拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 枕は高くしたのだが・・・

2016年04月17日 | 観自在
 一週間前に、生まれて初めて『枕』を買った。 それもなんと一万五千円もする枕。相方の枕が一万三千円だったから二人で計、二万八千円なり。

 この事は、ボクにとってはブログ・ネタとしてはトッテオキのネタであると思えたので、いつものオヤジ・ギャグを・・・交えて『枕言葉』とかなんとか
 の線で文章を考えている内に、熊本で大地震・・・というニュースをツイッターで見て、その被害の甚大な様子が日に日に知るに連れ、『枕ネタ』がボクの
 頭の中で萎(しぼ)んでいったのであるが、枕を買った日の朝に撮った⬇︎⬇︎この写真をジックリ見た時、我が『枕問題』と『地震という天災』についての
 多分、ボクにしか見えない点と点を結ぶ線というものについて何か書けるかな~・・・と、いうか、何がなんでも書いてやろうと、いつもの如く
 IWJの動画、今回は『民主主義ってなんだ』というタイトルのリレートークを見聞しながら、なかば自分の決意に疑義を抱きながらこれを書き始めている。

          

 まず『枕』である。
 この歳(この5月で64歳)になるまで、その重要度に気づかずにいた、、、というか、枕など何でもイイと、信じ込んでいたというより実際に
 どんな枕でも眠ることが可能であった年齢から、より適正な高さと硬さの枕でなければ熟睡を妨げる様々な要因が加齢と共に増えてきた・・・わけである。
 ただ、もう一言付け加えれば加齢のみならず、前代未聞のPC,I-phone,I-padの『Wifi』時代を生きるアラ還ライフの先駆けとして未知の要因が我が安眠を
 妨げている・・・と言う事も一方で考えなければならない。

 10年以上前、日本の年配の友人から『ドライ・マウス』という病気になって、よく寝られない・・・という悩みの手紙を頂いたことがあった。
 へ~そんな病気があるのか?・・・と、その時は彼女の悩みの深刻さもよく理解できないでいたが、ここ2,3年前からボク自身も朝方に口がカラカラに
 乾いて目が覚める、という事態が起こるようになってきたのだ。その後、なが~い自己研究の末、胎児のポーズであれば『ドライ・マウス』を避けることが
 できることが判明し、天は我に『胎児』になるほどの『還暦』を求めているのか!・・・と、その自然法則の深淵さに驚嘆することとなったわけである。

 しかし、実際問題として睡眠中に『胎児のポーズ』を維持することは容易ではなかった。いつの間にか名づけて『棺桶ポーズ』で、肩がしっかりと
 敷布団につき、頭部が天に向いている状態になって、口が乾いているのだ。その原因を考えると、どうやら『もみがら枕』の軟弱さにあるように
 思われたのである。ただ、『枕』を買う、という行為がなにか尋常なことではないような気がして長い間、二の足を踏んでいたのだ。

 枕も『水』と一緒で、大変貴重なものであるのに、ただで手に入る・・・という間違った考えでいたのであるが、『胎児のポーズ』を
 維持するためにはそれなりの枕の精度が要求され、靴を選ぶ時のように、実際に使用してみて『高さ』『硬度』などをチェックして
 それなりの価格を支払うという当然の帰結に落ち着いたわけである。

 次に『地震という天災』。
 上の写真は、我らが週末ほぼ毎週行く湖岸での風景であるが、この男性が趣味と実益を兼ねて『石積み』をしているところ。
 この写真を撮った時には、熊本震災も未だ起こる以前で、単に芸術的立像と眺める人々は思うのだろうか?
 東洋人であるボクなどはよくは知らないけれど『賽の河原』的、異次元の風景として頭の片隅に映ったりする・・・

 いずれにせよ、信じられないバランスを保って立っている積石を見る時、ボクはほとんど無意識に『地震』を思い浮かべる。
 そして、地震によって倒れる心配のない、ボクにとって不思議な土地、スイスに住んでいる自分をあらためて実感する。
 同時に地震が頻繁に起こる場所に『何の保証もない期待』のみで立っている原発とこの積石がダブって見えたのも事実。
 
 せっかく『枕』を買いかえ、『枕を高くして』安眠をむさぼるつもりが、枕のずーっと底の底にはまた異次元の断層帯が横たわっていた。
 
 いずれにせよ、枕の高低にかかわらず、仏教徒の端くれとしては『無常観』、日本国民の一人としては『脱原発』を訴える!
 
 
 


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