拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 人生は(必死)に己を探す旅

2021年10月11日 | 観自在

  前回のブログタイトル『人生は己を探す旅』・・・について少し考えてみた。

  私はこのタイトルに『必死』という言葉を付け加え、『人生は必死に己を探す旅』…でなければならないと思った。

 

  『必死』という意識を持つか、持たないかで『人生』は大きく変わるのだと思う。

  ここの『此岸』から、あちらの『彼岸』へ渡るにはそれなりの『必死の覚悟』がなければ渡れるものではないだろう。

  人生の問題は『己を探す』すことに『必死』である意識が在るか無いか、そこが『問題』なのだと思う。

  大抵の人は必死になにかに夢中にはなるが、それが詰まるところ『己を探す』…事であることに気が付かない。

  人生の『?』がなんであるのか、意識することができない。 ・・・そこが『問題』なのだと意識できないでいる。

 

  私の『還暦スキャン』によると人生の随所に仏から様々な『ヒント』を与えられていたことが、いまになって解る。

  宗教とはおよそ程遠い私が、人生でも最も重要なパート、30歳代を禅の修行に費やすなど、どう考えても不思議だが

  無意識の『?』に導かれて、いつの日かついに『?』を意識にまで遡(さかのぼ)らせ、自分では『必死』とは思っていなかったが

  結果的に、その一瞬一瞬は『必死』の連続であったであろう。

 

  そういった人々の無意識の『己を探す』思いに、応えるべき『道』を日本という国は『文化』として持っている。

  そこが素晴らしく、故に人が世界中から集まってくる。

          

            彼自身は『必死』ともなんとも思ってないだろう、『必死』であってそれを忘れる境地、

            そこに『己を探す』ヒントがあり、人生の『遊戯三昧』がある。(風の強い昨日のレマン湖での撮りたての一撮)

  



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