気のせいだろうか? 想定外の厄介事ってなぜか『春』が多いような気がするのは・・・
今日 3・11 、11年前の大震災、大津波そして原発事故・・・の想定外の『春』は決してわすれられない春だ。
あれから11年後の今年の『春』は、ロシア侵攻による『ウクライナ戦争』勃発で、コロナ禍騒動はいっぺんにぶっ飛んでしまった。
私はスイスに住んでいるが、日々の気持ちはネットで日本にほぼ97%でつながっている。
しかし、ウクライナはさすがにここから近く、相方はヨーロッパ人として重く受け止め、ニュースを見ては悲しんでいて
私も混乱しながらもその悲しみを共有し、祈るしか何もできない自分にむなしい気持ちになる。
ブログも何を書いていいかわからないので、『春』の字を漢字辞書で『解字』を調べると、『日を受けて草が生じる姿』から来ているらしい。
私にとって『日』は『悟りの智慧』を象徴しているので、その智慧を受けて雑草がたくましく茂ってくる姿・・・という風に解釈する。
そういえば、ウクライナ難民となった子供たちが、ニュースで映っていたが、
何も知らない子供達は信じられなくらい屈託のない笑顔を見せていたのが印象にのこる。
歴史から学ばない『智慧』のない大人は、同じ愚行を繰り返す・・・それも人間の性(さが)で、どうしょうもないのだろうか。
自然の『春』はそんな人間の事情におかまいなしに、新しい芽をつけ、春の息吹を日一日と吹き付けてくる。
寒いうちから、鮮やかな花をつける梅に癒やされた日々・・・円覚寺居士林にて
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