昨日、一昨日の週末はヨーロッパ的に『音楽の日』で、各市町村で大小様々なコンサートがもようされた。
我々もモルジュ村のモルジュの鴨川辺りでの『アイルランドの夕べ』的な三人によるアイルランド民謡を聞いてきた。
一時間ぐらい聞いて気付いたら、みなおなじメロディ、おなじリズムだったような・・・
シンプルなメロディが繰り返し、繰り返し、主にバグパイプの音の流れにのって、いつの間にか懐かしい『郷里』に帰り着いていた。
その時思ったものだ、私達は姿形は違っているが、皆おなじ大地に根を張る大樹のようなもの・・・であるなぁ…と。
悟学的に 『命』は『意の地』で『意』は『心の音・音の心』であり、それを聞く人が『観音』であると、ふと思う。
私達人間は 『意の地』という大地に生かされている『命』なのではないか。
それは仏教的に『不二』ということで、『主語のない世界』を表し、道元の言う『身心脱落・脱落身心』の境地のことだろうか。
聴衆は30人ほど、中に赤ちゃん連れの若夫婦がいて、ベビーカーから出てきた赤ん坊がテーブルや椅子につかまって
ようやく立っていられる状態なのだが、その天使のような笑顔に、アイルランド音楽を聞いている我々は大いに癒やされてしまった。
音楽の根源は『命の観音』なのだと確信する、『音楽の日』であった。
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