拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 再解釈と再統合

2022年03月16日 | 観自在

  先日読んだ寺島実郎著『人間と宗教』によると、彼の『宗教の定義』は『再解釈と再統合』だった。

 

  ” 人類の思惟の耐えざる『再解釈と再統合』が世界宗教を形成してきたことに気づく”・・・と言う。

  寺島氏も、現代の仏教学者も『日本の仏教』は『仏陀の仏教』ではないという認識だ。

  しかし、その弟子や後進が『衆生救済』の大乗仏教へと『加上』してゆき世界宗教として揺るぎないものに成長していった・・・

  そういった認識のなかで、それぞれの時代に生きた仏教徒による『再解釈と再統合』はその宗教に新たな『命』を吹き込んできた。

 

  ここで、私は言いたいことが二つあって

  いきなり『禅』から入った私の仏教は、即『仏陀の仏教』であり、それは即『日本の仏教』であったということ。

  それは『坐禅』をしたことのない寺島氏や仏教学者には、それこそ『言語道断』である点であろう。

  そしてもう一つは、宗教はまさに寺島氏が言う通り『再解釈と再統合』であることだ。

  時代がまさに目まぐるしく変化する時、芯から腑に落ちる『解釈と統合』が必要であるからこそ

  時代は『不立文字』(言葉・文字に依らない)『教外別伝』(経典に依らない)・・・遊戯三昧の『禅』を生んだのではないか。

  時代の変化に則した、新しい発想(つまり再解釈と再統合)の仏教があるべきではないだろうか。

 

  その意味で私が提唱している『悟り』は『郷里』は万人に解りやすい仏教の『再解釈』となるであろう。

 

        

         なんといっても『創造』には、基軸が重要で、問題はそれをどう見つけるのか…である。  

  



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