拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『Last』・侍

2022年11月01日 | 観自在

  『ラスト・サムライ』2003年に公開された映画は、エドワード・ズウィック監督、主演トム・クルーズ、 渡辺謙 助演で大変話題になった。

  私はスイスでオリジナル英語版(フランス語字幕)で見て、英会話部分の60〜68%ほどしか理解出来なかったものの

  サムライ歴史を先祖に持つ一日本人として、大意は伝わり大いに心を打つものがあった。

 

  『刀』が象徴してきた武士道精神から『洋式鉄砲』が象徴する合理的近代化の新しい精神の台頭を表現していたと思う。

 

  禅の修行をした者の視点から、この映画『ラスト・サムライ』の要点は、次のようなモノに観えた。

  明治維新が一般大衆にもたらした一番の変化は、『着物から洋服』への変化で、それは何を意味したか?・・・というと

  『丹田』を拠り所にした精神文化の衰弱であったろう…と私は思う。

 

  洋服にせよ和服にせよ、着ている物を腰回りで装着するのに、ベルトは『臍』付近に、帯は『臍下』の丹田に着けるのであるが

  大小の刀を腰にさしている武士の場合、自然と『丹田』を刺激する腹圧は相当なものであったであろう。

  鎌倉時代になって武士集団が台頭し、彼等が精神の拠り所として『禅』仏教を取り入れたのは、日本文化にとって

  決定的瞬間であった。

  昔の日本人は、『丹田』が身心に及ぼす近代医学的見解はなかったであろうが、

  『丹田』が冷静、豪胆な人格形成に何らかの影響をあたえていることは、体験的に解っていたに違いない。

  『着物に帯』『畳の生活』『禅仏教』エトセトラ・・・が相まって、知らないうちに『丹田』を養う『道の文化』を形成していたのだ。

  

  で、映画『ラスト・サムライ』の『ラスト』は、『最後の侍』というニュアンスは誰もがわかったと思うが

  英語の『Last』には『続く・継続する』・・・という意味があり、『サムライは滅んでも丹田による(武士)道精神は続く…』という

  狙いがこの映画に初めからあったのであろうか? アメリカ映画が我々日本人に投げかけた禅問答(公案)とも観える。

  

      

  定年退職後、私は布ベルトを丹田に締め『上虚下実』を実践しているが、侍の刀が丹田に及ぼす実験をしてみた図

  二刀で2Kg以上の重みが腰に加わり、丹田への腹圧が相当なものであることがわかった。

 

  いつも『爺自撮像』をアップして恐縮であるが、他にモデルになってくれる人もなくご容赦願う・・・。

  また、私はべつに『愛刀家』でもなんでもなく、写真の刀は引越屋時代にお客が『処分』するというので

  捨てるに忍ばず頂くことにした『まがい物』の刀で、私の狭い書斎を浄めている。

 

 

 

 

  

  



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2 コメント

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Unknown (yozanema-126)
2022-11-02 08:55:27
おはようございます。
草履や下駄から靴へ、も
きっと
大きな変化なのかな、と思っていますが、具体的にどんな影響かは
私にはまだわからないのですが、、姿勢や歩き方や身体の軸とか、、
着物から洋服、
畳から洋間、
和式から様式などなど
大きく変化したと思うのですが、、
そのことの影響をはっきりわからないでいますので
とても興味深い記事でした。
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Unknown (Yozanema さんへ)
2022-11-02 17:00:11
@yozanema-126 お早うございます。コメントありがとう。
そうですね。ほぼ洋式ライフの中で伝統を重んじ、人間性回復に再発見する事ができる要素を沢山持ち合わせている日本文化は貴重ですね。和菓子など日本食をたらふく•••❗
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