拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 古希とは

2022年05月12日 | 観自在

  いよいよ私も『古希』を迎える年齢になったが、そもそもの『古希』という言葉の由来を調べる。

 

  盛唐の時代(8世紀初頭)詩聖の一人として名高い杜甫の『曲江詩』という詩から由来し、『人生七十古来稀』…

  という一節からこの『古希』が来ていて、詩文の流れから言うと、当時の杜甫の思うように生きて行けない思いの中で

  『人間なんてどうせ70歳までも生きて行けないんだから…』という投げやりな思いの一文であった・・・とのこと。意外!

 

  第一、現代において70歳なんて『稀まれ』でもなんでもなく、2500年前のお釈迦様が80歳まで生きて、死ぬ間際まで

  説法をしていた事、私が尊敬するスズキ大拙居士は96歳まで『禅』を説いていた事などを思うと、『70歳』なんて

  洟垂れ小僧そのものに違いない。・・・と、ここまで考えると馬骨としては、『古希』の現代風解釈が当然あるわけだ。

 

  『古希』とは『昔、思うように出来なかった夢や希望を果たす時期を迎えること』・・・それを『古希』と名付ける。

  金も人脈も才能も無い、無い無いづくしの自分が最後に残った『枯気』という意地、『呼気』という修行で養った生き方の実践への帰結。

 

      

     昨日、捜し物があって相方の引き出しでたまたま見つけた、スイスに来た当初の『馬骨』肖像、

     杜甫ではないが、『やりたいことがあるが、なかなかうまくできんなぁ・・・』という時期の図

      

        


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Zipさんへ (馬骨)
2022-05-14 18:32:09
喩えが面白く微笑みました。
大袈裟かな〜とは思いましたが、無眼子のまま山(禅寺)を降りてきたド田舎者で、言葉もわからない異邦人という意味では、そう遠からず…の思いを持ちました。私の理想は布袋様ですが、器が小さすぎて無理かな〜と自覚しているところです。
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Yozanemaさんへ (馬骨)
2022-05-14 18:11:46
古希を本来の意味で使おうとすると、どう考えても『死語』ですよね。自分の過去を還暦スキャンしたとき、果たせなかった自分の古き希望・・・今ならばまだ何かをする気力がある…そんなラストチャンス的・年齢が70歳であるから『古希』、となれば納得いくかもしれませんよね。コメありがとう。
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Unknown (yozanema-126)
2022-05-14 17:33:12
こんにちは。
以前の「還暦」の記事を拝読して
そうなんだなぁ、と思っていました。還暦、大事にしたいな、と思っています。
「古希」は私にとっては
もう少し先ですが、「枯気」「呼気」自分の場合はどうかな、、と
考えさせられました。
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Unknown (ZIP)
2022-05-14 00:32:39
ゴッタルト峠を徒歩で越えてやって来た行者のよう・・・
只者ではない雰囲気があります。
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