拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『無』は 『明鏡湖水』

2022年08月14日 | 観自在

  スイスに来た理由を何回か聞かれたとき、私は小指を立てて『私はこれが理由でにスイスに来ました』・・・と言って

  昔のタバコの代替品のテレビコマーシャル?のマネをするが、今ではそのギャグが解る人はほとんどいないようで寂しい。

 

  スイスのにわかガールフレンドの招きに応じてローザンヌに来たのが最初で、38年前になる。

  当時の私にとって外国=アメリカで、まさかヨーロッパ、しかもスイス、しかもローザンヌに来るとは誰が予測できたであろう。

  最初のヨーロッパということで、いろいろ印象に残った中で、最も印象的だったのは『レマン湖』であったと思う。

  山や街ではなく、レマン湖畔を彼女と一緒に散策した時の思い出が一番印象に残り、あまりの美しさに、『私は決してスイスには

  住まないだろう、ボケてしまうに違いない・・・』と、芯からそう思った事をよく覚えている。

 

  でまぁ、レマン湖畔に住んで30年。昔とまったく変わらない風貌で私を迎い入れてくれレマン湖であるが

  ある時、『無』の字について考察していると、こんなストーリーを思いついたのだ。

       

  写真左はローザンヌの街を船から撮った写真。 右側は湖の写真である。

  『無』という字は無でありながら字画がやたら多く『街』の様だ → 一方、湖を見ると波があるだけで何も無い

  その『有るべきモノ』が『ない』ことの強烈な印象を字にしたのが『無』なのではないだろうか…

  (*下の4っの点は『魚』からして波とみなせる)

  実際、湖を見ると何も無いところに、畏敬の念を私は抱く。(確かにボケつつありながら・・・)

  頭が雑念でゴチャゴチャしていても、湖を見ることでホッと癒やされるのはその『無』の力なのだと思う。



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