず実行しなければならない宿願であり、いまはそこに“親分”であるトランプ大統領までがその背中を押している状態にある、というわけだ。だが、カジノ法案は前述したようにギャンブル依存という重大な問題を孕むだけでなく、反社会的勢力の温床になる危険性も指摘されている。だいたい、“誰かが必ず金を巻きあげられる”という不公平な仕組みを国が公認し、「成長戦略」にしようと目論むこと自体が社会的公正にもとる行為だ

 そうした反論にはまともに取り合わず、審議継続を求める動議さえ無視して強行採決する──。カジノ法案は高度プロフェッショナル制度の創設を含む働き方改革関連法案とともに、絶対に許してはいけない法案であり、廃案を求めるほかない。
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米朝会談をどう見るか 変化を望まない人々の批判と難クセ

2018-06-16 | いろいろ

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米朝会談をどう見るか 変化を望まない人々の批判と難クセ

 12日の歴史的な米朝首脳会談。際立っていたのは、トランプ米大統領と金正恩北朝鮮労働党委員長が終始、互いを称賛する言葉ばかり発していたことだ。

 共同声明の署名式で、金正恩が「今日のために努力してくれたトランプ大統領に感謝の気持ちを伝えたい」「世界はおそらく重大な変化を目にするだろう」と言えば、トランプは「我々は非常に特別な絆を結んだ」「一緒にいられて非常に光栄だ。ありがとう」と手放しの持ち上げよう。かつて「ロケットマン」とバカにしていたことが嘘のように、「素晴らしい性格で非常に賢い」とベタ褒めだった。

 共同声明の中身は、金正恩が「朝鮮半島の完全な非核化」を約束し、トランプが「北朝鮮の安全を確約」、事実上の体制保証を与えるものだが、非核化の具体的な工程や検証方法は盛り込まれなかった。互いの“称賛合戦”に、自国民向けの“成功”アピールという政治的思惑があるのは間違いない。

 しかし、史上初めてトップ同士が直接会って関係改善に強い意欲を示したことは前進だ。金正恩は「過去の克服」への強い決意と「これまでとは違う」という姿勢も見せた。トランプは対話継続中の米韓軍事演習の中止にも踏み込み、60年以上休戦状態にある朝鮮戦争について「間もなく終結することを期待している」と発言した。これで事態が大きく動く可能性が出てきたといえる。

■ 「決裂」を望んでいた安倍首相

 ところが、日本政府と大メディアは、この歴史的な転換期において、懐疑的な論調から抜け出せない。

 会談開始から共同声明までの4時間ほど、テレビは、コメンテーターや有識者が「完全な非核化がどこまで担保できるのか」とか、「北朝鮮は過去の合意をことごとく破ってきた」などと後ろ向きの議論がほとんどだった。

 政府も、安倍首相は「正しい道を歩めば北朝鮮は明るい未来を描くことができる」と発言し、蚊帳の外のくせに何を勘違いしているのか、相変わらずの上から目線。小野寺防衛相は「会談で一定の約束をしたとしても、具体的な行動が確認できるまで決して気を許すべきではない」と圧力路線のままだし、河野外相も「核を含む全ての大量破壊兵器、全ての射程のミサイルの廃棄に向け、北朝鮮の明確な関与を引き出せるかどうかが焦点だ」と強気一辺倒で“難クセ”をつけていた。

「対話のための対話は意味がない」と繰り返してきたのが安倍だ。北の脅威を「国難」と位置付け、去年は解散総選挙まで断行した。大勝すると、麻生財務相は「明らかに北朝鮮のおかげ」と言ってのけた。 

 要するに、安倍政権にとっては現状維持が望ましいのだろう。北東アジアに平和が訪れることがそんなに嫌なのか。北朝鮮が脅威でなければ困るのか。

 元外交官の天木直人氏がこう言う。

 「藤崎一郎元駐米大使が先月BSテレビに出演した際に『米朝首脳会談は失敗して欲しい』と本音を漏らしました。安倍政権は会談の『決裂』を望んでいたのですから、現状をなかなか祝福できないのでしょう。それで、目先の『非核化』にばかり執着し、国際政治の大きな変化の流れに目を向けられない。対米追従だけで来たので頭の切り替えができないのです。これから新しい時代に入る可能性が高まった。南北の協力関係も進むでしょう。日本のメディアも、今回の米朝会談を過小評価していると思います」

 先週、非営利シンクタンク「言論NPO」が日米での共同世論調査の結果を発表したが、米朝会談の行方に対する日米の温度差がクッキリ出ていた。「朝鮮半島の非核化」について、米国民は「成果につながらない」が35.9%で、「決定的な成果が期待できる」が21.8%だったのに対し、日本国民は「成果につながらない」が52.2%で、「決定的な成果が期待できる」はわずか6.2%だったのだ。他の質問項目でも日本人の悲観論が気になった。

 安倍政権と大メディアが北をひたすら敵視してきた“効果”なのだろう。


 安倍政権の「安保」とは真逆の方向へギアチェンジ

 今回の米朝会談を契機に朝鮮半島に残る冷戦構造が終焉に向かう可能性が出てきたわけだが、安倍政権で、この先の劇的な変化に対応できるのだろうか。

 「私は、米朝の国交正常化が日朝の国交正常化より先行するのではないかとみています。1971年にニクソン米大統領の特使として、キッシンジャーが極秘訪中し、日本は腰を抜かした。あの時は結局、当時の田中角栄首相が72年に日中国交正常化を果たし、米国に先んじましたが、今度は北朝鮮との国交正常化で米国が先行するでしょう。日本は拉致問題があるから身動きが取れない。トランプ大統領は米朝会談で拉致問題を取り上げましたが、今後については、日朝の2国間交渉で進めるしかありません。安倍首相は頭が痛いでしょう」(天木直人氏=前出)

 米朝国交正常化が現実になれば、日本を含めた北東アジアの安全保障や日米同盟、日本の防衛の在り方も大きく変わるだろう。実際、トランプは12日の記者会見で、「非核化までには長い時間がかかり、それまでは制裁は続ける」としながらも、「ウォーゲームは多額の費用がかかる。もともと好きではなかった」と、米韓軍事演習の中止と、その先の在韓米軍の縮小や撤収の可能性にまで言及した。つまり、将来的には在日米軍だってどうなるか分からない、ということだ。

■ 政策転換は「アベ後」しか無理

 軍事評論家の前田哲男氏がこう言う。

 「共同声明は『始まりの始まり』に過ぎませんが、それでも局面が変わったのは決定的です。“戦争状態”というギアが逆向きになる大きなレジームチェンジであり、これからさまざまなことが動き出すでしょう。非核化のペースを見ながら、在韓米軍の縮小が具体的になっていく。トランプ大統領の『軍事演習はお金がかかる』という発言は、もはや無駄なことにお金をかける余裕がない、と言っているようなもので、日米韓の軍事協力はスローダウンしていく。将来的に朝鮮戦争の終結宣言までいけば、『韓国国連軍』としての在日米軍の存在理由もなくなります。新たな安保法制で集団的自衛権の行使と海外派兵を可能にし、日米韓の軍事同盟を強化させたい安倍政権とは真逆の方向。今頃、政府は衝撃を受けていることでしょう」

 安倍はしつこいくらいにトランプと日米会談を繰り返し、「安易な合意に流れないようクギを刺してきた」(政府関係者)ものの、完全にハシゴを外された。これまで北をとことん政治利用してきた不明を恥じたらどうか。

 「安倍政権の進めてきたガイドラインと安全保障政策では、現状適応力がなくなったということを、今回の米朝会談で見せつけられました。歴史的な変化に対応した政策転換は、安倍首相ではやれない。“アベ後”じゃないと無理です」(前田哲男氏=前出)

 「外交の安倍」「拉致の安倍」で売ってきたが、そろそろ退却の時を迎えたということである。
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検審申立という第2幕が始まりました

2018-06-16 | いろいろ

ラテンアメリカと日本を拠点に活動する音楽家・作家 「八木啓代の独り言」 より

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検審申立という第2幕が始まりました

 5月31日、検察が森友事件に関する一連の告発について、「まとめて不起訴」を出しました。
 この「まとめて不起訴」という対応そのもので、はじめからまともに捜査をする気もなければ、本気で起訴する気もなかったということが明らかであったと思います。

 だって、たとえ被疑者が同一であったとしても、

  (1) 大量の公文書を捨てたと佐川局長が国会で抜かした件
  (2) 多数の公文書を改ざんしていたのが朝日のスクープでバレた件
  (3) みんなが疑っている、8億円の国有地を1億円で売っちゃって、背任じゃないかと疑われている件

 というのは、それぞれ別の問題なわけです。

 極端に言うと、死体があったとして、「殺人」と「死体遺棄」と「死体損壊」はそれぞれ別の罪なわけでして、殺人はやってないけど死体遺棄はやったとか、死体損壊はやったとか、証拠隠滅だけやったのかもしれないとか、殺人じゃなくて、過失致死だったかもとか、まともに捜査をしていれば、まあいろいろありうるわけで、他に犯人がいて、まったくの無関係でない限り「本人死にたがってた人で、死んでもかまわない人だったから、死体捨てたのまでバレてて、殺人疑われてるけど、まとめて不起訴」なんてありえないですよね。

 で、その不起訴理由というのがまた、記者会見では、

  ・公用文書毀棄については、「応接記録は、財務省文書管理規則で、保存期間一年未満なので、捨ててもいい書類だった」

  ・虚偽有印公文書作成及び行使に関しては、「文書の内容に大きな変更はなかったし、嘘を書いたわけではない」

 などと、女性特捜部長さんがおっしゃったそうです。

アホ抜かせ。

 と、そこで、大阪人である私は、つい大阪言葉で毒づいてしまったわけですの。

 財務省管理規則にはどこを探しても、「応接記録は、財務省文書管理規則で、保存期間一年未満なので、捨ててもいい書類だった」などという項目などございませんのよ。
 いくら、記者の方が、財務省管理規則を全文暗記しているわけがないので、その場でツッコミができないだろうからって、よくもぬけぬけと、そんなボケかましてくれますよね。
 そんなにツッコんでほしいのでしたら、徹底的にツッコましていただけますわ。なめてんじゃねえよ。

 というわけで、まず、公用文書毀棄について出させていただいた申立書が、こちらでございます。

 http://shiminnokai.net/doc/moushitate_kiki_180611.pdf

 簡単に言いますと、財務省管理規則では、国有地の売却に関する一連の書類は、保存期間が30年と定められており、さらに、他の省庁(この場合は大阪航空局)との交渉記録は最低10年の保存期間、しかも、相手方に不利益処分のある場合(この場合は、契約に買い戻し特約があること)がある場合は、最低5年の保存期間が定められているので、どっちにしても、1年未満の保存期間などというのは、無理筋の言い訳でしかないこと。

 そして、決定打としては、森友学園への土地売却は、一括払いではなく、10年の分割払いになっていたため、支払いが完了しないうちは、事案も契約も終了していない(で、結局、小学校建設の話が潰れたので、問題の土地を更地にして、国に返還しなくてはならない)ので、そもそも、事案は終了していないので、1万歩譲って、「事案が終了したので、細則で廃棄した」という苦し紛れの言い訳自体、はじめっから成立してないし、ということです。

 そして、虚偽有印公文書作成及び行使につきましては、申立書はこちらになります。

 http://shiminnokai.net/doc/moushitate_kyogi_180611.pdf

 「大きな改ざんではない」どころか、どこが、「内容に大きな変更のない」んでしょうね。しかも、わざわざ国交省まで行って書類をすり替えようなどという泥棒みたいな真似までして、バレてやがんの

 しかも、この件については、昭和33年の最高裁での判例がありまして、議事録の一部を削除しただけでも、公用文書等毀棄罪と虚偽有印公文書作成及び行使が成立した、というものがあるわけなんですね。
 この判例につきまして、「これは議事録の話であって、財務省の交渉記録ではないから」などという間抜けな論評を書いておられるアレな方もいらっしゃいますが、(見え透いたDD論で中立を装うことで、国会で調査委員会でも立ち上げることになったら、ぜひ入りたいとでも切望していらっしゃるんでしょうか。)、ブログの記事か、せいぜいネットでちゃっちゃと検索できる最高裁判例しかお読みになっていらっしゃらないようです。

 この裁判では、印の押された決裁文書は、「毀棄できないことは明らかである」と述べられているだけではなく、原審では、明白に、「(除去した発言等の)部分が要望事項にすぎなかったものとしても、はたまた同部分の議決が無効であるとしても、同部分が前記委員会の会議において 議決されたものであることが動かぬ事実である以上、同部分を故(ことさ)らに脱漏して新たな議事録を作成するがごときことは真実に適合しない虚偽の議事録を作成するものというべく、もとより法の許さざるところであり、これをあえてするときは虚偽公文書作成罪を構成し、またこれを行使するときは同行使罪を構成するものといわなければならない。」
 とまで、書かれているわけです。

 つまり、要望部分が、議決に何の影響も与えなかったとしても、その部分を削除したら、それだけで公用文書等毀棄罪と虚偽有印公文書作成及び行使が成立するとされているわけです。

 で、常識で考えて、村役場の議事録ですらNGなことが、財務省の国有地売却記録で問題ないわけがないということは、皆さんおわかりでしょう。

 ていうか、それでも「いや、村役場の議事録では駄目でも、財務省の国有地売却記録では、どんだけ書き換えても、削除しても、内容を変えても、ぜんぶセーフなんだよっ」と言い張る向きがおありなら、だったら、裁判所で判断を仰げばいいんですよ

 ということで、この事件、大阪地裁内の検察審査会で、昨日、無事、申立を済ませて参りました。

 大阪地裁は初めてでしたので、勝手がわからなかったのですが、大阪の弁護士さんたちより、大阪地裁の内部の見取りから、近場のコーヒーが美味な喫茶店、さらには安くて旨い立ち飲み屋に至るまでの、いろいろ有益なアドバイス多数をいただけたのと、なにより、地元大阪の有志の方にもお手伝いに来ていただけたおかげで、ラビリンスのような大阪地裁の中で、迷子になることもなく、無事、申立と記者会見を行うことができました。
 ご協力をいただいた皆様、本当にありがとうございます。(鱧美味しかったです。)

 とはいえ、検察審査会のブラックボックスさは定評のあるところ。
 あのストーリー田代事件のように、中立であるはずの補助弁護士に、元検察高官がどさくさ紛れに就任していた、などというようなことのないよう、大阪弁護士会にも要望書を提出し、解散となりました。
   
 http://shiminnokai.net/doc/oosakabengoshikai.pdf

 さあ、皆様、第2幕はこれからですよ。
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愛媛県知事・中村時広が独白90分「総理はわかっているはずです」

2018-06-15 | いろいろ

より

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愛媛県知事・中村時広が独白90分「総理はわかっているはずです」

 「嘘つき呼ばわりは耐えられません」


政府の言い分を覆す文書が次から次に愛媛県から出てくる。みんなが正直に話せば、どうということない――中村知事はそう話すが、そのとおり。なぜ正直に話せないのか。さぁ、みんなで考えよう。


 記憶vs.記録

中村 「最初に申し上げたいのは、私は世間で言われているように安倍政権の倒閣運動をしているわけではない、ということです。

反安倍政権といった観点から、県政を行っているわけではありません。実際、加計学園の獣医学部に違法性があると言ったことは一度もないんですよ。公明正大に行政が行われているかどうかだけが問題なのです。

その上で申し上げると、愛媛県が提出している文書はウソ偽りのないものです。愛媛県の県職員は誠実で真面目で、日本一の公務員だと私は思っています。それは7年間、県政を見てきた知事としてはっきり申し上げられる。

知事である私でさえ、そんな細かいことまで記録しておくのかと驚くほど、すばやく正確にメモを取る。思わず、「君たちが一番怖いな」と言ったら、職員はみんな笑い声を立てていましたよ」


中村時広・愛媛県知事(58歳)。彼の発言に、にわかに注目が集まっている。

安倍晋三総理が「腹心の友」と呼ぶ加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園グループの岡山理科大学が、愛媛県今治市に獣医学部を新設した。その経緯に友人に対する「特別な配慮」がなかったのか、加計問題ではその一点に焦点が集まっている。

安倍総理は加計氏が獣医学部を新設しようとしていたことを、'17年1月まで知らなかったと断言している。

ところが、愛媛県が5月21日に公開した新しい文書では、'15年2月25日の時点で安倍総理と加計氏が面談し、「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」と応じたことが記載されていた。

総理の発言と愛媛県の文書、どちらが正しいのか――。中村知事が5月23日夜、自宅前で取材に応じた。


中村 県職員が作った文書の内容を、安倍総理や柳瀬唯夫経産審議官は否定しています。柳瀬氏は当初は否定していた愛媛県職員と会った可能性を国会で認めましたが、「首相案件」という言葉を使ったことや、新文書に記載されている内容も否定しています。

記録を作成した県職員が柳瀬氏によって「ウソつき」呼ばわりされていることは、知事として耐えられません。

安倍総理も'15年2月に加計孝太郎理事長と面談した記録はないと言っていますが、これは否定ではなく、「ノーコメント」ではないでしょうか。政権には、愛媛県の文書が厳然と存在していることをわかっていただいていると思います。

こちらはあくまでも県庁に残っている文書を提出しているだけ。政権サイドが、記録が残っていないことを理由に文書の内容を否定しても、彼らは否定材料を示しているわけではない。だから「あー、そうですか」としか言いようがありません。


 加計理事長の第一声

そもそも加計学園が今治市に獣医学部を新設しようとしたのは、中村知事の就任以前にまで遡る。前任の加戸守行前知事が「加計ありき」で誘致しようとしていたという。

中村 私が('10年に)愛媛県知事に当選した際、加戸前知事から申し送りがあり、その後、加計理事長とは2回会いました。愛媛県からの補助金がなければ開校できないわけですから、私に会う必要があったのでしょう。

その際は「先進的な獣医大学を作りたいので、ぜひ協力してください」ということでした。このとき、「安倍総理や塩崎(恭久)前厚労大臣(愛媛1区選出)とは昵懇にさせていただいています」が第一声だったことをよく覚えています。

今治市の活性化につながるのであれば、愛媛県にとっても良いことですから、加計理事長のお話を承りました。

ただし、政治家の名前を出されたことから、これはデリケートな案件になると判断しました。

一歩間違えたら厄介なことになるという意識から、必要以上の配慮や癒着と県民に誤解されることがないよう、県職員に注意喚起をした覚えがあります。実際、現在のように国会が紛糾する事態になっているわけですから。

そう言っても、獣医学部の誘致は遅々として進みませんでした。だから、3~4年前に誘致予定地をサッカーのスタジアムにしたらどうかと提案したこともあったくらいです。


私の前任の頃から十数年にわたって国の認可が下りない獣医大学よりも、J2の愛媛FCがサッカーの試合ができるスタジアムにしたほうが、今治市にとってもいいのではないか、と。

ところが、今治市はこの案に賛成しませんでした。あくまでも大学の誘致にこだわった。これは想像ですが、加計学園も土地と補助金の約束がなくなれば、獣医学部が作れなくなることを恐れたのではないでしょうか。

'12年に第2次安倍政権が成立すると、それまで15回連続で却下されていた加計学園の獣医学部新設は急速に動き出す。

愛媛県の公開した文書によると、'15年には当時首相秘書官だった柳瀬氏や地方創生推進室次長だった藤原豊氏と愛媛県の職員が面談。'16年に国家戦略特区諮問会議で、「広域的に存在しない地域」での獣医学部新設を認める方針が決まった。

そして、'17年に加計学園が今治市に獣医学部を作ることが認められたのだった。


中村 あきらめかけていた獣医学部の新設です。「国家戦略特区を使ったらどうか」という内閣府からの助言に従って動いたことで、岩盤規制が切り崩され、開学につながった。愛媛県は開学を大いに歓迎していますよ。

国家戦略特区制度とは総理が陣頭に立って、国の規制を改革すること。その意味で、加計学園の獣医学部新設は「首相案件」ですから、なぜ柳瀬氏がこの発言を認めないのか理解できません。

もともと獣医学部の新設を認めない既得権益があり、それを総理がリーダーシップを取って規制を壊し、新設を認めた。柳瀬氏はそれを支えたわけですから、むしろ「首相案件」という言葉を使うことは官僚として正しかったのではないかとさえ思いますよ。

岩盤規制を打ち破って新しい獣医学部ができたわけですが、厳しい県の財政の中から莫大な補助金を出しています。当初は36億円でしたが、県が厳しくチェックして、31億円にまで減額することになりました。それでも大金です。

同じく加計学園が経営する千葉県銚子市の千葉科学大学の例を見ると、開学後も多額の補助金が必要になっています。愛媛県としてはそういうことは避けなければいけない。財政も厳しいので、言われるがままに補助金を出すというわけにはいきません。


 すべて正直に話そうよ

ところが、現状の加計学園の問題を見れば、忖度と疑念が複雑に絡み合い、開学の経緯からしてグレーです。加計学園からの説明もない。だから、真実を究明するためには、情報開示を積極的に行うべきだと判断し、公文書を含む関係資料29枚を国会に提出したのです。

カネを出す以上、引き続き、調査をしていくつもりです。今回の新文書は参院に急かされて提出したもので、職員一人ひとりのPCや電子文書の類いまでは手が回りませんでしたから。


こうした中村知事の動きを、今秋に控えた県知事選目当ての「売名行為」と非難する向きも存在する。しかし、そうした勘ぐりはナンセンスだと反論する。

中村 今回の件は、知事選とは無関係です。むしろ、愛媛県に無用な騒ぎを起こしてしまい、何も得をすることはありません。

ネットには愛媛県の文書が「捏造」だなどという書き込みもあるそうですが、愛媛県が文書を捏造しなければならない理由も何一つありません。

加計学園の獣医学部に対する県の支援がすでに県議会で議決されているなか、なぜ文書を偽造しなければならないのか。

県庁にはネットの書き込みを真に受けた人から、一日に200件程度の苦情の電話がかかってきます。県の職員には、私たちは間違ったことをしているのではないから、毅然とした対応をするよう指示しています。

安倍総理も加計学園の獣医学部新設のプロセスには「一点の曇りもない」と言っている。私たちも今回の件は関係者がすべて正直に話せば、どうということない問題だと考えています。

記録がないなどと言わずに、しっかりと情報開示をして、何もかもを詳らかにしてほしいと思いますね。

「週刊現代」2018年6月9日号より
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戦争責任者の問題

2018-06-14 | いろいろ

より

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戦争責任者の問題 伊丹万作


 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏につとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)




底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画春秋 創刊号」
   1946(昭和21)年8月
入力:鈴木厚司
校正:田中敬三
ファイル作成:
2006年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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新潟県知事選も右往左往 安倍政権で日朝会談ができるのか

2018-06-13 | いろいろ

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新潟県知事選も右往左往 安倍政権で日朝会談ができるのか

 与野党候補の事実上の一騎打ちとなった新潟県知事選は、自公与党が支持した前海上保安庁次長の花角英世候補(60)が辛勝した。ウソとデタラメでモリカケ問題の幕引きを図る安倍首相に審判を下すべく、野党6党派は総力戦で元県議の池田千賀子候補(57)を支援したものの及ばず。自公のなりふり構わない掟破りの組織戦に敗れた。

 現地で取材にあたったジャーナリストの横田一氏はこう言う。

 「国政の影響を排除するため、花角陣営は『県民党』を掲げて“安倍隠し”を徹底していましたが、実態は自公与党の丸抱え。花角候補を擁立した二階幹事長をはじめとする党幹部が連日現地入りして企業や支援団体を丹念に回る一方、勤務時間中の期日前投票を露骨に呼び掛けたり、その成果を記載した調査票の提出を迫るほど締め上げていた。池田候補をめぐる誹謗中傷というほかない悪質なデマも盛んに流されていました」

 これで安倍が「信任を得た」とか言い出し、免罪符を得たとばかりにまたデカいツラをするのは目に見えている。

 夜郎自大にはホトホトうんざりだが、政権浮揚を懸けて詰め込んだ外遊の「成果アピール」にもヘドが出そうだ。“外交の安倍”の過剰演出である。

■ 側近が“外交の安倍”をツイッターで喧伝

 10日(日本時間)までカナダで開催されていたG7首脳会議は、米国のトランプ政権がブチ上げた鉄鋼・アルミなどへの輸入関税をはじめとする保護主義的な貿易政策をめぐり対立。侃々諤々の激論が交わされた。

 そこで安倍が議論を主導し、調整役を果たしたというのだが、それを触れ回ったのが同席した安倍側近の西村康稔官房副長官。しかもツイッターまで駆使しているのだから、お笑いである。西村は写真入りで<安倍総理が、G7で結束して自由で公正な貿易の推進を発信すべきと議論を主導>と実況中継さながらにつぶやき、<トランプ大統領から「シンゾーの案に従う」と頼られ、安倍総理が「ルールに基づく貿易システムを発展させていく」と提案し、合意につながりました。フランスのマクロン大統領からも「シンゾーの提案のおかげだ。ありがとう」と声をかけられていました>ともツイート。ここまでくると、読むほうが気恥ずかしさを感じるほどである。

 もっとも、厚顔無恥な安倍はさにあらず。史上初の米朝首脳会談を控える北朝鮮に対して上から目線の発言を連発。「(非核化に向けた)具体的な行動を取らせることが必要不可欠だ」とか、「北朝鮮には豊富な資源と勤勉な労働力がある。北朝鮮が正しい道を歩むのなら、明るい未来を描くことも可能だ」などと、相変わらずの高飛車な態度で日朝首脳会談の実施を呼びかけたが、こうした安倍のセリフの一つ一つがおそらく、北朝鮮の神経を逆なでしているのだろう。朝鮮労働党機関紙の論評などを通じ、北朝鮮は安倍批判をヒートアップさせている。

 デイリーNKジャパン編集長の高英起氏は言う。

 「北朝鮮は対米追従の安倍政権を〈カメレオンとも比較にならない〉とコキおろし、〈「政治的ジェスチャー」というくだらない話ばかりするマヌケ〉などと非難を繰り返しています。安倍首相の言動が金正恩党委員長のカンに障っているのは間違いありません。そうでなくても、日朝首脳会談の開催は相当にハードルが高い。安倍政権は拉致問題解決を前提にした経済協力を提案していますが、信頼関係がまったくない日朝間の現状では肝心な部分の協議ができず、いつまで経っても堂々巡りなのです」


 ルートなし 人脈なし 戦略なしのナイナイ尽くし

 安倍は二言目には「拉致問題の解決は安倍内閣の最重要課題だ」と言うが、この5年半、状況は1ミリも進展しなかった。こんな政権にいまさら日朝首脳会談などできるのか。朝鮮半島情勢に詳しい東京新聞論説委員の五味洋治氏は日刊ゲンダイのインタビュー(4月6日付)で、北朝鮮をめぐる安倍外交をこう指摘していた。 

 〈北朝鮮がミサイルを発射するたびに、「政府は北朝鮮に対し、北京の外交ルートを通じて厳重に抗議した」と報じられ、拳を振り上げて怒りを表明したかのようですが、実際は北朝鮮大使館にファクスを送っているだけなんです〉

 南北首脳会談でも金正恩朝鮮労働党委員長が「(拉致問題について)韓国や米国など周りばかりが言ってきているが、なぜ日本は直接言ってこないのか」と口にしていたという。手だてに窮した政府高官が日本生まれの金正恩の母親の親族を頼り、金正恩に宛てた手紙を託したものの、封も開けられずに戻ってきたとも報じられた。

 ルートなし、人脈なし、戦略なし。ナイナイ尽くしのくせに、拳を振り上げていたポンコツ首相の成れの果てがトランプへのしがみつきだから、語るに落ちる。

 「トランプ大統領は選挙中、オバマ政権がイランで拘束された米国人解放にあたって“身代金”を支払ったと非難していましたが、先日解放された米国人3人をめぐり、北朝鮮と何らかの取引をしたようなのです。口添えはしてやる、後はわれわれと同じようにやればいいじゃないか。トランプ大統領はこう考えているフシがある。それで早々から日本に対北経済支援を仕向けているようです」(日韓関係筋)

■ トランプの口を借りて拉致収束か

 政府が認定した拉致被害者は12人だが、拉致の可能性がある行方不明者は800人を超える。安倍は一体何をもって「拉致解決」とするのか。

 「北朝鮮からすれば拉致問題は解決済み。ストックホルム合意による再調査報告書の受け取りを拒んだのは安倍政権なのに、何をガタガタ言っているんだという認識なのです。安倍首相が救出を訴える横田めぐみさんを死亡とする従来結果は覆っていません。3年以上にわたる頬かむりをごまかすため、トランプ大統領の口を借りて現実を明らかにし、収束を図ろうとしているのではないか。そう思えてなりません」(拉致問題に詳しい国際ジャーナリストの太刀川正樹氏)

 モリカケよれよれ政権の怪しい外交は諸外国に足元を見透かされているのである。

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)は言う。

 「安倍首相は米朝首脳会談でトランプ大統領に拉致問題に言及する確約を取ったと胸を張り、“外交の安倍”の大勝利を喧伝しています。だとしたら、なぜ日本はまた米国からカネを巻き上げられようとしているのか。なぜ軍用機をはじめとする米国製品を数十億ドル規模で購入すると約束させられたのか。自国の問題である拉致問題の解決に米国の力を借りざるを得ない事態に陥ったのは、安倍政権には今も昔も戦略がないからです。米国の関与を求め続ける限り、トランプ大統領からつけ込まれ、要求のエスカレートは避けられません」

 無定見な亡国首相とともに、この国は沈没しつつあるのか。
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古賀茂明「安倍総理の消防士を火だるまになってもやる官僚の性」

2018-06-13 | いろいろ

より

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古賀茂明「安倍総理の消防士を火だるまになってもやる官僚の性」

 少し時間が経ってしまったが、5月26日、パリ北部の18区で、マリ出身の移民がある集合住宅のバルコニーから落ちそうになっていた幼児を、地上から4階までバルコニー伝いによじ登り、命懸けで救ったニュース。

「パリのスパイダーマン」として一躍ヒーローとなったのは、不法滞在していたマリ人、マモウドゥ・ガッサマさんだった。この行動を見れば、世界中の誰もが称えたくなる。フランスのマクロン大統領は、直ちにガッサマさんを大統領官邸「エリゼ宮」に招き、勇気を称える勲章を贈った。ガッサマさんには帰化市民権が与えられるということになった。

 さらに、彼には消防士の職が与えられるという。この事件の際、ガッサマさんが子供を救出した後に消防車が到着したというから、まさにぴったりの仕事だと思う。粋な計らいだ。

 私がこのニュースを見て感じたのは、「消防士」に対するイメージには、万国共通のものがあるのではないかということだ。

 今回は、ガッサマさんの行動が、まさに消防士に代わるものだったから、マクロン大統領は、消防士の職を与えようという発想になったのだろうが、実は、その裏には、「消防士」に対する万国共通の思いがあることが前提になっているような気がする。それは、彼らに対する深い尊敬と憧れの気持ちだ。

 アメリカの9.11テロ事件の時も、消防士は英雄だった。多くの消防士が命を落としたが、その活躍にアメリカ国民は感動し、いくつもの映画が作られ、多数の本も出版された。

「消防士」を語る時、共通するのは、「自らの命さえ犠牲にして」「他者のために奉仕する」精神への礼賛だろう。

 そう考えながら、すぐに、今日本で問題となっている「官僚とは」という問いが私の頭に浮かんだ。

 私は、「官僚とはどういう人たちなのか」と聞かれたとき、官僚を辞めた2011年ごろは、「役人になる時には皆青雲の志を持っているが、さまざまなしがらみで変わっていき、最後は国民のためでなく組織のために仕事をするようになる」と、官僚をワンパターンにくくって答えてきた。しかし、その後2年ほど客観的に彼らを観察していると、必ずしもそれは正しくなかったと気付いた。

 そのきっかけになったのが、2013年に相次いだツイッター炎上官僚とブログ炎上官僚の事件だった。

 覚えている方も多いと思うが、2013年 に、総務省から復興庁に出向していたキャリア官僚が、市民集会に出席した後、「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。(中略)感じるのは相手の知性の欠除に 対する哀れみのみ」などとツイッターに書き込んだことが明るみに出た。被災者の悲痛な叫びを「左翼のクソどもの罵声」と逆に罵ったのであるが、これは、決してこの官僚に限ったものではないなと私はすぐに思った。

 また、その直後に、経産省の管理職官僚が、「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに」「(復興増税は)年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるため」などとブログに書き込んでいたことが明るみに出た。この官僚は、経産官僚だった私の後輩だったが、周囲の人たちに聞いてみると、こんな話は省内でよくしているという。「悪いことだし、馬鹿だと思うが、こういう考えの人はよくいるよな」という反応だ。

 どうして彼らがそういう言動に出たのかを考えていくと、私は、あることに思い当たった。それは、実は官僚と言っても、一つのパターンで説明するのは難しいのではないかということだ。そして、官僚になる最初の段階から、いろいろなタイプの人間がいるのではないかと考えて、それをわかりやすく解説するために、5年ほど前に、「官僚の3類型」というものを考えついた。

 これは、話をわかりやすくするための仮説なので、この分類だけが正しいなどと言うつもりは全くないが、今回のニュースをきっかけに、官僚の在り方を議論する際の参考になると思うので紹介しておきたい。

 まず、分類に当たっては、4つの項目について、それぞれの類型の特色を整理した。これは、国家公務員だけでなく、地方公務員にも当てはまると言って良いだろう。

 4項目とは、

1. 官僚になる動機
2. 求める報酬
3. 国民、市民からの要望に対する態度
4. 現在の待遇に対する思い

 である。この4つの要素で特色づけた3つの官僚の類型をそれぞれ、

A. 消防士型
B. 中央エリート官僚型
C. 凡人型

 と名付けることにした。

 ここで、最初に「消防士型」という命名をしたことが、まさに前述した、万国共通の思いというものの表れかなと思う。

 3類型を順に並べながらその特色を挙げてみよう。

A.消防士型(消防士に限るわけではない。デスクワークをしている官僚も同じだ)

 1. 市民を守ることで社会に貢献したいから公務員になる。カネや権力や権威のためではない。
 2. 普通に生活していければ、それ以上特別な報酬はいらない。それよりも、自分の仕事に対して「ありがとう」と感謝の気持ちを表してもらえることが一番の喜びであり誇りであると感じる。
 3. 市民の要望に対しては、何とか応えようとする。今の仕組みで対応できないから無理ですとは言わない。予算、法律、条例などを変えてでも実現しようと努力し、上司に対しても直言する。
 4. 待遇に対してあまり頓着しない。多くは望まない。

B.中央エリート官僚型(財務官僚などに多い)
 1. 自分が一番であることを証明したいので、一番難しいと言われる官僚になる。財務官僚なら最高だ。小学校から高校まで成績優秀で東大法学部を目指し、その延長で、官僚になって次官を目指すという感覚だ。
 2. 自分が一番であること、他の人より優秀だという証しとして、もっとも手っ取り早いのが、ちやほやされることである。給料はそんなに高くなくても良い。東大の友達には外資系のコンサルティング会社に行く人もたくさんいて、彼らの方がずっと給料は高いが、そういうものを求めているわけではない。大きな権限を持ち、みんなから頭を下げられるような地位にいることの方がはるかに大事である。
 3. 市民からの要望があると、「くだらないことを要求してくるなあ」と迷惑がる。「日本で一番優秀な俺たち」がいろいろ考えて、良かれと思って「やってやってる(・・・・)のに」、馬鹿な庶民にはそれがわからない。あいつらはバカだから、説明しても無駄だという感覚。市民の側が強く要求すると、「たかりだ」と逆切れする。
 4. 日本一優秀な自分たちが夜中まで働いているのに、今の待遇は全く見合っていないと考える。すぐに世間からバッシングを受けるし、できの悪い政治家の尻拭いをさせられているという被害者意識も強い。退職後においしい生活が待っているから何とか釣り合っている、だから天下りは何が何でも守るのが正義にかなう。天下り廃止なんて、馬鹿な庶民と一部の左翼マスコミが考えるたわ言だ。天下りを無くせば、俺たちのような立派な人間が官僚にならなくなって、この国は滅亡するぞ! という論理になる。

C. 凡人型
 1. 生涯安定した生活を得るためには公務員が一番だと考えて官僚になる。犯罪でも犯さない限りクビにはならないし、毎年、着実に昇給し、少しずつ出世できる。退職後も贅沢を言わなければ、70歳くらいまでは天下りと「わたり」で食いっぱぐれることはない。その安心感を求めて官僚になる。
 2. そこそこの給料と退職後の安定した生活保障が最大の報酬である。
 3. 難しいことを言われると逃げる。失敗したら✖がつくので、とにかく余計なことにはかかわらない。担当課だと思って話を聞いてもらうと、一通り話したところで、「うちでは対応できないので、他の課を紹介します」と言われてたらい回しされるという経験をしたことのある人は多いと思うが、それはこういう官僚に当たった場合だ。もちろん、市民の要請に応えるために、規則を変えて対応しようなどという「危険な」ことは絶対に考えない。
 4. 現在の待遇については、できれば、もう少し給料を上げて欲しいと考えるが、それを声高に叫ぶことはない。ただし、天下りがなくなるなんて絶対に認められない、何のために官僚になったのかわからなくなるじゃないかと考える。

■絶滅危惧種の「消防士型」官僚

 このように3類型を見てくると、誰でも、日本の官僚がみんな消防士型であって欲しいと思うだろう。こういう人たちばかりになれば、日本は確実に素晴らしい国になるはずだ。ところが、実際には、消防士型よりも中央エリート官僚型の方が多く、中央エリート官僚型よりも凡人型の方が多いというのが私の実感だ。

 「考える時間がなかったので、走って道路を渡り、幼児を助けました」「私はただ登っただけで、神に感謝します。神が私を助けてくれました。登れば登るほど、もっと高くまで登る勇気が湧いてきたんです。それだけです」とガッサマさんはマクロン大統領に語ったという(BBC)。

 余計なことは考えず、自然と頭と体が市民のために動く。自らの命の心配さえしていなかったかのようにも聞こえる。これこそ、私たちが官僚に求める理想像ではないか。

 一方、最近の森友学園、加計学園を巡る官僚の行動を見ると、国民が求める理想との落差の大きさに落胆せざるを得ない。例えば、財務官僚の佐川宣寿前理財局長や経産官僚の柳瀬唯夫元総理秘書官は、どうして本当のことを話さないのだろう。話しても命を奪われることはないのに、と思う。

 しかし、よく考えると、彼らは彼らなりに命懸けで「他者」のために尽くしているのかもしれない。その「他者」とは、もちろん、安倍総理である。安倍総理のために燃え盛る火の中に、まさに命懸けで火消しに向かい、全身火だるまになりながらも、なお安倍総理を守ろうと息絶えるまで働く。安倍総理にとっては、彼らこそ官僚の鑑。安倍総理のための近衛消防兵というようなものだ。国民栄誉賞を授与したいくらいの気持ちかもしれない。

 日本の危機は、火事に例えれば、まさに、ボヤから本格的な火事になる途上にある。これから火柱が上がり、放置すれば、全焼になるという状況だ。今ほど、日本のための「消防士」が求められているときはない。

 霞が関の官僚には、「安倍さんのための消防士」を辞めて、「国民のための消防士」になってもらいたい。そうなれば、彼らはヒーローとなり、「ありがとう」という国民の感謝の言葉で、心が満たされるだろう。そして、その時こそ、心の底から、「官僚になってよかった」と思えるはずなのだが……。
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RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する

2018-06-12 | いろいろ

より

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RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する

 「日出づる国の 御名の下に」…
文筆家 近現代史研究者 辻田 真佐憲


 「HINOMARU」は明確に愛国ソング

 「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」などと歌う、RADWIMPSの新曲「HINOMARU」(野田洋次郎作詞・作曲)が「軍歌っぽい」として話題になっている。

 軍歌云々はあとで触れるとして、この歌はなにより明確に愛国歌(愛国ソング)である。

 まず、歌詞の内容を確認しよう。

 この歌は、「あなた」と「僕ら」でなっている。

 「あなた」とは、「御国」であり、「日出づる国」であり、「帰るべき」祖国であり、「守るべきもの」である。

 これにたいし、「僕ら」とは、日の丸を仰ぎ見ると感情が高まる者たちであり、「気高きこの御国の御霊」を身体に宿す者たちであり、父母から歴史を受け継いだ者たちである。

 そして「僕ら」は「さぁいざゆかん」と鼓舞され、「あなた」の「御名」の下に、どんな困難があろうと突き進んでいく。たとえ「僕ら」の身が滅んでも、「あなた」は永遠に栄えよと願いつつ――。

 以下の部分に、この歌のエッセンスが凝縮されている。

 このような「あなた」(祖国)と「僕ら」(国民)の関係性は、典型的な愛国歌のそれである。


 今年4月には、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」(北川悠仁作詞・作曲)が同じように「政治的な歌」として話題にのぼった(参照「ゆず新曲に『靖国・君が代』がいきなり登場、どう受け止めるべきか」)。

 だが、その歌詞で登場するのは、あくまで個人である「僕」と、その外国人の友達である「君」であり、日本や国歌・国旗への愛も、随分と遠回りで間接的に示されているにすぎなかった。

 それにくらべれば、「HINOMARU」の内容のなんと直接的でわかりやすいことか。この歌が明確に愛国歌だと述べたゆえんである。


 浮かぶ疑問

 とはいえ、愛国歌として完成度が高いかどうかは別の話だ。

 「HINOMARU」の歌詞をみると、古めかしい言葉づかいと、現代的な言葉づかいが微妙に混ざり合っていて、どうしても違和感をぬぐえない。

 「日出づる国」は、なぜここだけが歴史的仮名遣いなのだろう(現代仮名遣いでは「日出ずる国」)。

 「さぁいざゆかん」や「どれだけ強き風吹けど」「遥か高き波がくれど」などは、なぜ口語調と文語調が目まぐるしく切り替わっているのだろう。

 祖国に敬意を表して「御名」「御国」とするならば、なぜ「旗」は「御旗」とならないのだろう。

 ……こうした疑問が何度も思い浮かんでしまう。


 現代人に向けて、親しみやすくわかりやすいように、言葉をつないだのだといわれるかもしれない。

 しかし、「御国の御霊」は「御」が二度もつづいてなんとも重苦しいし、「御霊」がなんなのかよくわからない(大和魂的なもの? キリスト教で聖霊のことを「御霊」ともいうので、「あなた」と「僕ら」と「御霊」で三位一体にでもなるのかもしれないが――いずれにせよ、理解しにくいし、そこまでこだわるわりには日本語の使い方が雑すぎる)。

 そのうえ、「HINOMARU」の歌詞はきわめて抽象的であって、(日の丸を除けば)愛国歌に欠かせない具体的な記号や英雄や物語に乏しく、どうしても散漫な印象を受ける。タイトルと「日出づる国」を伏せれば、ほとんど無国籍だ。

 いかにメロディーが優れていても、歌詞が空虚では、愛国歌として十全な機能を果たせない。

 作者は、愛国心を発露しようとして、愛国歌の構図はほぼ完全におさえた。だが、そこに当てはめる言葉の選択に失敗してしまった。そのため、この愛国歌がフェイクであり、空洞であることをかえって明らかにしてしまったのではないか。

 もちろん、愛国歌など突き詰めれば、すべてフェイクであり空洞ではある。これはどこの国のものでもそうだ。

 だがそこに、あたかも揺るぎない国民の歴史や、世界に誇るべき大義名分があると感じさせ、フェイクや空洞を覆い隠してこそ、優れた(そしてときに本当に危険な)愛国歌なのである。

 その点で、一見して違和感をぬぐえない「HINOMARU」は、愛国歌としての完成度が低いといわざるをえない。


 2020年に向けて、愛国ソングは増加する?

 そもそも「HINOMARU」は、6月6日に発売されたRADWIMPSのニューシングル「カタルシスト」のカップリング曲である。

 「カタルシスト」は、2018年のFIFAワールドカップを控え、フジテレビ系のサッカー番組のテーマソングに決まっている歌だ。

 スポーツの試合はもともとナショナリズムを刺激しがちであり、応援歌などにもそうした要素が紛れ込みやすい。


 そのため、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、「われこそ」と愛国的な音楽が続々と作られてもおかしくない。

 差異化を図るため、もっと過激で、直接的なものや、あるいはもっと巧みで、自然に受け入れられるものも出てくるかもしれない。

 そこにはかならずしも思想信条は必要ない。国策イベントやナショナリズムに興味がなくても、作詞者、作曲者などがビジネス志向で積極的に愛国的な音楽を大量生産する――これはかつてこの国で軍歌が蔓延ったときの状況そのものだった。

 エロ・グロ・ナンセンスが流行ったときには、モダンな流行歌を作り、満洲事変や日中戦争が勃発したときには、勇ましい軍歌を作る。

 軍歌もまたビジネスの対象だったのであり、流行りの歌手が歌う、大手レコード会社の有力な商品のひとつだった。

 今回の「HINOMARU」は「軍歌っぽい」と形容された。

 それは表現からいわれたのだろうが、むしろその発生の経緯にこそ軍歌と比較すべき部分があるように思われる。

 そして、作者の真意はさておき、愛国歌がビジネスチャンスと結びついているのだとすれば、なかなか止めることは難しい。

 したがって続出する愛国歌については、すでに何度も述べてきたとおり、受け手の側で「またこういうのが出てきたか」と受け流し、影響力を削ぐしかないのである。


 「右も左もなく」をいい意味に

 ところで作者の野田洋次郎は、ツイッターで「HINOMARU」についてコメントしている。最後にこれに触れておきたい。

 野田はこの歌について、「日本に生まれた人間として、いつかちゃんと歌にしたいと思っていました」「僕はだからこそ純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました。自分が生まれた国をちゃんと好きでいたいと思っています」「まっすぐ皆さんに届きますように」などと述べている。

HINOMARU
ただまっすぐに届きますように。 pic.twitter.com/McV51WYoX0
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) 2018年6月8日

 以上を読む限り、「この歌は敢えて作ったもので、愛国への皮肉ではないか」などとの裏読みは必要なさそうだ。

 それより、以下では「右も左もなく」の部分に注目したい。

 この表現は、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」の「TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした」をほうふつとさせる。

 インターネット上で「右でも左でもない」は、だいたい「普通の日本人」を自称する、右派の自己紹介文である。それゆえこの表現は評判が悪いし、今回の問題でそれに拍車がかかってしまった。

 しかしだからといって、「偏っていていい」と開き直って、仲間内で「いいね!」しあいつつ、SNS上で敵対陣営と延々殴り合っていることがいいわけではない。その不毛さや閉鎖性もまた自明である。

 「右でも左でもない」を目指すことは、本来よいことなのだ。だから、こう考えてみてはどうだろうか。

 「右でも左でもない」とは、自分は中立なので絶対正しいと居直ることではなく、自分が偏っていることを自覚しつつ、それを是正するため、さまざまな見解を集めつつ、特定の陣営に与せず、よりまともな状態を絶えず目指しつづけていくことなのだと。


 それでもなお愛国心を示すのであれば

 そのうえで、あらためて愛国歌の問題に戻りたい。

 作者は、(ビジネスなどではなく)純粋な気持ちから「HINOMARU」を作ったと述べている。それをあえてそのまま信じるとしよう。

 だがそれでも、この歌は典型的な愛国歌の構造に取り込まれ、しかも不完全なものになってしまった。純粋な気持ちほど、思い込みや偏見と裏腹で、創作をするときに頼りにならないものもない。

 本当に「右も左もなく」であれば、過去の事例を参照にしつつ、それとはまったく違った、「軍歌っぽい」とはほど遠い、新しくも穏当で、バランスの取れた作品を理知的に目指さなければならないのではなかったか。

 たいていの国には第二国歌や愛国歌のたぐいがある。国際試合のときに気軽に愛国心を謳いたいという気持ちもわからないではない。

 そもそも愛国心自体は全否定されるべきものでもない。だが、そこには毒もあるのであって、それをうまく避ける回路を作る点にこそ、創作の妙味があるだろう。

 今後生まれるこの手の作品には、せめてそういう工夫を期待したい。



プロフィール
1984年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。近刊『文部省の研究』(文春新書)、そのほか単著に『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。








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「圧力」から「懇願」へ 世にもバカバカしい日米首脳会談

2018-06-11 | いろいろ

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「圧力」から「懇願」へ 世にもバカバカしい日米首脳会談


「米朝首脳会談が成功し、核、ミサイル、拉致問題が前進するよう米国と緊密に連携したい」――。安倍首相の口から「日米緊密連携」という言葉が出るのは、何度目のことだろう。ハッキリ言って、もう聞き飽きた。

 日本時間のきのう(8日)未明、ワシントンのホワイトハウスで行われた日米首脳会談。約1時間に及んだ会談後の共同記者会見の冒頭から、安倍は歯の浮くようなセリフでトランプ米大統領をヨイショ。朝鮮半島の非核化という歴史的な会談を前に「過去のどの米国の大統領も成し遂げることができなかった決断を下した力強いリーダーシップに敬意を表する。日米は常に共にある」と全力でシッポを振りまくった。

 ところが、トランプの口をついて出たのは、ジャパンバッシングの発言ばかり。会談冒頭や共同会見、ツイッターで、日米FTA(自由貿易協定)を求めていく考えを繰り返し強調。FTAは日本にとって不平等な条件が盛り込まれかねないシロモノだが、安倍は貿易協議の初会合を7月に開催することを、アッサリ承諾してしまった。

 さらにトランプは「米国は明らかに日本から多くを購入している。特に自動車だ」「貿易の不均衡はかなりの額に上る」と繰り返し、対日貿易赤字に不満タラタラ。トランプ政権は日本に対し、鉄鋼とアルミニウムに続き、自動車の輸入制限の発動をちらつかせているが会談で安倍はこれらの高関税措置への不満や懸念を一切、トランプに伝えなかったという。

 安倍の言う「緊密連携」とは「完全な言いなり」と同義語なのか。

 その上、共同会見ではトランプに「安倍総理は先ほど軍用機、旅客機、たくさんの農産物などあらゆる米国製品を数十億ドル規模で購入すると約束した。アメリカの工場への投資も実現させると言った」と暴露される始末だ。一体、これのどこが「緊密連携」なのか。ポチ扱いの安倍は完全にトランプのサイフとして使われているだけ。遠路はるばる国を売りに行ったようなものである。

■ 追及逃れで国益を損ねても平気の平左

 そもそも、日本時間のきょう未明から2日間、カナダ東部シャルルボワでG7サミットが開催される。当然、安倍もトランプも参加する。サミットの機会に日米両首脳が別途、会談の席を設けてもよかったはずだ。

 それを外遊期間を延ばしてまで、安倍がわざわざホワイトハウスに出向いたのは、1日でも長く日本にいたくない証拠だ。理由はもちろん、モリカケ追及逃れである。

 記録文書の改ざん・隠蔽、説明の食い違い、新疑惑が次々と湧き出て、安倍は防戦一方。政権中枢や安倍に近い自民党幹部らが全力を挙げて、問題の幕引きを急ぐ中、安倍がホワイトハウスに押しかけたのは、モリカケ潰し以外の何ものでもない。

 自身に降りかかった疑惑の火の粉を振り払うため、日米首脳会談を政治利用し、その上、日本の国益を損ねても平気の平左とは、亡国首相の根性たるや恐るべしだ。

「メディアの『米朝首脳会談に向けた共同歩調の確認』という開催理由の解説は真っ赤な嘘です。今のトランプ大統領はG7さえ、『気が散る』と参加を渋るほど、頭の中は12日の米朝会談でいっぱい。安倍首相と会談する必要性は全くなかったのに、どうせ来るならと貿易赤字解消に向け、言いたい放題。要求を丸のみした安倍首相にすれば、トランプ大統領に『米朝会談で拉致を提起』と言ってもらえれば、満足なのかも知れませんが、国富を奪われる国民にすれば許されない話です」(元外交官の天木直人氏)

 これだけバカバカしいトップ会談は世にも珍しい。


 可能性ゼロの日朝会談に意欲示す薄汚い狙い

 この日もトランプは「最大限の圧力という言葉は使わない」と強調したが、驚いたことに安倍もトランプに足並みを合わせ、共同会見で「圧力」という言葉を封印。

「北朝鮮と直接向き合い、話し合いたい。あらゆる手段をつくしていく決意だ」「最終的には私と金正恩朝鮮労働党委員長の間で直接協議していく」と踏み込み、北との対話のポーズを示したのだ。

 あれだけ「対話のための対話は意味はない」「最大限の圧力」と拳を振り上げ、北朝鮮を逆なでしてきた“圧力バカ”の豹変ぶりには、金正恩もビックリ仰天したのではないか。

 とはいえ、安倍が日朝首脳会談の条件に掲げてきた拉致問題の解決にメドが立った形跡はゼロ。

 拉致問題について、金正恩に「韓国やアメリカなど周りばかりが言ってきているが、なぜ日本は直接、言ってこないのか」と小バカにされるほど、北と直接のパイプさえないこともバレてしまった。

 大体、北は安倍を「1億年経っても我々の神聖な地は踏めない」と痛烈に批判している。党機関紙「労働新聞」は最近も〈安倍や河野(外相)など日本の政治家がいくら意地を張っても、それは蚊帳の外になったことに対する不満の吐露としか考えられない〉〈安倍一味は、節操のない言動で哀れな立場を浮上させている〉と非難する論評を掲載していた。

 北朝鮮に蛇蝎のごとく嫌われた安倍が、いくら直接協議を決意したところで、北が応じる可能性は限りなくゼロに近い。しょせん、圧力バカの豹変は口先だけのパフォーマンス。圧力路線をひとまず抑えることで、国際社会で進む対話の流れに便乗し、「蚊帳の外」批判を鎮める思惑だろう。ご都合主義で北を政治利用する狙いが、透けて見えるのだ。これでは北からバカにされるだけだ。

■ 北の礼賛報道を笑えない日本の御用メディア

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言った。

「主体性なき安倍外交は日朝会談実現も米韓頼みです。トランプ大統領に擦り寄るほど、ますます貿易赤字解消の圧力を強め、日本の国富をごっそり持っていかれる悪循環となりかねません。仮に米国のセッティングで会談が実現しても、拉致問題について北朝鮮は『既に解決した』との主張を崩していない。はたして首相に『拉致の安倍』の金看板を捨ててまで、日朝会談に臨む覚悟はあるのでしょうか。安倍首相が居座る限り、モリカケ追及は続き、日朝会談は実現せず、米国にお金を搾り取られるだけです。それでも首相は米朝会談が成功すれば、“勝ち馬”に乗り、『日米の緊密な連携』によって、ありもしないミサイルの脅威が取り除かれた、と自分の手柄にする気でしょう。今から、そんな光景が目に浮かびます」

 これだけバカげた日米会談を日本の大メディアはどう報じたか。当日の大新聞各紙の夕刊は〈米朝会談で「拉致」提起〉〈首相、日朝会談に意欲〉の大見出し一色。出来もしない安倍の口先パフォーマンスを大々的にPRする忖度ぶりだ。前出の天木直人氏はこう指摘する。

「NHKを筆頭に、テレビニュースも、安倍首相の発言ばかりをタレ流し、まるで首相の立場を代弁することが優先されているかのようです。共同会見を見れば、日米の立場が完全に一致していないのは明白なのに、NHKは午後7時のニュースで、『日米の結束が確認されて、日本の政府関係者から安堵の声が出ていた』と報じました。一方で、トランプ大統領が共同会見で、安倍首相が数十億ドルを新たに献上したことを暴露したことは、どのメディアもほぼ触れずじまいです。これでは、国民にはこの先に起こる真相が何も伝わりません。まるで戦中の大本営発表さながらの御用ぶりの極みです」

 地位に恋々とする亡国首相のインチキパフォーマンスと、それを猛烈に大宣伝する巨大メディア――。この構図が変わらない限り、この国は北朝鮮の独裁ぶりを決して笑えないはずだ。
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