前回のブログタイトル『人生は己を探す旅』・・・について少し考えてみた。
私はこのタイトルに『必死』という言葉を付け加え、『人生は必死に己を探す旅』…でなければならないと思った。
『必死』という意識を持つか、持たないかで『人生』は大きく変わるのだと思う。
ここの『此岸』から、あちらの『彼岸』へ渡るにはそれなりの『必死の覚悟』がなければ渡れるものではないだろう。
人生の問題は『己を探す』すことに『必死』である意識が在るか無いか、そこが『問題』なのだと思う。
大抵の人は必死になにかに夢中にはなるが、それが詰まるところ『己を探す』…事であることに気が付かない。
人生の『?』がなんであるのか、意識することができない。 ・・・そこが『問題』なのだと意識できないでいる。
私の『還暦スキャン』によると人生の随所に仏から様々な『ヒント』を与えられていたことが、いまになって解る。
宗教とはおよそ程遠い私が、人生でも最も重要なパート、30歳代を禅の修行に費やすなど、どう考えても不思議だが
無意識の『?』に導かれて、いつの日かついに『?』を意識にまで遡(さかのぼ)らせ、自分では『必死』とは思っていなかったが
結果的に、その一瞬一瞬は『必死』の連続であったであろう。
そういった人々の無意識の『己を探す』思いに、応えるべき『道』を日本という国は『文化』として持っている。
そこが素晴らしく、故に人が世界中から集まってくる。
彼自身は『必死』ともなんとも思ってないだろう、『必死』であってそれを忘れる境地、
そこに『己を探す』ヒントがあり、人生の『遊戯三昧』がある。(風の強い昨日のレマン湖での撮りたての一撮)
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